ハリー・ポッターと獣牙の戦士   作:海野波香

57 / 70
ペスキピクシペストルノミ!

「私だ」

 

 

 知るか。ジュリアはこの男のウィンクにだけは応じないと固く誓った。教科書の表紙までウィンクしてくる。なんとも気障で腹立たしい。ほとんどの男子生徒と一部の女子生徒は表紙を下にして教科書を積んでいた。

 

 

「勲三等マーリン勲章、闇の力に対する防衛術連盟名誉会員、『チャーミング・スマイル賞』5回連続受賞。もっとも、私はその話をしに来たわけではありませんよ。バンシーをスマイルで追い払ったわけじゃありませんしね!」

 

 

 幸いなことに、この男のスマイルとやらはジュリアを追い払う程度の効果はある。泣き妖怪バンシーに対してはどうか知らないが。

 

 大半の生徒は少なからずジュリアと同意見のようで、ロックハートのジョークに笑いは生まれなかった。しかし、中々どうしてこの男も折れない。

 

 

「今日は最初にちょっとしたミニテストをやります。ああ、心配ご無用、教科書を読んでいればわかる簡単なものですから。ちょっとしたチェックですよ」

 

 

 伏せられたテストペーパーが回ってくる。そこそこの長さだ。ジュリアは一縷の望みをテストペーパーの表側に託した。もしかしたら、教科書で披露された戦法や技術に関するテストで、正答率の低かったものからカリキュラムを組んでいくとか、解説をするとか、そういった秘めたる知性があるのかもしれない。

 

 そして、合図と同時にテストペーパーを捲る。

 

 ギルデロイ・ロックハートの好きな色。ギルデロイ・ロックハートのひそかな大望。ギルデロイ・ロックハートの業績であなたが一番偉大だと思うもの。エトセトラ、エトセトラ。そして、最後は、ギルデロイ・ロックハートの誕生日と、理想的な贈物。

 

 ジュリアは今すぐこの羊皮紙を破り捨てて山積みの教科書を奴の眉間に投擲し、奴の全身に早撃ちで失神呪文を叩き込んで、とどめに使い古した羽ペンを奴の尻に挿して帰りたかった。この男を採用した人事は何を考えているのか。そもそもホグワーツに人事はいるのか。ダンブルドアの一存だとしたら、とうとう耄碌したとしか思えない。ジュリアは祈った。母さん、あなたが言っていたよりダンブルドアはぶっ飛んでます。悪い方向に。

 

 それでも成績不振で奨学金を止められると困るので、やむを得ずジュリアは最低限の解答をしていくことにした。半分も埋めれば悪目立ちはしないだろう。この男の居残りだけは勘弁だ。

 

 30分でテストペーパーは回収され、ロックハートは素早い手つきで生徒たちの答案を確認していった。手先の器用さはサイン会で慣らしたのだろうか。

 

 

「おやおや、私の好きな色はライラック色ですよ、『雪男とゆっくり一年』の中で言及しましたね。それに、『狼男との大いなる山歩き』の第12章ではっきり書きましたが、理想的な贈物は魔法界と非魔法界のハーモニーです。もっとも、オグデンのオールド・ファイア・ウィスキーでも歓迎しますがね!」

 

 

 そろそろジュリアは悲しくなってきた。「借金」を消費して自慢話だか自分語りだかわからない伝記を買い揃えさせられた上、初めての授業からギルデロイ・ロックハートという人物についての記憶テストをさせられ、ひょっとすると遠回しな賄賂の要求までされたかもしれない。素晴らしい。ジュリアは今、闇の話術に対する防衛術を学んでいる。人をうんざりさせる呪文とか、人を退屈させる呪文とか、その手の精神を操作する高度な呪いを口から放つことができるのだろう。人の気分を悪くするという意味ではアズカバンにいると聞く吸魂鬼に似ているかもしれない。

 

 何よりうんざりさせられるのは、この男にまだ信奉者がいるということだ。それも、極めて身近なところに。

 

 

「素晴らしい、満点です! ミス・ハーマイオニー・グレンジャーはどなたですか?」

 

 

 隣の席でハーマイオニーが耳まで赤くしながら手を挙げている。普段のハーマイオニーであれば空気を貫くように鋭く手を挙げるところが、今日は弱々しく震え、まるで子ウサギのようだ。

 

 

「素晴らしいですよ、お嬢さん。10点あげましょう!」

 

 

 隣のハーマイオニーに注目が向いているので昼寝するわけにもいかず、ジュリアは目だけを動かして教室の観察を始めた。前任者が図や動く写真を吊るすのに使っていたロープにはロックハートの写真が飾られている。次。窓辺にライラック色の写真立てでロックハートが飾られている。次。教壇の下から不衛生な獣とも鳥ともつかない臭いがする。これだけがこの教室に似つかわしくなく、そして唯一の「闇の魔術に対する防衛術」らしさを見出せる要素だ。

 

 そして、ようやく授業が始まった。ロックハートが教壇の下から覆いのかかった籠を取り出す。甲高い鳴き声を上げて無数の小さな何かが飛び回っているのがわかる。

 

 

「この教室でこれから君たちは、これまで経験したことのない恐ろしい目に遭うことでしょう……しかし、私がここにいる限り、何物たりとも君たちに危害を加えることはない。ただ、落ち着いていればよいのです」

 

 

 教室中が籠に注目していた。少年少女の興味を惹くには十分な声色使いだ。ジュリアも少しだけ籠の中身に期待している。闇の魔法生物。もしくは、呪いに憑かれた凶暴な小動物。そのあたりが望ましい。

 

 

「さあ、ご覧あれ――捕らえたばかりのピクシー小妖精!」

 

 

 なるほど。ジュリアはほんの僅かではあるが感心した。この群青色に染まった不愉快な悪戯悪魔は、これを見て失笑している生徒たちの手に負えるほど穏やかでも優しくもないだろう。ましてや苛立った群れとなれば、ジュリアも好き好んで近づきたくはない。小さいころ、巣に手を突っ込んで大泣きさせられた経験があるのだ。母が助けに来てくれるまで枝に吊るされていた。

 

 しかし、生徒の大部分はこの小妖精を舐めきっている。それはロックハートにも伝わったようで、彼は檻の鍵に手をかけた。

 

 

「では、皆さんのお手並み拝見!」

 

 

 ロックハートがどこまで予想していたのかはわからないが、少なくとも2年生の少年少女にちょっとしたトラウマを植え付けることには成功しそうだった。無数のピクシーが飛び回り、ロックハートの写真を引き裂き、窓を破り、教科書を投げ捨てる。今のところ善行しか積んでいないが、少なくとも教室は大騒ぎだ。

 

 ロックハートが杖を抜いて声を張り上げた。

 

 

「さあ、たかがピクシーでしょう、捕まえなさい! ペスキピクシペストルノミ、ピクシー虫よ去れ!」

 

 

 ピクシーがロックハートの杖をもぎ取って窓の外に放り投げた。ナイスプレイ。

 

 たまらずロックハートが教室から逃げ出すのを見て、ジュリアは両方の杖を抜いた。ここからは的撃ちの時間だ。羽音の近いものから順に衝撃呪文で叩き落としていく。鋭く、早く、正確に。毎回こうなら少しはいい訓練になるかもしれないが、ロックハートも毎回杖を奪われたくはないだろう。

 

 

「24、25、26、27、28……随分多いな。っと、30。ハーマイオニー、ご感想は」

 

「体験学習よ、いいことだと思うわ」

 

 

 ジュリアが撃ち落としたピクシーを、ハーマイオニーがてきぱきと浮かせて籠に詰めていく。その奥でハリーとロンがインクまみれになっていた。

 

 

「体験? ご自分は杖を奪われておいて? 彼のほうがよっぽど体験すべきだよ」

 

 

 ロンの耳を囓っていたピクシーを教科書ではたき落として、ハリーがうんざりした声を上げた。ジュリアも同感だ。今年の「闇の魔術に対する防衛術」は一切の期待を捨てて取りかからねばならない。

 

 

「でも、彼って、あんなに目の覚めるようなことをやってるじゃない。彼の本にそうあるわ」

 

「本には、ね」

 

 

 ロンが呟いた。これも同感だ。加えて、どうにかハーマイオニーの目を覚ます手段を見つけなくてはならない。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。