ハリー・ポッターと獣牙の戦士   作:海野波香

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長い長い初日

 ハリー曰く、あのやたら図体の大きな男はハグリッドというらしい。ハグリッドの先導で木立を進み、湖に辿り着き、ボートに乗った。ボートにはあの騒々しい栗色娘が同席したが、ジュリアを一瞥すると鼻を鳴らしてそっぽを向いた。

 

 別に話しかける必要もないように思えたので、ジュリアは彼方に見えるホグワーツ城に思いを馳せていた。かつて両親も、その先祖も通ったという魔の学び舎。自分はここで何を得るのだろうか。

 

 

「これはお前さんのヒキガエルか?」

 

「トレバー!」

 

 

 どうやらヒキガエル探しの少年は求めていたものを見つけられたようだった。喜ばしいことだ。

 

 木製の巨大な扉が開いて、厳めしい顔をした魔女――マクゴナガルが現れた。相変わらず怖そうだ。しかし、漏れ鍋に宿泊している間、なんやかやと世話を焼いてくれた恩は忘れていない。あの人はいい魔女だ。厳格ではあるが。斜め後ろに立っているハリーが怖じ気づいたようにごくりと唾を呑んだ。

 

 

「マクゴナガル教授、イッチ年生をお連れしました」

 

「ご苦労様、ハグリッド。ここからは私が」

 

 

 マクゴナガルに引き連れられて、大理石の階段を傍目に石畳のホールを横切り、小部屋に押し込まれた。正直容量オーバーにも思える。毎年これなら設計ミスだ。小部屋に「収容」された1年生たちは互いに寄り添って不安を慰めようとしている。

 

 

「ホグワーツ入学おめでとうございます。これから行う寮の組み分けはとても大切な儀式です。待っている間、できるだけ身なりを整えておきなさい」

 

 

 ちらりとマクゴナガルがジュリアを見たので、ジュリアはウィンクで応えた。しかし、あまり効果的とは言えないようだ。マクゴナガルは視線で叱るという器用な真似を見せて、小部屋を後にした。

 

 

「いったいどうやって寮を決めるんだろう」

 

「すごく痛いってフレッドが言ってたけど、きっと冗談だ」

 

 

 ハリーとロンが囁きあう斜め前――つまり、ジュリアの隣で、ハーマイオニー・グレンジャーはぶつぶつと教科書に載っていた呪文を暗唱しはじめた。組み分けが試験だと思っているのだろう。

 

 もし試験だとしたら、マグル生まれはスタートから不利だ。これが階級ではなく寮である以上、均等に機会は与えられると思っていい。なら、何も用意する必要はない。

 

 そこまで考えて、ジュリアは背伸びをした。長いこと座っていたから腰が疲れている。ハーマイオニー・グレンジャーがジュリアに視線を投げ、「なんて緊張感がないの」と毒づいた。ジュリアはそのままあくびもした。

 

 

「さあ行きますよ。組み分け儀式が間もなく始まります」

 

 

 マクゴナガルの指示に従って、1年生たちは一列で大広間へ向かった。ジュリアはハーマイオニー・グレンジャーの後ろだ。彼女はまだ呪文を暗唱していたが、2年生の教科書に載っている分を"再生"したところでようやく終了した。

 

 見事な景色だった。天井の代わりに星空が広がり、蝋燭が何千と浮遊してあたりを照らしている。その光を反射するのは、4つの長テーブルに置かれた金の皿や杯だ。

 

 

「本当の空に見えるように魔法がかけられているのよ。『ホグワーツの歴史』に書いてあったわ」

 

 

 ハーマイオニー・グレンジャーはどうやら本の虫と見て間違いないだろう。しかし、レイブンクローという感じではないともジュリアは思っていた。彼女はジュリアの母とは違うスタンスだ。ジュリアの母が知を大鍋で煮込む魔女ならば、ハーマイオニー・グレンジャーは知を盾と剣にする魔法戦士だろう。

 

 そんなことを思っていると、年季の入ったバリトンで何者かが歌い出した。しゃがれてはいるが、いい声だ。どうやら組み分け帽子というらしい。つまり、帽子が組み分けするのだ。

 

 

「僕たちはただ帽子を被ればいいんだ! フレッドのやつ、トロールと取っ組み合いさせられるなんて言って」

 

 

 後方から聞こえるロンの興奮した声には明らかな安堵が含まれていた。そして、意外なことに、ハーマイオニー・グレンジャーからも安堵のため息が聞こえた。

 

 

「よお嬢ちゃん、簡単なテストで落胆するもんだと思ってたが」

 

「だって、それは……全部の呪文を試したわけじゃないし、完璧な自信はなかったわよ」

 

「随分先まで予習したその努力は間違いなく評価されるだろうよ、グレンジャー」

 

 

 ジュリアが微笑んでみせると、グレンジャーは戸惑うようにはにかんだ。なんだ、案外可愛いじゃないか。

 

 

「ABC順に名前を呼ばれたら、帽子を被って椅子に座りなさい。……アボット・ハンナ!」

 

 

 ハッフルパフ。

 

 ボーンズ・スーザン。ハッフルパフ。

 

 ブート・デリー。レイブンクロー。

 

 ブロックルハースト・マンディ。レイブンクロー。

 

 ブラウン・ラベンダー。グリフィンドール。

 

 ジュリアの姓はマリアット、イニシャルはM。しばらく待つことになりそうだった。

 

 グレンジャー・ハーマイオニー。グリフィンドール。予想が当たった。

 

 ロングボトム・ネビル。ヒキガエル探しの少年だ。途中で転び、被られた帽子もしばらく無言だった。こればかりは予想がつかない。ジュリアは彼に関して「ヒキガエルをなくした」「泣きべそをかいていた」くらいの情報しか持っていないからだ。この程度の情報から予測しようとするのは馬鹿のすることだ。

 

 

「ああいう間抜けはハッフルパフって相場が決まってるんだ」

 

 

 後ろで囁く声がある。その理屈でいけばお前がハッフルパフだと内心で呟いて、ジュリアはあくびをした。

 

 ロングボトム・ネビル。グリフィンドール。

 

 

「マリアット・ジュリア!」

 

 

 ジュリアは静かに、ゆっくりと大広間の中心を歩いていった。視線を上げると、教員席がある。空席はマクゴナガルだろう。髭を生やした小鬼、ふくよかな婦人、育ちすぎた蝙蝠、紫ターバン。そしてなにより、賢者然とした長身の老人。なんとも彩り豊かだとジュリアは笑って、帽子に辿り着くと、スムーズに着席した。

 

 

「ふむ。ヘクター・マリアットとエレン・ムーアクロフトの子か。壮健かね?」

 

「どっちも死んだよ」

 

「それは失礼。さて、君の組み分けに取りかかろう」

 

「希望は通るのか?」

 

「それが適した選択であれば。言ってごらん」

 

 

 ハッフルパフで友に恵まれたと聞く父。レイブンクローで知恵と知識を再構築したと語った母。二人を思い出す。しかし、ジュリアは小さく息を吐いた。自分はそのどちらにもなれる気がしない。

 

 

「いや、なんでもねえ。任せるよ。なるようになるし、なりたいようになるさ」

 

「そうか。その潔さは君の勇気だ。今は静かに凪いでいるが、君の奥底には炎が眠っている。炎は残忍にもなるが、友を暖めることもできるだろう。しかし、その輝く赤は――」

 

 

 マリアット・ジュリア。グリフィンドール。

 

 ジュリアは帽子を脱ぎ、椅子にそっと置くと、しっかりとした足取りでグリフィンドールのテーブルに向かった。グリフィンドールという選択は悪くない。父の友人が属していた寮だとも聞いているし、マクゴナガルが寮監を務めている。少なからず楽しめる要素のある場所だ。

 

 空いていたのでグレンジャーの隣に座ると、意外にもグレンジャーのほうからジュリアに話しかけてきた。

 

 

「……ねえ、あなたちょっと歯を見せて」

 

「変わった趣味をお持ちだこって。新手の口説き文句だってんなら歓迎するが」

 

「違うわよ。ほら、いーってして」

 

「いー。……満足したか?」

 

「んー、極度の切縁結節ってわけでもないのね。歯自体はしっかりしてるのに、なんだか尖ってる。不思議」

 

 

 不思議なのはお前だと言おうか言うまいか悩んで、結局ジュリアはそのままコミュニケーションを続けることにした。グレンジャーと対話が成立している。これは喜ばしいことだ。

 

 

「あたしの歯は病と愛でギザギザなんだよ、グレンジャー」

 

「なにそれ」

 

「まあ遺伝性の奇形とでも思ってくれ。心配しなくても噛みつきゃしねえよ」

 

「あっ……ごめんなさいマリアットさん。私、パパとママが歯医者で、だから矯正とか治療とかに興味があればおすすめできるかなって思って……」

 

 

 ジュリアはグレンジャーの評価を大幅に修正した。この少女は興奮していなければ自ら非を認めて頭を下げることができるし、自分の知識を他人のために活用しようと努力することもできる。ジュリアが今まで出くわしてきた魔女の中ではかなりの善人に分類される。

 

 

「気にすんな。あと、ジュリアでいい。長い付き合いになるが、まあほどほどによろしく」

 

「ふふっ、なにそれ。じゃあ、私もハーマイオニーって呼んで。よろしくね、ジュリア」

 

「オーライ、ハーマイオニー」

 

 

 ジュリアが拳を差し出すと、ハーマイオニーは数秒間首を傾げて、そしてはにかみながら優しく拳をぶつけてきた。

 

 かなり可愛いじゃないか。今のはくらりときたぞ。

 

 ジュリアがほだされているうちに組み分けは随分と進んだようで、青白坊やはスリザリンのテーブルでふんぞり返っているし、赤毛の双子が「ポッターを取った! ポッターを取った!」と歓声を上げている。

 

 体を捻って組み分け帽子のほうを見れば、ハリーがフラフラとグリフィンドールのテーブルに向かってくるところだった。

 

「ようハリー、すっかり気が抜けちまってるな。落とした眼鏡でも見つけたか?」

 

「ジュリア、勘弁して……隣いい?」

 

「おう、座れ座れ。そうだ、眼鏡で思い出したんだけどよ」

 

 

 ジュリアはくるりと向きを変えると、ハーマイオニーに視線を合わせた。ハーマイオニーが本の虫なのは把握しているが、その実力はまだ把握していない。具体的には、彼女が杖を振る姿をまだ見ていない。

 

 

「勉強家さんのお手並みを拝見するチャンスかと思ってな。ハリーの眼鏡に実験台になってもらおう」

 

「どういう意味?」

 

「嬢ちゃんは医者。眼鏡は患者。ハーマイオニー先生の最善のオペが見てえなー」

 

 

 慌ててハリーは眼鏡を隠そうとしたが、それより前に袖から抜かれたハーマイオニーの杖が温かな光を眼鏡のひびに投射した。

 

 

「オキュラス・レパロ。はい、満足かしら?」

 

「お見事。あたしが寮監なら加点してたとこだ」

 

 

 杖を抜くのもなかなか早い。呪文の選択も適切。そして効果は明確に発揮されていることを、新品同様の眼鏡をいじくりまわして感激の声を上げているハリーが証明してくれている。ジュリアの中でハーマイオニーの格がまたひとつ上がった。

 

 

「ちやほやしても何も出ないわよ。それより、あなたは何か見せてくれないの?」

 

「歯ぁ見せたろ、それで帳消し」

 

「残念。授業を楽しみにしてるわ。あ、組み分けもうすぐ終わるわよ」

 

 

 見てみれば、ちょうどロンが組み分け帽子に向かうところだった。顔が真っ青だ。あの調子だとどの寮に送られても席に着いた瞬間に吐きかねない。ジュリアはロンの学校生活のために一応スコージファイを唱える覚悟をしておいたが、正直この手の日用呪文は得意ではなかった。

 

 帽子はロンの頭に乗るか乗らないかのうちに「グリフィンドール!」と叫んだ。よたよたと歩いてきたロンはハリーの隣の席に崩れ落ちて、兄弟と思われる赤毛――あとで監督生だとわかった――に声をかけられても生返事だった。

 

 組み分けが終わったということは、残された活動はひとつだけ。ジュリアは金の皿を見つめて生唾を呑んだ。そう、空腹なのだ。とてつもなく空腹なのだ。マクゴナガルが保証したホグワーツの食事を堪能するときが来た。そのはずだ。ジュリアはもうカトラリーに手を伸ばそうとしていた。

 

 

「ホグワーツの新入生、おめでとう! 歓迎会を始める前に、二言、三言、言わせていただきたい」

 

 

 ジュリアはナイフとフォークを手中に収めた。万全の態勢だ。しかし、肝心の食事がないので、その二言、三言とやらを待つことにした。

 

 

「そーれ! わっしょい! こらしょい! どっこらしょい! 以上!」

 

 

 拍手喝采が大広間に響いたが、ジュリアは「四言じゃねえか!」とツッコミを入れ、それを聞いた周りのグリフィンドール生が笑った。

 

 とにもかくにも食事だ。ジュリアはこれを期待して車内販売の誘惑に打ち勝ったのだから、いい加減「待て」が辛くなってきた。教員席の中央に座る長身の老人――先ほどの「四言」を放った人物だが――が椅子を引く音と同時に、金の皿が食べ物でいっぱいになった。ジュリアはこれを待っていたのだ。

 

 

「ダンブルドアって、ちょっぴりおかしいの?」

 

「おかしいだって? あの人は世界一の魔法使いさ! でも少しおかしいかな、うん」

 

 

 ハリーと赤毛上級生の会話を尻目に、ジュリアは全力で食事を楽しんでいた。ステーキ、ステーキ、ステーキ、茹でたポテト、ステーキ、ステーキ、グリルポテト、ステーキ、ステーキ、フレンチフライ、デザートにステーキ。ミディアムレアだが、十分だ。合格点。

 

 

「ちょっとジュリア、あなたステーキとポテトしか食べないつもり?」

 

「あたしはレアステーキと芋がありゃ生きていける。ジャーマンポテトとマッシュポテトがねえな……あ、湧いてきた。ハーマイオニーも食うか?」

 

 

 ハーマイオニーに呆れた視線を向けられたので、ジュリアはステーキのおかわりをもう一枚だけにした。幸運なことに最後の一枚は焼きたてのレアステーキだった。しもべ妖精の粋な計らいだろうか。

 

 ジュリアがステーキに溺れている間に、赤毛の上級生はパーシーという監督生だとか、魔法薬学のスネイプは闇の魔術にどっぷりだとか、ハリーが教員席を見て奇声を上げたりだとか、玉石混淆の情報が流れてきた。そして、デザートも消えると、四言爺さん――ダンブルドアが立ち上がった。

 

 

「全員よく食べ、よく飲んだことじゃろうから、また二言、三言。新学期を迎えるにあたり、いくつかお知らせがある」

 

 

 まず、森に入ってはいけない。ジュリアは森が好きなので、少々残念だった。森を散策するのはいい運動になるし、多くの場合一人になれるからだ。

 

 次に、管理人から授業の合間に廊下で魔法を使わないようにという注意。校則でないなら気にする必要はないだろうとジュリアは判断した。別に濫用するつもりはない。

 

 それから、クィディッチチームの参加方法と予選の連絡。今のところ、ジュリアはクィディッチをプレーする予定はなかった。むしろなぜやりたがるのか疑問ですらあった。絶対股が痛くなるだろうに。箒の柄に跨がるのだから。

 

 最後に、4階の右側の廊下に入るととても痛い死に方をするという警告。これが魔法界の常識なのだとしたら、ジュリアはだいぶ思考を矯正する必要がありそうだった。しかし、ハリーとパーシーの会話を聞いて、これが常ではないとわかったのでひとまずは安心した。

 

 

「では、寝る前に校歌を歌いましょう! 自分の好きなメロディーで。では、さん、し、はい!」

 

 

 ダンブルドアが声を張り上げて、杖先から金色のリボンで歌詞を流した。教員の笑顔がどこか硬い。大人になると恥をかくのが難しくなるとマグルのバイト仲間が言っていた。そういうことだろうか。

 

 せっかくだから、ジュリアは楽しむことにした。ローブの下のウェストポーチからハーモニカを取り出して、構える。ジュリアはこれの演奏に関してなら自信があった。路上で吹いて小銭を稼いだこともある。

 

 メロディーは去年バイトしていた飲食店のラジオで流れていた「ステップ・バイ・ステップ」にした。ダンブルドアと目が合ったのでウィンクしてみると、ウィンクが返ってきた。中々話のわかる人のようだ。調子に乗ってマクゴナガルにもウィンクしてみたが、口パクに必死のマクゴナガルはそれどころではなさそうだった。

 

 全員が歌い終わって、拍手とともに解散になると、パーシーに先導されて廊下を通過し、階段を上り、肖像画に手を振り、隠し扉をいくつか覚え、うとうとし始めたハーマイオニーを背負い、螺旋階段の先にあるベッドに辿り着いた。

 

 

「ありがとう……ママ……」

 

「おいおい、あたしがママかよ、ったく。ほら、腹冷やすなよ」

 

 

 ジュリアはハーマイオニー・グレンジャーの名札が下がったトランクが脇に置いてあることを確認して、ハーマイオニーをベッドに寝かせ、布団をかけてやった。

 

 ここまでやる義理はどこにもないはずのだが、ジュリアはハーマイオニーと「共有」を済ませてしまった。つまり、ジュリアの心中にもそこそこの親愛感情が芽生えていた。

 

 

「うん……おやすみなさい」

 

「ああ、ぐっすり寝ろよ。そしたらお楽しみの授業だ。……おやすみ」

 

 

 案外、ホグワーツは悪くない場所かもしれない。ベッドに腰かけて窓の外を見ながら、ジュリアは古いホルスターのほうの杖を撫でた。

 

 入学初日はいい月夜だった。


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