ハリー・ポッターと獣牙の戦士   作:海野波香

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作者より一言: お待たせしました。


ぬめり、ぬめり

 ハグリッドの小屋で、ロンは洗面器にナメクジを吐き続けていた。大小様々、色とりどり。ジュリアとしては、ロンがナメクジから寄生虫に侵蝕されないか、そこが心配だった。

 

 なぜロンがこの高度な、そして悪意ある呪いを知っていたのかは知らないが、ハーマイオニーの説明によれば、これはナメクジを胃袋の中に生成するのではなく、ナメクジを呼び寄せて胃袋に集合させる類のものだ。終了呪文をかけようにも呪いはすでに完了しているし、野生のナメクジなので簡単に消失させることもできない。絶望の中で吐くのが最善だ。

 

 ハリーは心配そうにロンの背をさすっている。特大の1匹が粘液とともに口からあふれ出た。活き活きとしている。

 

 

「ハーマイオニー、魔法でなんとかできないの?」

 

「たぶん、吐ききっちゃったほうが簡単ね」

 

「そうだ、出んよりは出ちまったほうがいい。そんで、ロンは誰に呪いをかけるつもりだったんだ?」

 

 

 ロンが答えようとして小粒のナメクジを大量に溢れさせた。慌ててハリーが背をさする。じきに洗面器はぬめる軟体動物で埋め尽くされることだろう。無数の斑とヒダがうねり、蠢き、触角をちらつかせる。あまり想像したくはなかったが、ロン・ウィーズリーの勇気と正義感の結晶だ。ジュリアは敬意を持って彼の言葉を代弁した。

 

 

「マルフォイだ、ハグリッド。ほら、禁じられた森の仕事でハリーと一緒だった青白坊や」

 

「マルフォイがハーマイオニーのことを、ええと、なんとかって呼んだんだ。ひどい悪口だったんだと思う。みんなかんかんだった」

 

「最悪の悪口さ」

 

 

 ロンが洗面器から顔を上げた。なんとか呼吸を取り戻して、一瞬の発言権を得たようだ。

 

 

「あいつ、ハーマイオニーのこと『穢れた血』って言ったんだよ」

 

「本当に言いよったのか、そんなことを!」

 

「言ったわ。どういう意味か私は知らない。きっと失礼な言葉なんだろうけど……」

 

 

 ハーマイオニーがさほど傷ついた様子を見せていないのは不幸中の幸いだった。知らないスラングで罵倒されたようなものだから、衝撃も大きくはないのだろう。とはいえ、文脈から罵倒であることは察せられる。意味がわからないとはいえ、罵倒されて愉快な気分になることもそうそうないだろう。

 

 ジュリアは静かに、言葉を選びながら説明を始めた。

 

 

「まず言っておくのは、あの言葉はあたしでも使わねえくらい最低で、最悪の侮辱だってことだ。ハーマイオニー、『純血』はわかるよな?」

 

「先祖代々魔法使いの血筋のことよね」

 

「そうだ。それを誇るのが純血主義。そして、あの言葉はその反対。つまり、両親とも魔法使いでない者を蔑む言葉だ。……どうだ、下らねえ考えだろ」

 

 

 ウィーズリー家やロングボトム家も純血だが、純血主義者ではない。ジュリアの見聞が広いとは言えないが、それでもジュリアが知る限り、純血主義者などというものはスリザリン寮生や出身者の一部にしかいない。ジュリアの後見人、セシリー・オニールもスリザリンの出身者だが、血筋にこだわる人物ではない。もはや風化しつつある思想なのだ。

 

 

「穢れた血、卑しい血だなんて、狂ってるよ。今どき、魔法使いなんてほとんどが混血さ。もしマグルと結婚してなかったら、魔法使いは絶滅しちゃうよ」

 

 

 ジュリアはロンの言葉に意表を突かれた。魔法界に生きてきた人物としてはずいぶんと合理的な考え方だ。マグルに親しむアーサー・ウィーズリー氏の影響だろうか。少なくとも見当違いではない。

 

 ジュリアも実際のところ、魔法界について見聞が広いわけでも、造詣が深いわけでもない。それこそ「魔法界学」があれば取りたいくらいだ。だから、純血の家に生まれ育ったロンの言動はジュリアにとっていいサンプルで、そのロンから絶滅という用語が出たのは興味深かった。

 

 

「いいこと言うな、ロン。ついでだハーマイオニー、ちょっと考えてみろ」

 

 

 せっかくの機会だから、ジュリアはハーマイオニーに悪い知恵を吹き込むことにした。ジュリア自身も母から吹き込まれた、魔法界にまつわる暗い物語だ。しかし、この純血にまつわる物語はおおよそ正確な事実を伝えているように思える。だから、まだ魔法使いの血筋について無頓着で無垢なハーマイオニーに囁くのには適していた。

 

 

「何を?」

 

「ロンが今言ったとおり、魔法使いの大半は混血だ。じゃあ、純血を保つためにはどうすればいい?」

 

「同じ純血の家と結婚するのよね? それで……子どもを授かる」

 

「その子どももまた純血の家と結婚し、そのまた子どもも純血の家と結婚する。だが、そんなに純血の一族は残っちゃいねえ。さあ、どうする?」

 

「……まさか、親族と結婚するの? でも、それって……近親婚だわ」

 

「よくできました、グリフィンドールに10点。連中は純血を保つために血を濁らせてんのさ」

 

 

 ハーマイオニーはぞっとした様子だった。魔法界の権力、その中枢を掌握していると考えている人々は、己の思想に縛られるあまり悍ましい慣習を生み出したのだ。あるいは、その慣習が悍ましいからこそ、多くが闇の魔術に親しむ彼らには馴染み深いのかもしれない。純血主義者でないジュリアには想像することしかできなかったが、少なくとも彼らの血統が繁栄とはほど遠いことくらいはわかる。そして、聡明なハーマイオニーにもそれは理解できるだろう。

 

 ハーマイオニーは恐ろしいような、悲しいような、それでいて静かな面持ちだった。きっと純血主義者たちの未来を憂いているのだろう。そして、その悲しい未来予想図が簡単に覆るものではないことも。

 

 

「私……私、マルフォイに穢れた血って言われたとき、不愉快だったわ。今の話を聞いても、やっぱり失礼な言葉だと思う。でも、なんていうか……彼らが生きる道はないのかしら」

 

 

 ハーマイオニーという正義の人物、その感情と理性が詰め込まれた言葉だった。侮辱は侮辱であり、それは失礼として怒る。しかし、それとは別に、純血主義者たちを人間として扱い、彼らに救いがないのかと考えるだけの倫理観が働いている。

 

 

「哀れんでやれ、ハーマイオニー。それが一番あいつらを苦しめるやり方だ」

 

「そういうつもりじゃないのよ、ジュリア」

 

「わかってる、冗談だ。だが、まあ、連中は主義に生きてる。それを哀れまれるのはなにより苦痛だろうよ」

 

 

 小屋の中は静かで、時折ロンがナメクジを吐き出す呻き声だけが聞こえていた。ハーマイオニーは純血主義者を知った。そして、彼らの悲哀に満ちた末路も予想した。それでもなお、彼女は純血主義者を哀れんだ。純血主義者過激派集団の首領であったヴォルデモートに両親を殺されたハリー。純血の一族でありながら純血主義を唾棄すべきものと考えるロン。マグル生まれでありながら純血主義者の行く末を案じるハーマイオニー。不思議な空間だった。

 

 ロンの背中をさすりながら、ハリーがゆっくりと口を開いた。

 

 

「入学する前、マダム・マルキンの洋装店で、マルフォイと話したんだ。両親とも魔法使いでない子どもはホグワーツに行かせるべきじゃないって、そう言ってた。嫌な奴だなって思った。今もそう思ってる」

 

「そうだろうな、お前らの関係はそこから始まった」

 

「うん。だけど、なんだろう。僕、あいつのことを全然知らない。ただ嫌な奴としか思ってなかった」

 

 

 意外な言葉だった。ハリーはマルフォイのパーソナリティに興味を抱いているのかもしれない。それはつまり、敵対視して遠巻きにする無自覚のライバルから、相手を知った上で向かい合う自覚したライバルへと進む一歩となりうる。ジュリアの考えが正しければ、これは喜ばしいことだ。

 

 しかし、ことを急く必要もない。

 

 

「そりゃきっとお互い様だろうよ。今すぐ詮索する必要もねえだろうし、詮索してもお互い不愉快になるだけだ。どうせお前らはこれから6年ぶつかり合うんだろ。そのうち何かしらを知ることになるだろうさ」

 

「そっか……うん、そうだね」

 

 

 ハリーは納得した様子だった。進んでマルフォイと語り合う気があったわけでもないのだろう。ただ、喧嘩相手の事情を知らない、そのことに気づいた。それだけでも12歳の少年としては大きな成長なのかもしれない。

 

 しかし、ハグリッドも、洗面器から顔を上げたロンも、微妙な表情を浮かべていた。

 

 

「知って得するもんでもないと思うがなあ。マルフォイ家の連中っちゅうのは腐りきっとる。金、権力、闇の魔術だ」

 

「そうだよ。あいつの父親は例のあの人の右腕だったんだぜ、パパが言ってた」

 

 

 ルシウス・マルフォイ。ジュリアはあの冷たい目つきを思い出す。マグルを心から蔑む、純血主義者の代表格的存在だ。そして、聖マンゴに顔が利き、クィディッチ・チーム全員分の箒を買い与える程度には子煩悩。もしも我が子が魔法事故に巻き込まれたら、そのようなことを思って聖マンゴにちょっとした支援を――つまり、多額の寄付をしているのだろう。そう考えると、マルフォイ家も完全に憎みきれる存在ではないようにジュリアは思えた。彼らもまた人なのだ。

 

 とはいえ、警戒しなくてはならない。ジュリアには秘密があり、秘密は秘匿されているとはいえ、そこまで手を伸ばすことのできる場所にルシウス・マルフォイは立っているかもしれないのだから。

 

 

「まあ、自分の目で確かめてきゃいいさ。あたしは連中に自分から関わるつもりはねえよ」

 

「あら、盛大に喧嘩を売ったじゃない」

 

「あれはちょっとしたご挨拶。ルシウス・マルフォイも息子の頬が切れたくらいで大騒ぎするほど落ち着きのない馬鹿じゃねえだろ」

 

 

 競技場での様子を思い出したのか、ハリーとハーマイオニーがクスクス笑った。あの時マルフォイは怯えていて、確かに少々滑稽だったかもしれない。彼もまた12歳かそこらの少年だ。お漏らししなかっただけ上等というものだろう。

 

 どのみち、ハリーたちとつるんでいればジュリアはマルフォイに敵視される。これまでも何度かからかって遊んだ。彼にはっきりと”ご挨拶”をするのは時間の問題だったのだ。それが、ハーマイオニーへの罵倒という形で機会を得てしまった。

 

 とはいえども、ジュリアはドラコ・マルフォイという少年を、そしてマルフォイ家という聖28氏族筆頭を侮るつもりはなかった。彼らは狡猾な蛇だ。イヴに囁いたように、自らの手を汚すことなく罪を犯させることに長けている。ジュリアはうまく立ち回らねばならない。計算高い方のジュリアが関係改善を提案したが、ジュリア議会はその案を否決した。状況からも環境からもすでに手遅れであるとわかる。

 

 

「まあ、ロンの呪いがやっこさんに当たらなかったのはついとった。アーサーの息子が呪いをかけたなんてことになったら、それこそルシウス・マルフォイはホグワーツに乗り込んできおったかもしれんぞ」

 

「ロンの父さんとルシウス・マルフォイはなかなか、こう、因縁浅からぬ仲ってやつみてえだな」

 

「パパはなんとかあいつの尻尾を掴もうとしてるんだ。でも、毎度うまくいかなくて、そのたびにあいつは嫌みったらしいことを言ってくる。あいつのことになるといつもパパはカンカンだよ」

 

 

 つまるところ、二人は少し大人なトムとジェリーなのかもしれない。ジュリアはそのように2人を分類した。

 

 それから、ロンのナメクジが落ち着くのを待って、4人はハグリッドがハロウィーン用に育てているかぼちゃの畑を見物した。とてもよく肥えている。魔法的な成長促進が行われているのが明らかなほどだ。ハリーの話を聞く限り、ハグリッドはホグワーツを退学処分になって杖を折られたらしい。しかし、ロンの杖がそうであるように、扱い方を心得ていれば折れた杖でもそれなりに役立つ。

 

 かぼちゃ、かぼちゃ、かぼちゃ。ジュリアは今年のハロウィーンが楽しみだった。




予定より遅くなりましたが、更新再開です。まだ本調子ではないので更新ペースは落ちます。不定期にはなりません。

これまでと今後について、詳しくはこちら。
https://syosetu.org/?mode=kappo_view&kid=226266&uid=244813

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