ハリー・ポッターと獣牙の戦士   作:海野波香

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作者から一言:今日は作者の誕生日です。


這い寄る影

 ジュリアの機嫌を損ねることがいくつもあった。

 

 まず、壁に書かれた文言について、マクゴナガルは心当たりがあるような様子だった。しかし、ジュリアたちに何を語るでもなくただ廊下を封鎖し、「この一件は校長先生にお預けします」と背を押して寮に帰らせた。ひどく深刻そうな面持ちで。

 

 次に、フィルチが憔悴していた。時折思い出したように生徒を捕まえては校則違反だ、処罰だと怒鳴り散らし、次の瞬間には気が抜けたように立ち去ってしまう。管理人室からは押し殺した泣き声が毎日聞こえ、生徒の間では「ミセス・ノリスが死んだのではないか」という噂が広まりつつあった。

 

 そして、4人が沈黙を保っているにもかかわらず、どこからともなく噂が流れ始めた。秘密の部屋が開かれた。怪物が棲んでいる部屋だ。これから怪物は生徒を殺して回る。曖昧でつかみどころのない噂であるがゆえに、少しずつ恐怖が生徒を蝕んでいる。

 

 なにより、ギルデロイ・ロックハートがこの噂に便乗していた。

 

 

「いいですか、皆さん。秘密の部屋とは文字どおり秘密、シークレットなのです。それゆえに、這い寄る闇はまるでベッドの下の怪物のように皆さんを恐れさせる……。しかし、心配ご無用! 闇の魔術に対する防衛術連盟名誉会員である私が皆さんの健やかな眠りを守り、そして皆さん自身が闇から身を守る術を身につけられるよう、惜しみなく指導しましょう。さあ、『鬼婆とのオツな休暇』の83ページを開いて――」

 

 

 教科書を読んでいるふりをしながら、ジュリアは頭の中で情報を整理していた。誰にも聞こえない声が聞こえるのはしばしば狂気の始まりとされる。しかし、ハリーが狂気に犯されていると考えるのは早計だろう。事実、声を追った先には事件があった。問題は、声の主が見えないという点だ。

 

 謎の声、そしてミセス・ノリスの仮死に直面したことですり減っていたハリーの精神は、ロンとの日常でいつも通りに戻りつつある。誰にも聞こえない声については図書館の、すなわちハーマイオニーの役割だ。

 

 そうすると、ジュリアは何をすればよいか。すべきことは多く、また、すべきでないことも多い。それらを峻別しなくては、ミセス・ノリスの二の舞になりかねない。まだ何の呪いか、いや、呪いなのかすらわかっていないのだから。

 

 たとえば、ウィーズリー家の末妹、ジニーがひどく気を落としているので、これを元気づける。どうやらがさつで気の利かないロンには難しいらしい。もっとも、ジュリアにも同じことは言えるのかもしれないが。

 

 もしくは、ミセス・ノリスの状態について知るためにフィルチを訪ねる。一年にして因縁浅からぬ仲となったジュリアとフィルチだが、現場にいたということを話せば情報交換が可能かもしれない。フィルチに正気が残っていればの話だ。

 

 あるいは、片っ端から教師を捕まえてミセス・ノリスの状態について話し、見解を聞く。マクゴナガルが適任だが、「ミセス・ノリスは生きている」以上のことについてどうにも口を割らない。わざわざ猫に魔法薬を飲ませてあの奇妙な状態にするとも思えない。マクゴナガルとスネイプがだめとなると、ジュリアの人脈で漁ることのできる情報には限界がありそうだった。

 

 羽ペンをくるくると回して頭を悩ませていると、隣の席から羊皮紙の切れ端が差し出された。ハーマイオニーからだ。

 

 

「声については情報不足、時間が必要。部屋については記憶が正しければ『ホグワーツの歴史』に記述あり。全巻貸出し状態につき閲覧不可」

 

「声の調査は続行。部屋の情報はこちらで」

 

「了解」

 

 

 かの大著『ホグワーツの歴史』に記述があり、それらが全巻貸し出されているとなれば、聞き込みで情報を得るのが早い。しかし、伝聞に伝聞を重ねた状態では情報の精度が低い。より信頼性の高い情報源が必要だろう。

 

 ジュリアの知る限り、ホグワーツの年長者の中で最もジュリアたちに親しく接してくれる、かつ、最も口の軽い人物は、ハグリッドだ。

 

 授業終了の鐘が鳴ると、ジュリアはロンをハーマイオニーの助手につけ――ロンはこの役割に少々うんざりしていたが――ハリーとともにハグリッドの小屋へ向かった。

 

 

「名案だよ、ジュリア! だって、ハグリッドは長いことホグワーツにいるし、生き物にも詳しいから、もしかしたらミセス・ノリスのことについても何かわかるかもしれない!」

 

「ミセス・ノリスについてはともかく、秘密の部屋についてなら何かしら情報が得られるだろ。よお、セド! 引率か? 来年はセドがハッフルパフの監督生で決まりだな」

 

 

 大広間を抜け、階段を下るところで、2人はハッフルパフの一団と出くわした。背の低い――ジュリアよりは大きいが――下級生の集団を率いているのは、ハッフルパフでもいっとう面倒見のいい好青年、セドリック・ディゴリーだ。

 

 ジュリアとセドリックはジュリアが禁じられた森で罰則を受けて以来の仲だった。ハッフルパフの上級生がジュリアに余計な真似をしようとしたところを諫めてくれたのだ。この爽やかで紳士的な上級生のことをジュリアは気に入っていたし、彼も「セド」と呼ぶことを許してくれる程度にはジュリアを気に入っているようだった。

 

 ところが、セドリックの表情は優れない。見れば率いられている下級生も少々怯えているようだ。しかも、1年生たちの視線はハリーに向けられていた。ハリーは昨年度の英雄で、さらに遡れば1981年10月31日の英雄だ。向けられるべき視線は憧憬であって、恐怖ではない。

 

 

「ジュリア、ちょっといいかい」

 

「デートのお誘いならまた今度な、今からハグリッドのとこに行くんだ」

 

「少しでいい。真面目な話だ」

 

 

 ジュリアは肩をすくめると、ハリーに少し待つよう言ってセドリックの背を追った。ちょうど近くに小部屋がある。組み分け前に待機させられたあの部屋だ。

 

 セドリックが扉を閉めると、部屋は大広間の喧噪から切り離された。

 

 

「さて、二人きりだ。何が聞きたい?」

 

 

 セドリックは腕を組んで壁に背を預けると、ゆっくり口を開いた。

 

 

「秘密の部屋について。ハリーが開いたって噂が流れてるんだ」

 

「おいおい」

 

「わかってるよ、もちろん僕も信じてないし、信じてる人はそんなに多くない。そもそも秘密の部屋が何かもはっきりわからないしね。でも、下級生は怯えてるし、ハリーを怖がってる。ジュリアたちはハロウィーンパーティーにいなかっただろ?」

 

 

 まずい展開になっている。

 

 ジュリアは状況を少しずつ飲み込み始めた。犯人はハリーを陥れようとしている。目的はまだわからない。ロックハートが新しい著書に登場させる悪役を求めて動いているのかもしれないし、今年もヴォルデモートが忍び込んでいるのかもしれないし、ひょっとするとスリザリン寮生に大がかりな謀略を得意とする親ヴォルデモート派ないし反ポッター派の人物、または集団が生じたのかもしれない。

 

 ともあれ、セドリックは信用できるというのがジュリアの認識だった。セドリックが求めている情報を提示し、同時にセドリックから情報を得る、これが今指せる最善の手だろう。

 

 

「あたしとハリー、それにもちろんハーマイオニーとロンも、この4人はハロウィーンの日に先約があった。ほとんど首なしニックの絶命日パーティーだ」

 

「絶命……なんだって?」

 

「ゴーストの死んだ日お祝いパーティー。ともかく、そこに招待されて出席してたことはホグワーツ中のゴーストが知ってる。太った修道士もいた。1年坊主どもを安心させる説得材料にはなるだろ?」

 

「なるほど……うん、ありがとう」

 

「ああ」

 

 

 さて、何から聞くべきか。今のジュリアには情報が足りない。圧倒的に不足している。

 

 数秒悩んで、ジュリアはセドリックに問いかけた。

 

 

「噂がどこから流れたかわかるか」

 

「わからない。でも、下級生からしか聞かされていない。上級生はむしろ秘密の部屋について噂しあってるよ。マグル生まれの生徒が殺されるとか、そんなことを。だから団体行動を取るよう指示が出たんだ」

 

「下級生ね、オーライ。幾分絞り込めた。……マグル生まれが殺される?」

 

 

 これは新しい情報だ。ジュリアは眉を上げた。

 

 

「真っ先に『ホグワーツの歴史』を確保した生徒が、秘密の部屋についての記述を見つけたんだ。サラザール・スリザリンがホグワーツを去るとき残した部屋で、彼が生み出した怪物が棲んでいるらしい。サラザール・スリザリンがホグワーツを去ったのは――」

 

「マグル生まれを受け入れるかどうかでゴドリック・グリフィンドールと対立したから、だな」

 

「知ってたのかい?」

 

「いや。あたしの母さんは歴史マニアだったが、あたしに教える内容はあれでもまだ厳選されてたらしいな。で、その怪物がスリザリンの遺志を継いでマグル生まれを駆逐する、そういう話か」

 

 

 セドリックが頷くのを見て、ジュリアは小さくため息をついた。本当に「スリザリンの怪物」とやらが相手なら、非常に厄介だ。ヴォルデモートは冷静な指し手だった。少なくとも盤の上で駒を動かしていた。しかし、怪物はおそらくマス目も知らないし、駒の動き方にも興味がない。つまり、どこから現われて何を殺すかわからない。

 

 今回は自衛に徹するのが得策だろう。ジュリアはそう判断した。探偵ごっこはジュリアの領分ではない。得た情報をマクゴナガルなりスネイプなりに提供して、ハリーという探知機を頼りに安全なルートで移動する。これがよいように思えた。

 

 

「セド、これは秘密にしておいてほしいんだが……ミセス・ノリスを最近見かけないよな?」

 

「そうだね、見かけない。今回の件と関係が?」

 

「ミセス・ノリスが怪物の犠牲になった。死んではいない。まるで、こう、石になったような状態で吊るされているのを、ちょうどあたしたちが目撃して、マクゴナガルだけに報告した。……どうだ、情報は繋がったか?」

 

「怪物が必ずものを殺せるとは限らない、そして……部屋を開いた人物はハリーをはめようとしている。そうだね?」

 

「おそらくな。あたしたちもできることはやってるが、そもそもあたしは寮で浮いてる方だし、他の寮に伝手もない」

 

「わかった。僕もできるだけのことをしよう」

 

「ありがとよ。礼は必ず」

 

「礼なんて。それより、ハリーによろしく。彼とはまだ話したことがないんだ」

 

 

 セドリックは軽く手を振って、いくらか柔らかくなった顔で部屋を出ていった。

 

 ハリーのもとに戻らねば。そう思いながらも、思考が回転する。下級生の噂。ハリーに向けられた悪意。怪物。情報を深めるつもりが広がってしまった。

 

 しかし、去年とは違う。ジュリアには協力者がいる。これは大きな違いだ。

 

 目下ジュリアがすべきことは、ハッフルパフの下級生に怯えられて居心地悪そうにしているであろうハリーを救出することだ。ジュリアは小部屋を出て、ハリーに手を振った。


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