ハリー・ポッターと獣牙の戦士   作:海野波香

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誰が雄鶏殺したか

 ローストチキンサンドに、チキングリル、チキンスープ。鶏肉尽くしは悪くないが、ハグリッドが精肉店を開いたという話は耳にしていない。ハグリッドの小屋の中は今や燻製された鶏肉に占拠されていた。噂に聞くウィーズリー家の洗濯物といい勝負の量だろう。

 

 

「このチキンはどういうこったよハグリッド、ホグワーツ養鶏場計画が破綻したとか?」

 

「いんや、それがちょいと厄介なことになってな。まあ食え食え。ほれ、ハリーも」

 

 

 ジュリアは木彫りのトレーに乗せられた皿からサンドイッチを取って、トマトの汁が垂れないように大口でかぶりついた。あいかわらずトマトの種部分にまとわりついたゼリーの食感は苦手だが、ローストチキンの間に挟まれたスモークチーズのスライスがほどよく緩和して、なんとかジュリアでも楽しめるものになっている。ハグリッドは自分の感覚で料理をするところこそあるものの(ロックケーキがいい例だ)、味つけや食材の組み合わせはなかなかに上手い。

 

 ハリーはチキンスープのカップを手に取ったが、湯気に眼鏡を曇らされていた。ジュリアの予想が正しければ、チキンスープは飲める温度になるまでまだしばらくかかる。

 

 ハリーが眼鏡を外してローブの袖で拭いているうちに、ハグリッドが話の続きを語りはじめた。

 

 

「ここ最近になってホグワーツの雄鶏が殺されちょる。見事に雄鶏だけやられてなあ」

 

「雄鶏だけ? 何に襲われたんだ、ダグボッグでも流れ込んだのか?」

 

「ジュリア、ダグボッグって?」

 

「這い寄って噛みつく枯れ木、詳しいことは教科書読め教科書。で、ハグリッド、下手人は?」

 

「それがなあ」

 

 

 ハグリッドが一口スープを啜った。

 

 

「鶏たちが騒いどるのをジニーが偶然聞きつけてな、見に行ってくれたんだが、そのころにはその鶏舎はもう手遅れになっちょった。刃物で首をすっぱりだ」

 

「ジニーが?」

 

 

 意外な名前だったのか、ハリーが声をあげた。ハリーはジニー・ウィーズリーと少なからず交流があるようだ。ロンから冗談交じりに聞かされた隠れ穴での言動からして、ジニー・ウィーズリーという少女はハリーに憧れか、もしくは初めての恋心を抱いているに違いない。ハリーとて12歳の男の子だ、自分に好意を寄せている年下の女の子が気にならないということはないだろう。

 

 ジュリアはチキングリルを見つめた。単なる悪戯で済ませるにはたちが悪い。卵や鶏肉が食卓に上がらなくなるのはジュリアにとっても大きな損失だ。しかし、雄鶏殺しは今回の「秘密の部屋事件」と関係があるだろうか。もしないとすれば、二つの事件が同時に動いていることになる。秘密の部屋のほうは自衛すら怪しいが、雄鶏殺しの犯人捜索くらいならジュリアたちにも協力できるかもしれない。

 

 ジュリアの中で計算が動き始めた。まずは秘密の部屋についてハグリッドが持っている情報を話してもらう。その後、ジュリアは雄鶏殺し事件の解決に協力する。ハグリッドにはドラゴンの卵の件を差し引いても余りあるほど世話になっていた。具体的には禁じられた森での狩猟採集に付き合ってもらったり、革のなめし方を教わったり、そういったことだ。

 

 

「雄鶏殺しについてはあたしもできる範囲で協力する。チキンがねえとサラダを食うのに苦労するしな」

 

「ありがとうよ、ジュリア。ただの馬鹿がお遊びのつもりでやってるっちゅうにはちょいと度が過ぎる。一寸の虫にも……虫にも……」

 

「五分の魂?」

 

「そう、それだ。だが、忘れちゃならんぞ。お前さんらは生徒で、危ないことに首を突っ込むのは――」

 

「それなんだけど、ハグリッド」

 

 

 ジュリアが返事をするより早く、ハリーがハグリッドの言葉を遮って口を開いた。

 

 

「僕たち、秘密の部屋について調べてるんだ」

 

「ハリー、お前さん、今なんと……」

 

「秘密の部屋だよ、ハグリッド。ミセス・ノリスが石になった現場を見つけたのが僕たちだったって、聞いてない? それに……」

 

 

 ハリーは何か躊躇するようにカップを持ち替えて、スープを一口啜った。その様子を見るハグリッドの目は見開かれていた。まるで、秘密の部屋という言葉に聞き覚えがあるような、そしてとても嫌な記憶を蘇らせたような、そんな顰め面だ。

 

 なんとかチキンスープを飲み込んだハリーは、息を吐いて、それから、躊躇していたそれをゆっくりとこぼしはじめた。

 

 

「僕を怖がってる人たちがいるんだ。ミセス・ノリスを見つけたことなんて誰も知らないはずなのに、ハロウィーン・パーティーにいなかったってだけで僕のことを疑ってる。まるで……まるで、僕が秘密の部屋を開いたみたいに」

 

「そんな馬鹿げた話があってたまるか。リリーもジェームズも、もちろんハリー、お前さんもグリフィンドールだ。ちっともスリザリンなんかと関係ない、そうだろうが」

 

「スリザリン? 部屋はスリザリンと関係があるの?」

 

 

 返事の代わりにハグリッドは低く唸って、スープの釜を炉から下ろした。そして、それきり黙って腕を組んでいるので、代わりにジュリアが秘密の部屋について説明した。

 

 

「秘密の部屋っつうのはな、ハリー。ホグワーツを創始した魔法使いの一人、サラザール・スリザリンが作った部屋だそうだ。当然、そこにいる怪物もスリザリンが育てたか作ったかした怪物だろうな」

 

「ジュリア、知ってたの?」

 

「いや、全然。調べたり聞いたり、あたしとハーマイオニーも動いてたってわけだ。ともかく、秘密の部屋ってのはそういうとこで、そうすると継承者ってのはスリザリンの何かしらを継いでる奴ってことになる」

 

「ようわかっただろう、ハリー。お前さんが心配するこたあねえ。スリザリンの血はスリザリン。ウィーズリー家がグリフィンドールと決まっとるようなもんだ」

 

 

 ハリーの顔色が優れないのを見て、ハグリッドが言葉を続けようとした。しかし、それより早く、ハリーがスープのカップを置いて口を開いた。

 

 

「僕、本当はスリザリンに組み分けされるかもしれなかったんだ」

 

 

 予想外だ。ジュリアも沈黙せざるをえなかった。ハリーがスリザリンに。ジュリアはスリザリンが悪い寮だと考えているわけではない。しかし、現状に関して言えば、その過去はハリーの気分を塞がせる原因にしかならない。

 

 ハリーが俯いたまま、ぽつり、ぽつりと続きを語る。

 

 

「組み分け帽子が、僕はスリザリンでなら偉大になれるって。それに、絶命日パーティーで、ポッター家はとても古い家だって教わったよ。僕、僕……本当はスリザリンなんじゃ……」

 

「ハリー! 馬鹿言っちゃいけねえ。お前さんは勇敢なジェームズと優しいリリーの子どもだ、ちゃんとその強さっちゅうやつを受け継いどる」

 

「もし、もしもお前がスリザリンだったとしてもだ、ハリー」

 

 

 ハリーの頭の中で渦巻く疑念はそう簡単に晴れるものではないだろう。であれば、ジュリアにできることは疑念の向く先を――スリザリンの可能性を明るくすることだろう。ジュリアは記憶と知識を総動員して、そしてできるだけ落ち着いた声を出した。

 

 

「スリザリン出身で一番偉大な魔法使いは誰だかわかるか?」

 

「えっと……わからない」

 

「お前も聞いたことがある魔法使いだ、イギリス人なら大体知ってる」

 

「ヴォルデモート?」

 

 

 ハリーが挙げた名にハグリッドの大きな肩が跳ねたが、ジュリアはそれを無視した。

 

 

「あんな純血主義過激派テロリストなんざ木っ端だ木っ端。もっとヒントやるよ。ブリテンの伝説に名を残す魔術師」

 

「うーん、マーリンとか? でも、あれは伝説だし」

 

「おいおい、お忘れのようだが、お前が今いるのはドラゴンやらケンタウルスやらがいる世界だぜ?」

 

「え……でも、そんな、嘘だよ」

 

「魔法界が輩出した偉大な魔法使い、マーリンはサラザール・スリザリンの愛弟子だ。時代的にはちょうどスリザリン寮初期の生徒だっただろうな。探せば肖像画もあるんじゃねえか」

 

 

 実はマーリンの肖像画が大階段のどこかに飾られていることをジュリアは知っているが、あえて探そうとも思わなかった。母の言葉が正しければ、マーリンの肖像画は迂遠な言い回しで人を煙に巻くばかりで、中身のあることを語ってくれないのだ。

 

 ハリーの顔色はいくらかましになったが、それでもグリフィンドール寮生として過ごす中で醸成されたスリザリンへの反感は根深く定着したと見えて、困惑の表情は抜けていなかった。

 

 そこに、ハグリッドが重い口を開いた。

 

 

「俺がまだほんのちっぽけな学生だったころ……そう、まだホグワーツの生徒だったころだ。秘密の部屋が開かれた」

 

「部屋が? じゃあ、スリザリンの継承者はハグリッドが生徒だったころから生きてるの?」

 

「わからん。ただ、あの時は女の子が一人死んじまって、それから……」

 

「それから?」

 

 

 続きを促すハリーに対して、ハグリッドはちらりと視線を向けて、小さく咳払いをした。

 

 

「ある生徒がスリザリンの怪物を追っ払ったっちゅうことになった。俺はそのどたばたで、あれだ、退学を食らった。みんなあいつの言うことを信じちょった。だが、ダンブルドア先生だけはあいつを信じなかった。それに、今度も怪物が出たっちゅうことは、あいつが嘘をついとったっちゅうことだろうが」

 

「あいつって?」

 

「名前は言えんことになっとる。ほれ、俺があいつの悪口を言って回ったら、ディペット校長、そんときの校長だが、あの人の面目が丸潰れだ。森番になるときにそういう約束をした」

 

 

 ジュリアは黙って、情報を整理し始めた。ハグリッドの在学中、ホグワーツでは秘密の部屋が開かれた。その時は死者が一人。加えて、ハグリッドが退学になった。何者かが事件を解決、少なくとも脅威である怪物を排除したように喧伝し、周りはそれを信じたが、ダンブルドアはそれを信じなかった。

 

 ジュリアはアルバス・ダンブルドアという人物を信頼していない。しかし、その能力を信用することはできると考えている。ダンブルドアが信じなかったのであれば、その生徒が嘘をついていた可能性は高い。

 

 加えて、今回も秘密の部屋から怪物が出ている。スリザリンの怪物がホグワーツのどこかで繁殖しているのでもない限り――できればそのケースは想像したくない――怪物は排除されなかったと考えるのが妥当だろう。

 

 しかし、真実を一切含まない嘘を信じさせるのは困難だ。少なくともその生徒は何かしらをホグワーツから追い払い、そしてそれは怪物と形容するに相応しいものだったのだろう。

 

 多くの情報を得た。しかし、まだ不足している。秘密の部屋について探るにも、ハリーの不安を解消するにも、まだ不十分だ。

 

 

「ハグリッド、その人って――」

 

「これ以上は話せん。お前さんらはホグワーツの生徒で一番秘密の部屋に詳しくなった、これで十分だろうが。余計なことを話しすぎると、また危ないとこに首を突っ込みかねんしな。まあ、石のときはそのおかげで助かったんだが」

 

 

 ハグリッドは髭を揺らして笑うと、スープ釜から自分のカップにおかわりを注いだ。コンソメのいい香りが湯気に乗って小屋に広がり、空気が切り替わるのをジュリアは肌で感じた。

 

 

「お前さんらは立派で、勇敢だ。なんも恥じることはねえ」

 

 

 それから、ジュリアは鶏肉のジャーキーをたんまりもらって、ハリーの背を押して寮に戻った。

 

 収穫はあった。しかし、謎が謎を呼んでいる状況に変わりはない。ジュリアは自分の中に芽生え始めた不安を押し殺して、スモークのきいた鶏皮を噛みちぎった。


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