ハリー・ポッターと獣牙の戦士   作:海野波香

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歴史が語るもの

 木曜の2限目。冷え込みはじめた地下牢での魔法薬学の後だ。いつも通り、ジュリアは魔法史の時間を昼寝に充てるつもりだった。ビンズは生徒がなにをしていようと興味を示すことはない。爆発スナップだろうが、ゴブストーンだろうが、完全に無視してくれる。気づいていないのかもしれない。ともかく、課題を出して期末試験を突破すればいいのだから、魔法史家であるバチルダ・バグショットの著書を一通り読んでおけばいい。要領のいい生徒はみなそうしているし、そうでなくとも睡魔に抗うのが難しい授業だ。

 

 幸いにしてと言うべきか、歴史マニアの母に知識を叩き込まれたジュリアは、魔法史の学習においてさほど苦労を感じたことはない。魔法史の教科書と、地域ごとに軽めの歴史書を通しで読んでおけばおおよそ必要とされるだけの情報は得られる。ビンズの授業に意義がないとは言わない。文字を集中して読むのが苦手な生徒にとってはいくらかマシな勉強方法だろう。しかし、教科書を自力で読むことができるジュリアにはさほど重要ではない時間だった。

 

 入学してからしばらくはハーマイオニーも不真面目なジュリアの態度を正そうと叱ったり諭したりしてきたが、ビンズの授業がよくも悪くも教科書に忠実であることを理解してからは、真面目な態度で授業に臨むことを求めることはなくなった。ただ、勉強熱心な彼女は「復習のいい機会になるから」と授業時間目いっぱい羽ペンを動かしている。

 

 ところが、今日は様子が違う。ハーマイオニーがやけに張り切っているのだ。そわそわして、落ち着きがなく、羽ペンを5秒に1回は回転させている。そのくせして、ノートはほとんど進んでいない。ハーマイオニーらしからぬ集中力の欠如だった。

 

 授業が国際魔法戦士条約――1709年のワーロック法または魔法戦士法を制定した方ではなく、1289年のヨーロッパ魔法使い会議で定められた方だ――にさしかかったとき、とうとうハーマイオニーが行動を起こした。手を挙げたのだ。この行動に起きていた数少ない生徒がざわめきはじめ、数人が浅い眠りから目覚めて怪訝そうに頭を上げた。

 

 

「えー……ミス……?」

 

「グレンジャーです。先生、質問よろしいでしょうか」

 

「それは、まあ、構いませんが」

 

「では、少し時代が戻るのですが、秘密の部屋について教えていただけませんか。サラザール・スリザリンの」

 

 

 ビンズは面食らった様子で数秒沈黙していた。無理もない、つい先ほどまで仮眠室と化していた教室、その席を満たす生徒からは眠気が消し飛び、誰もがハーマイオニーとビンズのやりとりに注目しているのだ。

 

 

「私がお教えしとるのは歴史、すなわち事実でありまして、神話や伝説はこの授業では扱わないんであります。よろしいですかな、ミス・グレンジャー。さて、どこまで話したか……同年9月、サルデーニャ島の魔法使い小委員会では――」

 

「先生」

 

「まだ何か、ミス、あー、グレンジャー」

 

 

 ハーマイオニーの頬は紅潮していた。授業を遮ることへの罪悪感、それを補って余りある使命感、そんなところだろうか。

 

 

「お願いです、先生。先生が仰るところの伝説、それがどのような歴史から生まれたのかを語ってくだされば結構ですから」

 

「あー……確かに、それもまた歴史の役目ではありますな。しかし……」

 

 

 ビンズはハーマイオニーをじっと見つめて、それから、ハーマイオニーの隣に座るジュリアに気づくとなぜかため息をついた。ため息をつかれた理由もわからず、ジュリアは机に伏せたままだった身を起こした。

 

 

「このあたりはミス・ムーアクロフトの領分でしょうに。いつまでも学生をやっていないで、バグショットのところに弟子入りでもしたらいかがですか」

 

「……は?」

 

「呆けてないで。概略的に、かつ正確な説明をお願いしますよ。ホグワーツの創始から創始者の決別あたりまでで十分でしょう、そうですね?」

 

「あー、まあ」

 

 

 どうやらビンズはジュリアを母であるエレン・ムーアクロフトと勘違いしているようだった。確かにジュリアの母はジュリアに魔法史を楽しそうな様子で語ったし、度々ビンズやバグショット女史の名も登場した。しかし、在学中にこんなことをしていたという話は聞いていない。

 

 ともあれ、間違ったことを言えばビンズが訂正を入れてくれるだろう。それに期待して、ジュリアは立ち上がり、注目が自分に集まっていることを確認し、口を開いた。

 

 

「ホグワーツの創設については諸説あるものの、おおよそ993年ごろに成立したという見解が一般的で――」

 

「その年号は厳密さに欠けますぞ」

 

「まあそこは本筋じゃねえから、各々教科書で確認してくれ。で、4人の創設者、この4人の名前は今も寮として残っているわけだが……その4人というのが、勇敢さを貴ぶゴドリック・グリフィンドール、すべてに寛容であったヘルガ・ハッフルパフ、ホグワーツの設計者としても知られるロウェナ・レイブンクロー、そして今話題のサラザール・スリザリン。4人の性質は寮の性質にそのまま受け継がれてるとこもあるな」

 

 

 ジュリアは杖を抜いて浮遊呪文を唱え、チョークを浮かせて黒板に4人の創設者の名前を書き記した。毎度毎度ビンズがすり抜けるこの黒板に対して、ビンズがチョークを当てたことが何度あっただろうか。この幽霊教師は不親切にも板書というものをしない。もっとも、板書をしたところで生徒がそれをノートに写すかというと、怪しい話だが。

 

 

「さて、ホグワーツが創設されてからしばらく経つと、創設者たちの間にも溝が生じてきた。具体的にはスリザリンと、他の三人との間に。サラザール・スリザリンの思想は後に純血主義と呼ばれるそれの源流で、魔法教育は純粋な魔法族の家系にのみ施されるべきだと、まあそういうあれだ」

 

 

 今度はチョークでサラザール・スリザリンと他の三人との間に横線を引いた。だいぶ話を飛ばしたせいか、ビンズが渋い顔をしている。本当はジュリアもアングロ=デーニッシュ体制確立以前のヴァイキングによる襲撃と略奪であるとか、アングロ=サクソン・ルーンが刻まれた憂いの篩の来歴に関する諸説であるとか、そういった話をしたくはあったが、他の生徒たちを余計な歴史話で焦らすのも親切とは言えない。

 

 

「4人、特にゴドリック・グリフィンドールとサラザール・スリザリンがこの受け入れ方針について大いに揉めて、最終的にスリザリンがホグワーツを去る形になった。秘密の部屋にまつわる伝説はこのあたりから生じたっつうのが、まあ、妥当な線だろうな」

 

「結構、結構。おおよそ十分に正確な説明だと言ってよいかと。グリフィンドールに10点差し上げましょう。サラザール・スリザリンが去った、ここまでが歴史であります。然るに、部屋だとか怪物だとか、そういった噂は、この点から生じたある種の妄想であると、そのように……あー、まだ何か不十分ですかな」

 

 

 あちこちでひそひそと会話がなされていた。ビンズが授業を再開するよりも早く、生徒たちが声を上げた。騒々しいほどに賑やかだ。ビンズの表情から察するに、魔法史の授業が開かれて以来一、二を争うほどの活気が教室を満たしていた。

 

 

「先生、部屋がスリザリンの継承者によってのみ開けることのできるものなら、他の誰もそれを見つけられない、そうでしょ?」

 

「くだらない。歴代の校長が何も発見しなかったことからもわかるように――」

 

「闇の魔術を使わなきゃいけないから見つからなかったんじゃありませんか?」

 

「使わないと使えないの区別をはっきり持つことですな」

 

「でも、スリザリンの継承者、つまりスリザリンと血が繋がっていなくちゃいけないのでは……つまり、校長先生たちはスリザリンの継承者じゃなかったから――」

 

 

 ビンズがノートを閉じて、声を張り上げた。

 

 

「そこまで! これは歴史の授業であるからして、神話、そう、神話について妄想を膨らませる場ではないのであります。ここにいる全員が進級する意志を喪失したのでもない限り、歴史の、すなわち検証できる事実の授業に戻ることとするが、いかがか!」

 

 

 さすがの噂好きたちも進級を人質に取られてはどうしようもないと見えて、たちまちのうちに教室は静寂を取り戻し、そして数分後には眠気が再び支配的となった。ジュリアの感覚と予測が正しければ、カスバート・ビンズというこの幽霊教師はスネイプに近い性格の持ち主だ。正確な知識を差し出してくれはするが、学生に寄り添う気はさらさらない。魔法史への興味と関心を持って授業を受けることで初めてその知識を受け取ることができるのだ。

 

 ジュリアは幾分ビンズへの興味が湧いてきた。なにより、母のことを覚えていて、何かしらの印象を持っているというのは大きい。ジュリアは学生時代の母を知りたかったし、学生時代の母を知る人物――ゴーストを人物として数えるべきかについては意見が分かれるかもしれないが――がどのような人々であるかも知りたかった。

 

 

「ハーマイオニー、このあとちょっと残れるか」

 

「いいけれど、ビンズ先生はもう何も教えてくれないと思うわよ」

 

「いや、ちょっと別件」

 

 

 魔法史がサルデーニャ島の委員会からの要請とフランス王国魔法戦士隊による教皇領魔法使いの救援にさしかかったあたりで、ジュリアは再び眠りについた。魔法史の授業では一眠りが10年にも100年にもなる。そう思うと、この居眠りがとても有意義なものに感じられる。ましてや、このあと母の過去を知る機会を得られるかもしれない。そう思うと、ジュリアの眠りはいっとう心地よいものとなった。

 

 




予想外に頭が鈍っていたのでちょっとリハビリしてきます。一ヶ月以内に帰ります。
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