ハリー・ポッターと獣牙の戦士   作:海野波香

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血の匂い漂う

 ジュリアはいくぶん気合いが入っていた。セシリーから送ってもらったアルバムに少しずつ写真が追加されている。おそらくビンズから話がいったのであろうが、マクゴナガルやフリットウィック、マダム・ポンフリー、さらには顔も知らない古代ルーン文字学のバスシバ・バブリングからまでもいくらか写真が届いたのだ。

 

 動物もどきになりたてと思しき、変身を自慢げに見せびらかす母。そしてそれを隣で微笑ましげに見る父。長机の上で林檎を行進させる母。そしてそれを端から魔法の矢で射貫いていく父。医務室のベッド脇でこれ見よがしにケーキを頬張る母。そしてそれをベッドの上から苦笑いで見る父。アングロ・サクソンルーンの刻まれた木板から吹き出すそよ風に前髪を踊らせる母。そして何も生じさせない板を怪訝そうな表情で矯めつ眇めつしている父。過去の、しかし、確かにあった幸福の一ページ。

 

 コリン・クリービーに何枚か写真を撮らせてから――中庭での事件以来、この少年は不思議とジュリアを慕っていた――それをアルバムに挟み込んだ。月を眺める、本を読むと同じくらいに好きな夜更かしができあがった。つまり、ジュリアはここしばらくごきげんだった。ロンにチェスでぼこぼこにされてもまだごきげんだ。

 

 

「ナイトだジュリア、ナイトでフォークが効く」

 

「パーシー、余計な口出しするとジュリアの勝率がますます低くなっちゃうよ。パーシーはうちで一番弱いんだから」

 

「ジニーよりか?」

 

 

 ジュリアがない知恵を絞って長考しているのに対して、ロンは早指しで返してくる。これがますますジュリアを焦らせるのだが、ロンとしてはきっとハンデのつもりなのだろう。もしくは考えるまでもないのか。悩みに悩んで助言どおりナイトを出すと、予想外のビショップが飛んできて騎手の首がへし折られた。実に過激な遊びだ。

 

 

「ジニーは強いよ。9歳のときにはもうチャーリーといい勝負してた。でも、今ならパーシーでも勝てるんじゃないかな」

 

「ロン、君は兄なんだから、そういう考え方はよくない。ジニーにはきっとなにか悩みがあるんだ」

 

「あー、そういやなんか塞ぎ込んでるんだったか。クリービーからも聞いたな、マクゴナガルに指されて気づかなかったって話」

 

「そうなんだよ。……ジュリア、恥を忍んで尋ねるんだが、妹から悩みを相談してもらえる兄になるにはどうすればいいと思う? 女の子としての意見を聞かせてくれ」

 

「知らん。あたし兄弟いねえしな。クリアウォーターに聞けよ、付き合ってんだろ」

 

 

 パーシーがまるで金縛り呪文を受けたかのように固まった。ジュリアでも知っているくらい周知の事実だ。噂話をさほどしないセドリックですらも知っているのだから、ばれていないと思っているのはパーシーだけだろう。

 

 数手進んでから――この間にジュリアのポーン戦列がナイトに蹂躙された――パーシーが顔を赤らめて口を開いた。

 

 

「それはともかくだね、ジニーにはまだ親しい友達がいないみたいだから……」

 

「そういうとこで余計な気を回すとだいたい嫌われるぜ、パーシー」

 

「そうだよ、パーシー。きっとまだホグワーツに馴染んでないだけさ。チェックだよ、ジュリア」

 

「おっと、少し考えさせろ。まあ、知らない仲じゃねえし、少しは気を回しとくさ」

 

 ジネブラ・ウィーズリー。赤毛のウィーズリー家で育った末妹だ。ハリーにお熱な点で言えばコリン・クリービーと気が合いそうにも思えるが、同世代の男の子と積極的につるむのは難しいお年頃なのかもしれない。加えて性別を問わずまだ友達ができていないとなれば、ホグワーツでは苦労していることだろう。

 

 ジュリアにはハーマイオニーがいたからよかった。最初は打算での付き合いだったとはいえ、孤立せずに済んだのは彼女のおかげだ。どうやらウィーズリー家の人々は打算で人との交友関係を始めるのに長けているとは言いづらいようだから、巡り合わせに頼るしかない。ジュリアはその”巡り合わせ”になってやるのもやぶさかではないと思っていた。ウィーズリー家にはセーターの恩もある。

 

 

「ああ、うん、ありがとうジュリア。ところでその盤面はもう詰んでないか?」

 

「あーくそ、やってらんねえ。パーシー、爆発スナップやらねえか」

 

「僕が弱いの知ってて言ってるだろう、君」

 

 

 ジュリアはちろりと舌を出してみせると、ソファから腰を上げて背伸びをした。ハーモニカはポケットの中。杖はホルスターに収まっている。気分は上々。ハーマイオニーはフリットウィックと個人授業中だから、暇なことこの上ない。ジニーと喋るには悪くないコンディションだ。

 

 ぐるりと見渡してジニーが談話室にいないこと、そしてコリンがいる――つまり、グリフィンドールの1年生がこの時間授業でないことを確認したジュリアは、女子寮に向かった。

 

 

「ジニー探してくる。ロン、あとでスコアの写しくれ」

 

「いいけど、チェスのスコアは自分でつけないと実力つかないよ」

 

「自分で宿題やってから言うんだな、ロニー坊や」

 

 

 女子寮の扉を押す。グリフィンドール寮生は250人。単純計算でいけば女子だけで125人。寝室はジュリアの知る限り5人部屋だから、合計25部屋あることになる。グリフィンドール塔は外から見てそれほど広くない。きっと拡大呪文がかけられているのだろう。

 

 ジュリアは1年生の寝室が集まっているあたりを見て回り、扉にジニー・ウィーズリーの名札がかかっている部屋を見つけた。ところが、名も知らないジニーのルームメイト曰く、ジニーは授業が終わってすぐに荷物を置いて寮を出たというのだ。

 

 

「なんか、ハグリッドのところに行くって言ってました。いつも持ってるノート抱えて急いで出ていきましたよ」

 

「へえ、ノートね」

 

「はい。大事にしてるのかな、まだ何も書いてないみたいで」

 

「うーん……なんもわかんねえな。ま、行ってみるか。ありがとよ、これ食いな」

 

「わあ、マフィン! ありがとうございます!」

 

「おう、ジニー帰ってきたらあいつにもわけてやってくれ。じゃあな」

 

 

 好印象を与えつつ、ジニーとルームメイトに共通の話題を提供する。最近、ジュリアは自分が打算で行動しているのか、それともこれが素なのか、わからなくなりつつあった。しかし、どちらであろうとも、必要な場面で円滑なコミュニケーションを成立させることができるという点においてなんら悪いことはない。

 

 談話室を抜けて塔を降り、森に続く道を進む。ジニーは何の用があってハグリッドを訪ねるのだろう。ジュリアの思考がゆっくりと回転を始める。首を切られた雄鶏。第一発見者。秘密の部屋。謎の声。スリザリンの怪物。ミセス・ノリス。これらは一連の事件なのか、それともいくつかが並行しているのか。そして、ジニーはホグワーツに馴染んでいないだけなのか、事件に関与しているのか。考えるべきことがあまりに多く、また考えるべきでないこともあまりに多い。藪をつついて蛇を出すのは望ましくない。

 

 初雪はまだだが、風は冷たく、冬の訪れを十分に感じさせる。しかし、マフラーを巻くにはまだ早いだろう。幸いにしてジュリアがローブの下に羽織っているパーカーは質がよく、多少の寒さであれば防いでくれる。新聞配達のアルバイト代で買ったものだ。

 

 一人で静かに風を浴びて過ごすのは久しぶりで、それゆえにジュリアは機嫌がよく、思考もよく回転した。しかし、風に混じる血の匂いがジュリアの歩みを止める。

 

 生半可な量ではない。

 

 ジュリアは静かに、そして素早くホルスターから杖を抜いた。じわりと杖から腕へと熱が広がっていく。この感覚をジュリアは幾度となく味わっていた。闘争の気配だ。杖が示している。

 

 血の匂いに巻かれてやってきたのは、蒼白な表情のジニー・ウィーズリーだった。

 

 

「よう、ジニー」

 

「ジュリア、さん」

 

「いい香水だな、マドモワゼル。そんなに血の匂いが好きか? 何を殺した? 当ててやろうか、雄鶏だろ。それも、ご機嫌なくらい沢山」

 

「違う、違うの! 私じゃない!」

 

「じゃあ説明してもらおうか。まずはポケットから物騒なものを捨ててくれ。あたしは臆病なんでな、ナイフを隠した奴と笑ってお喋りできる度胸はねえんだよ」

 

 

 ジニーは慌てた様子でローブのポケットを探り、まだ乾ききらない血にまみれたナイフを見つけて、青ざめた顔からさらに血の気を引かせた。そして、それを放り捨てた。

 

 ジュリアにとって意外だったのは、ジニーがナイフを捨て、また杖も抜かなかったことだ。このあとの説明次第では、ジニーに杖を向けていることを謝らねばならないかもしれない。ジュリアは警戒のレベルを一段階下げた。

 

 

「結構。それじゃ、聞かせてもらおうかね」

 

「お、脅されてるの」

 

「誰に?」

 

「トム……トム・リドル。最初は相談に乗ってくれて、いい人だと思ってたの。でも、だんだん頭がぼーっとしてきて、知らない間に何かをしてることが増えてきて。この間も、気づいたらナイフを持ってハグリッドの鶏舎にいて」

 

 

 トム・リドル。ジュリアはその名前を深く胸に刻み込んだ。ホグワーツに戻ったら教師に伝えて調査してもらう必要がある。

 

 

「そのトム・リドルってやつはどこの寮で、何年生だ」

 

「わからない」

 

「わからねえのに脅されてる? ローブの色とか、背格好とか、あるだろ」

 

「その……顔を見たことがないの。私、私、どうしよう!」

 

「オーケー、落ち着け。でもって伝わるように話してくれ。悪いようには――」

 

 

 無言呪文の盾が間に合ったのは幸運だった。

 

 ジニーが放った赤い閃光が盾に弾かれて逸れていく。微笑みを浮かべて杖を弄ぶジニーは、ひどく冷たく、無機質な空気を纏っていた。ジュリアは杖を向けたまま、相対する”それ”をじっくりと観察する。震えていた体は泰然と、しかし隙がない。杖は静かにジュリアへと向けられている。そして、その眼は赤く、吸い込まれるようで――

 

 

「……ジニー・ウィーズリーに開心術の心得があるとは思えねえな」

 

 

 ジュリアは視線を相手の杖先まで落とした。閉心術の訓練が十分でない以上、唯一の有効策は目を合わせないことだ。呼吸が読めないのは戦闘において大きな痛手だが、それでも全てを知られるよりはいい。

 

 

「目を逸らす。開心術への初歩的な、しかし有効な対抗策だね。君は粗暴な振る舞いとは裏腹に優秀なようだ、ジュリア・マリアット」

 

「お褒めにあずかりどうも。お前がトム・リドルか?」

 

「そうであるとも言えるし、違うとも言える。僕はトム・マールヴォロ・リドル。3つヒントをあげよう、小さな名探偵。3つだ」

 

「まどろっこしいことをせずに失神呪文をぶち込んだっていいんだぜ? あたしが、お前に」

 

「そうか、そうかもしれない。でもそれではつまらないから……こうしようか」

 

 

 口を閉じた”それ”が擦れるような掠れた音を発すると、ジニーのポケットから蛇が這い出てきた。ジュリアの記憶が正しければ、あれは毒蛇だ。その蛇はそのままジニーの首に巻きつき、まるでネックレスのように固まった。

 

 

「君が外せばジニーは死ぬ。当てれば、そうだね、その勇気に免じて、僕と決闘するチャンスを与えてあげよう」

 

「あたしが自分の命より小娘一人の命を優先すると思うか?」

 

「思うね。君のことはジニーから聞いているよ。ハリー・ポッターに近く、兄とも仲がよく、そして穢れた血の親友だ。君はこの3人のためにジニーを守るだろう。守る相手に攻撃されるというのは、不思議な気分だろうね」

 

「なるほど……なるほどねえ。わかった、乗ってやる」

 

 

 ジュリアはなんとか笑ってみせた。怯んではならない。臆せば死ぬ。その死がジニーの死かジュリアの死かはわからないが、ともかく命の危機だ。

 

 どうやらジュリアの振るまいは”それ”のお気に召したようで、ジニーの顔が笑みを深めた。

 

 

「1つ目。僕がスリザリンの継承者だ」

 

「雄鶏殺しと秘密の部屋事件が繋がったな、ありがたい情報をどうも」

 

「2つ目。今の僕はトム・マールヴォロ・リドルの名を捨てた。しかし、この僕はトム・マールヴォロ・リドルだったころの僕だ。僕は僕の過去だ」

 

「時間の跳躍……いや、違うな。ゴーストでもない。憑依なんてのは迷信だ。記憶。なんらかの形で記憶が意思を持っている。いい線いってるだろ?」

 

「やはり君は賢い。3つ目。今の僕は偉大であったが、しかし敗れた。何の変哲もない少年、ハリー・ポッターに」

 

「……オーケー、答え合わせだ」

 

 

 ジュリアは慎重に、背筋の冷や汗を極力無視して、ゆっくりと口を開いた。心臓が口から飛び出そうだった。これまでにない危機だ。

 

 

「ヴォルデモート卿の過去。それがお前だ」

 

「素晴らしい。グリフィンドールに10点進呈しよう。実は教師になるのが夢だったんだよ。意外かい?」

 

「蛇をどかせ」

 

「ああ、そうだったね、そういう約束だ。エバネスコ」

 

 

 蛇が音もなく消えていくのを見ながら、ジュリアは何もできなかった。杖はジニーの首に向いている。今動けば、ジニーが殺されかねない。

 

 それ――若き日のヴォルデモートはジニーの杖を胸の前で構えた。

 

 

「決闘の作法は知っているだろう?」

 

「ああ」

 

 

 ジュリアも右手の杖を胸の前で構える。心臓が脈打つのを感じる。苦しい。しかし、杖は熱く、ジュリアに戦うことを促してきた。背を向ければ死が待っている。

 

 なら、先手を打つしかない。

 

 ジュリアは左手首をしならせた。

 

 

「インカーセラス、縛れ!」

 

「舐められたものだ。エバネスコ」

 

 

 ジュリアが放った縄はヴォルデモートの体に届くことなく消されてしまった。認めざるを得ない。杖捌きではヴォルデモートが優る。では、ジュリアは何で勝負するべきか。手数だ。

 

 

「ステューピファイ、ステューピファイ、ステューピファイ!」

 

「二振りの杖を使いこなす魔法使いは初めて見るかもしれない。これは興味深いが……それだけだ。コンフリンゴ、爆発せよ!」

 

 

 咄嗟にジュリアは地面を蹴った。しかし、それでもなお追いすがる爆風がジュリアのローブをはためかせる。土煙が二人を隔てている、この一瞬にジュリアの思考は最大限の加速を見せた。

 

 初撃で許されざる呪文が飛んでこないのはどういうことか。いたぶるのが目的なら磔の呪文で済むはずだ。決闘ごっこに付き合っている理由は? もし――もしも、ジニーの体が枷となっているとしたら?

 

 確かめる価値はある。ジュリアは口を開いた。

 

 

「お得意のアバダケタブラはどうした? インペリオでもいいだろ? あたしをいたぶりたいならクルーシオがぴったりだよな? 使わないのか? それとも、もしかして、ちっちゃなトム・リドル坊やには使えないのか?」

 

「煽るじゃないか、ジュリア・マリアット。ヴォルデモート卿を相手にしてそれほどの軽口が叩けるのは見事だ。認めよう、この僕は許されざる呪文はおろか、無言呪文すら習得していない。だが……ヴェンタス」

 

 

 放たれた風によって土煙が晴れる。休憩はおしまいらしい。

 

 

「杖捌きでホグワーツの2年生に劣るほど、僕は間抜けではない。インセンディオ!」

 

「プロテゴ!」

 

 

 ただの炎が、ひどく重い。まるでまとわりつくようにジュリアの盾を覆った。

 

 

「そして、君は開心術を恐れるあまり、僕から目を逸らし続けている。フルガーリ、閃光」

 

 

 閃光の帯がジュリアの右腕に絡みつこうと迫る。左腕は盾を展開しているから、右腕で対処するしかない。

 

 

「くそっ、エマンシパレ、解け」

 

「さて――チェックかな」

 

 

 炎が消えると、いつの間にかヴォルデモートが目前に迫っていた。ジュリアは咄嗟に両方の杖を向けようとしたが、それよりも早くヴォルデモートがジュリアの胸に杖先を当てる。ちり、とローブに焦げ穴が空いた。

 

 詰み。

 

 

「杖を下ろしてもらおう。……それでいい。僕は君を高く評価している。ハリー・ポッターに生徒達の嫌疑を向けようとジニーを動かしたが、その全てがことごとく邪魔されてきた。最初に部屋を開いたときは教師を呼ばれ、噂を広めさせたときは上級生に根回しされ。面白いね、とても面白い」

 

「お前のやり方が稚拙なんだ、坊や。稚拙ってわかるか? がきっぽいってことだ」

 

「そしてその勇気も。実にグリフィンドール的じゃないか。その勇気と機知に免じて、君には生きたまま、苦しんでもらおう。僕の掌の上で」

 

 

 ヴォルデモートの――ジニーの握る杖が、ジュリアの額まで上がる。汗が伝う。心臓が早鐘を打つ。しかし、逃げの手が思いつかない。

 

 

「安心するといい。すべていつも通りになるだけだよ。――オブリビエイト」

 

 

 ジュリアの視界が白く染まった。


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