ハリー・ポッターと獣牙の戦士   作:海野波香

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たくさんの宿題

 風に草葉の青々とした香りが乗っている。寄せては返す見えない波。

 

 吹き、そして散る冬の気配に、ジュリアの意識はゆっくりと浮上した。陽は高く昇っており、一度は瞼を上げた瞳を細めさせる眩しさだ。時刻は13時、いや、14時に近いだろうか。

 

 ホルスターに杖。状態も問題なし。手の指に力を込める。こちらも問題なし。体を起こし、関節が痛まないことを確認して――

 

 

「なにやってんだ、あたしは」

 

 

 ふっと苦笑を漏らした。

 

 ジニー・ウィーズリーを探しに寮を出たはいいものの、ハグリッドのところから帰ってくるのを待つのが得策と判断し、早めの昼寝を決め込んだのだったか。これではまるで戦いのあとだ。

 

 妙に気分が晴れやかだった。能天気と評してもいい。どこまでも果てなく澄み渡っている今日の空のように、思考を詰まらせていた諸々の厄介事が意識から遠く離れて感じる。たまにはこんな調子でも悪くはないだろう。

 

 大きく背伸びをして、首を鳴らす。それほど長い睡眠ではなかったはずだ。

 

 パーカーのフードについた草を払っていると、森の方から近づく足音がジュリアの耳に届いた。軽く、歩幅が狭い。好き好んで森に近づく低学年の女子がいればジュリアとは知り合いになっているはずだが、そんな生徒は記憶にない。となれば、答えは一つだ。

 

 

「よお、ジニー」

 

「ジュリアさん。……えっと、何してるの?」

 

「ジュリアでいい。お前のこと待ってたんだ。もう用事は済んだのか?」

 

「うん」

 

「んじゃちょっと歩くか」

 

 

 ジュリアは立ち上がってローブをはたくと、もう一度背伸びをした。古書店でアルバイトをしていたころ、狭いカウンターで長い間座らされていたせいで、すっかり背伸びが癖になっている。猫背が癖になるよりはましだろう。

 

 ジニーは戸惑いを顔に浮かべていたが、ジュリアが歩き出すとおとなしく後をついてきた。

 

 

「ちょっと遠回りするぞ。ブラックベリー好きだろ?」

 

「うん、好き。でも、季節じゃないよね?」

 

「聡明にして温厚なるポモーナ・スプラウト御大の温情ってやつでな。いつでも食べごろのブラックベリーがあるんだよ」

 

 

 ジニーはジュリアの言い回しに首を傾げていたが、茂みをかき分けた先に山ほど実ったブラックベリーを前にすると、目を丸くさせた。

 

 二人は時間ぎりぎりまでブラックベリーをつまんで過ごした。ジニーはどこか遠慮しがちで、少し臆病な様子を見せたが、ジュリアは気にせず語りかけ、言葉を引き出し、ジュリアと呼ばせるにまで至った。

 

 

「このへんの野草で香水を作るなら、そうだな……やっぱルピナスだな」

 

「ルピナスってそんなに香り強くないよ?」

 

「あれ単体だと強くねえな。でも、グランバンブルの糖蜜を少し入れてやるといい香りになるし、気分も落ち着く。これは受け売りだが、香水ってのは服と一緒で――っと、もうこんな時間か」

 

 

 ジュリアはジャム瓶にブラックベリーを詰めて、ジニーに渡した。

 

 

「やるよ。ルームメイトと一緒に食いな」

 

「ありがとう。でも……」

 

「あいつら、あれでもお前のこと結構心配してんだぜ? 人間関係ってのは別に最初から好意で始まる必要もねえしな。打算でスタートしたっていいんだよ。こいつも受け売りだ」

 

 

 ジニーは少し悩んでから、ジャム瓶を両手に握ってこくりと頷いた。

 

 それから、談話室でジニーが同級生と話している姿を見かけるようになった。ジュリアも顔を合わせれば挨拶はするし、手が空いていれば話し相手にもなる。一度だけチェスの対局もしたが、こっぴどくやられてしまった。

 

 ジュリアの気分は上向きだった。一緒に時間を過ごすハーマイオニーもまた上向きなことが多い。しかし、スネイプはそうもいかないようだった。

 

 

「妙だ」

 

「何がさ」

 

 

 ジュリアが案山子に腕縛りの呪いをかけていると、スネイプが何事か呟き始めた。この育ちすぎた蝙蝠のような男が一人でぶつぶつと唱えているのはひどく不気味だ。それこそ、怪しげなまじないをかけているような趣すらある。

 

 

「君の無鉄砲さを考えれば、そろそろ新しい火遊びを思いついて火傷をする頃合いだと踏んでいたのだが」

 

「なんだそりゃ。あたしはこれでも臆病で神経質なほうだぜ?」

 

 

 スネイプは返事の代わりに鼻を鳴らした。これで機嫌が悪いわけではないのだから、驚きである。そして、懐から巻かれた羊皮紙を取り出すと、ジュリアに投げてよこした。2枚ある。1枚はジュリアの知らない呪文が記されたもので、もう一枚はどこかに提出する公文書のようだ。

 

 

「呪文のほうから説明する。非殺傷の捕縛を目的とした呪文のうち、対策の取りづらい、古いものを発掘した。1つ目はカーペ・レトラクタム。魔法力の綱で対象と自身を結びつける呪文だ。行動を阻害し、引き寄せ、君の膂力であれば振り回すことも可能だろう」

 

「カーペ・レトラクタム、ね」

 

「2つ目はフラグラム。魔法力の鞭だ。君の開発した剣の呪文から殺傷性を抜いたようなものだと思えばよい。かつてある死喰い人がこの呪文を基に極めて強力な呪いを開発した。その男は今もアズカバンにいる」

 

「それは――」

 

「当然、使わせん。順調に進めばいずれ学ぶ機会は与えるやもしれんが、闇の魔術に手を染める機会を与える気はない」

 

 

 スネイプの鋭い視線がジュリアに刺さった。軽率な発言をしようとした。死喰い人の開発した呪文であれば、闇の魔術であっても何らおかしくはない。むしろ自然だ。ジュリアも闇の魔術を使ってまで誰かを殺める予定はない。

 

 数秒後にはいつもの空気が戻っていた。

 

 

「もう一枚の羊皮紙は、魔法省に提出するものだ」

 

「魔法省?」

 

 

 見れば、下に魔法省の”M”の焼き印が押されている。この焼き印を見るのはグリンゴッツで杖を登録したときの書類以来だ。

 

 

「正確には魔法省が運営する委員会、実験的呪文委員会にあてて送るものだ。新呪文の開発を管理し、認可した呪文の権利を保障する。君が公の場で剣の呪文を使い続けるなら、提出しておくのが身のためであろうな」

 

「あー、なるほど。魔法省……」

 

 

 ジュリアの内心で葛藤が始まった。僅かに残った遵法精神が、登録しておいたほうが周囲に迷惑をかけずに済むと囁いている。しかし、心の中の薄暗がりが、魔法省にも隠した武器を一つ抱えることのメリットを強く押し出している。

 

 スネイプが仏頂面を崩さずに言葉を続けた。

 

 

「ここで認可された呪文のすべてを把握している者はいない。提出した記録以上のことは何も残らんだろう。委員のほとんどがフリットウィックの教え子で、皆彼を慕っている。奇人の集まりだ。君が心配しているであろう問題は一切生じない」

 

「なら、まあ」

 

 

 よろしい、とスネイプは頷いた。

 

 

「次の委員会は2月だ。それまでに件のレポートを完成させるように。アダルバート・ワッフリングの著書はすべて目を通したか?」

 

「あー、途中」

 

「励むのだ。我輩の記憶違いでなければ、君には怠惰な時間を過ごす余裕などなかったはずだが?」

 

「うっす」

 

「時間は有効に使え。遊ぶなとは言わん。価値のあることに時間を割け」

 

 

 魔法理論を学ぶたびに、ジュリアの中ではある疑問が浮かび上がっていた。日によって自分が操る呪文の精度が異なるのだ。月に一度は変身術も呪文学も抜群に冴えている日が来るし、逆にくすぐり呪文のような簡単な呪文すら安定しない日もある。

 

 どうやらスネイプもこの問題にはすぐさま答えが出るとはいかないようで、宿題を増やすこととなった。

 

 

「毎日同じ呪文を試すのだ。浮遊呪文、温熱呪文、なんでも構わんが、統一したまえ。感覚と効果を記録し、一ヶ月後に持ってくるように」

 

 

 尋常ならざる宿題の量に一瞬うんざりした表情を出しそうになったが、ジュリアはそれを堪えて頷くに留めた。頼んで個人授業をしている身なのだから、嫌な素振りは見せるべきではない。

 

 幸いにして、新しい呪文はいずれも便利だった。カーペ・レトラクタムは隠し通路を抜けるのにも使えるし、本棚の高いところから狙った本を引っ張り出すのにも適している。フラグラムは巻きつかせて引っ張れば案山子を折る程度の強度がある。鞭のように鳴らせるのもいい。

 

 なにより、魔法理論の学習が進んだおかげで、呪文学の宿題が楽になった。相変わらず折れた杖で苦戦しているロンは授業からドロップアウトしつつある。せめてレポートだけはいいものを出させて進級の助けにしようと支援をしながら、いつもの4人は談話室でくつろいでいた。

 

 

「じゃあ、ジニーはもうずいぶんよくなったの?」

 

「よくなったの定義によるとは思うが、まああれでいいんじゃねえの。こないだチェスでぼっこぼこにしてきたときは遠慮なかったし」

 

「ジュリアは弱いわよね、チェス」

 

「最弱王決定戦するか、ハーマイオニー」

 

「そんな不毛なことしてないで、僕の宿題を助けてよ……」

 

 

 そのとき、ロンの杖が火を噴いて、羊皮紙をちりちりと燃やしはじめた。ロンは怒りで顔を真っ赤にして「標準呪文集・二学年用」を閉じると羊皮紙に叩きつけた。

 

 

「ああもう、うんざりだ。他の話しよう」

 

「宿題の話したのお前だろ」

 

「次に宿題って言ったらこの杖を君に叩きつけるからな。……ミセス・ノリスはどうなったと思う? あれで生きてるのかな?」

 

 

 ミセス・ノリスは相変わらず姿を見せない。フィルチが挙動不審で悲嘆に暮れているのも相変わらずだ。ジュリアはこのところフィルチの罵声を聞かないせいで張り合いがないとすら感じていた。

 

 マクゴナガルは「ミセス・ノリスは生きている」と答えるが、それ以上のことを教えてくれない。言い出す機会を逃して、スネイプには聞いていない。情報不足だ。そして、その不足を埋めようと思うほどジュリアは命知らずでもない。

 

「ダンブルドアにも治せないなら、死んでるようなもんなんじゃないか?」

 

「もしかしたら、呪いじゃないのかも。魔法生物にやられたとか……」

 

「スリザリンの怪物ってやつか」

 

 

 ハーマイオニーは無言で首肯した。

 

 

「おかしなことばっかだ。ミセス・ノリスは石みたいになっちゃうし、変な声は聞こえるし、9と4分の3番線はふさがるし……」

 

「おい、9と4分の3番線がふさがったってのは聞いてねえぞ」

 

「通れなかったんだよ。だから車で飛んできたんだ。おかしなこと……そうだ、ドビー!」

 

「なんだそりゃ」

 

 

 ハリーは興奮した様子で立ち上がった。なにか重大なことを思い出したようだ。途端に談話室中から視線が刺さったので、ジュリアは慌ててハリーを着席させた。

 

 

「僕あての手紙を全部隠してたやつがいたんだ。屋敷しもべ妖精のドビー」

 

「なるほど、それで返事がなかったわけだ。……屋敷しもべ妖精?」

 

「うん、耳が尖ってて、目がぎょろっとしてて――」

 

「ぼろ切れを着てて、卑屈。なんだって屋敷しもべ妖精がダーズリー家にいるんだよ」

 

 

 ハーマイオニーに屋敷しもべ妖精の説明をしたり、ロンが屋敷しもべ妖精を管轄する部署について説明したり――魔法省で一、二を争う退屈な部署らしい――、あれこれと話しはしたが、謎が深まるばかりだった。これも宿題だ。

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