三度目のホグワーツ特急。
そのコンパートメントの一室で、アルテは大いに機嫌を損ねていた。
今回ドラコたちの所へ行っていたパンジーとミリセントは幸運だろう。
ダフネが必死で宥めているが、アルテは持っているそれを引き千切らんばかりであった。
「あ、アルテ? そろそろ機嫌直しなよ。その本が気に入らないのは良く分かったから。ほ、ほら……一年生も一緒にいるんだし」
そう――本。アルテが持っているのは、『狼男との大いなる山歩き』。
ギルデロイ・ロックハートが著した、今年の教科書の一冊だった。
娯楽、英雄譚としてはともかく、教科書として選ばれる本としては疑問を感じざるを得ないロックハート著作群の中で、アルテが唯一興味を示したのがコレである。
主人公であるロックハートが難攻不落の山々で凶暴無比な狼男を打倒する冒険譚。
アルテはこの本を夏休み中に半分ほど読み進め、そして残りをこのコンパートメントで読み切った。
その結果が、これである。
彼女なりに楽しみに思いながら読み始めたのだが、その実、この本はロックハートを大いに活躍させるため、狼男を徹底的にこき下ろしたものだったのだ。
狼男が主として活躍する場面などほんの一瞬たりともない。
最初から最後までロックハートの引き立て役にしか使われていない狼男の描写はアルテを全力で憤慨させていた。
少しでも内容を思い返そうとすれば、その苛立ちは爆発し、行動に表れようとする。
「ちょ、本噛んじゃダメだってば! ほら、アルテが持ってきたジャーキーのが美味しいから、ね!?」
無駄に分厚い
不機嫌な顔のままジャーキーを噛み始めたアルテ。その隙にダフネはアルテから本を引ったくり、彼女のカバンに突っ込んだ。
(はぁ……何が逆鱗に触れたのか。よくわかんないけど、ロックハートの授業は気を付けた方がいいかも)
本の内容の何に対し、アルテが機嫌を損ねたのか、ダフネは理解していない。
もしかすると耳や尻尾で、狼男にシンパシーを感じたのかも……なんて憶測は、アルテの身体的特徴を揶揄うことはしないダフネにとっては笑えない冗談だった。
友人として、保護者として、彼女がどうあってもロックハートに手など出さないようしなければならない。
先生であるという以前に、ロックハートをぶん殴ったりすれば、いくらアルテと言えども学校中のロックハートファンに袋叩きにされかねない。
そう、彼女の立場だからこその決意をしたとき、アルテたちの向かいの席から笑い声が零れた。
同じコンパートメントでホグワーツへの旅を共にしていた一年生。
「お肉、好きなんだ」
黒いローブで良く際立つ色白の少女、ルーナ・ラブグッドである。
空いている席を探しており、ミリセントやパンジーが別のコンパートメントに行ったことから快く同席を許可した彼女は、ずっと何かの雑誌を読んでいたように見えたが、いつの間にかアルテとダフネのやり取りに目を向けていたらしい。
「なら、サンドイッチいる? またハムサンド持ってきたんだけど」
「いらない」
ジャーキーを呑み込むと同時の即答だった。食べ物に関わることではダフネが知る限り初めての、即答の拒否だった。
そういえばと思い出す。ダイアゴン横丁に学用品を買いに行った日、誰かから貰ったハムサンドに塗られた大量のマスタードにアルテが悶絶していたことを。
その犯人をこんなところで知ったダフネは、その時の経験から露骨に警戒するアルテに、子の成長を見る親のような妙な感慨深さを抱いていた。
「今回はマスタード、塗ってないよ」
「貰う」
訂正。そんなに成長していなかった。
正直というか、疑うことを知らないというか。
今度こそ何も無かったようで、顔色を変えることなく貰ったハムサンドを齧るアルテに溜息をつく。
「あたしはルーナ・ラブグッド。あんたはアルテのお友達?」
「ん? うん。ダフネ・グリーングラスだよ。アルテと同じスリザリン」
どうやら既に自己紹介も終えていたらしい。
サンドイッチを貰う前に一体どんな会話が繰り広げられていたのか。どうせ一言二言しか続かなかったのだろうが――そんなことを考えながら、ダフネも名乗り返す。
「同じ寮なんだ。なら、ダフネは見たことあるの?」
「何を?」
「アルテの帽子の中の耳」
心臓が止まるかと思ったし、今飲み物を飲んでいれば間違いなく吹き出して醜態を晒していたことだろう。
口元に運びかけていたかぼちゃジュースの瓶を冷静に置き、アルテに詰め寄る。
「アルテ、貴女見せたの!?」
「見せてない」
「教えたの!?」
「教えてない」
「じゃあ何で彼女が知ってるの!?」
「知らない」
一年経っても、アルテの体のことを知る生徒は少ない。
ダフネたち三人は当然、ハリーたちも口外する気はないらしく、そして律儀にもドラコも広めてはいないようだ。
絶対に隠したい、と思っている訳でもないが、広まれば鬱陶しいことになる、というのはアルテの確信だった。
さて、そんな状況で何故ルーナが耳のことを知っているのかは疑問だが、自分のことながらその情報源自体に関心はなかった。
「見たことあるんだ」
「まあ……寮でも同室だし」
「あたしにも見せて」
「なっ……いや、それは私が決めることじゃ――だから何で脱いでんのアルテ!?」
アルテの直感だった。
このまま帽子を被り続けていた場合確実に、ホグワーツに着くまでねだり続ける。
別に人と少しばかり違うだけのコレを、何故ここまで見たいと思うのか――アルテにはまるで理解出来なかった。
乱雑に帽子を脱いだアルテ。帽子で変なクセが付き、跳ね放題になった白銀の髪の中に立つ、尖った耳。
普段は夜しか見られない……な姿にダフネは息を呑み、ルーナはテーブルに身を乗り出して、目を輝かせながらアルテににじり寄った。
「本物!」
「……何?」
「触っていい?」
「何のため……っ」
流石に意味不明だと、アルテは拒否しようとしたものの、その時のルーナに手の動きはアルテの反応速度を超えていた。
あまりに度の過ぎた――アルテとはまた違う方向性でマイペースなルーナは、いとも容易くアルテの虚を突いたのである。
その唐突な暴挙、一年間一緒にいた自分でさえ触れたことのない耳に触れて感触を確かめるルーナを、流石にダフネは止めようとして――
「――っ、……」
「は?」
アルテから出たとは思えない、熱を帯びた吐息に、動きを停止した。
ダフネの様子などお構いなしに、ルーナは耳を伝うように指を這わせ、動くたびにピクピクと体を震わせるアルテを面白そうに観察する。
目が細められ、何かに耐えるように唇を噛んでいるアルテ。
ルーナは遠慮なくその耳の内側にまで指を伸ばし――瞬間、
「っあ――」
思わず声を漏らすほどの、感じたことのない総毛立つような感覚に襲われた。
これ以上は、何かが不味いと確信し、アルテはルーナの手を振り払うとダフネを引っ張り、盾にするように自分の前に立たせた。
「きゃあ!? あ、アルテ!?」
「……っ」
自分の背中に隠れるように身を屈めるアルテ。つい先ほどまで固まっていたダフネはアルテに振り向き――ルーナを鋭く睨みつけながら目を潤ませるアルテを見た。
圧倒的な威力の呪文に胸を貫かれるような衝撃。
呆然と、数秒それを見ていたダフネは、何かを悟ったようにゆっくりとアルテを腕の中に寄せ、ルーナに向き直る。
「――今後は禁止。それと、他言無用よ」
「分かった。あたしたちだけの秘密ね」
まるで罪悪感を覚えていないルーナと、アルテを抱くダフネは、何らかで通じ合ったように頷いた。
その日からアルテが帽子をこれまでより深く被るようになったのは言うまでもない。
汽車を下り、駅からホグワーツまでは、一年生以外は馬車を利用する。
一年生の終わりに学校から駅まで行くのにも使われたこの馬車を、アルテは嫌っていた。
ダフネが首を傾げる隣で、アルテは乗っている馬車の前方を眉間に皺を寄せながら見つめている。
馬車に乗るにおいてルーナと別れ、ミリセントやパンジーと合流し、人数の関係でドラコやエリスと同乗する――クラッブとゴイルは馬車に乗り切らず、次を待つ羽目になってしまった。
「ねえ、アルテ。何見てんの?」
「それ」
アルテは馬車の前を指さす。ただ薄暗い道が続くばかりで、一つ前の馬車も見えない。
ダフネだけではない。ミリセント、パンジー、ドラコにも、アルテの言う“それ”は見えていなかった。
「なんだ、アルテ。夏休み中に耄碌でもしたのかい?」
ドラコの軽口に反応すらせず、アルテは一点を見続ける。
すると、暫くロックハートの著書に目を向けていたエリスが顔を上げた。
アルテの視線の先を見つめ、ふう、と一つ息を零す。
「セストラル、ですよ。基本的に、十二歳の子供に見えていい生き物じゃありません」
馬車を引く、骨ばった有翼馬の姿が見える者は、この場に二人しかいなかった。
その黒い死神のような外見は、見ていて決して気持ちの良いものではない。
視認を拒む特異性から、名前だけはそこそこ有名であるのだが、知っている者はいないようだった。
「セストラル?」
「この馬車を引いている生き物の名です。見えるのは、私と彼女だけですね?」
「へえ。どうせホグワーツの馬車だし、勝手に動いてるものだと思ってた。どうすれば、見えるようになるんだ?」
興味深げにドラコが馬車の前に手を伸ばそうとする。
何処か無邪気な姿だ。このセストラルという生物が人を害していないにも関わらず吸魂鬼に次いで人から忌まれている事実、そしてその理由を、本当に知らないらしい。
「死に立ち会うこと。人の死を見て、その死を受け入れることで、セストラルを見ることが出来るようになります」
伸ばしかけた手が引っ込む。
それは確かに、到底十二歳の子供が見られて良いものではない。
年端もいかぬ、と言っていい年齢の子供が立ち会うには、死という現象はあまりに重いものだ。
「アルテ、あんた誰を……ああ、クィレルか」
「……」
アルテは一年の最後、ヴォルデモートを寄生させたクィレルと戦った。
引導を渡したのはハリーだが、死に立ち会った、といえばまあその通りになるのだろう。
だが、何となくアルテは釈然としなかった。
思い返せば、クィレルが死んだことなど知らなかった。というより、どうでも良かった。
あの時はヴォルデモートにこの手が届いたという歓喜で満たされていたし、そもそも彼が死ぬまで意識を保っていたかどうかもはっきりとしない。
少し考えて、やはりどうでもいいと切り捨てた。あれがきっかけであるというなら、そうなのだろう。
「アーキメイラは? 周りで誰か? というか私、アーキメイラの家について何も知らないわね。どんな家なの?」
遠慮せずずけずけとエリスに聞くパンジー。
エリスは少しだけ責めるような視線を向け、自分で蒔いた種か、と息を吐いた。
「……歴史も功績もないですが、アーキメイラは定義の上では純血の家系です。あまり外と交流を持つこともなかったので、知らないのも当然でしょう。学校に通うのだって、私が初めてですから」
さらりと、どうでもいいことのようにエリスは言った。
そして誰が止める前に、言葉を続ける。
「で、誰が死んだか、でしたっけ。アンタレスという、私の兄です。……偶然ですね、セストラルに随分と縁のある人でした。守護霊もセストラル、杖はトネリコにセストラルの尾毛、生まれつきセストラルを見ることが出来る人だったようです。ただ、少し体が弱くて、私の目の前で死んでしまいました」
そんな、セストラルに縁のあるらしい兄の事を思い出すように言うエリスは、やはり興味薄げだった。
まるで赤の他人の死が書かれた新聞記事を読み上げているように他人事。
如何に想像の埒外に情があるのだとしても、それは到底兄弟に向けるものではない。
ドラコは話を聞いて、声を震わせながらも強気に返した。
「……とりあえず、変な家ってのは分かったよ」
苦笑いしながらのドラコの言葉に、ダフネら三人が同意だとばかりに頷いた。
エリスは話は終いともう一度本に視線を落とし、アルテは相変わらずセストラルを睨み続ける。
「話は変わるけどさ、今年の新任教師――」
「ロックハート様!」
露骨に話を切り替えたドラコだが、食い気味に反応してきたミリセントに一瞬で馬車の角に追いやられる。
「ああ、本当に夢のよう! ロックハート様が防衛術を教えてくれるなんて!」
「お、おいブルストロード」
「本当、皆もっと彼の本を読むべきよ! 伝説的な人だわ! 生ける伝説よ! 来年には私たち全員、彼のように美しく魔法が使えるようになっているに違いないわ!」
「パーキンソン! ブルストロードを止めてくれ!」
「ご、ごめんドラコ。無理」
ギルデロイ・ロックハートの熱狂的なファンは、彼女のようにスリザリンにも一定数存在する。
正直なところ、ドラコは彼の伝説が過剰なことから疑念を抱いていた。
そのことを話し、笑ってやることで盛り上がろうとしたのだが、彼の失態は、ここにそんなファンがいることなど考えもしなかったことだ。
「ねえマルフォイ、貴方は彼の伝説では何が一番素敵だと思う!?」
「いや、ブルストロード、僕は」
「いい! 言わなくても分かるわ! アレよね! 異論なんて認めないわ! アレ以外を挙げるなんて
「グリーングラス! 教えてくれ! アレって何だ! ロックハーティアンって何だよ!」
「知らないよ! ミリセント、その話なら後で私とアルテが聞くから」
「興味ない」
「話聞いてたのアルテ!?」
盛大に地雷を踏んでしまったドラコは自分の行いをひどく後悔し、そして誓う。
ミリセント・ブルストロードの前でロックハートの話をするのは禁忌だ。
この後、馬車がホグワーツに着くまで彼女の熱弁は続き、あろうことかパーティにまで話題を持ち込もうとしたが、それはダフネの懸命な説得によって防ぐことが出来た。
我関せずと片やセストラルを睨み、片や読書に勤しんでいた二人以外を大いに疲労させたミリセントはパーティの最中も、教師のテーブルで大袈裟な身振り手振りと共に辺りの先生に自分の授業への意気込みについて語るロックハートを心酔した表情で眺めていた。
そんな中行われた組分けの儀で、ルーナ・ラブグッドはレイブンクローに配属された。
――あの時の予想通りだ、とアルテはふと考えるも、スリザリンでないならちょっかいを出されることもそうはないだろうと安心する。
寮が違うながらも、一年間を通して随分と関わった双子がいる事実など、アルテはすっかり忘れていた。
※高まるロックハートへの敵意。
※成長も学習もしないアルテ。
※お約束。
※取り交わされるルーナとダフネ間の秘密。
※ハーレムフォイ。
※セストラルの見えるアルテとエリス。
※セストラルに縁があるとかいう不吉にも程がある兄貴。
※ロックハーティアン。
※基本苦労人のダフネ。