継承者に先を越された。
最早アルテやダフネたちが気を張らずにいられるのは、己の部屋だけになっていた。
寮の中だろうと、アルテを見る目は大いに変わっている。
スリザリン生から集まるものに、怒りの感情はない。
その代わりが憧憬や崇拝。自分たちの始祖とも言っていい存在の継承者ともなれば、畏敬の念を抱かれるのは当然だった。
自分は純血の家系だ、と間違っても犠牲者にならないようしつこいほどにすり寄ってくる者も多い。
クリスマス休暇に入り今年も学校に残っていたアルテだが、彼女を一人にすれば、身勝手で先走った正義感に駆られたグリフィンドール生辺りに襲われかねないと判断したダフネたちも急遽残ることを決定し、四人は殆どの自室で過ごしていた。
しかし、そうであっても平穏とは言い切れなかった。
食事は相変わらず大広間で取らなければならない。
そのたびに他寮からは今にも呪いを掛けられそうなほどに殺気立った目を向けられ、繕った笑みを浮かべて近付いてくるスリザリン生たちが彼女たちに自由を与えない。
辺りの目は気にならないアルテ。ゆえに、他寮のそれらはどうでもよかった。
性質が悪いのが、同じスリザリン生たちだ。
まともに食事すらとれないほどに干渉してくる彼らこそ、アルテにとっては負担になっていた。
ほんの数日でストレスが溜まり、アルテが疲労していくのが、ダフネたちにはよくわかった。
「アルテ……大丈夫? そろそろパーティの時間だけど」
「…………行かない」
クリスマス当日になり、残っている生徒たちが盛大に楽しむパーティさえ、参加する気を見せなかった。
休暇に入ってから満腹感を覚えたためしのないアルテ。
であれば、邪魔されない分こちらの方がマシだと、ベッドの脇に置かれた木箱を開け、中から取り出したジャーキーを齧る。
アルテがここまで外に出ることを拒否し、憔悴するなど考えられなかった。
しかし、もうどうにもならないほどにアルテは継承者扱いされており、アルテにとって本当に味方といえる味方は、ダフネら三人だけと言っても良かった。
本当ならばこの休暇、アルテは逃げるように家に戻りたかった。
だがそれは出来ない。この時期――普通の人々が長い休暇を取る数週間こそ、体質から差別を受けているリーマスの“稼ぎ時”なのである。
戻れば彼を邪魔することになる。それに、心配させる訳にもいかないとアルテは手紙の一つも送っていなかった。
何らかの理由で家に帰っていないアルテを、ダフネたちがいずれかの家で休暇中預かるという考えもあった。
しかし、三家の全て、代々スリザリン寮に選ばれてきた生粋の純血家系である。
ふとした拍子に彼女が継承者の候補であると知れば、或いはこの学校に残っているより面倒ごとになりかねない。
「……なら、私たちも」
「行って。付き合う理由がない」
冷たく突き放したような言い回しだが、アルテなりの気遣いだった。
別にダフネたちが継承者だと疑われている訳ではない。
少なくとも、アルテが一緒にいなければ彼女たちはただのスリザリン生に過ぎないのである。
しかしながら――三人も、アルテのみをこの場に置いてまともに楽しめるとは思っていなかった。
「……そうだ。私たち、料理持ってくるよ! 今の時間なら皆大広間行ってるし、談話室も使えるでしょ?」
「そうね。食べること好きなあんたが楽しめないってのは流石におかしいわ。行くわよ、ダフネ、パンジー」
「ええ! ちょっと待ってなさいアルテ。たんまり持ってきたげるから!」
「……」
目をパチクリさせたアルテが何を言う前に、三人は部屋を出ていってしまった。
どうやら自分も料理を楽しめるらしい――と理解すると、僅かに尻尾が揺れる。
久しぶりに満足できるかも、という期待が、不愛想ながらアルテの瞳に色を灯す。
ローブを羽織り、帽子を深く被る。
談話室にそっと下りてみると、確かにそこにはいつもの騒がしさがなかった。
いるのは退屈そうに新聞の切り抜きを眺めるドラコくらいだ。
彼はアルテに気付くと、一瞬目を丸くして、すぐにいつもの自信に満ちた笑みを浮かべる。
「やあアルテ。出てきたの久しぶりじゃないか」
――ドラコは、アルテが蛇語を話せると知った後でも関わり方を変えていない数少ない人物だった。
疑いを持っているか否かと考えれば、どちらとも付かない。
もしかすると、己は襲われる筈がないという絶対的な自信からなのかもしれないが――。
「……パーティは?」
「行ったよ。行ったけど――わかるだろ? 目の前でクラッブとゴイルの食いっぷりを見せられれば誰だって食欲を無くす。君の食べ方も上品かと言えばまあ、アレだけど、見ていて不快さがないだけ万倍マシさ」
「……」
アルテは即座に納得した。ドラコの取り巻き――クラッブとゴイルはとにかく食い意地が張っている。
アルテも人の事は言えないが、彼らは最早人の域ではない。
そもそも満腹感というものを知っているのかどうか。底無しの胃袋でも持っているのかもしれない。
「で、そういう君はどうなんだい? アイツらの意地汚さはともかく、料理自体はそれなりだった。さっきグリーングラスたちが出ていったけど、一緒じゃないのか?」
「持ってきてくれるって」
「ふぅん。……ああ、そういうことか。気の毒というか不幸というか。まあ、気を落とすなよ。継承者の気が済むまでやらせてやったらいい」
ドラコはつまらなさそうに言った。
その理由に、アルテは興味はなかった。
だが、他の連中が部屋にいるより気分は悪くない。ダフネたちが来るまで、アルテもここで待とうとドラコの反対のソファに座った。
「……何それ」
「これか? お笑い種だよ。馬鹿ウィーズリーの罰金刑だ」
ドラコは今日一番のネタだと笑い飛ばした切り抜きをアルテに渡してきた。
ウィーズリー家の父親、アーサー・ウィーズリーがマグルの自動車に魔法を掛けた問題で、罰金刑を課せられたらしい。
その責任を追及したルシウス・マルフォイによって辞任を要求されており、この一件は随分と彼の影響が強いことが窺える。
「あれだけマグル贔屓なんだ。アーサー・ウィーズリーは杖を真っ二つにして連中の仲間になればいいんだよ」
犬猿の仲である以上、ドラコは大人であるアーサーに対しても一切の敬意が感じられない。
寧ろ心底から気に入らないようで、不愉快そうに鼻を鳴らした。
そして――ふと思い出したかのようにアルテに聞く。
「……そうだ、アルテ。君はどうなんだい? マグル生まれに対する考え方。連中は魔法教育を受ける価値なんかないって思うかい?」
「知らない。血で差別する理由が、そもそも分からない」
興味がないだけなのだが、つくづくスリザリンらしからぬ価値観だった。
ダイアゴン横丁で初めて出会った時と同じ。そこから理解を深めていない以上、考えが変わる筈もない。
「――だからかもな。スリザリンにいるけど、純血主義を掲げないから君は襲われたのかもしれない」
スリザリンの純血主義は根深い。
今更変えようと思っても変えられない価値観だし、そういう高貴な血統に固執するからこそのスリザリンだ。
そういう枠組みにとらわれない生徒もいるにはいる。だが、血統に何の興味も持っていない者は希少というほかない。
継承者がマグル生まれを許容しないほどに純血思想の強い者であるならば、アルテを敵視するのも考えられる。
「それに、わたし自身が純血かどうかも知らない」
「ああ……そういえばそうだったね」
アルテの家の事情をドラコは知らない。
しかし、彼女の口から度々語られる“リーマス”なる人物が、彼女の親のような存在であることは明らかだった。
本来の親も分からないアルテが、己の血について知る筈もない。
ドラコが気まずそうに押し黙った時だった。
寮の扉が開かれ、ダフネたちと――意外な三人が入ってきた。
「……? クラッブ、ゴイル、お前らもう戻ってきたのか」
「あ、ああ」
「ちょ、ちょっと、食べ過ぎて」
「……で、荷物持ちか」
何故か引き攣った笑いを浮かべたクラッブとゴイルは、両手に料理がたっぷり乗った大皿を持っていた。
「大広間に行く途中見かけたのよ。寮に戻るところって聞いたから、ついでにね」
ミリセントが悪びれもせず言う。
何一つ持っていないダフネたち。クラッブとゴイルはうまいこと扱われたらしい。
一応、彼らは頭はトロールよりとろいが力だけはある。
荷物持ちというなら適役だろう二人が付いてきたのはわかる。
だが、もう一人は同行する理由がわからなかった。
「アーキメイラ、君は?」
「デザートは堪能したので、後は此方でゆっくりしようかと。せっかく此方で小さな宴があるようですし」
――ようはエリスは面白そうだから付いてきたということらしい。
クラッブたちがテーブルに置いた大皿には、アルテが好きな肉料理が主に盛られていた。
少し躊躇いながらも、アルテはそれに手を伸ばす。
一口齧って、少しだけ顔色を良くすると、ダフネたちは安堵しながら自分たちも食べ始める。
そんな様を眺めながらも、ドラコは先程の新聞の切り抜きをクラッブたちに見せていた。
「どうだ? おかしいだろ」
「ハッ、ハッ」
ゴイルが沈んだ声で笑う。
本当に調子が悪いのか、いつものドラコに便乗してウィーズリー家を蔑む様子が見られない。
「それにしても、『日刊預言者新聞』がこれまでの事件をまだ報道してないのには驚くよ。多分ダンブルドアが口止めしてるんだな。まともな校長じゃない、父上はいつも言ってるよ」
クラッブがいきなり立ち上がった。
ゴイルに裾を掴まれ座りなおすが、ドラコは不思議そうに首を傾げる。
「……まったく。一体誰が継承者なのか僕が知っていれば手伝ってやれるのに。まずはあの身の程知らずのグレンジャーからだ」
「――誰が陰で糸を引いているか、君に考えがあるんだろう?」
「何度も同じことを言わせるなよ、ゴイル。僕は知らない。それに、父上は前回、部屋が開かれたときのこともまったく話してくださらない。ただまあ、一つ知ってるのは前回の時は『穢れた血』が一人死んだ。それだけだ。今回もそうなるだろうね、あいつらのうち誰かが殺される。グレンジャーだといいのに」
ドラコはゴイルの問いに、小気味良さそうに言った。
得意げなドラコは気付いていないが、クラッブがその言葉を聞いて、大きな握り拳を作っている。
それを人知れずゴイルが止め、落ち着かせた。
「やめてよマルフォイ。少なくとも食事の最中にする話じゃない」
「ん? あぁ、悪い。だけどまあ、気になるところだね、継承者が誰なのか。アルテが疑われ続けてるってのも、中々にいい気分じゃない」
アルテが継承者でないことは明らかだ。
誰が継承者であるのか気になるところだし、犯人ではないアルテのみが疑われている状況はドラコにとってあまり好ましくはなかった。
「――蛇語使いだと全生徒の前で明かされたらしいですね」
「そういえばアーキメイラ、あの時大広間にいなかったわね」
決闘クラブに参加していなかったエリスにも、噂は届いていたらしい。
呆れたような表情でアルテを見ている彼女は、堪能したと言いながら皿に少し盛られたデザートに手を伸ばす。
「まあ、時間の問題ではありましたか。貴女、隠し事出来なさそうでしたものね」
――そして、さも知っていたかのように、呟いた。
その発言に目を丸くする一同。チキンを齧るアルテ以外の視線が、エリスに集まる。
「……知っていたのか? アーキメイラ」
「ええ。ちなみにグリフィンドールのポッターも蛇語使いです。彼は上手く隠し通せているみたいですけどね」
談話室は更なる驚愕に包まれた。
ゴイルは大きく咳き込み、クラッブはあんぐりと口を開けている。
ミリセントは思わず身を乗り出してエリスに詰め寄った。
「ちょ、ちょっとアーキメイラ! それ本当なの!? ってか何でそんなこと知ってんの!?」
「本当ですよ。まあ、証拠は彼に喋らせるほかないんですけど。生まれつき、蛇語使いが分かるんですよ。独特の気配を肌で感じられる、というか」
さらりと、エリスは爆弾発言をした。
蛇語使い――パーセルマウスというのは魔法使いの中でも極稀にしか持ち得ない天賦の才だろう。
しかし、それの体得者を感じ取ることが出来る体質などこの場も誰も聞いたことがなかった。
「……そんな体質知らないぞ。なら、アーキメイラも話せるのか? 蛇語」
「勿論――『スリザリンの怪物は私たちにしか聞こえぬ声の持ち主。正体を掴むにはこれで十分でしょう』――とまあ、こんな具合に。いつ自覚したにせよ天性の蛇語使いにとっては普段発する言葉と変わりません」
その場の大半にとってシューシューとしか聞こえない声。
ゴイルは天井に頭を激突させかねない勢いで立ち上がった。
クラッブはそれを見てから動いたように一歩遅く、引っ繰り返りそうなほどに驚愕した。
「……お前ら、今日はやけにオーバーリアクションだな」
「は、腹が痛いせいだ」
怪訝そうに指摘したドラコにそう返し、座りなおすゴイル。
「で、今なんて言ったんだ?」
「なに、他愛のないことです。それこそ、皆様には縁のないような」
「――案外貴女が継承者なんじゃないの?」
「まさか。継承者の成すことに興味はありません。一つばかり気に入らないことはありますが……まあ、こればかりはどうにもならないこと。目を瞑るとしましょう」
その、エリスが知っている何らかの“核心”について、彼女は話すつもりはないらしい。
しかし継承者の行いに興味を持っていないのは事実だった。アルテ同様、生徒が石にされていることに恐怖も歓喜も覚えていないのだ。
超然とした雰囲気を不気味に思う面々。
やはりそれを気にしていないアルテは、久々の満足感と共に立ち上がった。
「あ……アルテ、もういいの?」
「ん」
疲れ切った様子はもうなかった。
足早に部屋への階段に向かうアルテは、途中で立ち止まる。
ソファに掛ける面々に向き直り、相変わらず不愛想ながら――
「……ありがと」
短く、小さく、礼を言った。
固まるダフネたちを気にすることなく、最後にクラッブとゴイルを一瞥し、
『……自分の、寮に、戻った方が、良いですよ』
覚えたてのようなたどたどしい蛇語で忠告した。
クラッブは何を言っているのか分からず首を傾げ、ゴイルは目を見開く。
そしてゴイルは、クラッブの髪の色が赤くなり始めているのを見た。
ひょこひょこと階段を上っていくアルテ。彼女から出たとは思えない言葉が脳内をグルグル回っている面々は、「胃薬が必要だ」などとぼやきながら寮を出ていくクラッブとゴイルの存在など意識の外だった。
「……下手ですね」
ただ一人、どちらの言葉に対しても動揺の色を見せないエリスはそう呟き、料理に満足したのかロックハートの本を広げ、そちらに意識を向けた。
ホグワーツ三階の女子トイレ。
普段はとある理由により誰も寄り付かない場所に、ハーマイオニーはいた。
本来であれば今頃、ハリーやロンと一緒にスリザリンの寮にいるはずだった。
継承者が誰なのか確かめるべく実行した作戦。
それが、ポリジュース薬を使うことによるスリザリン寮への潜入だ。
対象の体の一部を材料にすることで、その対象に一時間の間変身することが出来る魔法薬。
これであればスリザリン寮の面々――特に怪しんでいたドラコもグリフィンドール生だとは思わず、秘密をペラペラと話すだろう。
ハリーとロンはクラッブとゴイルに眠り薬入りの菓子を食べさせることで見事髪の毛を手に入れた。
ハーマイオニーは、それすら必要なかった。
休暇に入る前の決闘クラブで、彼女に接近したアルテ。
その際、ハーマイオニーのローブに髪の毛が一本、くっついていたのだ。
疑われてこそいるが、アルテが継承者であるという可能性はどうにも考えられなかった。
ゆえに彼女の体を使い、契約者を探そうと目論んだのだが――
「何よ……これ、どういうことなの!?」
――アルテに変わることは、出来なかった。
ハーマイオニーは作成前から、ポリジュース薬の注意点をよく読んでいた。
“人間以外への変身には、決して使ってはならない”――。
アルテのそれを、ハーマイオニーは魔法族が稀に持つ七変化だと考えていた。
姿かたちはどうあれ――彼女は人間であると。
それがリスキーな手だと理解していながら、彼女の髪の毛を材料としたポリジュース薬を飲んだ。
その結果が、これだ。
「キャハハハハ――! 傑作! あの二人が帰ってきたらなんて言うかしら!」
このトイレに人が寄り付かない理由――ここに住み着くゴーストである『嘆きのマートル』が腹を抱えてけたけたと笑う。
それが、自分自身、仕方ないと思えるほどに、酷い有様だった。
「失敗するなら、耳とか尻尾だと思ってた……だけど……これって!」
黒く細ばった指の先、好き放題に伸びる爪。
巨大な鱗に、先の尖った紺色の毛、硬い羽毛。
それらが生えてきては消えを繰り返し、一瞬たりとも同じ姿が続くことはない。
ぐちゃぐちゃと体が絶えず変化し、どうしようもない不快感だけが体中に満ちている。
「……アルテ、貴女、何者なの……?」
マートルの笑い声が響く。
ハーマイオニーの疑問はそれにかき消され、誰に届くこともなかった。
※傷心アルテ。
※地味なところで活躍する双子印の木箱。
※アルテの貴重な気遣い。
※見た目だけはホームパーティーの図。
※皆の意識がアルテとエリスに向いているので疑われない偽クラッブと偽ゴイル。
※蛇語使い集結。
※デレアルテ(SSR)。
※猫娘にはならなかったけどもっとグロいことになっているハー子。