季節は流れ、未だ継承者は捕まらないまま、五月の末日になった。
この頃にもなれば、生徒たちも継承者――アルテのことなど気にしていられない。
バレンタインの事件からさらに二人の被害者が出た後でも、期末試験は実施すると発表があったのだ。
どうせまともに勉強しても結果が変わらないだろう『闇の魔術に対する防衛術』はともかくとして、やはり難題となるのは変身術や普段誰も先生の話を聞いていない魔法史だろう。
期末試験が発表されてからは誰一人被害者も出ていない。
生徒たちは当然のように、アルテも期末試験の対策に掛かり切りだと思っていたが、まったくもって彼女はいつも通りだった。
そしていつも通りであるのはロックハートも同様だった。
あれだけのことがありながら未だに諦めていないらしく、執拗にアタックし続けるのはアルテのストレスの主因となっていた。
どうにもアルテが碌に気を休められない日々は続いた。
そうして、試験の二日前となった時。
アルテとエリスは医務室に呼び出された。
殆どなかった組み合わせを不審に思ったダフネたちは付いてこようとしたが、それをアルテは制し、二人で医務室を訪れる。
「ポッター、ウィーズリー……貴方たちですか」
ベッドの一つの傍にいたのは、ハリーとロンだった。
グリフィンドール生の二人がスリザリン生を呼び出す。
あまり良い呼び出しとは思えないエリスは僅かに眉を顰める。
――そのベッドに横たわっているのは、グリフィンドール生の中でもエリスがそれなりに親しくしていた者であったからだ。
「……グレンジャーの事は聞き及んでいます。何故、こんなところに呼び出したのですか」
そこにいたのは、石になったハーマイオニーだった。
物言わぬ石像となった彼女は、継承者を追う側から襲われる側になったのだ。
「ごめん……だけど、君たちに見せたかった。あの時、スリザリンの談話室で助けてくれたから」
「助けてない」
「あら、いつの事やら。我々の寮に貴方たちが来たことがありましたっけ」
エリスはとぼけているが、気付いていない訳ではない。
クリスマスの夜、ポリジュース薬でクラッブとゴイルに変身し、継承者についての情報を探りにスリザリンの寮へと侵入したハリーとロンを、二人は蛇語で助けていた。
それは意図してやったことだとハリーも分かっているのか、それに何も言わず、二人に見せるように皺くちゃの紙を広げた。
古い本の一ページだ。
図書館にあった何らかの本を千切ったのだろう。
「……」
「ぼ、僕らじゃない! やったのはハーマイオニーだ!」
咎めるようなエリスの視線に弁解するロン。
曰く、石になったハーマイオニーの手に握られていたらしい。
「これを見て」
『我らが世界を徘徊する多くの怪獣、怪物の中でも、最も珍しく、最も破壊的であるという点で、バジリスクの右に出るものはない。『毒蛇の王』とも呼ばれる。この蛇は巨大に成長することがあり、何百年も生き長らえることがある。鶏の卵から生まれ、ヒキガエルの腹の下で孵化される。殺しの方法は非常に珍しく、毒牙による殺傷とは別に、バジリスクの一にらみは致命的である。その眼からの光線に捕われた者は即死する。直接視認せずとも、石化は免れまい。蜘蛛が逃げ出すのはバジリスクが来る前触れである。なぜならバジリスクは蜘蛛の宿命の天敵だからである。バジリスクにとって致命的なのは雄鶏が時をつくる声で、唯一それからは逃げ出す。』
そのページには、魔法界でも屈指の怪物が記されていた。
そして端にはハーマイオニーの筆跡で一言『パイプ』とだけ書いてある。
「君が教えてくれた情報から、ハーマイオニーが見つけてくれたんだ。僕たちにしか聞こえない声の怪物――『秘密の部屋』の怪物はバジリスクだ!」
ハリーやアルテ、そしてそれを探しには行かなかったものの、エリスもまた、その声は聞こえていた。
それ以外の者には聞こえなかった蛇語での呪詛。
そして石にされていく生徒たち。
二つの特徴を併せ持つ怪物となれば、魔法界全てを見渡しても蛇王バジリスク以外には存在しない。
エリスは紙切れから視線を外し、ベッドに並ぶ他の生徒に目を向ける。
「……石化した生徒たちは、全て死んではいない。例えばそこの、クリービーは――」
「カメラ越しで見たんだ。中のフィルムは焼き切れたけど、結果的にコリンを助けた」
「フレッチリーは?」
「『ほとんど首無しニック』を通したに違いない。ニックはまともに光線を浴びたけど、二回は死ねないだろう?」
「……では。グレンジャーと、そちらのクリアウォーターは」
ハーマイオニーと共に石化したレイブンクローの監督生、ペネロピー・クリアウォーター。
彼女たちもまた死んではいない。
「傍に鏡が落ちていた。多分ハーマイオニーが彼女に忠告して、ちょうどその時に……」
襲われた生徒たちは全員、偶然にも直視することはなかった。
幸運にも、即死という最悪な状況だけは逃れていたのだ。
「フィルチの猫も襲われていました。ゴーストも傍におらず、鏡もカメラも持てない猫はどう逃れたと?」
「あの日、『嘆きのマートル』のトイレから水が溢れていた。ミセス・ノリスは水に映ったバジリスクを見たんだ」
全ての被害者の答え合わせが成された。
そしてハリーは紙切れに書かれた一文を指差す。
「致命的なのは、雄鶏が時をつくる声。ハグリッドの雄鶏が殺されたんだ。蜘蛛が逃げ出すのは前触れ――アラゴグも……森に住んでいるハグリッドの蜘蛛も、自分たちが恐れる怪物って言っていた! 何もかもがぴったりだ!」
「貴方たち、何してるんですか……」
暗に入ってはいけない森に侵入したと口を滑らせるハリー。
魔法生物の巣窟である森には、ハグリッドが学生時代に飼育していたアクロマンチュラという蜘蛛も棲息していた。
ハリーは“とある理由”からそのアクロマンチュラ――アラゴグこそが怪物だと判断し、ハグリッドを以前の継承者だと疑った時期があった。
しかし、森でアラゴグと対話し、そうでないことが分かった。彼らが最も恐れ、忌み嫌う生物――それがバジリスクなのだ。
「バジリスクはパイプを通って城を移動していた。蛇語を話せるのは僕たちだけじゃないんだ。まだ誰かが蛇語を使えて、バジリスクを操っていたんだ」
「なるほど……私が知る限り、この学校には私たち三人以外にパーセルマウスはいませんが」
「それは……分からない。けど、パイプを通っているなら、バジリスクが住む『秘密の部屋』の入り口はトイレの中だ。『嘆きのマートル』のトイレなんだ!」
遂に掴めた怪物の正体。そして、『秘密の部屋』の場所。
興奮した様子のハリーの、次の言葉を待たずにアルテは背を向けた。
「あ、アルテ……?」
「……何処に行くんです?」
「『秘密の部屋』」
短く言って、足早にアルテは出ていく。
唖然とするハリーたち。呆れた様子でエリスはそれに続こうとして、一度立ち止まる。
「……彼女を止めるよう努力しますが。貴方たちは間違っても突っ込もうとしないことです。蛇王は貴方たちがどうにか出来る存在ではありません」
そう言い残してエリスはハリーたちを置いて、医務室を出る。
駆け足でアルテに追いつき、隣を歩きながらその不機嫌そうな表情に問いかける。
「……珍しいですね。貴女が自分から動くなんて」
「いい加減鬱陶しい。倒せば終わるなら、手っ取り早い」
ずっと継承者だと疑われ、特にスリザリン生からの媚びるような態度による心労は小さくない。
この煩わしさは怪物を倒し、継承者を捕えることが出来れば終わる。
本来ならば自分から動こうとはしない。
だが今回は、それ以上に今の環境に対する苛立ちが強かった。
「……蛇王を殺すと?」
「それで収まるなら」
先の話を聞いていなかった、ということはないだろう。
直視すれば死ぬという瞳だけではなく、その毒牙も到底人が耐えられるものではない。
血まで毒が流れる大蛇は、例え瞳がなくとも驚異的だ。
歴戦の闇祓いが十人集まって、若い個体がようやくどうにかなるか、といったところだろう。
そんな怪物に挑むなど、自殺願望があろうともしない。
だが、アルテはそれをしようとしている。それを倒せば今の環境が良くなるならと、それだけの理由で。
先生たちに頼るでもなく、己の手で仕留めようとするアルテに、エリスは呆れしかない。
だが――彼女が望むならと、あまり伝えたくはなかったことを告げる。
「……ならば、耳を澄ませなさい。来ています」
『――引き裂く……八つ裂きに……』
その声に、エリスとアルテは耳を傾けた。
まだ近くはない。だが、近付いてきている蛇の声。
辺りには人気がない。標的は明らかだった。
「……私は逃げますよ。万が一にも、目を合わせたくはありませんから」
「好きにして」
爪を伸ばすアルテ。
忠告はした。エリスは元より、怪物退治を手伝うつもりなど毛頭ない。
今の自分では千度戦ったところで勝てないことなど分かり切っている。
逃げる素振りも見せないアルテに、僅か不愉快げな表情を向け――その場を離れようとした時だった。
「ステューピファイ、麻痺せよ」
「ッ、プロテゴ、護れ!」
飛んできた赤い閃光を、咄嗟に盾の魔法で防御する。
そしてそちらに杖を向け――エリスは困惑した。
「……貴女が?」
そこにいた人物は、蛇語使いなどではなかった。
そう多く顔を合わせたことがある訳ではない。話したことなど一度もない。
だが、少なくとも失神呪文など使えるとは思えない。
「君は巻き込むことになるけど、そこの獣がまだ懲りずに首を突っ込むようだからね。不幸だと思ってほしい」
「……貴女が継承者だった、と?」
「まあ、そういうことだ。恨むなら、その獣を恨むんだね」
その、継承者と名乗った少女の杖が振るわれる。
無言呪文による攻撃を、エリスもまた無言による盾で防ぐ。
こんなことをしている場合ではない。
継承者が誰であろうと関係ない。蛇の声が近付いてくるが分かる。
手遅れになる前に逃げなければという焦燥があった。
「ッ」
「なっ……」
それが、倒すべき敵であると判断したのだろう。
少女に向かって駆けだすアルテに迷いはなく、エリスは止めることが出来なかった。
「インペディメンタ、妨害せよ」
杖を向けた相手に突っ込むという無謀にも程がある行為を、少女は片手間に処理する。
その場に繋がれたように動けなくなったアルテを蔑むように笑った後、再びエリスに杖を向ける。
炎を水で防ぎ、現れた蛇を消し去り、武装解除を相殺する。
楽しむように攻撃魔法を仕掛けていた少女だが――ふと、不思議に思った。
「君は二年生の中でも優秀だと聞いていたけどね。防いでばかりで、わざと作ってあげている隙に全然攻められていないじゃないか。しかも防御も幾分遅い。スリザリンの優等生が一切戦いを知らないとは、嘆かわしいな」
「っ……、ウェ、ウェニラース、毒よ!」
少女の嘲笑を、エリスは魔法で以て返答した。
薄い緑色の靄のような閃光は、しかし少女に届くことはない。
「スコージファイ、清めよ。なるほど、その魔法を使うか。しかも攻撃に使えるほどに洗練された、大した練度だ。だが駄目だな。相手を侵そうという強い意志が感じられない」
「――この……エクスペリ――」
「遅い」
容易く一蹴され、エリスは吹き飛ばされた。
「話にならないな。これだけの冴えがありながらまるで戦いを分かっていない」
「っ」
――その姿に、他の生徒たちが不気味に思う超然とした雰囲気など何処にもない。
いとも簡単に蹴散らされ、杖を向けられるエリスは、震えていた。
恐怖に染まった表情は、それまで誰もが知っていたエリス・アーキメイラではない。
年相応の、死という恐怖を前にした幼子のものだった。
「まだやるのも良いけど、こっちの方が優先だ。君はあちらに任せよう」
「ぁ……アバ――」
エリスから視線を外す少女。
その、無防備に見える佇まいにエリスは、決して人に行使してはならない魔法を使おうとして――気付いた。
自身の、すぐ真後ろにまで迫っていた声に。
今から逃げることは不可能だと悟った。ゆえにこそ、やるべきことは一つだった。
全身全霊で集中する。その恐怖を押し込め、震える右手を左手で押さえつけ、思考を一つに纏め上げる。
そしてすぐ真後ろに迫った、それ自体には恐怖を感じない気配に振り向くと同時、震えた声で呪文を唱えた。
「――エクスペクト・パトローナム! 守護霊よ来たれ!」
銀白の靄が形を形成する。
それは本来、この怪物と相対するにおいて有効となる魔法ではない。
だが唯一、その怪物と出会い『死なないためだけ』ならば効果を発揮する。
怪物よりやや小さな、しかし同じ形を作った『守護霊』の魔法。
半透明な長身のその向こうの瞳と、エリスの視線が交わされる。
そして――それまでの犠牲者の誰よりも恐怖を浮かべた石像が完成した。
「……」
「さて。邪魔者は消えた。君は間違っても石化などさせないよ。これだけ計画を妨げた罰だ。もっとずっと苦しんで、楽しませてくれないと、ね」
エリスを一瞥もせず、少女はアルテに不敵な笑みを浮かべてその顎に手を置く。
噛みつこうとしても、体が動くことはない。
無論、全力で抵抗してはいるが――それを超えるほどに、少女が使った妨害呪文は強力だったのだ。
昨年のクィレルなど比較にならない呪文の冴え。
その縛めを力の限り振り解こうとするアルテの腹に、少女の杖が押し当てられた。
「ステューピファイ!」
「――っ」
一瞬にしてアルテの意識は刈り取られる。
倒れ込んだアルテを少女は蔑むように見下ろして、そっとその体に手を伸ばした。
その日――『秘密の部屋』を巡る事件が終幕を迎える日。
最後の戦いの始まりは、一人の生徒が石になり、二人の生徒が失踪することから始まった。
※答え合わせ。
※ハー子と仲がそこそこ良かったエリス。
※ハリー「秘密の部屋の場所はマートルのトイレだ!」
アルテ「任務了解。
※自分が行くつもりはないエリス。
※初っ端から動きを封じられるアルテ。
※しれっと無言魔法を扱うエリス。
※毒魔法ウェニラース。相手に毒を与える。毒の内容によって派生あり。反対呪文は「スコージファイ」。
※初戦闘でボロ負け。
※守護霊で即死は回避。
※攫われアルテ。