日記がバラバラになり、リドルが消滅して暫く。
だんだんと熱を取り戻していったジニーが、ようやく目を覚ました。
傍にいたハリーを見て目を見開いたジニーは、途端に怯え始める。
「は、ハリー……! あたし、朝食の時に貴方に打ち明けようとしたの。でもパーシーの前じゃ言えなかった……あたしが全部やったの! ハリー、どうやってあんな怪物を倒したの? それに、リドルは? リドルが出てきてから、何も覚えてないの!」
頭を抱え、堰を切ったように泣き出すジニーに、ハリーは集めた日記の切れ端を見せる。
アルテによって見るも無残に引き千切られたそれは最早一つの本であったとも思えないほどだった。
中のページまでインクやバジリスクの血で真っ黒になり、それに込められた魔力はもう感じられない。
バジリスクは目と喉から血を垂れ流しながら横たわっている。
その死骸にさえ蛇王としての威厳が残っているのだから恐ろしい。
恐ろしい死にざまをジニーに示すことはなく、ハリーは日記だったもののみを証拠にすることとした。
「リドルも、バジリスクももうおしまいだ。アルテが両方とも倒した」
アルテ、という名を聞いて、ジニーは顔を青くした。
自身の記憶に残っている、己と共にこの事件の犠牲者となるだろう人物。
彼女をこの部屋に連れてきたのは紛れもない自分であり、何故かは知らないがリドルはひどく彼女を嫌っていた。
ロンから話は聞いていた。ハリーほどではないが、夏休み中一日一度は名前を聞いていた気がするし、フレッドやジョージなんかは『姐さん』なんて呼んで、事件で暗くなっていた学校で彼女を盛り立てていたほどだった。
そんな彼女を、己は知らない間に連れ去り、怪物の餌にしようとしていたのだ。
怪物がいる以上、もう生きてはいないと思っていた。自分が、殺してしまったのだと思っていた少女の名前が出てきたことでジニーの思考は真っ白になり――
「あ、アルテ、大丈夫? 顔が青いというか、青紫だけど……」
「……気持ち、悪い……」
スリザリンのダフネ・グリーングラスに体を預ける、ひどく気分が悪そうなアルテを見て、まるでゾンビでも見たように悲鳴を上げて仰け反った。
大量に呑み込んだ毒の脅威が消え去ったことで眠ってしまったアルテだが、どうやら不死鳥の涙は思いのほか強力であったらしい。
それからジニーが目覚めるよりも早く意識を取り戻し、こうして体の不調を訴えていた。
耳はぐったりと倒れ、ダフネのローブで見えないものの尻尾も垂れ下がり、ほんの少しも上げられない。
体中に不定期に痺れが現れ、痛いような熱いような微妙な感覚が駆け巡っている。
まるでバジリスクの毒が不死鳥の涙に対し、最後の抵抗をしているようだった。
「……ウィーズリー、それは流石に失礼じゃない?」
「ご、ごめんなさい! でも、良かった、無事で……!」
元はと言えばジニー・ウィーズリーのせいなのだ。
その元凶である彼女がアルテに対してここまで恐怖を示すことはダフネにとって心外だった。
スリザリンにしては他寮への当たりの弱い性質である彼女も、親友を連れ去って拷問し、挙句瀕死にまで追いやったジニーに対し心中穏やかという訳にはいかない。
ジニーの謝罪と安堵は心からのものだった。
ダフネはあまりに無謀なアルテへのやり場のない怒りも含めて、この事件についての全部をジニーにぶつけてやろうとも思っていたが、その態度を見て胸に仕舞い込んだ。
「ああ、きっとあたし退学になるわ! ビルがホグワーツに入ってからずっと、此処に入るのを楽しみにしていたのに!」
自責に駆られ泣きわめくジニーを、ハリーがぎこちなく支え、立ち上がらせる。
その片手には、未だに血のべっとりと付いた剣を引きずらせていた。
頭には組分け帽子を被り、その姿は実に奇妙だった。
ハリーもそれは自覚しているが、ダンブルドアが持ってきてくれたものなのだ。持ち帰らない訳にはいかない。
――ちなみにアルテの帽子はダフネがしっかりと持っている。
拷問に激闘、血だのインクだのを浴び、アルテの髪はもはや最低限髪型としての体裁すら保てていないほどにぐしゃぐしゃだった。
さめざめと泣くジニーを慰めるハリーの後ろを、ダフネとアルテは続く。
アルテを支えた状態で『ルーモス』を使うことも出来ず、来た時より暗くなった道を戻っていく。
その途中、アルテが引き摺るように進めていた足が重くなった。
「アルテ……? もしかして歩くのもつらいんじゃ……」
「……ん」
体の痺れや痛みは足の方にまで回ってきていた。
余力のあるダフネだが、流石にアルテを抱えて戻れるほどの力はなく、どうしようかと考え込んだ時、目の前にフォークスが立ちはだかるように降り立った。
「フォークス? アルテを乗せてくれるの?」
フォークスは頷いた。
白鳥ほどもある大きさのフォークスならば、アルテが乗って掴まることも出来る。
不死鳥には如何に重い荷であろうとも運んで飛べるという特性もあった。
ダフネはアルテをフォークスに預ける。
しな垂れかかるように体を預けたアルテを乗せ、フォークスは羽ばたいた。
――何も言わないアルテだったが、フォークスが飛び始めてすぐに思い出す。
自分が、飛ぶことがひどく苦手であったことに。
誰に知られることもなく、より気分を悪くするアルテ。
やがてその耳が岩がずれ動く音を捉えた。
ハリーの耳にも届いたのか、足を速めながら叫ぶ。
「ロン! ジニーは無事だ! ここにいるよ!」
ジニーの無事を伝えると、ロンが胸の詰まったような歓声を上げるのが聞こえた。
次の角を曲がれば、崩れ落ちた岩の間にロンが作った隙間が見えた。
その向こうでロンが顔を覗かせ、目を輝かせながら手を振っている。
「ジニー! 生きてたのか! 夢じゃないだろうな!」
ロンが隙間から腕を突き出し、ジニーを引っ張る。
涙を流してジニーをロンが抱きしめている間に、ハリーが、ダフネが、アルテを乗せたフォークスがその隙間を通り抜けた。
「アルテ、その鳥はどこから来たんだい?」
「……」
「あー、ダンブルドアの鳥だよ」
ハリーが持っている剣についても聞かれたが、なんとなしに誤魔化した。
「ところで、ロックハートは?」
「…………」
「あっちの方だ。調子が悪くてね、来て見てごらん」
入ってきたときに同行していた人物の姿が見えないことにハリーが疑問を持つ。
その名前が挙がった瞬間、アルテが吐き気を抑えるように舌を出した。
ここから出る前にまた死ぬのではないかと思うほどに気分が悪くなっていたアルテだが、だからといってロックハートを置いていく訳にもいかない。
パイプの出口の近くに、ロックハートはいた。
一人で大人しく、鼻歌を歌いながら座っている。
「記憶をなくしてるんだ。『忘却術』が逆噴射して、何もかもが分からなくなってる」
ロンの説明に気付いたようにロックハートが一同を見た。
得意げにウインクするロックハートを、アルテはフォークスの背に顔を埋めて全力で視界に入れないようにしていた。
「やあ。なんだか変わったことろだね。ここに住んでるの?」
「いや……」
ロックハートの場違いに爽やかな問いに曖昧に返しながらも、ハリーは考える。
ここまで一キロメートル以上も落ちてきた気がする。
降りてくるならまだしも、あのパイプの道をどう上がっていくか。
箒があれば大した話ではないが、人の足ではどうやっても上ることなど不可能だ。
そんな悩みを理解したように、フォークスが面々の前に出た。
そして、両足をハリーたちに向ける。
まさにうってつけだった。一人ひとりその足に掴まっていき、最後に何も理解していない様子のロックハートが掴まった。
次の瞬間、風を切ってアルテを背負い、五人を持ち上げたフォークスはパイプを上に向かって飛び始めた。
「すごい! まるで魔法のようだ!」
どうやら魔法の存在さえ忘れてしまったらしい。
感激するロックハートの声が反響するパイプをぐんぐんと昇っていく。
やがてひんやりとした空気がハリーたちの髪を打つ。
誰が落ちることもなく、六人は『嘆きのマートル』のトイレに辿り着いた。
誰一人死んでいないことに驚き、ガッカリしているマートルを通り抜け、廊下に出る。
「さあ、どこへ行く?」
「まあ……何はともあれ、報告じゃない?」
フォークスが先導するように、金色の光を放ちながら飛ぶ。
急ぎ足で五人はそれに従い、マクゴナガルの部屋の前に出た。
フォークスの背に乗るアルテには選択肢も拒否権もなかった。
全員が泥だらけだった。
そのうえハリーは血まみれで、アルテは血こそ付いていないがくしゃくしゃになった髪と青白くなった顔から満身創痍であることが窺えた。
彼らを見て部屋の中にいた面々は一瞬沈黙し――そして叫び声が上がった。
「ジニー!」
泣きはらした様子のウィーズリー夫人が飛び上がって、ジニーに抱き着いた。
アーサー・ウィーズリーもすぐさまそれに続く。
喜びに咽び泣いている二人とは反対に、マクゴナガルは驚きに目を丸くしている。
その隣に立つダンブルドアは微笑みながらも、何処か含みを持った視線をアルテに向けていた。
フォークスがアルテをそっと降ろし、ダフネに預ける。
それからダンブルドアの肩に止まった。
「貴方たちがあの子を助けてくれた! あの子の命を! どうやって!?」
「ええ。私たち、全員がそれを知りたいと思っています」
興奮するウィーズリー夫人にマクゴナガルが続く。
「……ポッター、任せていい? 貴方が話した方が皆信じると思うし」
正直ダフネはへとへとだった。
無事学校に戻ってこれたことの安心感からか疲れがどっと押し寄せてきたのだ。
もう魔法の一つも唱えられる気がしないし、こうしてアルテを支えているだけで精一杯だった。
ハリーは頷き、マクゴナガルのデスクに組分け帽子と剣、そして散り散りになって半分も回収できなかった日記帳の残骸を置く。
そして、一部始終を話し始めた。
自分やアルテが聞いた声。
エリスが蛇語使いであったことは伏せて――彼女の助言とハーマイオニーの努力から怪物はバジリスクだと辿り着いたこと。
ロンと二人で森に入ったこと。そこでアクロマンチュラ――アラゴグに話を聞いたこと。
『嘆きのマートル』が以前の事件の犠牲者で、ゆえにトイレのどこかに『秘密の部屋』への入り口があると考えたこと――
そこまで話すと、マクゴナガルが己を落ち着けるように息を吐いてから言った。
「……そうでしたか。それで入り口を見つけた訳ですね。その間いったい幾つの校則を粉々に破ったか……ですがポッター、どうやって、全員生きて部屋を出られたというのですか?」
ハリーはフォークスと帽子、剣のことについて話し――そこで困って、ダンブルドアを見た。
ジニーがリドルに操られ、実行犯になっていたことを話すべきか、迷ったのだ。
それを見透かしたように、ダンブルドアは微笑んだ。
「わしが一番興味があるのは、ヴォルデモート卿がどうやってジニーに魔法を掛けたか、じゃな」
その名にアルテがピクリと反応する。
ダフネはかの帝王に対したアルテの顔を思い出し、顔を強張らせた。
「な、なんですって? 『例のあの人』が、ジニーに、魔法を掛けた? でも、ジニーはそんな……」
「この日記が原因だったんです。リドルは十六歳の時に、これを書きました。最後はアルテがこうして破って、これに掛かった魔法を壊したんです」
今やただの紙屑の群れになった日記を指して、ハリーは答えた。
ダンブルドアはそれを少しだけ、つまみ上げる。
最早少しの魔力もなくなったそれを眺め、静かに言った。
「見事じゃ。確かに彼はホグワーツ始まって以来、最高の秀才じゃったと言えるじゃろう。ヴォルデモート卿がかつてトム・リドルと呼ばれていたことを知るものは殆どいない。かつてここで首席だった子を、ヴォルデモート卿と結び付けて考える者など……」
「でも、ジニーが、その、その人と、なんの関係が?」
「――その人の、に、日記なの!」
ジニーが意を決してように打ち明けた。
その日記に書けば、返事をくれたこと。それにどっぷりと浸かっていったこと――
ウィーズリー氏は仰天し、ジニーに詰め寄った。
「パパはお前に、なんにも教えてなかったというのかい!? パパがいつも言っていただろう、脳みそがどこにあるか見えないのに一人で勝手に考えることが出来るものは信用しちゃいけないって!」
「あ、あたし、知らなかったの。ママが準備してくれた本の中にそれがあって、誰かがそこに置いて行ってすっかり忘れてしまったんだろうって、そう思って……」
言葉を出すこと自体が怖いように震えながら言うジニーを、ダンブルドアが遮る。
「ミス・ウィーズリーはすぐに医務室に行きなさい。過酷な試練じゃったろう。処罰はなし。安静にして、熱いココアを飲むがよい。わしはいつもそれで元気が出る。マダム・ポンフリーはまだ起きておる。ちょうどマンドレイク薬を皆に飲ませたところでな」
それはハリーたちにとっても朗報だった。
マンドレイクの薬が完成したのだ。つまり――
「じゃあ、ハーマイオニーは!」
「うむ。回復不能の傷害は何もなかった」
アルテはふと、エリスのことを思い浮かべた。
考えてみれば、彼女が犠牲になったのは己のせいだった。そのことにどうにも分からない気持ち悪さを覚える。
そうしている間に、ジニーを連れてウィーズリー氏と夫人が部屋を出ていった。
「さて、ミネルバ。これはひとつ、盛大に祝宴を催す価値があると思うんじゃが。キッチンにそのことを知らせに行ってはくれまいか」
「わかりました」
ダンブルドアの提案にマクゴナガルはきびきびと答え、ドアの方へと向かっていく。
「さて、ポッターくん、ウィーズリーくん。わしの記憶では、君たちがこれ以上校則を破ったら、二人を退校処分にせざるを得ないと言いましたな」
「っ……」
ハリーとロンは真っ青になった。
マクゴナガルが言った通り、事件の解決に至るまで破った校則は数知れない。
小さなものから重大なものまで全て合わせれば百を優に超えるだろう。
どう釈明しても、退学は免れないものだった。だが、ダンブルドアは優しく笑った。
「どうやら誰にでも過ちはあるものじゃな。わしも、前言撤回じゃ。ポッターくん、ウィーズリーくん、ルーピンさん、グリーングラスさん――君たち四人には『ホグワーツ特別功労賞』が授与される。それに、そうじゃな……一人につき二百点ずつ、グリフィンドールとスリザリンに与えよう」
感激したハリーとロンに対し、ダフネはそれどころではない様子だった。
賞や得点よりも、アルテが心配だったのだ。
「ところで、ギルデロイ、どうしたのじゃ。君にしては随分と控えめじゃな」
ふと、ダンブルドアはこのような場で誰より饒舌になりそうな男が沈黙を貫いていることに疑問を持った。
ハリーたちは思い出したかのように振り返る。
ロックハートはまだ曖昧な微笑みを浮かべていた。
「……あー。ダンブルドア先生、『秘密の部屋』で事故があって、ロックハート先生は……」
「私が先生? おやまあ、私は役立たずの駄目先生だったでしょうね?」
とぼけたように、申し訳なさそうな笑みに変わったロックハートに、アルテだけが確かに頷いた。
「ロックハート先生が『忘却術』を掛けようとしたら、杖が逆噴射したんです」
「なんと。自らの剣に貫かれたか、ギルデロイ……!」
「剣? 私は剣なんか持っていません。でもその子が持っています。その子が剣を貸してくれますよ」
冗談なのかどうなのか分からなかった。
ダンブルドアは彼に頷くと、困ったように言う。
「しかし、これではのう。また『防衛術』の先生を見繕わなければならん」
「っ……」
アルテが顔を上げた。
ダンブルドアと目が合い、その微笑みの意図を不思議なまでに理解する。
それはここまで、一年間あらゆることに耐え凌いできたアルテへの、唯一にして最大の報酬だった。
「グリーングラスさん、ルーピンさんを寮まで連れて行ってあげてくれんかね。フォークス、また手を貸してあげなさい。シャワーを浴びて、ひと眠りして、それから祝宴に来ると良い」
「あ、はい!」
ダフネは急かされたように返事をした。
いつも通り、不愛想ながら――どこか、嬉しそうなアルテを支えながら、ダフネは部屋を出る。
これで万事解決。しかし一つ不審なことがあった。
「……アルテの家族、来てないの?」
「リーマスは、忙しい」
満月が近かった。この時期はリーマスは気軽に外に出ることが出来ない。
それをダンブルドアは知っている。ゆえに、伝えることは避けたのだろう。
誤魔化したアルテだが、ダフネは内心憤っていた。
この重大な場に顔も出していないこと。そしてそれをきっかけに、どんどん“リーマス”なる人物への不満が湧き出てくる。
アルテの無防備さ。やたら脱ぐ癖。というか裸に関して羞恥心を欠片も持っていないこと。まったくお洒落に無関心なこと。その振る舞いがあまりに女子として良くないこと。エトセトラエトセトラ……。
いつか会うことが出来たら、それらを時間の限りぶちまけてやろうと決心する。
その機会は――割と近いうちに訪れるとは、まだ知る由もない。
※目覚めが早い代わりにまた不調のアルテ。
※ジニー「本音を言えばゾンビのがまだマシ」
※髪型崩壊系主人公。
※割と世話焼きなフォークス。
※まだ飛行には慣れていないアルテ。
※飛行+ロックハートで死に上がりのアルテに厳しい帰り道。
※アルテへのご褒美。
※リーマスに不満だらけのダフネ。
※リーマス「なんか嫌な予感がする」