アルテが目を覚ましたのは、日が変わり夜中の一時過ぎだった。
シャワーでせっかく整えた髪はまたぼさぼさになっていたが、それを気にする者はこの場にはいない。
四人部屋である筈だが、アルテ以外誰一人ベッドにはいなかった。
今の時間と照らし合わせ、疑問に思って――畳まれた予備の制服とローブの上に置かれた手紙に気付く。
『パーティをやっているから、起きたら大広間に来て ダフネ』
短い文面だったが、確かにダンブルドアがそんなことを言っていた。
そそくさと服を着る。ぼさぼさの髪を隠すように帽子を深く被り、部屋を出る。
談話室には誰もいなかった。廊下に出ても、人の気配はない。
パーティ――主にハロウィーン――に一人で廊下を出歩くというのは、アルテにとってひどく縁起の悪いことだった。
しかし今宵こそは何もない。
夜中に廊下を出歩いたとて騒ぐ先生もいない。
どうやら夜通しで催されるらしい今回のパーティは、それこそ特別なもののようだ。
月明りに照らされ、青白い廊下を歩いていると、曲がり角から何かが出てくる。
「……」
「……」
ピーブズだった。
夜中まで盛大に行われているパーティに出席していて決して出会うことはないと思っていた天敵と奇跡的に遭遇した彼は、顔を真っ白にして脱兎の如く逃げ出した。
「ぎゃ、ぎゃあああぁぁあぁあああ!? 怪物殺し! 怪物殺しだああああ!」
アルテはいつもよりも恐れられているような気がした。
とはいえ、追う気もなかった。寝起きだし、そもそもそこまでの気力を取り戻している訳でもないのだ。
体中の妙な感覚はまだ残っている。
立って歩けないほどではないが、それはまだ暫く続きそうだった。
まだ眠かったが、それ以上に空腹だった。
パーティというからにはいつも以上に豪華な料理が並べられている事だろう。
――今年一年、パーティの度に碌な目には合っていなかったが、そんなことは目先の料理で忘れていた。
大広間の扉を開くと、中の喧噪がしんと静まり返る。
集まった視線は、その一年間向けられていたような剣呑としたものではなかった。
いや、正確にはそんなものも含まれているが、それとは違う申し訳なさや哀れみ、認めるものかという強情なものもあり実にバリエーション豊かだった。
そんな視線を特に気にせず、自分の席へと歩いていく。
しかし、それは途中で止めざるを得なくなった。
慌てた様子で駆けてきたダフネやミリセント、パンジーに抱き締められ、思いっきりよろけたからだ。
「アルテ、目が覚めたのね! まったく、心配かけて!」
「そうよ! ダフネから聞いたわ! バジリスクに喧嘩売るとかあんた馬鹿!? 馬鹿だったわね!」
「ちょ、ちょっと二人とも落ち着いて! ああもうアルテ、また髪がくしゃくしゃじゃない!」
集まる視線など気にせず、ダフネが先導する形で四人は席へと向かう。
と、その途中アルテが立ち止まり、三人から離れて一つの席へと歩いていった。
目に見えて隣の生徒と距離を開けられている少女は、そんなことは気にせずデザートに舌鼓を打っていた。
エリス・アーキメイラ。純血を尊ぶスリザリンにおいて、此度唯一、『穢れた血』を襲う怪物の犠牲者になった少女。
純血だと自称していたにも関わらず、彼女は襲われた。
そのことは生徒たちが、エリスに少なからず疑いを持つには十分な要因であった。
スネイプが現場の状況をスリザリン生に話していたため、アルテが攫われた際不幸にも巻き込まれた、ということは知っていた。
それでも、事件その日に生まれた「エリスは『穢れた血』なのではないか」という疑惑がパーティまでに消えるということはなかった。
「……あら。無事だったのですね」
今気づいたように、エリスはスプーンを置いてアルテに視線を向けた。
その姿を見て目を細め――すぐにまた開いて、相変わらずの超然とした雰囲気で微笑む。
そんなエリスと数秒視線を交わしていたアルテは――やがて深く、頭を下げた。
近くで見ていたある生徒がかぼちゃジュースを吹き出し、またある生徒は持っていた皿ごと引っ繰り返る。
謝罪という、生徒たちの間では笑顔、感謝、そしてあと一つと並んでアルテが一切しないだろうこと、と有名な行動を取ったことに、大広間はざわついた。
「巻き込んで、ごめん」
「謝罪なんて求めていません。居心地が悪くなるので、頭を上げてください」
エリスは眉根を寄せていた。
同じスリザリン生たちに敬遠されていることよりも、アルテに謝罪されることの方が嫌だというように。
「……貴女。私が石にされる前、使った魔法を見ましたか?」
「見てない。顔を動かせなかった」
顔を上げたアルテに、エリスは表情を変えないまま聞いた。
あの時アルテは行動を封じられ、リドルに操られたジニーとエリスの戦闘を碌に見ることが出来なかった。
唱えた魔法こそ覚えているものの、それがどんな魔法なのかは分からないし、エリスが何らかの形で敗北したことは知っていれど石にされたことは知らなかった。
それを聞いて――エリスは小さく安堵の息を吐いた。
「……なら、いいです。私から言うことは何もありません。自分の席に行ってください」
何の意図があっての質問だったのかを、アルテは考えなかった。
向こうが納得したなら構わないと、さっさとダフネたちのところへ戻る。
そして、見てはならないものを見たような、ポカンとした顔をしている三人――実際は三人どころかこの場の大勢の生徒なのだが――に怪訝そうに首を傾げた。
「……何かあった?」
「こっちの台詞なんだけど!」
「アルテ! あんた一日に何度私たちの心臓に負担掛ければ気が済むわけ!?」
「彼に掛けられた変な魔法が残ってるの!? そうに違いないよね!?」
思いっきり体を揺さぶられ、先程の吐き気のようなものが戻ってきた気がした。
なるほど、リドルに掛けられた魔法が残っている可能性、それもあるかもしれない。
自分の中で不調の原因を納得しつつも、三人を引き摺るように自分の席に行く。
夜中だというのに、料理は大量にあった。
もう空腹は限界だ。早速手を伸ばそうとして、ふと、横から差し出されたベーコンに気付いた。
「……」
「食べないの?」
ルーナだった。
最早彼女がスリザリンの席にいることに、誰も疑問を持っていない。
或いはダフネたちよりも、アルテを操ることが出来るのではないかと言われている彼女は、一年生だというのにスリザリン生に一目置かれる存在である。
ある意味常人と逸脱した思考回路を持っていることから、関わろうとする生徒は皆無だが。
何故ここにいるのか、という疑問はあったものの、それよりも空腹は勝っていた。
ルーナのフォークに刺さったベーコンを噛み千切る。
そして残っていたベーコンをルーナが口に放り込むと、それを見ていた生徒たちがまたもざわつく。
何人かの男子生徒は二人の様子を見て、何か至上の芸術でも見たように頷いていた。
注目され続けていることはただ賑やかであるより鬱陶しかった。
アルテの隣に座ったダフネが自分を落ち着かせるようにかぼちゃジュースを口に含む。
――ちょうど、その時だった。
塩気の強い一口のベーコンをゆっくり咀嚼し、呑み込んだアルテは、ふと思い出した。
不満を感じつつも、恐怖を感じつつも、あの戦いに手を貸してくれたことに対して、まだ何も言っていなかった、と。
自分が注目されていることも気にせず、そして今の彼女の状況も考えず、アルテはとにかくそれを最優先とするように、口を開いた。
「手伝ってくれて、助かった。ありがとう、グリーングラス」
ダフネもかぼちゃジュースを吹き出した。
声にならない悲鳴を上げる者やらこの世のものではないものを見るような顔をする者、隣り合った男子と微笑んで頷きあう者など、最早大広間はパニックであった。
感謝と、そして『リーマス』なる人物以外の名を呼ぶこと――アルテが一切しないだろうことの二つが同時に飛び出し、ある意味、場は『秘密の部屋』が開かれた時より混乱していた。
「けほっ、けほっ……! っ、あ、アルテ、今……!」
咳き込みながらも、ダフネはアルテに詰め寄る。
アルテにとってはその反応はひたすら不可解で意味不明だった。
「……何?」
「い、今、私のこと、呼んでくれたよね!? 初めてだよね!?」
「……そうなの?」
「そうなの! ねえ、もう一回、もう一回呼んで!」
何やらダフネは必死だった。
アルテ自身、それが初めてなのかどうなのかなど知らないし、一切意識をしていない。
ダフネも気になっていなかったが、初めて呼ばれるに至り、それに気付いた。
「…………グリーングラス」
「で、出来ればファーストネームで!」
「………………ダフネ」
「――! ありがとうアルテ!」
自分が感謝したのに、何故か感謝し返され、アルテは今の状況にまったく付いていけていなかった。
左手をぶんぶんと振られながらも、右手のフォークでウィンナーに手を伸ばすアルテは、向かいの席の二人の視線に気が付いた。
「…………何」
「私たちも、名前で呼んでくれていいんじゃない?」
「そうそう。アルテ、あんた友達にもうちょっと歩み寄るべきよ。ね? ね?」
何か物欲しそうな、というか露骨に要求してきているパンジーとミリセント。
そこまで騒ぐようなことだろうかとも思いつつ、この二人は呼ばない限りずっと要求し続けると、二年間一緒にいて分かっていた。
「……パンジー、ミリセント」
「よしっ……二年でようやくね」
「うんうん、まったく、世話が焼けるわ」
にっこりと笑う二人。
いつも一緒のダフネたち三人にとっては、アルテにファーストネームで呼ばれることは些細なことではなかった。
そんな四人の様子――主に人が変わったようなアルテは、辺りの生徒たちのキャパシティを軽く超えていた。
一部の男子生徒がお互いの友情を確かめ合うように握手し合っている中、そのざわめきを止めるようにダンブルドアが立ち上がった。
「さて、よろしいかな? めでたい席じゃ。この場でグリフィンドールに優勝杯を渡しておこう」
グリフィンドールのテーブルから盛大な歓声が上がった。
『秘密の部屋』の事件を解決したことで、ハリー、ロン、アルテ、ダフネの四人には二百点という圧倒的な点数が与えられた。
それにより、今年もまた二寮の一騎打ちとなったのだが、結果は僅差でグリフィンドールが勝利を収めたのだ。
点取り屋であったアルテの得点が主に決闘クラブ以降振るわなかったのが敗因ではないか、とも言われているが、もしそうであるならばより根本の原因は別の一人に特定できた。
どうやらその人物はパーティに参加していないらしい。教師のテーブルの、その席には誰も座っていなかった。
グリフィンドールの首席生徒がダンブルドアから優勝杯を受け取る。
それをスリザリン生以外が拍手で称えた後、ダンブルドアは一部の生徒にとっては悲劇を告げる。
「それから、ロックハート先生じゃが、残念ながら来学期に学校に戻ることはできません。学校を去り、記憶を取り戻さなければならないからじゃ」
しかし、その発表には歓声の方が遥かに多かった。
アルテにとっても朗報だった。来学期のことも考えればそれは今年一番嬉しいことといっても良かった。
喜んでいる生徒の中には、ミリセントもいる。
「ミリセント、もう熱は冷めたの?」
「何のことかしら。私には憧れていた防衛術の先生なんていないわ。本も近いうちに手を滑らせて焼いてしまう予定よ」
どうやら忘れたい過去らしかった。
ミリセントのように、この一年で彼に愛想を尽かせた生徒は多い。
ロックハートの真実を知っている生徒こそはハリーたち四人しかいないものの――人の口に戸は立てられないという。
そのうち四人のうち誰かがうっかり話してしまうかもしれない。
「そして最後に、マクゴナガル先生から発表があります」
ダンブルドアが座り、引き継いだマクゴナガルが立ち上がった。
厳格な表情を少しだけ崩し、皆を安心させるように、明るい声で告げる。
「此度の事件の解決は大変にめでたいことです。学校からのお祝いとして――期末試験は取りやめとします」
今夜一番の喝采が上がる。
物好きなハーマイオニーだけは「えぇっ、そんな!」と叫んでいたが、すぐに歓声に呑み込まれた。
騒ぎに乗っていないのは、そんな暇があれば少しでも食べたいアルテと、静かにトライフルを味わっているエリスくらいだった。
今年度に残った最後の悩みの種がなくなった生徒たちは思う存分叫び、楽しんだ。
明け方には『秘密の部屋』事件の関係で暫くの間学校を去っていたハグリッドも戻ってきて、ハリーたちの浮かれ具合は留まるところを知らなかった。
祝宴は明るくなるまで続き、その翌日から学校は普通の生活へと戻っていった。
闇の魔術に対する防衛術だけは全ての授業がキャンセルとなり、他の授業も試験がなくなったことから生徒たちは残る期間を気楽に過ごす。
アルテにとってあまりに激動の一年間の最後は、ひどく穏やかだった。
波が引いていくように、ようやくアルテの日常は戻ってきた。
しかしながら、残る期間のアルテは随分とそわそわしていて、ダフネたちは不思議に思っていた。
――その理由を知るのは、新学期に入ってからとなる。
※怪物殺しのアルテ(ガチ)。
※若干距離を置かれるエリス。
※アルテの謝罪(SSR)。
※リドル「流石に僕のせいにし過ぎじゃないか」
※安定のルーナ。
※ルーナとの絡みに何かしらの感情を抱く野郎共。
※アルテの感謝(SSR)。
※アルテの呼名(SSR)。
※四人組の絡みに何かしらの感情を共有する野郎共。
※しれっと掠め取られる優勝杯。多分ロックハートのせい。
※ロックハーティアン卒業。
※次話からアズカバンの囚人編です。