幕間:手紙
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その手紙を読み始めて三分も経った頃には、頭が冷たくなって茹るように熱くなってを五回は繰り返していた。
満月が過ぎ去って数日。ようやく体調が元に戻ってきたというのに、まるで満月の当日に返ってきたかのようだった。
手紙は、アルテが夏休みを迎えて帰ってきてから数日経って送られてきた。
送り主はダンブルドアだ。去年も同じような時期に手紙を貰っていたが、それとは分厚さが違っていた。
そこに書かれていたことは、一つ二つで私を寝込ませるようなことの山だった。
頭痛の種その一、アルテの素行について。
これに関しては、一学年の年度末にも報告を受けていた。
学生時代の『私たち』のような、そこに楽しみがあれば進んで飛び込むような不良ではない。
だが、彼女はとにかく自由だった。いつ、何を仕出かすかまったく分からないのだ。
あの悪戯好きのピーブズを恐れさせ、授業時間だろうと見つければ追いかけ回し、暇な時間は他の生徒の用心棒のようなことまでやっているとのこと。
しかも、代金まで取って、だ。ここに来て私は、時々アルテが送ってくる幾らかの金貨の出所を理解した。
そんなこんなで合計の減点数は全校生徒の中でも上位にあるらしいが、かといって加点が無いかと言えばそうでもないらしいし、授業の成績も悪くない。
特に魔法薬学と変身術は、目を見張るものがある。
変身術はマクゴナガル先生が個人で、私に彼女を評価する内容の手紙を送ってくるほどだったし、魔法薬学においてはあのスネイプが、決して良い印象を持っている訳ではないものの高く評価せざるを得ないことを成績表に嫌味たっぷりで書き記しているくらいだった。
そんな感じで――アルテは先生たちにとって特に性質の悪い生徒となっているらしい。
交友関係においては、スリザリンの三人の女子生徒と特に親しくしているようだ。
一年次の時も、そして今年帰ってきた時もホグワーツ特急から一緒に出てきた三人がそうだろう。
――そのうち一人から妙に敵意の籠った目で見られた。何かしただろうか。
自寮以外にも友人がいるらしく、レイブンクローの下級生や、グリフィンドールの上級生と話しているのをよく見かけるらしい。
グリフィンドールの上級生というのは、学校でも屈指の問題児である双子であるという点が気になったが。
そのほか、去年の学年末に起きた事件を共に解決した、
ハリーと険悪になっていない。それを知ることが出来ただけでも、この件に関しては悪いことばかりでもないだろう。
頭痛の種その二、この一年間の『闇の魔術に対する防衛術』について。
此方については、アルテに申し訳ないという気持ちでいっぱいだった。
私は去年、この年の防衛術の教師にならないかとダンブルドアに誘いを受けていた。
それを断ったのは、私の体質ゆえだ。
慈悲深いダンブルドアはホグワーツの生徒として在ることや、アルテの親として在り続けることを許可してくれた過去がある。
しかしながら、教鞭を執ってほしいという頼みに頷くことは出来なかった。
他の生徒や先生たちに危険が及ぶ可能性がある仕事だ。万が一にもアルテを傷つけてしまうことを考えれば、私には断るほかの選択肢はなかった。
結局この年、防衛術の先生には別の人物――あのギルデロイ・ロックハートが選ばれた……のだが。
これはもう、最悪だったらしい。
ロックハートに気に入られたことで一年間しつこく付きまとわれ、事あるごとに自分の著作に登場する『狼男』についての長話をされていたと書かれており、私はかの英雄的な人物に強い憤りを感じざるを得なかった。
アルテは私の体質を認めてくれている。そんな彼女への、要するに執拗な嫌がらせが一年間も続いたのだ。
加えて私が人前では可能な限り脱がないよう言い聞かせ、一年間は守り通した帽子をロックハートは呆気なく生徒たちの面前で剥ぎ取ってしまったらしい。
限界を迎えたアルテは、一度ではあるが彼に暴力を振るってしまったようだ。
――本当に最悪だった。ロックハートという先生により、アルテの我慢はかなりの数、水泡に帰してしまったのだ。
そして、頭痛の種、その三。正直、これを読み進めている間、何度倒れそうになったか分からない。
今年起きた事件。『秘密の部屋』が開かれ、生徒たちが襲われた件。
これを私は、手紙で初めて知った。アルテは時々私に仕送りをしてくれるくらいで、手紙を渡してくれることは皆無だった。
ゆえにかの部屋を開いたスリザリンの継承者として自分がずっと疑われていたことも、一切打ち明けていなかったのだ。
『秘密の部屋』については私も知っている。学生時代、私たち四人で『アレ』を作るついでに五十回は探し回ったが、見つかることのなかった部屋だ。
『アレ』の制作により、私はホグワーツの構造についてはダンブルドアより知っているという自負がある。
しかし、卒業までそれらしき部屋は見つかることはなかった。必要の部屋のように何らかの条件が必要なのではないか、と結論付けたが、その条件が何なのかまでは掴めなかった。
そんな部屋が、まさかアルテの在学中に継承者によって開かれるなんて。
アルテが、ただ何の意味もなく疑われていた訳ではない。
ちら、と部屋の角を見る。
壁に背を預け、床に座り込んでいるアルテは、いつの間にか家に連れ込んでいた蛇に向かいシューシューと息の零れるような音で『話して』いる。
それが真似事であればまだいい。だが言葉を受けている蛇はアルテに対し、時折頷いたり首を横に動かしたりしている。
アルテは
蛇語使いといえば、サラザール・スリザリンの特性である。
ゆえにその特性を持っていることが露見し、アルテは継承者として疑われ、畏怖の対象とされたのだ。
挙句の果てに、本物の継承者には、アルテが継承者を騙っているように思えたのだろう。
彼女を『秘密の部屋』に攫い、怪物の餌食にしようとしたという。
それだけでも心臓が止まりそうな報告だったのに、あろうことかアルテはハリーらと協力してその怪物を継承者諸共退治してしまったそうだ。
この一年、アルテは疑われ、好ましくない者に付きまとわれ、ひたすらに我慢してきた。
疑念の目を向けられるくらいならばさして気にしない子だが、自由でいられる筈の時間を制限されることを彼女はひどく嫌う。
もしかするとこの一年、アルテに自由な時間など殆どなかったのかもしれない。
夏休みを迎え、家に戻ってきてからはよく近くの森に出ているし、去年の夏休みより家の中にいる時間が減った気がする。
アルテなりのストレス発散なのだろう。
今はこうして家の中にいるものの、蛇と話すなんていうそれこそ自由で突拍子もないことをしている。
「……? 何?」
私の視線に気付いたアルテが、シューシューと漏らす声を止め、人の言葉で問い掛けてきた。
一瞬、蛇の言葉で話しかけられたらどうしようかとも思ったが、杞憂だったようだ。
「いや、パーセルタングなんて初めて聞くからね。何を話していたんだい?」
「言葉を習ってた」
――どうやら、蛇語のレッスンの真っ最中だったらしい。
パーセルマウスとはいえ、熟練度で差が出るものなのだろうか――その手の研究者ではないが、気になった。
「まだ下手糞だって」
「それは……その蛇が言ったのかい?」
「ん。丁寧過ぎだし、詰まっているし、文法もめちゃくちゃって言われた」
また随分と辛辣な評価だった。
そもそも蛇語に文法があるかというのがまず疑問だ。
言葉自体は私にはシューシューと聞こえるだけで特段詰まっているようには聞こえない。
それに――丁寧過ぎるとは。
一瞬、丁寧な敬語を話すアルテを想像し、絶対にありえないと首を振った。
アルテは誰であろうと歯に衣を着せない。多分、先生たちに対してもそれは変わらないだろう。
そんな彼女がどんな風に喋っているのか気になりはしたが、それは私には分からない。
どうやら今日のレッスンは終わりらしい。最後にまた蛇語で何か喋った後、アルテは窓から蛇を放した。
「その手紙は?」
「ん? ああ、ダンブルドアからだ」
内容は伏せて、差出人だけ告げる。
するとアルテの目が、少しだけ大きく開いた。
そして何やら、期待するような視線を向けてくる。
「先生、やるの?」
「あ、あぁ……うん、そうだな……」
そう――それが、最後の頭痛の種だった。
ロックハートは退職し、またもや防衛術の席は空いてしまったらしい。
ゆえに、ダンブルドアはもう一度私に声をかけてくださった。
最初は断るつもりだった。
何度依頼されようとも、私の体質は変わる訳じゃない。
定期的に授業が不可能になる教師など、教師としてやっていけない。
だが……。
「……」
――娘に、こんな期待の目を向けられて、果たして断ることが出来ようか。
それに、もう一つ、気掛かりがあった。
アルテが今朝拾ってきた、普段は取っていない『日刊予言者新聞』の大見出しを見る。
新聞は何か憎いものでも載っていたようにクシャクシャだった。
それもその筈、今日の見出しは、悪夢のような記事だったのだから。
――『シリウス・ブラック脱獄』。
大勢のマグルを巻き込み、ピーターを殺し、そして闇の帝王のジェームズとリリーの居場所を教えた、かつての親友。
彼の目的は分かっている。
ハリーだ。かつて闇の帝王が取り逃したハリーを己の手で殺すべく、あの監獄を脱したのだ。
脱獄した以上、彼は必ずホグワーツを襲撃する。
その時、ダンブルドアよりも近い場所で、彼を護れる者が必要だ。
アルテに危険が及ばないように。
一年間我慢し続けたアルテが、次の一年を少しでも楽しめるように。
そしてハリーが――ジェームズとリリーの子がシリウスの手によって殺されるなんて悪夢を絶対に迎えさせないために。
私の選ぶべき道は一つだった。
黙っている私に向けられるアルテの瞳には、少し不安が乗り始めた。
今年も断ったら――そんなことを考えているのだろう。
ああ、去年のことは間違いだった。そのアルテの不満を少しでも拭うためにも、アルテの頭を撫でながら己の決意を告げる。
「心配ない。今年は受けるつもりだよ。ダンブルドアへの返事を考えていただけさ」
「本当?」
「ああ、本当だとも。なんなら一緒にホグワーツ特急に乗ろう」
アルテの表情はいつも通り乏しかった。
だが、何より彼女の感情を表している尻尾は揺れている。
確かに、アルテたちを守るためという理由だが、それと同時に楽しみでもあった。
生徒と教師という立場だが、アルテと共に一年間を過ごすことが出来ることが。
さて、それでは、彼らに何を教えようか。
『闇の魔術に対する防衛術』と一口には言うものの、この科目で扱うことは非常に広範囲にわたる。
私も学生時代、七年間毎年違うことを習っていた。
……よし、決めた。『秘密の部屋』の怪物が倒されたことは皆の記憶にも新しいだろう。
であれば、恐ろしい怪物や妖怪への対処に興味もある筈だ。
それを元に、どう面白い授業を行うか。私は今から考えるのだった。
――この決定は、正しかった。
結果として私は就任の初日から、生徒たちの危機に立ち会うことが出来たのだから。
そして、その日から私は、向き合うことになる。
自分の娘――アルテの“存在”というものについて。
※アルテの仕送りの収入源。
※女子生徒約一名から覚えのない敵意を向けられるリーマス。
※告げ口されるロックハート。
※近所の蛇さんの蛇語講座。
※蛇に下手糞って言われるアルテ。
※早々に立つ変なフラグ。