杖が飛んだのは、アルテだけではない。
ハリーの杖も、ハーマイオニーがいつの間にか拾い上げていた残る二本も、同時に飛んだ。
リーマスは四本の杖を器用に捕まえ、僅か、シリウスに杖を向けた後、辺りを警戒するように見渡した。
その目がアルテに合わせられる。
困惑した様子のアルテを通り過ぎ――シリウスを見下ろす。
――アルテは突然現れたリーマスに杖を向けられたという事実に理解が追い付いていなかった。
怪我を治してくれた時や、課外訓練の手本、そんな時とは訳が違う。
だが――アルテは無理やり納得した。
彼は何らかの手段でここにシリウスがいることを知ったのだ。
それで、アルテの手ではなく、自分自身の手でシリウスを殺したいのだと。
思考を侵食していく不安を押し込めて、アルテはそうに違いないと断定した。
「――シリウス、あいつはどこだ」
リーマスは何かの感情を押し殺したような、震えた声で聞いた。
シリウスは無表情のままに、リーマスを見上げる。
数秒間、視線を交わした後、シリウスはゆっくりと手を上げ、まっすぐにロンを指した。
ロンも当惑しているようだった。
「しかし、それなら……何故今まで正体を現さなかった? もしかして……」
シリウスが頷く。
――その、言葉を超えたようなやり取りに、アルテの困惑はより強くなった。
そんな筈はないと、己の中に生まれた疑惑を否定する。
リーマスは今、シリウスを殺す前に情報を引き出しているのだ。たったそれだけに過ぎない。
無意識のうちに、体が震えていた。
これは自分が間違った疑いを立てているのだと、強く自戒する。
荒くなっていた息を抑えるように、唇を噛む。口の中に流れてきたもので、舌に鉄の味が広がった。
「先生……ルーピン先生、何が……?」
「……」
ハリーが、恐る恐る問い掛ける。
リーマスは答えることなく、構えた杖を下ろした。
そして次の瞬間、リーマスはシリウスの手を取って、助け起こした。
――アルテの思考が真っ白になる。
今はそれどころではないように、リーマスはシリウスを抱きしめた。
まるで、兄弟のように。
「なんてことなの!」
ハーマイオニーが叫ぶ。
リーマスはシリウスを離し、ハーマイオニーに目を向けた。
「……ハーマイオニー」
「せ、先生は……先生は、その人とグルなんだわ! 私、誰にも言わなかったのに!」
「ハーマイオニー、落ち着きなさい」
「先生のために、私、隠していたのに!」
違う、そんなことはない。
そんな疑いを持ってはいけないと、伸ばした右手の爪を左腕に食い込ませる。
その痛みがあってなお――アルテの不安は消えなかった。
「ハーマイオニー、話を聞いてくれ。説明するから――」
ハリーもまた、震え出していた。
恐怖ではなく、怒りから。
「僕は先生を信じてた、それなのに……! 先生はずっとブラックの友達だったんだ!」
現在進行形で傷つけている腕よりも何故か痛む胸は、引き千切れそうだった。
それに気付かなかったリーマスは、首を横に振って否定する。
その否定が、まるで救いであるように感じた。
アルテにとってそれは、何より否定してほしいことだったから。
「それは違う。この十二年間、私はシリウスの友ではなかった。しかし――今はそうだ。それを説明させてくれ」
「――――――――ッ」
痛みが、全身に広がった気がした。
喉元にまで込み上げてくるものを堪えて、余計に震えが強くなった。
その、かつてないほどに不安定になったアルテの様子に気付いたのは――一人だけだった。
「ダメよ! ハリー、騙されないで! この人がブラックが城に入る手引きをしていたのよ! この人も貴方の死を願ってる! それだけじゃない! この人はアルテまで騙して、ハリーを殺そうとしたんだわ!」
「ッ」
ハーマイオニーの叫びで、ようやく気付いたように、リーマスは慌ててそちらに目を向けた。
その時、アルテの表情は、今までにないほどに歪んでいた。
あまりに多くの、大きすぎる苦痛を限界を超えてなお耐えているようだった。
アルテを騙した――それを聞いて、リーマスは思い出す。
――“奴は裏切ったんだ。それがきっかけで、ジェームズと、そしてもう一人私の友人が死んだ”
――“……ヴォルデモートの仲間?”
――“……そうだ。奴が裏切っていたことを誰も知らなかった。知ってさえいれば……今更後悔などしても、どうにもならないが”
「ッ、違う、落ち着きなさいアルテ!」
駆け寄ったリーマスの手を、思わずアルテは振り払った。
アルテからの初めての、明確な拒絶にリーマスは立ち止まる。
アルテは壁際まで後退り、震えながらも、声を絞り出した。
「……り、リーマスは、友達を、殺されて……シリウス・ブラックを、許せなくて……」
「アルテ!」
「だからわたしは、リーマスに、喜んで、もらいたかった……でも、リーマスは、わたしを……わたしを、騙していたの?」
アルテは膝を折って、その場に崩れた。
その頬を流れる涙を――リーマスは、初めて見た。
今の感情を整理する方法をアルテは知らなくて、無意識のものだった。
アルテは何が正しいのか分からなくなって、俯きながら声を零した。
「――わたしは、何を信じればいいの?」
立ち尽くすリーマス。
ハーマイオニーはすすり泣くアルテを心配しながらも、静かに告げる。
「先生は……狼人間よ」
「……三つのうち一つしか正解がないよ、ハーマイオニー。私はシリウスが城に入る手引きはしていないし、ハリーの死を願ってもいない。ただ……私が人狼であることは否定しない」
悲痛な表情を、深呼吸して抑え込んだリーマスは、目を細めてロンに一歩近づこうとする。
「ぼ、僕に近寄るな、狼男め!」
「っ……」
普段であれば、アルテが激怒していたことだろう。
だが、今のアルテはそれどころではなかった。
致命的に、順序を間違えたと――リーマスは深く後悔する。
「……いつ頃から気付いていたのかね?」
「ずっと前から……スネイプ先生のレポートを書いた時から」
「……彼は喜んでいるだろう。彼は私の症状が何を意味するのか、誰か気付いてほしいと思ったんだ」
リーマスはアルテの肩に手を置いた。
抵抗することはなかった。感情のままに手で髪をくしゃくしゃにして泣くアルテは、気付いていないのかもしれない。
「……アルテは、知っていたんですね?」
「知らない筈がないだろう。あの日はスリザリンと合同だったね? ならアルテの変化に気付かない君でもない筈だ」
ハーマイオニーは、その日の授業でのアルテを思い出す。
人狼を扱うスネイプに、噛み殺さんばかりの敵意を向けたアルテ。
それもハーマイオニーにとっては、推理の材料だった。
「先生方も皆知っている。ダンブルドアは、私を信用できると何人かの先生を説得するのに随分ご苦労なさった」
「……そして、ダンブルドアは間違ってたんだ。先生はずっとこいつを!」
「ハリー、私はシリウスの手引きをしていない。わけを話させてくれれば、説明するよ」
ハリーを、ハーマイオニーを、そしてロンを落ち着けるために、彼らの杖を持ち主に放り投げた。
そしてアルテの杖を彼女の足元に置いた後、自分自身の杖をベルトに挟み込む。
「君たちには武器があって、私は今丸腰だ。聞いてくれるかい?」
ハリーはその様子に強い疑いを持ちながらも、問いかける。
「ブラックの手引きをしていなかったっていうなら、こいつがここにいるってどうして分かったんだ」
「地図だよ、『忍びの地図』を見たんだ」
リーマスはしゃがみ込んで、アルテの両肩を抱き寄せる。
アルテを落ち着かせるように――そして、彼女が僅か自分に意識を向けたと分かると、話し始める。
「使い方は知っていた。私もこれを書いた一人だからね」
「え……?」
「ムーニー、ワームテール、パッドフット、プロングズ――私はムーニーだよ。学生時代の、私の愛称だった」
作成者が使い方を知らない訳がない。
学生時代に校内を何十周と歩いて完成させた地図は、やがてフィルチに没収されたが、フレッドとジョージが盗み出したのだ。
「私は今日の夕方、地図をしっかり見張っていたんだ。ハリー、ロン、ハーマイオニー、君らが抜け出してヒッポグリフの処刑前にハグリッドを訪ねるのではないかと思ったからだ。まさか、アルテまで近くにいるとは思わなかったが」
彼女が何をしていたのかは知らないが、ハリーたち三人だけならともかく彼女は予想外だった。
ハリーたちとは元々別行動だったようで、ハリーたちが動くより遅れてあり得ないほどの速度で小屋から離れ、ハリーたちと合流した。
「君はお父さんの透明マントを着ていたのかもしれないね、ハリー」
「……どうして透明マントのことを?」
「ジェームズが透明マントに隠れるのを何度見たことか。つまりね、透明マントを着ていても『忍びの地図』からは隠れられないということだよ。私は君たちが校庭を横切りハグリッドの小屋に入るのを見ていた。二十分後、城に戻り始めた君たちは――別に一人、誰かが一緒だった」
ハリーたちには、覚えがなかった。
彼らは近くにアルテがいたことも知らなかった。
あの場所で誰かと合流した訳でもないし、城に戻ろうとする時も、三人だった。
「私は目を疑ったよ。何故、どうしてあいつが君たちと一緒なんだ?」
「戻るときも僕たちだけだった、誰も一緒じゃなかった!」
「――ロン、ネズミを見せてくれないか」
リーマスは、唐突にそんなことを切り出した。
「なんだよ! スキャバーズになんの関係があるんだ!」
「おおありだよ。頼む、見せてくれないか」
ロンは躊躇いつつも、ローブに手を突っ込んだ。
ネズミ――スキャバーズが、必死にもがきながら現れる。
リーマスは目を細め、スキャバーズを見つめ――やはりと、頷いた。
「分かったろ! スキャバーズはまったく無関係だ!」
「……いや、それは、ネズミじゃない」
シリウスが、しわがれた声で告げた。
リーマスも同じ見解のようで、アルテの体を軽く揺する。
僅かに頭を上げたアルテに、何より諭すように、リーマスは核心を告げる。
「……こいつは、魔法使いだ。『
「ば、馬鹿を言うな! ピーター・ペティグリューは死んだ! こいつが、ブラックが十二年前に殺したんだ!」
「殺そうとした。だが、こざかしいピーターに出し抜かれた……今度は、そうはさせん!」
「よせ、シリウス!」
ロンに跳びかかろうとしたシリウスをリーマスが一喝する。
それでは、ここにある二つの問題のうち一つしか解決しない。
もう一つ――事が理解できていないアルテたちに、説明しなければならない。
「皆には知る権利がある。そして、君はハリーに真実を話す義務がある。私だってそうだ――アルテに――私の娘に、ずっと犯していた勘違いを話す義務があるんだ」
「……娘?」
シリウスは動きを止め、リーマスを、そしてアルテを見た。
リーマスが肩を抱くその少女が、彼の言う娘であることは明らかだった。
彼とは似ても似つかない彼女の、先程までの己への激昂を思い出す。
リーマスは、己の話を彼女にしたのだろう、と理解した。それが原因で、彼女はあれほどの怒りを向けてきたのだ。
「…………いいだろう。なんとでも話してくれ。ただ、急げよリーマス、私を監獄に送り込んだ原因の殺人を、私は今すぐにでも成し遂げたいんだ」
歯噛みしながら、シリウスは壁に背を預けた。
なおも納得していないハリーは、リーマスを鋭く睨みつける。
「ペティグリューが死んだのを見届けた証人はたくさんいるんだ」
「見てはいない。見たと思っただけだ」
答えたのはシリウスだった。
その様子を何より知っているのは、自分自身だと言うように。
「シリウスがピーターを殺したと、そう思った。私自身もそう信じていた。今夜地図を見るまではね。『忍びの地図』は決して嘘はつかない。私たちの自信作だ。ピーターは生きている、ロンがあいつを握っているんだよ」
ハリーはロンを目を合わせた。
二人とも、同じことを考えていた。リーマスもシリウスも、どうかしている。
スキャバーズがピーター・ペティグリューである筈がない。シリウスはやはり、アズカバンで狂ったのだ。
だが――何故リーマスはシリウスと調子を合わせているのか。それが気にかかった。
ハーマイオニーが冷静さを保とうと努力し、震えながら疑問を投げる。
「でも、先生……? スキャバーズがペティグリューの筈がありません、もしペティグリューが『
「正解だ。でも、魔法省は未登録の『
「……リーマス。その話をするなら手早く済ませてくれ。私は十二年も待った。もう、そう長くは待てない」
「……分かったよシリウス。だが、君にも助けてもらわないと。私はそもそもの始まりしか知らない」
リーマスは辺りを見渡した。
ボロボロの、今にも崩れそうな屋敷――ここは、彼にとって思い出深い場所だった。
「……『叫びの屋敷』は、呪われた幽霊屋敷なんかじゃない。村人がかつて聞いたという叫びや吠え声は、私の出した声だ。全てはそこから始まる」
リーマスは苦笑する。
思ってもみなかったことだ。自分が原因で、ここが英国一の幽霊屋敷と呼ばれるようになるなんて。
呼吸は荒いままながら、アルテはゆっくりとリーマスに目を向けた。
その真っ赤な目に強い罪悪感を覚えながらも、リーマスは言葉を続けた。
※武装解除には通常メンタルを破壊する効果はありません。
※無自覚に義娘の精神をボコボコにしていくリーマス(旧友と抱擁中)。
※去年の継承者と疑われた一年間<<<越えられない壁<<<この一分間くらい。
※ロンの罵声にも無反応アルテ。
※地図を見たらハグリッドの小屋近くにアルテがいて突然超スピードで動いた。
※ところでこのタイミング、ハリーとハー子二人地図にいたりしないんですか?
※シリウス「十二年経ったら親友に全然似てない娘が出来てた。意味わからない」