A.水着メルトのせいでそれどころじゃなかった。
授業初日、魔法生物飼育学の時間になると、アルテはハグリッドの小屋に全速力で走っていった。
ハグリッドも分かっていたようで、小屋の近くにオリオンが繋がれている。
走り寄るとオリオンも気付いたようで、顔を上げた。
相変わらず、アルテに対しお辞儀を求めていないオリオンは、近付いてきたアルテを当然のように受け入れる。
数分遅れて、ダフネたちがやってくる。
「あ、アルテ、張り切りすぎ……」
あまりのアルテの張り切りようのせいか、四人は一番乗りだった。
すぐにハグリッドが小屋から出てくる。
何やら大きな木箱を抱えていた。
「早いな、お前さんたち。今日の授業はこいつをやるぞ」
ハグリッドは抱えていた木箱を下ろし、蓋を開ける。
中からは妙なガラガラという音と、小さな爆発音のような音が聞こえてくる。
オリオンに夢中のアルテ以外がそれを覗き込む。
高揚したハグリッドの様子からもう碌でもない生き物だとは分かっていたが、それを見るなりダフネたちの表情は苦いものになった。
遅れてやってきた他のスリザリン生や、グリフィンドール生たちもそれを覗き、同じような表情になる。
「……ハグリッド、これ、何?」
ハリーが代表して、誰しもの疑問を口にした。
嬉々としてハグリッドは答える。
「尻尾爆発スクリュート、今孵ったばっかしだ!」
その姿は、殻を剥かれた奇形の伊勢エビのようだった。
青白くぬめぬめとした胴体からは勝手気ままに脚が突き出し、頭はない。
それが百匹ほど、箱の中で蠢いている様は生理的に嫌悪感を抱かずにはいられなかった。
腐った魚のような強烈な臭いはアルテにまで届き、顔を顰めさせる。
「お前たちが自分で育てられるっちゅうわけだ。そいつをプロジェクトにしようと思っちょる!」
生徒たちの拒絶反応を知らないようにハグリッドは嬉しそうに言った。
「何故我々がそんなのを育てなきゃならないんでしょうね? なんの意味があるって?」
ドラコの問いに、ハグリッドは答えに窮したように黙り込んだ。
例えば何らかの薬の材料になるだとか、これが将来的に役立つものであればまだ理由にもなるだろう。
だが箱の中の奇怪な生物がそうした対象になるとは思えず、ハグリッドの趣味以上の理由は見当たらなかった。
数秒間黙った後、ハグリッドはぶっきらぼうに応えた。
「マルフォイ、そいつは次の授業だ。今日は皆で餌をやるだけだ」
流石に見ていられないと下がったダフネたちは早くも今年のこの授業が嫌になった。
「……来週の授業で理由持ってきていると思う?」
「スネイプがグリフィンドールに点あげるくらいあり得ないわね」
この訳の分からない生物の出所は知らないが、これを育てなければならないというだけで体調を崩しかねなかった。
アルテもようやくオリオンとの交流に一区切りがついたようで、木箱を覗き込むが、三秒と経たないうちにダフネたちの方へと歩いてきた。
その見た目は彼女からしても気味の悪いものであったらしい。
「さあ、いろんな餌をやってみろよ。俺はこいつらを飼ったことがねえんで、何を食うのかよくわからん。アリの卵、カエルの肝、それと毒のねえヤマカガシをちいと用意してある。全部ちーっとずつ試してみろや」
ハグリッドは更に小屋から木箱を幾つか持ってきた。
それらにも尻尾爆発スクリュートが山ほど入っている。
生徒たち一人ひとりがしっかりと生態を観察できるようにという配慮だろう。まったくいい迷惑だった。
「こいつ、襲った! 尻尾が爆発したぞ!」
「ああそうだ。こいつらが飛ぶときにそんなことが起こるな」
「ハグリッド、あの尖ったもの何!?」
「ああ。針を持った奴もいる。多分オスだな。メスは腹ンとこに吸盤のようなものがある。血を吸うためじゃねえかと思う」
どちらも事前説明をしていないことだ。
ディーンは火傷しているし、ラベンダーは指に刺さったのか小さな傷を作っていた。
「何故僕たちがこいつらに餌をやって、生かしておこうとしているのか僕にはよく分かったよ」
木の枝でスクリュートを突きながら、ドラコは皮肉げに言った。
「火傷させて、刺して、噛みつく。これが一度に出来るペットだもの。誰だって欲しがるだろうさ」
「可愛くないからって役に立たないとは限らないわ。ドラゴンの血なんか素晴らしい魔力があるけど、ドラゴンをペットにしたいなんて誰も思わないでしょ?」
ハーマイオニーが反撃する。
ドラコは可愛くないとは一言も言っていない。
かといって可愛い訳でもないのだが、それでもやはりこのスクリュートに役目を見出せるとは思わなかった。
「……」
「あ、アルテ! 触ったら……」
脚の一本を摘まんで持ち上げたアルテは、やはり気味が悪そうにスクリュートを見ている。
指にくっついたスクリュートは先程ハグリッドが言っていたように吸盤を持っているらしく獲物を見つけるや否や吸い付いていた。
鬱陶しそうに指から離し、木箱に放って戻す。
吸血のためというのも間違っていないらしい。指から血を流しているアルテに呆れかえったダフネは、止血をすべくアルテに走り寄った。
そんな初日から数日後、ムーディの防衛術の授業の時間になった。
最初からアルテはやる気がなかった。
前年度とは打って変わったアルテの態度の理由は、ダフネたちでなくても明らかだ。
リーマスが教師であったことは、それほど彼女にとっては大きかったのだ。
ダフネたちが必死で説得し、ようやく引きずられるように教室にやってきたアルテは、無気力そうに席に着いた。
早々に教科書を枕にして寝始めるアルテ。
まあ、暫くは仕方ないかと思い、ダフネも隣に座った。
「まったく、あんな奴が教師だなんてダンブルドアが正気かどうか怪しいね。あれはもうイカれてるってレベルじゃないよ」
ドラコがいつも通り悪態をついている。
しかし、その罵詈雑言には実感があった。
というのも、授業初日にあった事件のせいだろう。
いつも通り、ハリーたちと言い合いになったドラコは、ハリーに杖を向けたが、その瞬間ムーディによって魔法を掛けられ、ケナガイタチに変身させられたのだ。
「いつになったらまともに防衛術の授業が出来るんだろうね。まった――」
リーマスにも飛び火しようとしたドラコの悪口は、悲鳴に変わった。
アルテがローブの下に持っていた『怪物的な怪物の本』をドラコに投げたのだ。
「アルテ、なんでそんなの持ってきてるの……」
紐などで封じられていない本は、ドラコに飛び掛かりながらページを開く。
前年度の授業の際、激しい戦闘によって本を支配下におさめたアルテは、すっかりこれを都合のいい手駒にしていた。
「アルテ! この本嗾けるのやめてくれないか!」
「手が滑った」
「キミはこの本を持っている時、何回手を滑らせるんだい!?」
懲りないドラコに気に入ったらしい言い訳を告げるアルテ。
何度も噛み付かれ、いい加減慣れ始めているドラコは本を抑えつけながら怒鳴っている。
アルテのもとに本を投げつけると、その時教室の扉が開かれた。
「教科書はしまってしまえ。必要ない」
入ってきたムーディに、ドラコの顔が強張る。
威圧的な姿の彼は入るや否や、何もせずとも教室中の生徒を黙らせる。
木製の義足をカツカツと音を立てながら教壇に上がると、出席を取り始めた。
普通の目は名簿をじっと捉え、もう一つの魔法の目はグルグルと回り、生徒が返事をするたびにその生徒を見据えた。
そして出席を終えると、名簿を閉じて普通の目も生徒たちに向けられる。
「このクラスについてはルーピン先生から手紙を貰っている。闇の怪物と対決するための基本を満遍なく学んだようだな?」
ムーディがリーマスの名前を出すと、アルテが顔を上げた。
後任である彼には特に期待感を持っていなかったアルテだが、リーマスを認めていることは嬉しく感じた。
「しかしだ。お前たちは非常に遅れている。呪いの扱い方についてだ。そこで、わしの役目はお前たちを最低線まで引き上げることにある」
確かに、リーマスの授業は怪物との戦いに特化していた。
アルテたちの受けていた課外授業のように、対魔法使いに有効な魔法を習っていた訳ではない。
「魔法省によれば、わしが教えるべきは反対呪文であり、そこまでで終わりだ。違法とされる闇の呪文がどんなものか、六年生になるまでは見せてはならんことになっている。お前たちは幼すぎ、呪文を見ることさえ堪えられぬ、とな。しかし戦うべき相手は早く知れば知るほどよい。見たこともないものからどうやって身を守るというのだ?」
生徒たちがざわついた。
この授業は今までと何かが違う、と誰もがその時理解した。
本来与えられたカリキュラムとは外れたことを、ムーディはしようとしている。
「さあ……魔法法律により、最も厳しく罰せられる呪文が何か。知っている者はいるか?」
手を挙げた者は多かった。
元々家系に闇の魔法使いが輩出されることの多いスリザリンだ。
当然、その魔法を知っている者は多いのだろう。
挙げていない者たちも、知らないというよりも口にすることが憚られるという様子の生徒が多かった。
「随分得意げだな、マルフォイ。一つ答えてみろ」
「服従の呪文です、先生」
「ああ、それは知っているだろうな。お前はよぉく知っている筈だ」
気に入らなさそうに鼻を鳴らし、ムーディは机の引き出しを開けた。
そして中からガラス瓶を取り出す。
瓶の中には黒い大蜘蛛が三匹、這い回っていた。
ムーディは瓶の中から蜘蛛を一匹掴み出し、手の平に乗せて皆に見えるようにした。
それから杖を蜘蛛に向け、呟く。
「インペリオ! 服従せよ!」
――使った、と何人かが息を呑んだ。
蜘蛛は糸を垂らしながらムーディの手から飛び降りた。
空中ブランコのように揺れ始め、足をピンと伸ばし、宙返りをする。
それから二本の足で立ち上がり、タップダンスを踊り始めた。
あまりに愉快な光景に生徒たちが笑い出す。
「面白いと思うのか? わしがお前たちに同じことをしたら、喜ぶか?」
ムーディが低く唸ると、笑い声は一瞬にして消える。
アルテは小さく首を傾げた。
どうにも――その聞き覚えのない呪文を、知っているような気がした。
「完全な支配だ。わしはこいつを思いのままに出来る。窓から飛び降りさせることも、水に溺れさせることも、誰かの喉に飛び込ませることもな。何年も前にもなるが――多くの魔法使いたちがこれに支配された。誰が無理に動かされているのか、誰が自らの意思で動いているのか、それを見分けるのは魔法省にとって一仕事だった」
ムーディの魔法の目は、まっすぐドラコを捉えていた。
「他の呪文を知っている者はいるか? 何か、禁じられた呪文を?」
次に当てられたセオドール・ノットは小さく答える。
「――磔の呪文」
「正解だ。こいつがどんなものか分かるように、少し大きくする必要がある――エンゴージオ、肥大せよ!」
二匹目の蜘蛛を取り出したムーディは、その蜘蛛に杖を突き付け呪文を唱えた。
蜘蛛が膨れ上がり、タランチュラよりも大きくなる。
そんな、毒が無くとも牙だけで人を殺せそうな大きさになった蜘蛛に、ムーディは更に呪文を続けた。
「クルーシオ! 苦しめ!」
「ッ――――」
その呪文が唱えられた瞬間――アルテは全身に鳥肌が立った。
たちまち蜘蛛は引っ繰り返り、痙攣を始めた。
もしも蜘蛛に声があれば、教室中に悲鳴を響かせていたことだろう。
先の呪文は、聞いたことはなかった。しかしこの呪文はアルテも知っている。
「あ、アルテ。大丈夫だから」
自分でも分からないほどに小さく震えていたアルテの手に、ダフネの手が重ねられる。
アルテにその呪文に対する恐怖はない。それは体が拒絶しているだけだろう。
その呪文が齎す、ナイフで刺すよりも、縄で首を絞めるよりも大きな苦痛をアルテは嫌と言う程知っていた。
一年の時はクィレルに、そして二年の時は他でもないヴォルデモートにこの魔法を受けている。
この年齢で二十回近くもこの魔法を受けた者など、長い魔法史を通しても存在しないだろう。
「……」
唇を噛んで、震えを止める。
身悶えする蜘蛛を見ているとあの時の苦痛を思い出してしまいそうで――アルテは不機嫌なままに目を逸らした。
※今年もオリオンと戯れるアルテ。
※何をどうしたらこんな形状の生物思いつくんでしょうね。
※祝・今年初の怪我。
※やっぱり回復要員のダフネ。
※防衛術へのやる気をなくしたアルテ。
※知らないところでイタチ化は免れなかったフォイ。
※手駒続投の本。
※服従の呪文をなんか知っている気がするアルテ。
※磔が(体の)トラウマになっているアルテ。