――張り詰めるような空気が、一帯を支配していた。
一瞬たりとも意識を逸らさず、鋭い目で一点を凝視するアルテ。
その視線に先には、温度を感じない筈なのに冷や汗を流しながら、同様に油断なくアルテと対峙するピーブズ。
距離、およそ三メートル。数歩で詰められる間合いで、二人が睨みあって三十分が経った。
他の生徒たちは授業に出ている時間だ。誰も邪魔する者はいない。
管理人として校内を見回っているフィルチも、このだだっ広い校内で動き回るでもなくずっと立ち止まっている生徒を見つけるのは難題なのだろう。やってくる気配すらない。
こうなったのは、授業に行く途中、偶然にも壁から出てきたピーブズと鉢合ったためである。
ダフネたちを授業に向かわせ、己一人でピーブズと対峙しているアルテ。
ほんの僅かでもどちらかが気を抜けば、この膠着は終わるだろう。
その発端がピーブズだとして、結局アルテは彼に触れられないのだが、初日の一件からピーブズはとにかくアルテのことが苦手であった。
あれからは出会うたびに狩人の目を向けてくるし、おちおちスリザリンの一年生にいたずらも出来やしない。
というか発見されれば、いたずら相手が上級生だろうがグリフィンドール生だろうが追いかけ回してくるのだからこの数日でピーブズの警戒心は急激に上昇していた。
だというのに、少し油断して校内をぶらついていたらこれである。
――というか授業行けよ! どうしてポルターガイスト如きにこんなに執着するのさ!
ピーブズはもう、そう言いたくてたまらなかった。
しかしそんなことを言おうと口を僅かにでも動かそうとすれば、その瞬間アルテは飛びかかってくるだろう。
もう誰でもいいからこの場にやってきて、この生暖かい地獄のような時間を終わらせてほしいとピーブズが願った、その時だった。
「ははっ、なんだありゃ」
「すげえ、ピーブズと期待の姐さんのにらめっこだ」
そんなよく似た二つの声が聞こえてきたのは。
アルテは一瞬そちらに意識を向けたことが仇となった。
脱兎の如く逃げ出したピーブズは、飛び込むように壁の中に消える。
滅多にないだろう好機――なんの好機なのかは本人すらわかっていない――を逃し、小さく肩を落としたアルテは、その声のする方を向いた。
鏡写しのようにそっくりな、のっぽな赤毛の二人組がいた。
「よう姐さん。邪魔して悪かったな」
「授業サボってピーブズとデートだったのにな」
「邪魔したくてした訳じゃないぜ? これでも親切だ」
「フィルチが来てる。さあ逃げろ」
混乱しそうだった。
片方が喋ればいいのに同じ顔の二人が交互に同じような声で言葉を繋げていく。
喚き散らすだけのフィルチに見つかった方が遥かにマシだと確信できる相手にアルテは苛立ちを隠さないが、そんなことお構いなしと二人はアルテの腕を掴んで持ち上げ歩き出す。
そしてすぐ傍の壁に掛けてあった二つの写真の間の壁をすり抜け、その先の狭い通路でアルテを下ろした。
「ここなら問題ない」
「外には声も聞こえない」
「フィルチも知らない隠し通路だ」
「右にまっすぐ行けばスリザリン寮の近くに繋がってる」
「反対側からは通れないからご注意を」
「姐さんへのお近付きの印ってやつさ」
フィルチすら知らない通路を使い慣れたように通った二人は得意げに笑う。
だが、アルテの関心、というより引っかかったところは、それとは別にあった。
「姐さんって何?」
「初授業に顔すら出さずピーブズを追っかけ回したすげー新入り」
「俺たちだって初日からあんなこと出来やしなかった」
「俺たちだけじゃない、かなり大勢、あんたが何やらかすか楽しみにしてる」
「知らないだろうが今はあんたに関しての賭けが熱い」
「おかげで胴元の俺たちは大儲け」
「だから姐さん。オーケー?」
生まれて初めて、アルテは「呆れて物が言えない」という状況を体感した。
自分がどう思われていようと気にならないアルテではあるが、盛大に度を過ぎていた。
悪態の一つも飛ばしたくなったが――その前にやることがある。
二人に向かって手を差し出す。『何?』と二人の声が重なった。
「賭けの使用料」
「この通路が代金ってのは?」
「クヌート銅貨一枚にもならない」
「なんてこった。上手いだけの話ってのは無いもんだな」
同時に肩を竦める二人は、ポケットから金貨を何枚か取り出し、アルテの手に乗せる。
アルテは余計呆れた。これだけポンと出せる辺り、ちょっとした小金稼ぎの域では収まっていなさそうだ。
「儲けの四割だ」
「俺が三割」
「俺も三割」
「……今後は一言言ってからにして」
『毎度あり!』
まあ、知ったところで自分が何を変える訳でもない。
これまで通り、自分の思うことを思うようにやるだけである。
とはいえ、本人が知った以上遠慮した方が良いのでは、という意図を込めなくもなかったのだが、本人の了解が得られたと捉えられ、今後賭けは一層盛り上がりを見せることになる。
こう見えて律儀な二人によって儲けの四割はアルテに回ってきて、想定外の収入源となるのはまだ少し先の話だ。
「俺はフレッド・ウィーズリー」
「ジョージ・ウィーズリーだ。面白いことするなら一枚噛ませてもらえれば損はさせないぜ」
「特にする予定はない」
そこが、この現在のホグワーツ随一の問題児とされているウィーズリーの双子との相違点である。
彼らが周囲を楽しませる目的で数多の悪戯をしているのに対し、アルテは彼女の行いで勝手に周囲が盛り上がっているだけ。
よってアルテとしてはこの二人に声をかけるような用などないと思っていた。
――少なくとも、今の時点では。
その日の午後には、飛行訓練があった。
グリフィンドールとの合同で、校庭に集まった二つの寮はやはりというべきか睨み合っている。
一触即発の空気の中に、マダム・フーチが堂々と入り込んでくる。
「なにをボヤボヤしてるんですか。みんな箒の傍に立って。さあ早く!」
生徒たちは急かされつつも、それぞれ適当な箒の横に立つ。
アルテはチラリと、己の箒を見る。
芯が曲がっていて、本当にこれで飛べるのかと不安になるような出来のものだった。
「何これ。安物どころか不良品もいいところじゃない。仮にも命を預けるんだからちゃんとしたものを揃えてほしいわ」
ミリセントも、箒の質には不安を隠さずにはいられないらしい。
彼女のものは小枝が何本か飛び出しており、芯に罅すら入っていた。
己の箒を安全だと思っている生徒は一人もいない。
スリザリンもグリフィンドールも、珍しく共通の見解だった。
しかしマダム・フーチはそんな生徒たちの不安を吹き飛ばすようなハキハキとした声で、授業を続行する。
「右手を箒の上に突き出して、『上がれ』と言う!」
生徒たちの声が同時に張り上がる。
飛び上がった箒はほんの数本だった。
大半の予想通りのエリス。そして得意だと豪語していたドラコ。
更に意外なところではハリー。
ほかにもダフネ、ミリセント、パンジーと、アルテの保護者たちは一通り成功した。
「上がれ。――上がれっ」
しかし、当のアルテは苦労している様子だった。
何度繰り返しても、箒は僅かに揺れるくらい。
より力を込めて言ってみれば、箒はアルテを揶揄うようにピョンピョンと左右に跳ねる。
額に青筋を立てたアルテが無表情のままに箒を蹴り上げる。大人しくなった箒は静かにアルテの手に収まった……と思いきや今度は乗ってもいないのに勝手に飛び出そうとブンブン動いている。
柄を地面に叩き付けると、ようやく動きを止めた。
「……アルテ。そういう授業じゃないから」
「ちゃんと上がった。これでいい」
――その後、箒への跨り方を教え、生徒たちの列の間を回り、それぞれの箒の握り方を直していく。
ドラコが間違った握り方をしていたことに、ハリーや彼の友人であるロンをはじめとしたグリフィンドール生は大喜びしていた。
「さあ私が笛を吹いたら、地面を強く蹴ってください。二メートルくらい浮上して、それから少し前かがみになって降りてくる。笛を吹いたらですよ。一、二の――」
その時、ハプニングは起こった。
魔法薬学で盛大に失敗したネビル・ロングボトムが、緊張からか先を急いでしまい、物凄い勢いで吹っ飛んだのだ。
静止を掛ける先生の大声をよそに、ネビルは十メートル以上も飛び上がり、箒から投げ出された。
そのまま落ちれば、無事では済むまい。
三秒とない地上に激突するまでの時間。
誰しもが思い描いてしまう、最悪の結末。
敵対している筈のスリザリン生さえもが言葉を失って見ていることしか出来ないネビルの自由落下。
どうにかしようと反射的に動いた者は数人いれど――直感的に、どうにかできる選択肢を取れたのは一人だけだった。
「ッ」
飛びたいのならさっさと飛べと、アルテは箒をぶん投げていた。
ネビル激突まであと二メートルといったところで、その真下に箒が差し掛かった。
箒に掛けられた緩衝の魔法が、瞬間的に落下の衝撃を押し殺す。
代わりに箒に跳ね飛ばされるように方向を変えたネビルは、校舎の方に向かって回転しながら地面に落ちた。
ネビルは呻きながら屈み込んでいるが――最悪の展開だけは免れたらしい。
「なんと危険な! いえ、ですがお手柄ですミス・ルーピン! スリザリンに十点! 私はあの子を医務室に連れていきます! その間、誰も箒を飛ばさないように! でないとクィディッチの『ク』の字を言う前にホグワーツから出て行ってもらいます!」
顔を蒼白にしたマダム・フーチは殆ど一息でここまで言い切って、ネビルに向かい走っていった。
校舎内に連れていかれるネビルを見届けた後、暫く呆然とアルテを見ていた面々だったが、ハッと我に返った一人がマダム・フーチとは対照的に顔を真っ赤にしながらアルテに詰め寄った。
「な、なんてことするんだ! あんな危険なこと! 下手したらネビルに刺さってたぞ!」
「下手しなかった。“たら”も“れば”も関係ない。それに、ああしなきゃ死んでたかもしれない」
アルテはあっけらかんと答えた。
確かに、ほんのコンマ五秒でもタイミングが遅ければ、箒はネビルに突き刺さりそのまま落下するより惨事になっていただろう。
しかし、何もしなくても下手すれば死んでいた。それは誰が見ても明らかだ。
まるで応えた様子のないアルテに、詰め寄った男子――ロン・ウィーズリーは更に顔を赤くする。
正論ではある。結果的に助かったのだから、最悪の可能性を話していても仕方ない。
それは、ロンも分からないでもない……が、平然と今の行為を実行したことに納得できるかと言われれば話は別だった。
「なんかあったろ! もっと安全な……上手い事助ける魔法とか!」
「無理ですね。冷静に考えなさいウィーズリー。大半の生徒は杖腕に箒を持っていました。そんな状態から、ロングボトムが落ちるまでに箒を手放し、杖を取って、呪文を唱えるなんて出来ません」
突っかかってくるロンを鬱陶しく思っていたアルテだが、助け船は意外なところからやってきた。
エリス・アーキメイラ。
未だアルテが一度も話したことのなかった、人によっては勝手にアルテの好敵手と定めている優等生だ。
血筋や技量を鼻にかけることなく素行は真面目。何故スリザリンにいるのか分からないほど、まともな生徒。
どこか超常的な雰囲気を持った彼女には欠点らしい欠点が今のところなく、無条件でスリザリンが気に入らないグリフィンドール生にとって何より性質の悪い存在だった。
「――気にしなくていいよ、アルテ、アーキメイラ。そいつは手柄と点数を取られたのが鼻持ちならないだけなんだ。もっと上手い方法なんざ自分で思いつけもしないくせに、威張り散らすのは一丁前だなウィーズリー」
エリスの参戦に怖気づいたように黙り込んでいたロン。
穏便に、とはいかないが強制的に終わることが出来そうな流れであったのを台無しにしたのは、ドラコであった。
「ほら見ろよ、ロングボトムの婆さんが送ってきたバカ玉だ!」
場の主導権を握ったと活き活きしているドラコが、校庭に落ちていたガラス玉を拾い上げる。
それは、今朝ネビルが祖母からの郵便で受け取った思い出し玉であった。
忘れたものがあれば赤くなる。ただし、色が変わったからと言って忘れているもの自体は分からないという、存在意義に疑問を持たざるを得ない道具だ。
「それを渡せ、マルフォイ」
間抜けな道具を弄って笑うドラコににじり寄りながら声を上げたのは、ロンではなくハリーだった。
ドラコは一層馬鹿にした表情で箒に跨り、ふわりと浮き上がる。
「嫌だね。ロングボトム自身に見つけさせる」
箒を三メートルほどの高さで停止させたドラコは、ガラス玉を見せびらかすように掲げた。
片手で、特に不安もなく箒を安定させている辺り、飛行が得意であるという自負は事実であったらしい。
太陽の光が反射し、アルテは思わず目を細める。
「取りに来いよ、ポッター!」
ドラコの挑発に乗ったハリーが、応じるように箒に跨る。
「ダメよ! 先生が言ってたでしょ! 動いちゃいけないわ、私たちみんなが迷惑するのよ!」
ハーマイオニーの制止を無視し、ハリーは地面を強く蹴った。
一瞬ふらついて、すぐに安定させるとドラコと同じ高さまで飛び上がる。
負けじとドラコが再上昇し、先のネビルと同じ十メートル辺りで止まれば、すぐハリーが追いつく。
初めての飛行にしてはその制御に不安は見られない。
思った以上の技術であったのか、ドラコは僅かに歯噛みする。
「返さないと箒から叩き落とすぞ!」
「取れるものなら、取ってみろよ!」
ハリーの、このままでは実行するだろう警告に、ドラコはハリーの背後に向かって思い出し玉を投げることで応じた。
その場で旋回、急加速をし、玉を追いかけるハリー。
飛行に迷いはない。ぐんぐんと高度を落とす玉に、一直線にハリーは向かっていく。
そんなことをしている間にドラコは地上に降り、何事も無かったように箒をその場に置いてその様を見物する。
若干の強がりも見られる、少し硬い笑みを浮かべていたドラコであったが――玉が地面に落ちる前に空中で掴み取ったハリーを見てその表情は驚愕に染まった。
地面に激突することもなく、危なげなく着地したハリーは、グリフィンドール生たちの歓声で迎えられる。
「大した才ですね。初の飛行であんな飛び方が出来る者などそうそういないでしょうに」
「ふ、ふん! 所詮玉一つ取っただけじゃないか。それにあんな校舎に近付いて、目敏い誰かがすぐに飛んでくるぞ」
状況が状況だけに負け惜しみにしか聞こえないものの、ドラコの言う通り、すぐに校舎からやってくる者がいた。
「ハリー・ポッターッ!」
よりにもよって、規律にひどく厳しいマクゴナガルだ。
スリザリンを贔屓する傾向にあるスネイプに対し、規律を破れば己の寮だろうと容赦なく減点する、ホグワーツにおける法の門番。
そんな教師の登場に、浮かれていた生徒たちは完全に凍り付く。
「こんなこと、今まで一度も……! ポッター、私についてきなさい!」
ロンやハーマイオニーをはじめとするグリフィンドール生の抗議に耳も貸さず、マクゴナガルはハリーを引きずるように校舎へと戻っていく。
やがてハリーが見えなくなった頃、堪え切れなくなったとばかりにドラコは腹を抱えて笑い出した。
「ははは! やった! これでポッターの奴は退学だ!」
取り巻きのクラッブ、ゴイルらと共に大笑いするドラコ。
しかし、ダフネは何となく、マクゴナガルがハリーを咎める表情をしているようには見られなかった。
「ねえ、アーキメイラさん、どう思う?」
「さて。いいんじゃないですか? かのハリー・ポッターの才を見出し、武器を与えることが出来たなら。スリザリンのためになるかは、また別ですけど」
エリスは彼の処遇について、あらかた予想がついているようだった。
初の箒でここまで出来る。であれば、磨けばそんじょそこらの宝石より輝くのは想像に難くない。
なるほど――ドラコは数日経って気付くだろう。自分の行いは、グリフィンドールに対する、そしてハリー・ポッターに対する大きな手助けに過ぎなかったのだと。
――ハリー・ポッターがグリフィンドールのクィディッチチームにおける花形、シーカーに抜擢されたという噂が立つのは、それからすぐのことだ。
「……だけど、アルテも災難だよね。助けてあげたのにウィーズリーに絡まれて――アルテ?」
傍にいた筈のアルテがいない。
何処にいったのかと辺りを見渡してみれば、残った生徒たちが一つの方向をじっと凝視していることに気付く。
「……何してんのあれ」
「すげえ、あんなの初めて見たぞ」
「飛行訓練でアーキメイラに勝つ側に賭けた奴は大損だな」
――飛ぶことを恐れている者が、先程箒を浮き上がらせようとして苦戦していたように、箒には乗り手の気持ちがわかるのかもしれない。
その仮説が正しい場合、当然ながら乗り手を嫌う、という事象もあり得なくはないのだろう。
乗り手が甘ければ箒は舐めてかかるし、乗り手が何となく気に入らなければ、言う事を聞こうとしない。
――アルテが投げた箒はいつの間にか彼女のもとに戻り、むやみやたらに回転しながらアルテを追いかけ回していた。
その後マダム・フーチが戻ってきて、どうにか箒を止めてもらった後、再開された訓練でもアルテは散々だった。
数分おきに突然狂ったように暴れまわり、箒を代えてもそれは続き、跨って飛ぼうとしても、アルテは十センチすら浮くことが出来なかった。
この日を境に、アルテは飛ぶことをひどく嫌うようになった。
※胴元との出会い。
※姐さん。
※お墨付きを得た双子。
※今度は一言言ってからにして。
(要約「面倒くさいから何も言わないけどもっと面倒くさいことになりそうだからもうやめてほしい」)
※箒すら上げられない系主人公。
※箒に煽られる系主人公。
※箒をぶん投げる系主人公。
※箒に追いかけ回される系主人公。
※地形適応 空:- 陸:S 海:? 宇:?