俺達三人は、帷子川沿いの小洒落たカフェのテーブルに着いた、
飲みなれない大きなカップ入りのコーヒーが運ばれてきて、……ウェイトレスは綺麗な時任の顔に見蕩れて、お約束の様にミルクの小瓶をひっくり返す、
「あ、すみません!」
「気にしないで、」
そして爽やかな笑顔でウェイトレスを労う時任真斗、
そしてうっとりと蕩けてるウェイトレス、
そして俺は居た堪れなくて一刻も早く帰りたい、
「時任君って、相田さんと付き合ってたんじゃなかったの?」
「付き合うって?」
そして思い出すかの様に怒り出す早美都、
「つまり、恋人なんじゃないかって言う事、」
俺は早美都がこんなにも直球直情径行な奴だったなんて事を初めて知った、
「一寸違うかな、僕は美咲の事がとても好きだけれども、美咲が僕を受け入れてくれる様になるまでは無理に恋人関係を押し付けるつもりは無いよ、」
「だったら、どうして裏切るような真似をするの?」
「裏切るって?……どういう意味かな?」
時任はあくまでもクールに、余裕の笑みさえ浮かべている、
「相田さんの事が好きなのに、どうしてさっきの女の人と仲よくしているのかって事だよ、」
「澪はとても可愛くで、利発で、とても優しい女性だからね、そして何よりも本当の僕を受け入れてくれる、」
あの女、澪って言うのか、
「つまり、あの人と付き合っているって言う事?」
「君の考える「付き合う」と言う意味が正確に当て嵌まるかどうかは分からないけれど、多分君の思っている通りの関係だよ、」
「そんな事を知ったら相田さんが悲しむと思わないの?」
「どうして美咲が悲しむ必要があるのかな?」
「好きな人が別の女の子に優しくしたら悲しむに決まってるでしょう、」
「人が人に優しくする事が、人を悲しませるって言うのかい?」
「当たり前だよ、そんなの一寸考えれば分かるじゃない、……じゃあ、時任君は相田さんが別の男子と仲良くしたり、キスしたりしても何とも思わないの?」
「それを美咲が望むのなら僕は構わないよ、」
「そんなの、……変だよ、」
確かに、時任の言っている事は、変だ、
確かに、元々雄は生物的に出来るだけ自分の種を世界中にまき散らす様に出来ている、一度手に入れた雌、種を撒いてしまった雌を繋ぎとめる事よりも、新しい雌を手に入れる事に執着する、
だから親公認で事実上許嫁 (仮)な相田美咲よりも他の女を優先させる事があったとしても不思議ではない、
更に時任の場合は、何もしないでも女の方からドンドン言い寄ってくるのだから、別に一人の女に執着する必要が無いと言うのも一見、的を得ていそうに見えるが、
しかしやはりどう考えても早美都の言い分の方が正しい、
何故なら、一方で雄は自分以外の雄が雌に種を植える事を嫌って排除しようとする生き物だからだ、中には他の雄の種で出来た子供を殺してしまう動物も居る位だ、
本当に本気で時任が相田が他の男に好きにされても良いと考えているのだとしたら、そんな寝取られ願望は何かが薄気味悪くて、……間違っている、
そしてもう一つ、明確に早美都の言い分が正しい事が有る、
それは、誰が何と言おうとも相田美咲は俺の友達だと言う事だ、
だから、どんなにアイツに恨まれる事になったとしても、……
アイツを見捨てられる程、俺は人間嫌いでは無い、
「時任、俺はお前が誰と付き合おうが口を挟むつもりは無いよ、」
「宗次朗、」
「でも、相田を泣かせる様な事はさせたくない、だから、お前が相田の事を他の誰よりも優先して相田だけを幸せにしたいと思えない内は、頼むから相田には指一本触れないでくれないか?」
「宗次朗、そうは言ってもこっちにも色々と事情があるんだ、」
時任はキラキラした大きな瞳で苦笑いしながら、カップから珈琲を一口啜る、
「美咲はとても魅力的な少女だし、彼女の父親からも美咲の事をくれぐれも宜しくとお願いされているしね、」
「だからって二股かけるのは見逃せないぞ、」
「ふたまた?」
「同時に複数の女と恋愛関係を持つ事だ、」
「ああ、トゥタイミングの事だね、」
「トゥータイミング?」
「でも、ひとりの女性と付き合ったらもう他の女性を愛せないなんておかしな風習だと思わないかい?」
「お前んちのルールがどうなっているかは知らないが、普通はNGだろう?」
「美咲はそんなに独占欲の強い心の狭い女性だとは思えないけどね、」
「分かった、もっと分かりやすく言ってやる、」
俺は、スマホを取り出して見せる、
「もしもこの条件が受け入れられないと言うのなら、……さっきの女とのやり取りのビデオを相田の父親に見せるだけだ、」
「それは穏やかじゃ無いな、」
ここへ来て、初めて時任真斗の美しい顔が歪んだ、
「もしもお前が言った事が本心だと言うなら相田が他の男と付き合っても構わないという事だろう、だったら相田美咲は俺が貰う、」
早美都が驚いて振り返り、俺の顔を凝視する、
「だから、もう二度と相田美咲には、近づかないでくれ、」
ーーー
『部室で待っています、』
月曜日の早朝、LINEで呼び出された写真部部室、
まあ、こうなる事は大方予想できていたが、
「よう、」
扉を開けて声を掛けると、
背中を向けて座っていた相田美咲が鳩時計の様にビクッと、飛び上がる、
「あぅ、……」
あう?
「お早う、」
「……あにょ、」
あにょ?
俺に向けた相田の背中が窮屈そうに縮こまっていて、
まるで凍える様に肩が震えている、
「どう言う!……意味ですか?」
「え?」
「美咲は俺が貰う、……って、どう言う意味ですか!」
振り返って俺を睨み付けた相田美咲の顔は耳まで真っ赤になっていた、
「時任から聞いたのか?」
「私は、早い者勝ちの景品じゃありません!」
「悪い、あの時は一寸頭に血が上ってて、つい、」
「どうしてそんな事を言ったのかと、聞いているんです!」
相田美咲が涙目になりながら訴える、
「それは、つまりだな、……」
LINEを貰った時点でこうなる事はある程度予想していたが、
「宗次朗、は、……もしかして、私の事が、すき?」
ハンカチをベールの様にして目から下を隠した相田美咲の言葉は、尻すぼみに最後まで聞き取れないほど微かな声で、
「……なの?」
俺は、一度深呼吸してから、
「ああ、」
相田美咲はまるで痛みに耐えるみたいにして肩をすぼめてギュッと瞼を瞑って、
「お前は大切な友達だよ、そう言う意味での好きって意味だ、」
「お嫁さんにしたい、の好き、じゃなくて?」
「ああ、違うよ、俺を誰だと思ってるんだ? 」
俺が、相田美咲に恋愛感情を抱いているのは隠しようも無く紛れも無い事実だ、……だからと言ってそれを相田に伝えても何も良い事なんて何一つないのは目に見えている、
相田の父親が俺なんかを認める訳はないし、仮に俺が相田と付き合えたとしても色々とスペックが違い過ぎて上手くいかないのは分かりきっている、
知恵の回る相田がそんな事に気付かない訳がなくて、だから相田が俺を選ぶなんて事は有り得なくて、それなら最初から変な波風を立てる必要なんてなくて、俺のこの気持ちは俺だけの問題であって、相田が何一つ機に病む必要なんて無いのだ、
それから相田は恐る恐るハンカチのトーチカから頭を出して、
「じゃあ、何であんな事を言ったんですか?」
「それは、時任が変な事を言いだすから、……」
俺は、土曜日の夜の時任との会話について事細かに相田美咲に説明をした、
ーーー
「私の為を思ってやって下さった事は分かりました、」
「それは何より、」
「でも、」
そして今度はプンスカ怒りだす相田美咲、
「私は宗次朗に謝罪を要求します!」
「何で?」
「お陰で昨日の夜は一睡もでき無かったんですよ、ちゃんと謝ってください!」
「悪かったな、」
「誠意が感じられません!」
「いや、でもそれって時任の所為だよね?」
「私怒ってるんです!」
「分かるけど、」
「だったらちゃんと謝ってください!」
「そこが腑に落ちない、何で俺が?」
「御免なさいは?」
「ごめんなさい、……」
こんな血相変えて詰め寄って来る相田美咲を見たのは初めてだ、
「いいでしょう、今回は許してあげます、」
「そりゃどうも、」
「でも、困った事になりました、」
「時任がみんなに言いふらすとは思えないけどな?」
「それは別に良いんですけど、」
「実は私は父から、時任さんの家庭教師をするように命じられているんです、」
「ああ、なんか言ってたな、」
「時任さんは聡明な方ですが、イギリスと日本でカリキュラムが違うので、そのギャップを埋める勉強をお手伝いするんです、」
「成る程ね、」
「それに今週末は時任さんを夕食に招待する様に言付かっているんです、」
「お前の父ちゃんがどんだけ時任の事を買い被ってるのか知らんが、あいつは止めといた方が良い、ちょっと危ない気がする、」
「家庭教師をですか?」
「お付き合いをだ、」
「何か誤解しているみたいですけど、私は時任さんとお付き合いしませんよ、」
「そうなのか?」
「良い雰囲気だからお前らてっきり意気投合したのかと思ってた、」
「あれは、言ってみれば社交辞令です、それに時任さんにもお付き合いしている人が居るのでしょう? それを無理に引き離すのは残酷だと思います、」
「そんな事を言ったって、いずれはお前たち結婚させられるんじゃ無いのか?」
キョトン顔の相田美咲、
「何処をどうしたらそうなるの?」
「お前の父ちゃんがお前達をくっつけようとしている様にしか思えないんだが、違うのか?」
「将来の事は分かりません、結婚は家族の問題ですから、私の自由意志で決める事は出来ないと思います、実際姉も兄もそうでしたし、私も覚悟はしています、」
「でも、今日時点そんな話は聞いた事もありませんし、私もそんな積りは全然無いです、」
「そうなのか?」
眉を顰めつつ一寸、ホッとしてる俺に、
「ははん、漸く合点がいきました、」
ニヤける相田、
「もしかして宗次朗、私の事盗られると思って嫉妬しちゃいましたか?」
不意を突かれて真っ赤になって照れる俺、
「馬鹿言ってんじゃねえよ、誰がお前なんかに!」
「宗次朗も可愛いところありますねぇ、」
「無えよ!」
ーーー
「でも困りました、そして宗次朗には私を助ける責任があります、」
「何でだよ?」
相田美咲、渾身の深い溜息、
「私は宗次朗の大切なお友達なんでしょ?」
「お前も大概意地が悪いな、」
「宗次朗譲りです、」
「それで、何をどうすりゃ良いんだ?」
「時任さんはもう私に会えないと仰られました、」
「なんでまた急に?」
「宗次朗が時任さんに、もう二度と私に近づくな、と言ったからです、」
「ああ、確かに言いました、」
「このままでは夕食にも来て頂けず、父の命令に背く事になってしまいます、」
「それで、どうなるんだ?」
「時任さんとは家族ぐるみのお付き合いですから、私達の間に蟠りが有ると、少々面倒な事になるかも知れません、」
「あいつ、それを分かっていてやってんのか!」
「まあ、半分は宗次朗に脅された腹いせかも知れませんね、」
「それで、俺がその命令を撤回すれば良いのか?」
「いえ、時任さんから、ある条件を突きつけられています、」
「条件って?」
「宗次朗、私にキスを教えて下さい、」
そこで予鈴が鳴った、