それは昼食も終えた昼下がりのことだった。
食器の片づけも終え、夕食の準備にも早いわずかな休息の時間。エプロンを外し、代わるように厨房へと入ってきた夕食担当へと軽い挨拶を済ませて食堂をへと出た。一時間ほど前まで多くの職員と英霊たちで溢れかえっていた食堂もすでに人はまばらで、昼時を割けたのか、食いはぐれたのか両手で数えられる程度の席が埋まってるのみ。人もまばらになった食堂の端、食堂と窓を一つの視界に入れることができるいつもの席へと腰かけた。
極圏にあるカルデアには日の上らない極夜が訪れる。日の上らない暗い闇の中、それでも輝き続けた人理の、人類史の光輪が浮かび続けていた光景を思い出す。暗く冷たい空に高校と輝き続けた魔術王の光輪。なくなった今となってはその存在があったことが少しだけなつかしくも感じるようになった。三週間ほど前まで昼の少しの時間帯しか上らなかった日も最近になってようやく日の光のさすことの多い昼食。窓の外に広がる久方ぶりの青空を眺めながら湯飲みをへと手を伸ばした時だった。
「コックの赤いお兄さん、コックの赤いお兄さん」
ふと名前を呼ばれ振り向くと、そこには小さな少女たちの群れが表れていた。
「まだ三時のお茶会には早いのではないかね」
群れの先頭に立つナーサリーライムに声をかけると彼女は少しだけむくれたように言った。
「違うわ、お茶会も大切だけどそれよりもずっと大きなハートの女王が出てきたのよ」
「大きなハートの女王か」
冠位時間神殿にてビーストⅡを打倒し人理を修復して以来戻ってきた世界。一度滅んだという未曾有の災害のために現状把握が最優先となり、カルデアの辿ってきた足跡やそれに付随する行動の是非などは一時的に保留とされ、代わりに各国から空白の時間を埋めるための調査団が国連から派遣されて来ることとなった。そのために世界各国の使節団も又訪れることの増えたカルデア。それ故に最近では多くの外界からの来客も見るようになり、さらには現代で発生した亜種特異点という魔術王の置き土産のために少数ではあるものの新顔の英霊も増え見慣れない顔が施設内にいることも珍しいことではなくなってきた。
しかし、少女の言うようなハートの女王に見合うような英霊は思い当たらず、またいまあちょうど使節団も一週間前に帰途につたばかりでカルデアにいるのはいつもの面々、しいて言うならばカルデアスやシバなどの精密機器が所長代理であるダビンチを筆頭としたカルデア技術部の面々による四日間ばかりの長期メンテナンスに入り、缶詰状態になっていることだろうか。
「これではお茶会が開けないわ」
「フランボワーズのクッキーならもう用意してあるんだが」
「それは素敵ね、でもまだいただけないわ。ジャバウォックを追い払ってからじゃないと」
どうにも興奮しているらしく要領を得ないナーサリーライムに変わり視線を向けるのは小さな霧の少女ジャック。
「いったい何が起きたんだい」
「解体しなきゃ?」
「小首をかしげられてもな」
そういう少女も事態を十全には理解できていないのか小さく小首をかしげるだけ。
「お二方ともロジカルではありませんよ、こういう時は端的に簡潔に短絡的にです、ロジカルですっ」
「短絡的には違うと思うが」
元気よく出てきたのは小さな聖女、彼女も又ほかの少女たちと同様に高揚しているらしい。
「とりあえず緊急事態なのですっ」
果たして少女たちに手を引かれ連れていかれたのは訓練室の一つだった。
カルデアスによって特異点を模した一時的な界の創造を行えるシミュレーション室とは違い、あくまで投影の一種として情景を再現するその部屋。その大きさはシミュレーションルームよりも小さくその代わりに複数の訓練室が隣り合っている。魔術で引き延ばしているために現実的な大きさは関係ないものの一部屋は大きめの教室二つ分程度。いうなれば個人練習室といったところだろうか。
しかし、目の前に広がるのは体育館ほどの大きな広間、数でいうならば訓練室三つ分。そう、目の前には訓練室をつなぐ壁が壊され、三つの部屋を貫通するような大穴が開いていたのだった。
「いったい何があったんだ」
人がらくらく通れるほどの大きな穴を見分していく。ちょうど地面から天上ほどまで丸く開けられた穴には意外なことに壁の破片が少なく明らかにこの大穴をふさいでいた部分にしては量が少ない。代わりに小さな破片が一つ地面に落ちているのみだった。
「本来ならば壁に傷がつくことなんて言うのはないはずなんだが」
訓練室の壁には魔術的なプロテクトがかけられている。もちろん訓練室なのでその分強固に作られており先頭の訓練や英霊の宝具の使用にも耐えられるようにできていた。
「しかしまぁ派手にやったものだ」
抉れたような切り裂いたような切れ口に目をやりながら穴を通り抜け次の部屋へと進む。多少の汚れが目立つもののの中で一番多く目を引くのは黒く焼け焦げたような放射状に広がるあとだった。部屋の中に広がるのは少しの火薬の匂いと地面に落ちているのはどうやら薬きょうらしい目を凝らせば遠くに見える射撃目標にも無数の弾痕が刻まれている。
「叔父様はやくはやく、お茶会に遅れてしまうわ」
「おじっ、まぁそうか、そうだな」
少女たちに手を引かれて二つ目の穴を抜ける。ねじ切れたような切り口が残っておりこちらにも破片の堆積は少ない。中の鉄筋だけではなく表層にあるはずのコンクリートまで粘土を捩じ切ったように破壊されていた。そしてと追い抜けた三つ目の部屋、そこには小さな人だかりができていた。
「あ、突然、お呼び立てしてすいません」
そう声をかけてきたのは風魔の棟梁だった。年若くも人類史に刻まれた英霊、にもかかわらず気安く落ち着いた彼が目に見えて狼狽しているのが見て取れた。
「けが人が出たのか、それならナイチンゲール女史に連絡は行っているのか」
そういって見回してもあの赤い軍服は人だかりの中には見えなかった。
「いいえ、けが人が出たわけでは無いので連絡はしていないのです。というよりも今の状況を彼女に見せるのはいささか僕としましても避けたいといいますか」
「含みのある言い方じゃないか」
いつも強くものをいう性分ではない彼ではあるもののその言い方には風魔を率いた棟梁の決断直は明らかにかけているように見て取れた。
「とりあえず、百聞は一見に如かずとも申しますので現状を見ていただきたいのです」
そういって彼らに先導され人込みをかき分けていった先、訓練室の一番奥にいたのは三体の異形、違う、三騎の英霊、いいや正しく言うならば少女だった。
そしていつもとは違うところが一つ、いいや三つ。
「なるほどこの腕だけでも多くの武具が仕込まれているのですか。これでなら暗器の隠し場所も困ることはない、新たな手甲ということですか、それにしてもやはり全て鉄だと重量はありますね」
からくりのくのいちは銀の手の装甲を開いたり閉じたりしながら言った。
「有り余るパワーと重量はいささか想定を超過しています、さらにこの形状は日常生活に支障をきたす恐れがあります」
銀色に輝く鋼鉄のボディを持った竜の守護者はあまりにも大きな黄金の爪を動かしながら言った。
「腕が軽すぎるし、感覚が鈍すぎて触ってるか分からなくなっちゃいます」
大きな爪と大きな胸を持った無垢なる少女は白いからくりの手を眺めながら言った。
「つまり、こういうことです」
胸を張り部屋に響く小さな声がした。
「ロケットパンチが入れ替わってしまったのですっ」
一瞬の完全な静寂があたりを包み、端のほうから笑ったように吹き出した音が聞こえた。
「なんで、いいや言葉にしたら負けか」
錬鉄の英雄は大きくため息をつきながら頭を抱えた。
「それで一体どうしてこうなったんだ」
あたりにたむろしていたギャラリーを追い払いながらそれぞれ別の腕が取り付けられてしまった少女たちの容態を見ていく。
「英霊の腕が入れ替わるなんて聞いたことも…、いいやそんな阿呆も知らないわけではないが。またく、傷口に塩を塗られている気分だよ」
見たところ彼女たちの零基自体には変化が起きている様子はなく、体に変調をきたした様子もない。いうなれば異なるテレビであってもリモコンの規格が同じであれば特殊効果は使えないもののチャンネルの操作は行えるようなものだろう。カルデアの召喚式によって規格はそろっていうらしい。いつかと比較すれば英霊に英霊の腕がつけられるのだ。彼女たちには拒否反応も見られないその光景に少しばかり苦笑も漏れていた。
「それにしても、だ」
そういって視線を上げた先にいたのは先ほどよりかは平静を取り戻したらしい小太郎が立っていた。
「何があったかは聞いてもかまわないだろう」
「ブレーカーが落ちたんです」
小太郎がそんな風に話し始めた時だった。
『あー、あー、こちらカルデアス整備班、調査検証のため十分前より一部電力の大規模消費が見込まれることとなりました。また検証中のためカルデア全体のタスク処理リソースも多く使われているのでー重い演算処理の必要な作業は控えてくださーい、よろしくねー』
いささか疲れたような、しかしどこか晴れ晴れとしたような所長代理の放送が館内に響き渡っていく。
「これか」
「これです」
カルデアに限界している英霊はそのほとんどがマスターと契約を行うことで現世に降りてきている、そしてその限界のために必要とされる霊子はカルデア内の発電所より電力を変換することで供給されている。それはつまりブレーカーが落ちれば英霊の機能もストップということでもある。
「それではこの穴は」
「どうやらこの三部屋で同時に宝具を使おうとしたようなのです」
その言葉に加藤段蔵、メカエリチャン二号機、そしてパッションリップの三人の少女たちも頷いた。
「なるほど大まかには理解した」
原因としては単純明快、電力が足りなくなっただけ。三騎とも持つのはバスターの全体法具。攻撃力が高く、さらに全体へと広がるその処理は重く、その緩和処理のためには多くの電力を使う。メインシステムの保守点検のためにいつもより訓練室の処理のための演算システムは切り詰められていた。それでも一騎程度の宝具ではびくともしない程度のリソースは保っていたのだ。しかしそこで奇跡的な確率で三騎の宝具の発動が重なってしまった。瞬間的に膨大な演算処理が行われようとし、そうなればメモリも電力も足りなくなり訓練室の演算処理が本来の防護壁の機能を含めてブラックアウトしてしまったらしい。それによって物理的な壁は壊され、発動途中であった三つの宝具は一つの宝具として最低限の処理である宝具の不発として処理され、それによって本来紐づけられていた彼女たちの外れた腕はその糸が切ればらばらに繋ぎなおされてしまったらしかった。
「なるほど、確かにかの看護婦長が聞けば切断を提案しそうだな」
「先日の幻霊事件のように冷気が混ざったというわけでもなくあくまで物理的に絡みついているだけのようなのでほどくのはさほど難しくはないとは思うのですがいかんせん僕も門外漢なので専門家にお願いしたほうがいいと思いまして」
「ちょうど技術部は総出で保守点検に回ってるからな。あと四日は出てこれんだろう」
そういいながら目の前では三人の少女が興味深そうに新たな腕を握ったり開いたり、振ったりと動かしている。
「とりあえず本人たちの健康状態に変化はないようなのが幸いではあるが」
「取り外しをお願いできませんか」
「私がか」
「食堂にいたイシュタル殿にエミヤ殿はこういうことがお得意だと聞きまして」
その言葉に少しの苦笑と何とも気恥ずかしさを覚える。懐かしい。趣味の機械いじり。しかし、そのどれもが平凡、経験で補える分は補い、それても天才たちの足元には及ばないことは知っている。懐かしく唾棄すべき下手の横好き。それでも今の状況ではそうもいっていられないらしい。
「どんな影響が出るかは分からない以上、取り外しは早いほうがいいか」
その言葉に小太郎と少女たちは少しだけ安心したように胸をなでおろす。
しかし、その時声を上げたのは冷たい機械龍の娘の声だった。
「コックの英霊」
「誰がコックの英霊だ」
「限定付きでこの状態の維持を提言します」
パッションリップの大きな爪を盛った二号機はやはりいつものように毅然としたように言った。
「このままでいたいということか」
「肯定です。自己診断の結果、この状態でも活動に支障をきたすことはないと判断しました。技術部も現在は保守で手一杯でしょう。あなたが取り外しを行うとしてもいくつかの検査と計画を立てるための時間が必要なのではないですか」
彼女の言う通り彼女たちのデータ自体はカルデアのデータにあるものの新たな腕となった現在それが変わっている可能性も大きく考えられる。ならば精密な検査を行ておきたいというのも確かな思いであった。
「確かに、否定はしない。しかしそれでいのか」
目をやるのは二人の少女。
少し驚いた様子のパッションリップに段蔵は小さく頷いたように頭を揺らした。
「構いません。これもよい機会です。今度の追加兵装や機能の向上などのための試機することにします。これまでは果心居士殿の通りに人型を保つようにしてきましたが今現在かるであにはより人の形から外れた姿を持つ方々も多くいらっしゃいます。ならば段蔵もより戦闘に特化した腕を持つことも一考すべきでしょう。」
そういって力強く頷く彼女の眼にはいつもより期待と興味の光が満ちているように見える。その分どこか心配そうな小太郎の姿も又視界の端には映っているが。
「あのっ。でもっ、その爪は大きすぎて皆さんにご迷惑をかけるんじゃないですか、物もうまくつかめないし、大きいし、危ないし」
段々と小さくなっていく彼女の言葉。人を気付つけることしかできないその大きく醜い爪。
しかし、その言葉に答えたのは銀色の娘だった。
「民主主義というものをご存じかしら」
「えっと、みんなで決めること、ですか」
「そう、集団の方針をその集団を構成する一員たちによって決めること。そしてその決定方法はその集団における多数決、大多数の意思こそがその集団の最善なる意思として受領される。少数派を盲殺するその方法にはいささか異議を唱えたいこともありますが今回はそれがちょうどよくもあります」
「どういうことですか」
「つまり腕が変わったのは三人、そのうち私と加藤段蔵は適切な処置方法が決定されるまでこの腕で過ごすという意思を示しました。三分の二が同意した。つまりいくらあなたが反論したとしてもこの決定は覆らないということです」
「そんな、で、でも」
「でももストライキもありません」
ぴしゃり、と言い切った二号機と無表情であるも頷く段蔵にどう反応していいのかわからないのかパッションリップは頬を赤くし口を開けてはやはりその言葉にはならず、代わりに自分の腕となった段蔵の白い腕へと視線を落とした。
「さて、私も久しぶりの機械仕事なのでな、腕の取り外し方を調べるにも三日ほど時間がかかるだろう。申し訳ないがそれまではこのままの状態でいてもらうことになる。また不慮の事態に備え行動するときは私が同行させてもらうことになるがそれでよろしいかね」
その言葉に一人は少しだけ戸惑ったように、しかし三人とも頷くと少しの今後の予定の調整の後に各々の部屋へと帰っていった。
「さて、これで構わなかったかな」
『私もいささか興味をそそられる題材ではあるもののこっちも手が離せる状況ではないからね。あとで報告書はたんと提出してもらうよ』
「稀代の天才に提出する報告書とはぞっとしない話ではあるがね」
通信越しに聞こえるダヴィンチちゃんの声は微かに笑っているらしい。
「偶然の産物ではあるけれど、そこに居合わせることができるということは必然でもあるからね。まぁ君なら五分もあれば外すことなんてできるだろう。まぁ、よろしくね。穗村原のブラウニー」
切れた通信機からは音が帰ってくることはない。
「まったく、懐かしすぎて頭痛がする」
微かにその口は笑っていた。