それは決して、愛ではない
誰かがそういっていた。
触れたくて、触れてほしくて、愛してほしくて。
でもそれが叶うことはない。
触れるには大きな爪は人に触れればその身を傷つけてしまう。
触れられるには過敏な肌は小さな感触も大きな苦痛を伴う。
そして
無垢なる少女は愛を知るには早すぎた。
だから
だけど
まだ知らない
まだ知ることはできるから
幼い唇は小さな恋の詩を口ずさんだ。
「今日はいつもより素敵なおやつを用意したわ、セヴァスチャン」
「誰がセヴァスチャンだ」
少女に呼ばれ、ため息をつきながらも銀の手押しワゴンを押していく。漂う甘い香りに少女たちは小動物のようにすんすんとその香りを感じとり、そして何が出てくるのかと隣席の友人たちと話し始める。
「みんな静かになさい、せっかくのお茶会ですもの、飛び切り素敵にしなきゃもったいないわ」
その言葉に少女たちは子供特有の高い声音で返事をしていく。彼女たちの座る足のつかない白く、背もたれの高い椅子には赤いベロアが張られ、沈み込むように、そして少女たちもその反応を楽しむようにゆっくりと体を揺らしている。いつもの服装ではあるもののほこりを払い、糸くずを取り除き、そして襟を正す。普段とは少しだけ違うその空気に緊張しているのか両手を膝の上に置きつつもせわしなく視線を動かしていた。高揚したような、しかし確かに喜色に満ちた彼女たちの姿。いつもより大きな丸いテーブルには白いレースのテーブルクロスが引かれ、足元には若く青い野原は広がっている。空は青く、絶好のお茶会日和。
「それじゃあセヴァスチャン、お願い」
ナーサリーライムの声にワゴンからおかしを取り出してサーヴしていく。取り出されるケーキスタンドから香るバターの甘い匂いに少女たちはつられ、そしてどこか頬を緩ませる。手を伸ばしかけ、そしては、と気が付くとすぐにその手を引っ込めておとなしく、しかしそわそわと向き直る。
三つの盆と二つのケーキスタンドが並ぶ。
そしてオーダー通りいつもよりも手をかけて香りのよい匂いがポットから漂い、そして一人一人のカップへと移され始めるとゆっくりと部屋の中へと芳香が注がれていく。
「それではみんなカップは手に取ったかしら」
少女たちの返答にナーサリーライムは満足そうに微笑むとそして小さく笑いながら言った。
「楽しく、やさしく、かしましく。甘いお菓子と素敵な紅茶。眠るウサギにひとしずく、今日は名無しの記念日だもの」
彼女の言葉そういった彼女の視線の先、そして微笑む少女たちの視線の先、小さく椅子に座り両手で取り落とさぬようにカップを包み込む少女、パッションリップの姿があった。
「それじゃあ、今日もお茶会を始めましょう」
テーブルの上のお菓子と紅茶は八割ほど無くなった頃合い、少女たちの興味は別のところへと移ったらしくテーブルから立ち上がり野原をかけていった。
「紅茶の御代わりはいかがかな」
「お願いします」
野原を駆け回る少女たちに目をやりながら琥珀色のカップを差し出した。
「今日はありがとうございました」
「お茶会の準備などいつものことだ」
「そうじゃなくって、お菓子のことです」
彼女はゆっくりとさらに残ったフィナンシェを手に取った。
「私でも簡単に取れるようにって焼き菓子ばかりにしてくれたんでしょう」
彼女の持つ大きな爪はそれだけで日常生活を送るには不適当なもの。それ故にこのカルデアに来てからもけっしてすべてを十全にこなせてきたわけではなくとりわけ食事などでもスプーンやフォークを一部改良し持ちやすくしたものを用いている。それだけに多くの普通の作業というものの経験値が圧倒的に足りない。ケーキを皿へと倒さずに移すことや、それをフォークで切ること、そして切ったケーキをフォークで刺すこと。まだ指先のおぼつかない彼女が気兼ねすることなくお茶会を楽しめるようにそのために今回のお茶会で出たお菓子の多くがクッキーやビスケット、フィナンシェやガレットデロワといった手で簡単につまめる焼き菓子が多くなっていた。
「私だけのものではない、ナーサリーライムやジャック、ジャンヌリリィやバニヤン、彼女たちがそうして欲しいと頼んだことを私が形にしたに過ぎないさ」
少し遠くのシロツメクサの花畑へとたどり着いた少女たちの振った手に、彼女は小さく振り返した。
「今日でよかったのか」
「何がですか」
「今日でその手は元の手に戻ることになる。技術部だけならまだしもそのあとに来るどこぞの使節団にでも見られてしまっては事だからな」
換装してから三日目、決して長いとは言えず、降ってわいたような出来事、しかし確かにその終わりは近づいてきていた。
「そうですね、今朝急にナーサリーたちからお茶会の誘いを受けたのはびっくりしましたけど、それでもちょうどよかったです。特に予定も決めていませんでしたし」
「そうなのか」
少し驚いたような返答が気に入ったのか小さく微笑みながら彼女は言った。
「ええ、確かにもし普通の女の子みたいに小さくてかわいい手になったらって、考えたこともありますけど、案外突然きちゃったらびっくりして何がしたかったか思い出せ無かったりするものです」
「そんなものか」
「そんなものですよ」
ゆっくりとカップを包むと彼女は新しい紅茶に唇で触れた。
「それに、私は普通の女の子とは違う。人間になりたい、人間でありたかった、そう思うことはないといえばうそになる」
でも
「それでも愛することも、そして恋をすることも知った。メルトが感じたような、すべてを投げ出してもいいと思うようなそんな素敵なものを」
私にはまだそこまで思える人はいないんですけど、と少し照れたように笑った。
だから
「次は手をつないでもらうんじゃなく、手をつないで上げられる、そんな風になろうって」
小さな花が綻んだ。
「だから名残惜しいけど、でもこの手じゃなくてやっぱりいつもの手のほうが落ち着きますから」
そういって笑った彼女に少しだけ考えこむとワゴンの最下部から取り出したのは一冊の文庫本だった。
「これは、詩集、ですか」
「あまり私も本を読むような人間ではないのだが、それは随分と前に読んだ愛読書の内の一冊でね。読むなり好きに使うといい」
飾り気はなく、カバーもない一冊の文庫本だった。
「いいんですか」
「私のお古で良ければだがね」
「全然かまいません、本をもらうことなんて初めて」
あの大きな手では自分で本を読むことなどできはしない。誰かに読んでもらうか、あきらめるか。
残された時間は多くはなく、一つの物語に陥るにはいささか短すぎる。
けれど、それでも彼女に触れてほしかった。
だから短く、そして咲くようなその詩を送る。
「リップ、お花で冠作ったからつけてあげるね」
戻ってきた少女たちが彼女へと白い冠を載せた。シロツメクサの柔らかな、しかし少しだけ歪な冠が風でそよいでいた。笑いかける少女たちに彼女も小さく微笑んだ。
ページをめくる音が風に紛れてどこかへと流れていった。
四日目の朝はいつもの朝だった。何も変わらぬいつもの日常。
しかしいつもと少しだけ違ったのは食堂の端、カルデアのサークルたちが使う掲示板。
そこに一つ新たな名前が増えていた。
『チームロケットパンチ』
「もう少し名前はどうにかならなかったものかね」
ブラウニーは満足そうにそう呟いて厨房へと入っていった。