タマツバキ(改)   作:にゃあたいぷ。

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瑠々√


鬼子

 四歳になった時、私は弓矢を手に取った。

 子供用の小振り弓、弦は緩く、遠くまで飛ばすのは難しそうだ。矢も短くて、鏃の代わりに磨いた小石が付けられている。武器というよりも玩具だった。それでも嬉しく感じるのは、これがお母さんの手作りによるものだからだ。まだ年齢的には子供な自分の為に木を削り、糸を張って、矢を選んでくれたのだ。

 だから私は浮かれていたのだと思う。

 お母さんが見守る中で狙ったのは十歩先に置いた的だった。体の隅々にまで叩き込んだ動作は魂にも刻まれていたようで、淀みなく水が流れるように構えを取る。風が吹いた。枝葉が揺れる中で、私は微動だにせず、弦を引き絞り、狙いを定める。そして矢を放った。ヒュッと鳴り、スタンと的に落ちる。記念すべき一矢目は中心より右に二寸も外れた。お母さんが拍手をするのを意識の遠くに置き、二矢目を構える。距離感は分かった、弓の癖も理解できた。次はもう少し早めに構えを取り、ヒュッと鳴り、スタンと的の中心に当てる。そのまま三矢目を構える、そして放った。矢は再び的の中心を捉えた。どうやら思っていたよりも腕は鈍っていないようだ。今度は弓を空に向けて構えて、ヒュッと放ち、スタンと曲射で的の中心を射抜いた。もう一度、曲射で的の中心を捉える。まあ動いていない的では、こんなところだ。弓の試運転には丁度良い、子供向けとしては頑丈な造りをしている。

 ありがとう、と満面の笑顔を浮かべながら振り返った、その時だ。引き攣った笑顔を浮かべるお母さんが視界に映る。

 しまった、やりすぎた。と察した時には全てが手遅れだった。

 

 

 精神が肉体に引き摺られる。

 そんな法螺話が巷で広まっているが、そんな事はないと私は考える。

 少なくとも私が男になっても女を愛することはないと思うし、赤子になったからと云って精神まで幼くなることはない。あるのは慣れや諦めからくる順応性であり、あとは生理現象のようなものだと思っている。つまり私は必要以上に我儘を云うことはしないし、誰かを頼るよりも前に自分で解決しようとした。そんな私は前世の私と比べると、まるで手間のかからない子であったに違いない。

 それはもう異常なまでに、だ。

 発声できるようになった時には、もう色んな単語を知っていた。三歳になる頃には書籍を読み始めており、四歳になれば弓を引き、五歳になった時には剣を嗜んだ。将棋や囲碁の腕前は大人顔負け、最早、天才と呼ぶだけでは説明が付けられない程の知恵と知識の持ち主になっていた。

 ――黄忠の娘は、その身に魔を宿している。

 そんなことを囁かれるようになるまで、あまり時間はかからなかった。

 実際、私の魂は二十五年後の未来から来たものであり、その在り方は妖の類と大した違いはないと思っている。だから侍女達が私のことを薄気味悪く思うのは仕方ないことだって割り切っていたし、身内から避けられるのも必然だと考えた。傍に居てくれるのはお母さんだけ、ただそれだけのことが嬉しくて、それだけに申し訳なく感じる。日に日にやつれていく母の姿に、私は我儘を言うことを極力避けた。それで、できるだけ甘えるように努めた。

 気付けば、この十二畳の部屋が私の世界になっている。五歳の末、外に出ることは許されなくなっていた。

 外から工事をする音が聞こえてくる。お母さんが言うには私が住む為の屋敷を建てているという話だ。今よりも広い場所で暮らせる、とお母さんは笑顔を浮かべるが、それはとても痛々しいもので見ていられなかった。嬉しいです、と素直に喜べば、お母さんはきっと悲痛に顔を歪めることになる。かといって他に良い言葉が浮かばない。気遣えば、お母さんの心を傷付けるだけだった。

 だから本心を偽らない、愛だけを言葉に乗せる。

 

「お母さんと一緒なら、何処でも良いですよ」

 

 お母さんは呆然と目を見開き、そして無言で抱きしめてきた。

 体を震わせている、嗚咽のような呼吸が頭の上から落とされる。私は何も言わず、お母さんのことを抱き締め返した。

 思えば、この時のお母さんは私よりも年下でしたね、と。凄いな、と素直に思った。

 

 六歳になる頃、私は久し振りに屋敷の外へと出された。

 帯刀した者が六人、私とお母さんを取り囲んで歩かされている。そして屋敷から隠されるように建てられた屋敷は、とても頑丈な造りで、屋敷と云うよりも蔵だった。ついでに云えば、入り口は格子が付けられいる。これでは牢屋と呼んだ方が正しい。

 つまり周りは私を隔離するというよりも、閉じ込めておきたいようだ。

 

「ふざけないでッ!!」

 

 お母さんが珍しく激昂していた。

 気持ちはよく分かる、分かるが今、お母さんの味方をする者はいない。屋敷の全ての人間が私達を、いや、私に警戒心を向けている。敵愾心や殺意がないだけ、ましかもしれないと思った。少なくとも私のことを殺すつもりはない、実際、殺したくないのかもしれない。それは身内の情から来るものか、ただ単に罪悪感から来るものかは分からない。

 だから私はお母さんの手を引いた。そして「お母さん、行こ?」と問い掛ける。私が示したのは門の向こう側、「もう此処にはいられないですし」とにっこり微笑んだ。

 

「出て行くのであれば、私達と繋がりがあった事は喋らないで頂こう」

 

 その言葉を告げたのは誰か、幼い頃に何度も顔を見たことがある。

 屋敷の当主、お母さんのお母さん。私にとってはお婆ちゃんになる。丸まった背中に皺の多い顔。前世では記憶にもなかった人物であり、三歳までは定期的に顔を見せに来ていた。その彼女をお母さんは睨みつける。私はお婆ちゃんに向けて、申し訳なく目を伏せる。そして無言で、ありがとうございます、と頭を下げた。フンと不機嫌そうにお婆ちゃんは鼻を鳴らした。その態度に苦笑する、お母さんは愛されている。

 あゝ胸が苦しくなる。祖母を睨む母の姿が見ていられなくなって、私はお母さんの手を引いた。

 

「もう少しくらいは上手くやれただろうに……」

 

 去り際、溜息交じりに呟かれた言葉。

 それはお母さんに向けられたものだと思っている。

 でも、何故か、気のせいでなければ、その目は私に向けられていた気がする。

 

 

 憎い程に澄み切った青空が頭上に広がっている。

 襄陽郡へと続く一本道、数多の人間が踏み均した道を進んでいる。

 荷物を乗せた馬が一頭、私が跨り、お母さんが馬を引いた。

 

 私は一人娘だった。

 前世で母の愛した相手は一人だけ、つまり私の父だけだ。

 しかし父は商家の人間で、その行商中で賊に襲われて死んでいる。他人事になってしまうのは、今世でも私は父の顔を拝むことができなかった為だ。産まれた時には荊州に居らず、三歳にも満たない時に死んでしまった。だから手紙一つも受け取っておらず、私には父親がいるということに実感を持てないままでいる。

 ついでにいうと母と父は恋愛結婚であり、母の実家は地元で名が知れた豪族で、父は庶民から店一つを持つことが許された成り上がりだった。そして母と父の婚姻は身内から大反発を受けたと云う。そのせいで未亡人になった後も身内からの風当たりは強く、前世では私が大きくなるまでは屋敷で嫌味に耐えながら過ごしていたようだ。そして旅に耐えられるまで私が大きくなった時、母は私を連れて屋敷に出た。それが十歳の時、それでも旅に出るには幼い。それだけ母が追い詰められていた証左だと思っている。

 今世では、それが六歳になる。

 前世は気丈に振る舞っていた母であるが、今世ではまだ二十代半ばに差し掛かったばかりの年齢になる。不安を隠しきれておらず、今も表情は険しかった。不安も多いのだろう、しかし今からその調子では身が持たない。

 だから私は馬に体を預けて、目を閉じた。スゥスゥと寝息に似た呼吸をする。

 狸寝入りを暫くしていると頭を撫でられた。

 

「私だけは何時までも貴方を……」

 

 決意に満ちた言葉は、とても穏やかな優しい声で告げられた。

 何時頃からか本当の寝息が立てられる。


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