タマツバキ(改)   作:にゃあたいぷ。

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紫苑視点


間幕:親心

 どうやら私の娘は鬼子のようです。

 夫は人柄だけが取り柄の人間であったが――そんな彼と過ごす時間が心地よくて好きだった――、特に才能に恵まれていた訳ではない。私も弓の腕前だけなら他者に追随を許さない程の腕前を持っているが、智謀面に優れているのかと云われると――教養以上の勉学は積んでいたが――首を傾げざる得なかった。

 だから私達の子供として、璃々(黄叙)が産まれるのは明らかに異常だった。

 言葉を発する前から私達の会話を理解しているように思えたし、言葉を発するようになってから単語を覚えるまでの期間が明らかに短い。弓を持たせれば、数本射っただけでコツを掴んでいた。剣を振らせれば、最初こそ重量に戸惑っていたが、半刻もしない内に剣の重心を利用するような振り方を身に付けていた。将棋や囲碁を打たせれば、時折、手加減をするような一手を交えてくる。その頃には私の娘は周りから奇異の目を向けられていた。

 誰が言い始めたのか――黄忠の娘は、その身に魔を宿している。

 それでも私がお腹を痛めて産んだ子には変わりなかった。確かに私の子は異常だった、それでも愛すると決めた。その異常な才覚を宿した娘を持てたことを誇りに思うことにした。例え、その身に魔を孕んでいたとしても、例え、その頭から角を生やしていたとしても、愛する我が子であることには変わりない。そのことは私が娘を見捨てる理由には決してなり得ない。

 少し残念に思うのは、娘が早熟過ぎたことだ。

 きっと私は真の意味で親の苦労を知らないのだと思う、子供の世話はしていたが赤子の頃から娘は意味なく泣きわめくような子ではなかった。お腹が空いた時は口を動かし、便をした時はお尻を向ける。今にして思えば、明らかに異常な行動であったが、もうそのことに関しては割り切っている。きっとこれからも娘には驚かされることになるのだろう、私が授かった子はそういう子なのだと受け入れている。誰でも良いわけではない、そういう娘だからこそ私は娘を愛するのだ。

 ただあの子は早熟過ぎたから――ほんの少し我儘を、愚痴を零すのであれば、もうちょっとだけ苦労をさせて欲しかった。

 だから、あと一人、子を産んでもよかったな、と思うのは赦して欲しい。そう思う事が良いことではないと分かっている。でも、もっと甘えて欲しかった、甘えさせてあげたかった。どちらも満足にできなかったから、あと一人だけ欲しいという思いを拭うことができない。

 娘の璃々(りり)に不満があるとすれば、それだけだった。

 

 あの子が六歳になった時、私達は旅に出る。

 空は私達の旅路を祝福するように澄み切った青色をしていた。実家を出る時に三ヶ月分の生活費を与えられたので、当面は旅費に苦労することはない。しかし三ヶ月後、私達はまだ旅を続けられるだろうか、いや、何処かで地に足を付けることはできるのか。子連れの旅では、資金を稼ぐ手段も限られている。未来を思えば、不安が煽られる。そう思うと照りつける太陽が、じりじりと私達のことを干上がらせようとしているように感じられた。

 ふと、娘の方を見ると、すぅすぅと気持ち良さそうな寝息を立てている。

 その可愛らしい姿に私は娘の頭に手を伸ばすと、僅かに身動ぎした。ああ、これは起きている。こんな時まで気を遣わなくても良いのに――でも、こんな娘だからこそ、愛おしく思っている。

 優しく撫でる、できるだけ想いを込める。

 

「私だけは貴方を何時までも……」

 

 ――続く言葉は口から出ない。

 愛している、想い続ける、傍に居続ける、守り続ける。

 そのどれもが正しい言葉で、それだけでは表現しようがなかった。

 だから万感の意を込めて、沈黙する。ただ想いだけを込めて、髪を撫でる。頰に手を添える。温もりを感じる。

 そうしていると先程までとは少し違う、綺麗な寝息を立て始めた。

 本当に可愛らしい。

 

 さて、と前を見据える。

 これから私達はどうなるのだろうか、よく分からない。でも娘と一緒なら、何処までも歩いていける。

 何時も見てきた光景が、今はとても綺麗に感じられた。

 

 

 知識よりも武芸に秀でていた。

 部屋で書籍を読み込むことよりも外で馬を乗り回し、弓を射って剣を振り回している方が性にあっている。

 とはいえ子供を連れ回しての仕事になるので、長時間、娘から離れる仕事は考えられなかった。いくら娘が優れているとは云え、身体的にはまだ子供、独りにしておくには心許ない。だから宿屋の従業員として働いたり、酒場で女給として働くことが多かった。こういう時、娘が大人しいのは良かった。何処も子連れと聞くと嫌な顔をされるが、実際、仕事の邪魔をせずに大人しく書籍を読み耽る娘の姿を見ると態度を軟化させる。忙しい時には店の手伝いをすることもあり、まだ酔っていない客を相手に料理を持って行ってくれる。場が落ち着いている時にはお手玉や歌を披露する、時には弓矢で的当てをすることもあった。そうして、おひねりを受け取る璃々の稼ぎは――数えたことはないが、私の稼ぎと同じくらいだと思う。

 璃々は自分の稼ぎを全て、私に渡してくる。生活費の足しにする為だと思った、しかし私は璃々から受け取った稼ぎを生活費に使ったことはない。ただ預かっているだけだ。璃々が欲しがる物は、意外と高価な代物が多い。それは弓矢の鏃であったり、それは新しい剣や小刀だったり、それは難しい言葉の書かれた書籍であったりだ。そういう物を欲しがる時、私は娘用の袋から金銭を取り出して、その小さな手に握らせる。璃々は決して必要のない物は買わない、そう信じている。そして、仮に必要のない物であったとしても、普段は我慢し続ける璃々が欲しがる程の代物だ。生活費を切り崩すことはできないが、娘が自分で貯めた稼ぎからなら許してあげても良いと思う。私が璃々から稼ぎを預かるのは、まだ幼い璃々に金銭を持たせることはそれだけで危険だった為だ。賢いとは云え、まだ子供。多額の金銭を持たせることは、それだけで危険になる。実際、私達の旅費を狙って、襲ってくる者達はいた。その時であっても璃々は泣き叫ばず、粛々と私の後ろに隠れる。娘の僅かな震えが、私に力を与えてくれる。

 そんなこんなで襄陽を目指し歩いている時のことだ。

 

 この旅路、私達にとって最大の危機が訪れる。

 

 それは森に隣接した一本道、

 山まで続く樹海から、のっそりとそいつは姿を現した。

 四つ足の大型な獣、黒と黄色の縞々模様。獰猛な唸り声を上げながら、身を屈めて、ゆっくりと近付いてくる。それを私は睨み付けて、無言で弓を構えた。そいつは虎だった、普通の虎よりも二回り以上もでかい大虎だった。狩猟の経験は、ある。しかし単身で虎と対峙するのは初めてだった。倒せない相手とは思わない、かといって必ず勝てる相手でもない。私は咄嗟に馬の尻を叩いて、馬に乗った娘を逃がそうとした。

 しかし既に娘は馬から降りており、私の横で弓矢を取り出している。

 

「お母さん、私が牽制します。虎が足を止めた瞬間を狙ってください」

「逃げなさい、璃々。お願いだから私のいうことを聞いて」

 

 語気を強めて、願うように告げる。しかし璃々は大虎の方を見つめたまま、弓を構えた。

 

「逃げたところで生き残れません。私が今日まで生きて来られたのは、お母さん、貴方が居てくれたおかげです」

 

 それに、と璃々がギリギリと弦を引き絞る。

 

「私を独りにしないで、お母さん」

「……そんな卑怯な言い方、何処で覚えたのでしょうね」

「娘を酒場に連れ回す、お母さんが悪いんですよ」

 

 虎から視線を切らないまま、璃々が笑みを浮かべる。

 気付けば私も笑っていた。こういうところが娘は子供らしくない、しかし璃々らしいと思った。

 そろそろ行きます、と璃々が告げる。ええ、と私は小さく頷き返した。

 

 ――娘からの期待を裏切ることはできない。

 

 虎が草叢に付したまま一歩、踏み出そうとした瞬間、ヒュッと璃々が矢を放った。

 踏み出した先を狙った一矢に虎は驚き、身を持ち上げる。はっきりと見えた眉間に狙い定めて、そっと弦から手を離す。シュパッと風を切り裂く音が鳴った、絶対に外せない一撃だ。トッと矢が何かを捉える音がいて、血飛沫が僅かに飛んだ。虎の眉間から血が垂れ落ちる、頭蓋を貫かれた虎は力尽きるように地面に崩れ落ちた。虎がピクリとも動かなくなったことを確認して、プハッと息を吐いた。何時の間にか、呼吸をすることを忘れていたようだ。肩で呼吸する、ふと隣に立つ璃々を見つめた。

 私の視線に気づいた璃々は、私を見るとにっこりと笑ってみせる。

 

「さっすがお母さんです♪」

 

 娘は欠片程も怯えていなかった。

 その恐れ知らずの信頼を向けられて、私は生唾を飲み込んで笑い返す。

 弓の鍛錬だけは絶対に怠らないようにしよう、そう決意する。

 私が親の誇りを失わない為にも。

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