スカートの裾を伸ばし、靴下を穿いて、鏡に自分の顔を映す。
「そろそろ行きますよー」
トントン、と数回のノックの後に聞こえてきたのは三玖の妹、五月の声だ。妹といっても、産まれてきたのは三玖の数時間後。五人の中で、たまたま最後に産まれたに過ぎない。
五月の声を聞いて、ベッドに放っておいたバッグを肩にかけ自室を出る……が、ドアノブに手をかけたところで、大切なものを忘れていることに気付く。
小走りで戻り、机の上に置いてあるヘッドフォンを首にかけた。
今日から新しい生活が始まるからだろうか。通う学校が変わる。
けれど、期待はしない。
前の学校では他人と積極的に関わらなかった。
するのは最低限の会話と事務連絡のみ。おかげで友達なんてものはできなかったが、別に構わなかった。
だから、今日から通う学校でも同じ。
外の世界と、自分の世界とを、ヘッドフォンを隔てて遮断する。
親しい友人ができることなんて期待しない。
でも
三玖はそんなことを思い、ふっと口元を緩めながらドアを開いた。
◇◇◇
午前中は新しい学校を見てまわった。
四階建ての校舎を、理科室、美術室、家庭科室──とぐるりと一周。
最初は五つ子全員一緒だったのだが、自分の担任となる先生について行っていると、いつの間にかみんなとは別々になってしまったようだ。
担任の教師はクラスと自己紹介の内容を考えておいて欲しい旨を三玖に伝えると、一旦昼食をとることとなり、食堂まで案内した後去って行った。
昼休みということもあり、食堂はとても賑やか。
食べている物は、ラーメン、カレー、スパゲッティと様々で、三玖の頭には何を食べようか迷う五月がすぐに浮かぶ。
その五月たちはまだここには来ていないようで、仕方なく一人でサンドウィッチでも食べようかと思っていた時、注文口の方から奇妙な単語が聞こえた。
「焼肉定食、焼肉抜きで」
焼肉定食なのに焼肉抜き。
明らかな矛盾を孕むその言葉に興味を持ち、発せられた方向を見ると、そこには黒髪の真面目そうな顔をした男子生徒の姿があった。
向かう先には、常設のウォーターサーバーが。
焼肉定食焼肉抜き……? この学校で、流行ってるのかな……?
もちろんそんなわけないのだが、三玖はウォーターサーバーを見て喉の渇きを思い出す。午前中校舎の中を歩き回ったので当然かもしれない。
それと同時に、意識しないようにしていた脚の疲れもやってきた。
空いている席は周りにないので、重い脚を奮い立たせ、ウォーターサーバーへと向かう。
三玖が手を伸ばせば届くような場所まで来て、黒髪の少年がウォーターサーバーの水を飲もうとしたそのとき、事は起きた。
「あっ……!」
三玖は思わず声を漏らした。
走って通り過ぎた二人の男子生徒が黒髪の少年にぶつかったのだ。
男子生徒は申し訳程度に謝りながら、三玖の目の前を通り過ぎて行ってしまう。
そこからは時間にして一秒に満たないごく僅かな時間だったが、三玖には何故かその場所だけがスローモーションになったようにはっきりと見えた。
去っていく少年二人。
口もとに近づけたコップの中から宙に飛び出す水。
それは驚いた顔をした黒髪の少年の顔面に向かっていき……。
頭から水を被った。
……。
一瞬何とも言えない空気が漂うが、彼は何事も無かったかのようにウォーターサーバーを後にしようとして……ぽかんと口を開けている三玖と目が合った。
目の前で起きたことに固まっていた三玖だが、当事者である黒髪の少年と目が合った事で、慌ててスカートのポケットからハンカチを取り出し差し出す。
「つ、使いますか……?」
◇◇◇
「わざわざ悪いな」
「ううん、別に……」
三玖がハンカチを差し出した流れで相席した二人だが、三玖と同じく、黒髪の少年も他人と話すことは慣れていないようで、そのまま暫く無言の時間が過ぎた。
「とりあえず、昼食うか? 昼休み終わっちまうしな」
「そ、そうだね」
無言に耐えかねたのか、おもむろに少年が切り出す。
スマホの時計を見ると、時刻は十二時五十分。五時限目が始まるまで後三十分だ。昼食を取るには十分すぎる時間だが、自己紹介を考えなければならない転校生にとってはちょうどいい時間かもしれない。
まあ、私は考える必要はないけど。
黒板の前で、新しいクラスメイトの正面で名前を宣言して終わり。
三玖自身簡素で味気ないと思うが、積極的にクラスメイトとの交流を深めることはしないのでそれでいいとも思っている。
サンドイッチの包装をはがし、一つ口に運ぶ。
なんとなく視線をテーブルに落としていたので目に入ったのだが、少年の目の前にあるのは、ご飯、たくあん、味噌汁という簡素な食事だった。
『焼肉定食、焼肉抜きで』
不意に思い出した先程聞いた奇妙な単語。目の前の少年が言ったなら、どうやらこれが焼肉定食焼肉抜きらしい。
視線をそれに固定しながら、サンドイッチを食べていると、背後からヒソヒソとした声が聞こえてきた。
「上杉君、女子と飯食ってるぜ……」
「や、やべぇ……」
こんな喧騒の中でも、他人を嘲る声はよく聞こえる。
一人でいるとよくあることだ。
周りのみんなが笑ってる声が、ひそひそと噂をする声が。まるで自分に向けられているかのように聞こえてしまう。
三玖はそんな声が大嫌いだった。
「チッ……」
黒髪の少年──上杉風太郎は苛立ちを隠そうともせずに舌打ちをし、三玖を正面から見据える。
「ハンカチのことは感謝してる。……けどな」
「……?」
「俺とは一緒にいない方がいい。君、転校生なんだろ? これからの学校生活で変な噂を立てられたくないならな」
そう言いながら、自分のリュックから単語帳とプリントを取り出す風太郎。
「別にいいよ、慣れっこだし。……ええっと……上杉君? は疎まれるようなこと何かしたの……?」
……。
別に、聞くつもりじゃなかった。
どうでもいいことなのに。
普段なら聞き返すことなんてしない……いや、できないのに……。
期待しないと決めたのに。
何故か三玖の口は自然と動いていた。
「いや、なにも。……俺は成績がいい方で、おまけにずっと一人でいるからな。ちょっかい出すにはちょうどいい的だってことだろ」
一方の風太郎も、単語帳から目を離さずに答え突き放すつもりだったが、しかし『慣れっこ』という想定していなかった言葉が来て、思わず反応する。
別に近づきたかったわけではない。他人と深く関わりすぎることはしない上杉だったが、自分と同じなにかを持っているかもしれない三玖を無視することは、何故かできなかった。
単語帳から目を離し、再び三玖を見据える。
「慣れっこって、どういうことだ?」
上杉の疑問に、三玖は過去の自分を思いだし、無感情に、酷く冷めた目で答える。
──初対面の男の子に、一体何に期待しているんだろう。
「いつからかはあまり覚えてないけど……他人と関わるのはあまり好きじゃなくて……全部自分がいけないのに、現実から目を背けて……」
三玖はサンドイッチを運ぶ手を止め、頬を緩める。
「それだけだから、別に平気」
「そうか……」
「うん……」
二人の間に再び沈黙が流れる……が、何故か三玖は俯いたまま顔を上げない。
それを見た風太郎は、三玖の視線が自分の食べているものに注がれていることに気がついた。
「ん? なんだ、食べたいのか?」
風太郎にとっては気の聞かせた言葉を言ったつもりだったが……直後、静かに顔を上げた三玖を見て、失敗したことを悟る。
「違う……」
三玖はむっとして否定した。
しかし、そんなことをしてもどうにもならないのは三玖自身分かっているので、口をつぐみ、再び顔を俯かせる。
──言えない。
たった一言言うだけなのに。
これまで他人を遠ざけていたことが。
過去の出来事が。三玖の口を重くする。
三玖自身、自分が何でこんなことをしているのか分からなかった。
期待なんてしてない……いや、してな
少しの会話だけど、分かった。
この人はどこか私ににていると。
だから。
纏わり付く過去を、今だけは振り払って伝える。
三玖は震える唇をゆっくりと開いた。
「と……」
「……」
のちに、勇気を持って一歩踏み出したこの日のことを、私は一生誇りに思う。
意を決して、大きく息を吸って。
正面から見て、大きな声ではっきりと。
「わ、私と友達になってください……!」
食堂の喧騒がやけに大きく聞こえた。
自分でも真っ赤だと分かるほど熱を帯びた顔を、ゆっくりとあげる──と。
そこには、単語帳を睨みながら、片手にたくあんをくわえている風太郎の姿が……。
「ん? なんか言ったか?」
いや、悪いのは私……。
心の中でそう思うが、それとは反対に羞恥とは違うなにかが、体の中で沸々と込み上げてくるのを感じる。
悪いのは私。悪いのは私……。声が小さかったから……そもそも下向いてたし、今度は聞こえるように同じことをもう一度言えばいいだけ……。
しかし、心のなかでそう思っても、出てきた言葉は反対のものだった。
「もう、知らない」
プイッ と顔を背け、おもむろに立ち上がる三玖。
「単語帳、好きなんだね。私は先に行くから」
「お、おう……」
そのままトレイを返却口に戻し、三玖は去っていってしまった。
「俺、なんか怒らせたか……?」
腕を組み少し考えてみたが、長い時間他人と深く関わらなかった風太郎にはわかるはずもない。
人の話しはしっかりと聞くべきだ。……特に女子のそれは。
時計を見ると、時刻は十三時十分。ちょうどいい時間だったので、教室戻ることにした。
──やっぱ、たくあん食べたかったのかな……?
どうも、フィヨルドです(´・ω・`)
前作を読んで下さった方はお久しぶりです。初めての方は·····はじめまして。
三玖は風太郎の名前を知らないので、まだ苗字+君呼びです。
今度こそ完結まで突っ走るので、また宜しくお願いします。