小さいころからピアノが好きだった。同じ楽器なのに、弾く人の個性が出てくる。鍵盤を走る指の流れるような動きと、ライトを浴びてキラキラと輝くその姿に、私は魅了された。中でも覚えてるのが、ある人が言ってくれた言葉。
―――貴女、輝いてたわよ。
中学の時のピアノの発表会の時に、廊下ですれ違った女の人に言われたたった一言。何故かはわからないけど、あの時の言葉がいつも私の胸の中で強く響いている。それからというもの、私はより一層ピアノに打ち込んだ。もちろん、発表会で賞が取れない時もあったけど、それでもあの空間に居れるだけで心が躍った。そして・・・同時に、目標となる人もできた。名前は・・・えっと、名簿には・・・どう書いてあったっけ。よく目をとおしてはいなかったし、会話したことなんてなかったから、せめて名前くらいは憶えておきたかった。でも、どの出場者の中でもひと際目を惹かれた。凛とした背中に、響く音色は、ちょっと哀しそうで、息苦しくて。でもそれが曲にもの凄くマッチしてて、終わった後はスタンディングオベーション。演奏者、音色、聴き入る観客に照らす証明・・・・作り出される空間全てが輝いて見えた。初めて見た!あんな光景、テレビとか映画の中だけのものだと思ってたら、舞台袖でらしくもないくらい興奮して拍手した。それ以来、私は彼を目標に努力した。来る日も来る日も、ピアノに向かった。
そうして迎えた、全国規模の大きなコンクール。・・・・その、会場へと向かう途中。両親が遅れてくるとのことで、私は一人会場へと移動していた。あと、ほんの数メートル。手前にある交差点。信号が青から赤に変わり、それまで止まっていた歩道側に居た人たちが動き出す。いつも通学の時に聞き流していたあの独特のメロディーが耳に入る。少し逸る気持ちを抑えつつ、私は横断歩道へと踏み出した。この白と黒のコントラストが、その時は夢への懸け橋のようにも感じられていたのかもしれない。正直、浮かれていた。だから・・・・ってわけじゃないけど。気づかなかった。巨大な鉄の塊が、猛スピードでこっちに向かってきているのを。
「危ないッ!」
切羽詰まった声に、私は振り返る。その声の主を視界に収めきる前に、私の体は軽く宙を移動していた。前にではなく、元居た歩道まで戻されるようにして引っ張られているのを、ゆっくりとした時の中で悟る。それと同時に、まるで私と入れ替わるようにして道路へと投げ出されていく背中も。走馬燈・・・・って、言うのかしら。訳も分からないまま、それでも身代わりが如くどんどん吸い込まれていくように、倒れ行くその人に向かって、私も手を伸ばす。最中、理解してしまう。この後、この人がどうなってしまうのかを。それが嫌で、私は精一杯の力で手を伸ばし―――・・・・。
その手を、握ることができなかった。
◇
トラウマ・・・そう、トラウマ。こうやって考えに耽っているといつも思い出しちゃう。そのせいで好きなものでも嫌いに感じてしまう時が沢山あった。だから・・・・なのかな。最近はあまり鍵盤にすら触れられていない。・・・・完全に嫌いになった訳じゃないんだけどなあ・・・。
「・・・・海の音、か・・・」
ピアノ経験者でもあるお母さんからもらったアドバイスに沿って、私は家を出て近くの浜辺まで来ている。桟橋の先端に立ち、じっと水平線を眺めながら、ただぼーっと考え事をしていたらあの時の事を思い出しちゃった。
「はぁ・・・」
また溜息。というかここに来てから溜息しかついてない気がする。考えても考えても、いまだに手がかりすらつかめない。出ることのな
い答えにだんだんと募ってきた苛々に身を任せ、最終的に私がとった行動は服を脱ぐこと。元々中に水着も着てるし、周囲には人影もないし車の通りもない。おまけにこの苛々もあってか普段の恥ずかしがりやな所もどこへやら。制服を脱ぎ捨て、学校指定の水着になった私は激情のままに助走をつけ海へ―――
「危ないッ!」
「えっ・・・!?」
―――ダイブした。
◇
「むぅ、果南ちゃんのお店に行ってるんだったら手伝ってくれても良かったじゃん。今日休みだって知ってるんだからね!」
不満全開で私は隣を歩くアオ君にぶちまける。だってさ、酷いんだよ!?お店休みなのに、連絡したらバイト中だからって言ってたくせに実際行ってみたら果南ちゃんにお昼ごはんごちそうになって昼寝しちゃってるし、それならスクールアイドル部の部員集め、手伝ってくれてもいいじゃん!
「えー、だって腹減ったし眠かったし。学校じゃダイヤがうるさいから寝れなくてな・・・」
「あ、そうなんだ。なら仕方ないね・・・・って、仕方なくない!」
「ハッハッハ。千歌もまだまだだなぁ―――あああああ!?」
いつもの調子で意地悪をするアオ君だけど、急に大声を出して後ろを向いたからびっくりする。いきなりどうしたんだろう?反応からして、何か見ちゃいけないものでも見たって感じだけど・・・。そう思って、さっき見てた方を私も見てみる。そこには、桟橋の先端で服を脱ぎ捨てている女の子が・・・・って、服を脱ぎ捨ててる女の子ぉ!?
「大変だあああ!?」
何があったのかはわかんないけど、早まっちゃダメだよ!私は一目散に駆け出して、その子の腕をつかんだ。ジタバタと暴れる女の子。
なんか言ってるけど、この季節じゃ海水は多分人の入る温度には低い・・・・って、たしか果南ちゃんが言ってたから、きっと危険が危ないよ!というか、意外と力強い!?
「うううう・・・・ッ、あ、あああああ!?」
なんとか踏ん張ってみるけど、やっぱりだめで二人とも海の中へと落下する。
(つ、冷たい!)
急な事に体もこわばってうまく動けない。おまけに服も着てるから水分を吸ってまるで重しを付けてるみたいに重く、そして絡みついてくる。私、川とか浅瀬で水遊びしたりするぶんには大丈夫なんだけどちょっと泳ぎ苦手なんだよね・・・・なんて、暢気なこと考えてる場合じゃない!い、息が・・・・!
ザブン。
私達とは違う、後から少し遅れて聴こえた音。二人ともうまく動けないでいるところに差し出された手は、とっても暖かかった・・・。
「―――ふえっくしゅん!」
壮大にくしゃみをしてみれば、次にぶるりと体が震える。季節的には春だけど、まだまだ海に入るにはちょっと冷たい。というかこの子なんで海に飛び込んだりしたんだろ?理由が気になった私の視線に気が付いたのか、目が合った。
「えっと・・・」
何か話そうとして言葉に詰まった、って感じでどもってしまう。
「・・・千歌、まずは謝ることだろ?」
肩でしていた息を整えてから、寝転がっていた砂浜から身体を起こしてアオ君が言う。制服は海水でびしょびしょに濡れていて、細かい砂利が全身についてる。もちろん顔にも・・・・
「・・・ぶふぅ」
顔に付着してる砂が髭みたいになってて、それがおかしくて思わず吹き出す。それにムッとなったアオ君が私の鼻の頭を摘まんで―――って!?
「ちょ、痛い痛いい!?」
「早とちりして海にダイブした挙句、溺れかけるなんて果南に話したら雷落とされるぞ怪獣チカチー」
ちょ!?なにそのあだ名!?くつじょくのきわみだよ!
「・・・フフッ」
ホラ!初対面の子に笑われちゃったじゃんか!やっとの思いで解放された私は鼻を抑えながらジンジンくる痛みに耐えつつ笑い出した彼女に目を向ける。・・・うん、さっきとは違う明るい表情になったし。これはこれで良しとしますか。
「ご、ごめんなさい・・・おかしくって・・・っ!」
「・・・ね、なんで海に?」
このタイミングしかない。そう直感した私は聞きたかったことをついに切り出す。見かけた時は随分と思いつめたような顔をしてたから、なにか深刻な悩みがあるんじゃないかなって思う。いきなり会ったばかりの私達に話すとは思えないけど・・・でも、やっぱり気になったから。だから聞きたい。
「・・・海の音が聴きたかったの」
「海の音?」
「うん。私、ピアノをやってるんだけど・・・ちょっとスランプでね。それで色々考え事してたら、ここに来てた」
ピアノ・・・あ、そうだ!
「ピアノならアオ君だよ!」
私にフラれて「あ?」って顔をするアオ君。気を抜いてると話についていけなくなるよ?
「貴方も、ピアノをやってるの?」
◇
千歌から話をフラれて思わず間の抜けた声で返してしまう。千歌の向こう側から件の女の子がひょっこり顔を出してそう投げかけてくる。
「・・・・やってた、だ。今はもう触れてすらいない。昔の事だから、きみに何かを言えるほど今の俺には何もない」
嘘はついてないし、言うつもりもない。だから今千歌から向けられる「イジワル!」っていう抗議の顔と視線はスルーしていいと思う。
「そういえば、ここら辺の学校じゃないよな?制服からして」
「あ、うん。私、東京の音ノ木坂ってとこに通ってて――」
「音ノ木坂ぁ!?」
耳をつんざくほどの大声で千歌が反応を示したことでこれまでにない位の耳鳴りを覚える。すぐさま隣に詰め寄り、目をキラキラさせながら質問攻めをくりだした。
「東京の、しかも音ノ木坂と言えばユーズの母校だよ!」
「ゆーず・・・?なにそれ」
「あー、スクールアイドルってやつだ。どうやらきみンとこの学校のグループはその界隈じゃかなりの有名人らしい」
まあ、ぶっちゃけ俺も千歌から聞きかじってるくらいだからあまりよくは知らないんだけどな。スクールアイドル自体は知ってるけど、千歌の言うユーズもその活躍も特に興味はなかったから。
寄せては返す波。いつもと変わらない光景を見つめながら、千歌は憂いを帯びたような瞳で話し始める。
「私ね、普通なの。普通星に生まれた、普通星人」
「怪獣の間違いだろ」
マジメなところだから。そう目とムッとした顔で訴えてくるので黙ることにする。
「私の周りには、いつもキラキラ輝いてる人たちがいた。でも、私はただそれを見てるだけで・・・・。夢中になれる何かを、ずっと探してた。けど何やっても続かなくって。そんな時に、出逢った。私と同じ、普通の女の子たちが、ステージの上でキラキラ輝いていて、歌とダンスで沢山の人を笑顔にしてた・・・。だから私も、なりたいと思ったの。あの子たちみたいな、スクールアイドルに!」
笑顔で話す千歌。屈託のない、太陽のような笑みを見た俺は思わず反射的に目を反らしてしまう。あの千歌が、何をやっても続かなくて、自分からは何もしようとはしなかった千歌が。いつの間にか、こんな風に話すようになったんだ。
―――夢中になれるものを見つけたんだな。千歌。
「・・・なれるといいね」
「うん!ありがとう」
「さて、ここにいつまでもいると本当に風邪をひくぞ。そろそろ戻らないと」
いくら春とはいえ海水の温度はまだ低めだ。それに空も曇ってきて気温も低くなってきている。このまま濡れたままでは体調を崩すことになりかねない。立ち上がってズボンについた砂を払っていると、横に座る女の子も立ち上がろうとする。しかし砂浜で足元が滑ったのか、バランスを崩してしまう。倒れそうによろめいた時、咄嗟の反応で手を掴むことができた。
「あ、ありがとう・・・」
「慣れない土地なんだ。仕方ないさ」
「・・・あの」
「ん?」
「・・・ごめんなさい、なんでもないの」
ん?なんか今一瞬俺の手を握った時ハッとなったような・・・気のせいか?
「あ、自己紹介がまだだったね。私、高海千歌!でこっちが、幼馴染で意地悪な高城 葵君」
一言余計だっての。
「高城・・・・葵・・・・」
「どうかしたか?」
「いえ・・・ちょっと知ってる人に似てたから。それじゃ、またどこかで会いましょう。それじゃ」
◇
自宅に戻って、部屋に入ったらクローゼットの下部分を占める棚の中にある、アルバム。それを開いて、一枚の写真を私は取り出す。ちょうど、中学生の頃。写真に写るのは、コンクールで賞を取った時にお母さんに撮ってもらったもの。華やかな衣装を着て賞状とトロフィーを手に、少し照れくさそうに笑う姿。その奥、私の目はその後ろに見切れていた人物に直ぐ釘づけになった。
「・・・まさか、ね」
苦い記憶を振り払うように、私は取り出した一枚をアルバムにしまい、元に戻した。