夜明けと共に、ヒソカとウボォーギン以外の団員が仮宿に戻って来た。
情報を得る為と、運搬役であった陰獣の一人を捕らえて来たらしく、尋問にフェイタン、見張りの交代要員でフィンクスはそのまま別棟へと向かった。
残りのメンバーはそれぞれに仮宿内を自由に過ごし、瓦礫だらけの倉庫跡らしき場所には現在、半分寝かけのボノレノフと、うつらうつらとしているコルトピ、そして古書を読むクロロがいる。
静寂に包まれている中、アリシアの声が僅かに響いた。
「何を読んでいるの?」
廃ホテルから来たアリシアは、古書を読むクロロを発見するや否や、その隣に腰を下ろした。
「……古い歴史書だ」
「ふーん。クロロは本が好きなの?」
始めは古書から目を離さなかったクロロは、『本が好きなの?』という質問に反応してアリシアを見つめた。
「ああ、本は好きだ。お前は本が好きか?」
「好きよ。だって色んなことを教えてくれるもの」
アリシアが知ってる本といえば、母親から与えられた絵本のみ。けれどその本だけが唯一、自分以外のヒトの存在を知らせ、森以外の世界を教えてくれたのである。
「……そうだな」
クロロは優しい目つきで読みかけの古書を閉じると、自分の近くに積み置いている中から一冊を取り出した。
「これは、表紙が好みで試しに手に入れて読んでみたんだが──」
深緑一色の表紙は、まだ新しいようにも見える。厚みは4㎝程で、『彼女は知らない世界で』というタイトルだった。
「つまらなくはない、が。……オレには少々物足りなかった。だが、お前なら気にいるかもしれん」
クロロはそう言うと、その本をアリシアの目の前に差し出した。
「──え?」
アリシアは目の前に出された本とクロロを交互に見つめ、『もしかして、プレゼント?』と訊いた。
「プレゼント? そういう事になるのか……? 売るにも大したモノにはならないし、どうしようかと思っていたところだ」
アリシアの手を取ったクロロは、その手の上に本を乗せる。
「後はお前の好きにすれば良い」
「わたしの好きに……?」
アリシアは本の表紙を指でなぞり、満足らしく笑みを漏らしながらそれを抱き締めた。
「クロロからのプレゼント、大事にするわ。ありがとう……!」
放たれた甘い香りは、読んでいる途中で閉じた古書をまた開こうとするクロロの鼻腔を
早く読んでみたいと立ち上がったアリシアは、クロロから少し離れた場所に移動すると、ワクワクとしながら本を開いた。
『彼女は知らない世界で』
ベルはどこにでもいる普通の少女だった。
物語冒頭の一行目にはそう書かれていた。
クロロから貰った本は大衆文学の所謂、よくある異世界モノである。
階段から転げ落ちた少女が見知らぬ異世界で目覚め、元の世界に帰る方法を探しながら旅に出るという物語だ。
文字ばかりの本をいざ読めるのかどうかという心配はあったものの、ルビを振られていたおかげでそれは難なくクリア出来そうだった。
アリシアは心の中で辿々しく読んでいくと、徐々に物語の中へと引き込まれていった。
9月2日日夜。
地下競売の品が盗まれた事により、マフィア側がなんとかして取り戻し報復しようと、競売を装って
一人でも多くの人材が欲しかったのか、表の競売上では幻影旅団であるとは発表されなかった。
顔が割れたのは、ウボォーギンにノブナガ、シズクにシャルナーク、フェイタンとマチ、フランクリンの七名。
金額は標的一名につき、20億ジェニーの小切手だった。その情報は、団員達も既に得ている状況である。
そして、標的の一人になったウボォーギンは時間を過ぎても戻らなかったが、ヒソカは時間ギリギリに仮宿へと一人戻ってきたのだった。
旅団のメンバーを集合させ、今は戻らないウボォーギンの行方と、それに関係しているであろう鎖使いの人物について話し合いが行われた。
操作系か具現化系か。先ずは鎖使いの系統を予想。圧倒的な戦闘力を誇っていたウボォーギンだが、一対一で敗れる可能性が高いのが、この両タイプである。
具現化系は、物体化したものに特殊な能力を付加する能力者が多い。その能力次第では、ウボォーギンの力が通じない場合があった。操作系であるなら、ウボォーギン本人が操作されてしまうともう致命的だ。
「やっぱりオレもついて行くべきだった。……くそっ!」
ウボォーギンの単独行動直前まで一緒だったシャルナークが苛立ちを募らせる。
「夜明けまで待って戻らなければ、予定変更だ」
しかし結局、ウボォーギンは朝を迎えても戻りはしなかった。
予定は変更となり、クロロの新たなる命令が出されようとしていた。ウボォーギンの行方は鎖使いが握っている筈である。団員は誰も鎖使いの顔を知らない。その人物を捕まえるには情報が必要だった。
「ノブナガ、マチは
「それだけか──?」
クロロに目だけを向けて、ノブナガが問う。
「それだけだ。オレは別口を探る。フィンクス、一緒に来い」
「わかった」
「後のメンバーは全員仮宿に待機だ」
ノブナガとマチがラフなジャージに着替えてから仮宿を出た後、クロロの命令は密かに変更された。
「フィンクス、お前はパクノダと
「はあ? なんの為に?」
「顔が割れているあの二人が表に姿を出せば、鎖野郎本人もしくは、仲間のマフィアをおびき出せるかもしれん。そいつらから情報を得れば良い。お前達はノブナガとマチにおびき出された奴らを後方から尾行しろ」
「何でまたあいつらには言わなかったんだ?」
「敵を騙すにはまず味方からでしょ」
パクノダがクロロの代わりに答える。
「そうだ。敢えて言わないことで、あの二人も普段通りに振る舞えるようになるからな」
「……なるほど」
フィンクスはそれを納得し、パクノダと一緒にノブナガとマチを追って行った。
クロロはといえば、別口を探ると言って、単独で仮宿を出て行ったのだった。
それから夕方近く経った頃だろうか。シャルナークのケータイに、パクノダから連絡が入った。
「ノブナガとマチを尾行してきた子供二人、捕まえたってさ。もう直ぐしたら此処に連れて来るって」
「子供? 鎖野郎の仲間か?」
フランクリンが訊ねる。
「どうだろうね……。鎖野郎に繋がってたら良いんだけど」
静かで穏やかな空間が、少しだけピリピリとした雰囲気に変わる。今まで本に夢中になり過ぎていたアリシアはこの変化を感じ取り、やっと我に返った。
「──ヒソカ、戻ってたの?」
ヒソカが戻っていた事も、クロロ達が仮宿を出ている事も、アリシアは今の今まで気付いていなかった。それほど、本を読むのに没頭していたのだ。
「キミが物凄く夢中だったからさぁ、邪魔しちゃ悪いと思ってね♠︎」
「気づかなくてごめんなさい。……あ、ねえ、ヒソカ」
アリシアはこの緊張感のある空間を不安に感じ、こっそりとヒソカに耳打ちをした。
「みんな、何か、あったの?」
「色々と、ね……♣︎ もう少ししたら誰かがやって来るけど、キミはおとなしく見物でもしてて♠︎」
「喋っちゃいけないってことね?」
「だね♦︎ 静かに本の続きでも読んでたらイイよ♠︎」
ヒソカは、どこか楽し気に声を潜めて言った。
「戻て来たね」
フェイタンの声に皆が入り口の方へと注目すれば、張り詰めた空気がより高まった。
──あ!
ノブナガとマチ、フィンクスにパクノダが捕まえたという子供二人の姿を目で捉えた瞬間、アリシアは思わず声を上げそうになった。
何故ならその子供二人は、天空闘技場で会ったゴンとキルアであったからだ。
「あの子達のことは、何も知らないふりをしてればイイ♥」
耳元でヒソカの囁きが僅かに聴こえた。
──知らないふり?
どうして知らないふりなどしなければならないのか。直ぐにでも訊きたい衝動に駆られはしたけれど、アリシアはそれをなんとか我慢して、今はヒソカの言うとおりにしようと思った。
──あ、わたし、フードを被ってない。
今のアリシアがフードマントを身に付けていなかったお陰なのか、素顔を知らないゴンとキルアがアリシアに気付いた様子はない。
「あっ!」
しかし、その隣にいるヒソカには気付いたらしいゴンが思わず声を上げる。
「何だ? 顔見知りでもいるか?」
ノブナガに問われてしまい、ゴンはしまったと焦り顔。どうやらこの二人も、何やら事情を抱えていたようだった。
──誤魔化せるか?
咄嗟の判断をしたキルアは、ヒソカの近くに座るシズクを指差した。
「あ!
「何だ、シズクの知り合いか?」
フィンクスに訊かれたシズクは、『ううん、全然』と答える。
「ああ……、思い出した。腕相撲してた子供ね」
「なんだっけ? それ」
一昨日、地下競売会場に向かう途中でフェイタンとフランクリンと一緒だったシズクは、条件競売をしていたゴンと落札条件である腕相撲をして負けていたのだそうだ。しかし、当のシズクはその事をすっかり忘れてしまっている様子である。
「ムリね。シズクは一度忘れたこと思い出さない」
「ウソだよ。いくらあたしでも子供には負けないよ」
フランクリンはすかさず、『いや、その時お前、右手でやったから』とシズクに突っ込みを入れた。
「何で? あたし左利きだよ」
「……いや、いい。オレの勘違いだった」
これ以上は何も言うまい。フランクリンは諦めた。
「ほぉ、お前ェ、シズクとやって勝ったのか」
ノブナガが興味有り気に言う。
「うん」
「まさか旅団の人だとは思わなかったなぁ」
一応は話が逸れた事に、キルアはホッと胸を撫で下ろしていた。
「──よし、ならオレと勝負だ」
丁髷を下ろしていたノブナガは、髪を後ろに一つ束ねて言った。まさかの腕相撲の流れである。
知らないふりをして黙っていたヒソカは、ゆっくりとその場からアリシアの横を通って移動すると、腕相撲を始めたゴンを見守るキルアの背後に立った。
簡易な作りの腕相撲台では、早くも鈍い音を立ててゴンの右手が打ち付けられた。
「もう一度。──レディ……ゴッ!」
ノブナガはまたもゴンの右手を台に打ち付けた。ゴンの手の甲は、打ち付けられたせいで血が滲んでいる。
「なァ、オレぁ
「7〜8番ってとこじゃねーか?」
「弱くもないけど、強くもないよね」
フランクリンとマチがノブナガに答えた。
「──でよ、一番強ェのがウボォーギンて男だったんだが、こいつが鎖野郎にやられたらしくてな」
「だからそんな奴、知らないって言ってんだろ?」
「おいガキ……次に許可なく喋ったら、ぶっ殺すぞ」
ノブナガはキルアを睨みながら、更にゴンの右手を打ち付ける。
「奴ぁ強化系でな、竹を割ったようなガチンコ好きの単細胞だ。その反面時間にうるさくてよぉ……よく遅刻が原因で、オレやフランクリンと喧嘩になったが、オレは素の殴り合いじゃ、ボコられっ放しだった」
ノブナガはウボォーギンとの思い出を頭に浮かべながら語り出した。
「旅団設立前からの付き合いだ。オレが誰よりも、よく知っている」
ゴンを掴む手に力を込め、ノブナガは打ち震えながら涙を一粒流した。
「あいつが戦って負けるわけがねェ。汚ねェ罠にかけられたに決まってる! 絶対に許さねえ、何人ぶっ殺してでも探し出す」
鎖使いは旅団に強い恨みを持ち、マフィアのノストラード
「直接知らなくても、噂で聞いたりしてねぇかよく思い出せ。心当たりがあったら今隠さず全部喋れよ」
「知らないね。たとえ知ってても、お前らなんかに教えるもんか」
ノブナガと掴み合っている右手により強い力を込めて、ゴンは言う。
「仲間の為に泣けるんだね。幻影旅団は血も涙もない連中なんだって、オレは思ってた。だったらさ、なんでその気持ちをほんの少し……、ほんの少しだけで良いから、お前らが殺した人達に何で、──何で分けてやれなかったんだ!!」
この場にいる全員に衝撃が走る。ノブナガの右手が、ゴンによって台に打ち付けられてしまったからだ。
刹那に動いたのはフェイタンである。ゴンの左手首を掴み、背中側に腕を捻り上げると、台の上にそのまま押し付けた。
「お前、調子乗り過ぎね」
「ゴン!!」
キルアがそれを止めようとした時、ヒソカが一枚のトランプをキルアの首元に当てて言った。
「動くと、今以上に切れるよ♠︎」
当てられたトランプにより、キルアの首は僅かに切れてしまっていた。
「質問に答えるね。鎖野郎、知らないか?」
「言っただろ、お前らに教える事なんか一つもない!!」
「フェイタン!」
咄嗟的に止めたのはノブナガである。
「やめろ」
「何をやめるか?」
「オメェがやろうとしていることだよ」
ノブナガにはわかっていた。フェイタンがゴンの腕をへし折ろうとしている事を。
「ふん、始めは指ね。軽く爪剥ぐ」
「どこでもいい。とにかくやめろ」
「何故お前、私に命令するか? 従う必要ないね」
ノブナガとフェイタンの間に流れる緊迫した空気を、フランクリンとマチ、シズクが断ち切った。
「おい、やめとけノブナガ」
「ルール、忘れてないだろうね」
「団員同士のマジ切れ、御法度だよ」
コインの出番である。
ノブナガはコイントスをし、それを取って押さえた。フェイタンが裏で、ノブナガ自身が表。結果は表だった。
「フェイタン、放してやれ」
フィンクスが言うと、フェイタンは仕方なくゴンを放した。しかし、まだ鎖使いの事を二人から訊き出せてはいない。
「知らねぇなら解放してやればいいさ。どうだ? パクノダ」
フランクリンはパクノダに目を向けた。それは、パクノダの念能力の一つに、人や物に触れる事で記憶を読み取れるという能力があるからだ。
「来る途中調べてみたけど、二人共本当に心当たりはないわね」
「本当?」
「ええ、この子達に鎖野郎の記憶はないわ」
「珍しくハズれたな、お前の勘」
その場に腰を下ろしたノブナガが、マチに向けて言った。
「……おかしいね。まあ、パクノダが言うのなら間違いないんだろうけどさ」
鎖使いと関係ないのなら、二人をこのまま帰しても良いのではという流れになろうとしている中、フィンクスが口を開いた。
「関係ないとは言い切れねえぞ。後ろで糸を引いている人物がいる筈だぜ」
もし鎖使いが普段に鎖を身に付けていなかったとしたら。だとしたら、ゴンやキルアが鎖使いだと認識していないだけかもしれない。解放するのは黒幕を吐かせてからの方が良いのではないか。フィンクスがそう言えば、シャルナークが横から否定した。
「黒幕がいたとしても、そいつは鎖野郎じゃないよ。奴は単独で行動してる筈だから」
わざわざ子供を使わなくとも、ノストラード組を通じて情報はいくらでも入ってくる。それは、鎖使いが組に所属しているからだ。
「オレ達の標的は鎖野郎だけだ。それ以外は放っとけば良い」
「……だ、そうだ。よかたな、お家帰れるね」
小さな子供に言うように、半分小馬鹿にしたフェイタンが背を向けると、ゴンはその背中にあっかんべえを仕返した。
「──いや、駄目だ。そいつは帰えさねぇ」
二人を解放するという流れで漸くまとまろうとしたところで、今度はノブナガである。
「ボウズ、旅団に入れよ」
ノブナガは何を血迷ったのだろうか。ゴンを旅団に入れようと提案したのだ。
勿論、ゴン本人は頑なに断った。しかしノブナガは諦めない。ゴンの中に、ウボォーギンに通ずるふてぶてしさを見出してしまったからである。
「団長が戻るまでこいつら、此処に置いとくぜ。入団を推薦する」
「本気かよ!?」
「団長が認める筈ないね」
フィンクスとフェイタンは半ば呆れるように。マチも、『暑さで頭やられたんじゃない?』と言った顔をしていた。
「見張りはお前が一人でやれよ」
というわけで、ノブナガは一人でゴンとキルアを監視下に置き、仮宿内で監禁する事にしたのだった。
日暮れ。ノブナガ以外の団員は、今日収穫出来たマフィアに関する情報等について話し合っていた。
「これだけ動き回って、全く姿を見ないってのは不自然だもんね」
「今日一番の収穫が、ガキ2人だからな」
「奴等が諦めたとは思えないから、次の作戦に向けての準備期間だと考えられる」
シズクとフィンクス、そしてシャルナークが言った。
鎖使いをおびき寄せつつ、襲ってくるマフィアを締め上げ、鎖使いの情報を得るという予定は狂ってしまった。
「仕方ないから、逆にこっから積極的に狩りに出ようと思う」
シャルナークはハンターサイトで入手した、ノストラード
「特にこの5人は重要人物だ。ボディーガードとして、組長の娘に付いているらしいんだけど」
「娘?」
フランクリンとパクノダは、渡された顔写真リストに目を通す。
「ウボォーをさらったのがこいつらだ。けど
シャルナークは、皆と少し離れた場所に座るヒソカにリストを渡す為、名前を読んだ。
「ヒソカぁ」
「いらない♠︎」
「え?」
「だって載っていないんでしょ? 鎖野郎ての。なら、あってもなくても同じ、無駄無駄♦︎」
「かもしれないけどさ……」
折角用意したのに。シャルナークが思っていると、マチが横から口を挟んだ。
「いらないって言ってんだからさぁ、無理にやることはないよ」
「その通りだ。後左上のヤツ、バツつけといてくれ」
マチに同意したフィンクスが、リストを指して『コイツ、オレが殺った』とも続けた。
──まとまりが無いんだかあるんだか。
やれやれと溜め息を漏らしたシャルナークは気を引き締めるように、引き続き二人組で行動してリストの人物探しを全力で挙げるよう声を張るのであった。
「ノブナガは留守番だろ? あたしは?」
午後10時に仮宿集合という事も決まり、其々が行動に出ようとしていた頃、マチがシャルナークに声をかける。
「丁度10人いるから、誰かあまった奴と組みなよ」
あまり……?
マチはふと周りを見た。皆は既に組み終わり、其々に出発を始めているではないか。だが、一人だけあまっている──ヒソカが。
大丈夫かしら……?
アリシアは、ゴンとキルアの二人が監禁されているであろう方向を見ていた。
「大丈夫だよ♦︎」
アリシアの近くで座っていたヒソカが、その場から立ち上がって言った。
「あの子達を心配してるんだろ?」
「ヒソカは、心配じゃないの?」
「別に♠︎ だって、あの子達はそんなにヤワじゃないし……♦︎」
「あんたさぁ──」
背後から、マチの平淡な声がした。
ラフな格好からいつもの服装に着替えてきたマチは、背中を向けたままのヒソカを横目で見ている。
「あの腕相撲の子と顔見知りよね? にしては、お互いよそよそしくなかった?」
ヒソカは、口の両端を吊り上げながらくつくつと笑うだけで何も答えない。
「……さっさと行くよ」
マチは面倒だと諦めたのか、それ以上は説明を求めずに、仮宿から出発するようヒソカに促した。
「オーケー♥ あ、ねぇマチ、アリシアも連れて行こうと思うんだけど、かまわないだろ?」
ヒソカの言葉に対して、マチとアリシアは言い合わせたように『え?』と声を揃えた。
「はあ? 何で連れてく必要あんのよ」
「そりゃあボクと2人っきりで行く方がキミも嬉しい──」
「それは絶対無い」
最後まで言わすまいと、マチは遮った。
「ヒソカ、わたしひとりでも平気だから」
アリシアはヒソカの側に近寄ると、マチには聴こえないように小声で告げた。
「折角だからマチと二人で行くべきよ。お邪魔虫はお留守番してるわ」
「え?」
「──え?」
ヒソカの反応に対し、もしかして間違えてしまったのかというような顔をしながら、こういうのが『空気を読む』のではないのかと、アリシアはひとり考えに耽る。
「よーくしんに来る前に見たテレビの番組でね、人が言っていたのよ。『空気を読みましょう』って……」
「何それ?」
アリシアが見たバラエティー番組に『空気の読み方講座』というのがあって、その中の例えに"友人カップルのデートに付いて行くのは空気を読めてない"とあった。
ヒソカにマチが恋人だと信じ込まされているアリシアは、この状況がまさに『空気を読む時』だと思い出し、読み方講座に倣って実践を試みてみたのだ。
「えっとね、だから、二人でどうぞって意味なの」
「……キミなりに気を遣ってくれてるのはわかったよ♠︎」
「ちょっと、何ちんたらやってんの? 早くしな!」
アリシアとヒソカの話のやり取りに痺れを切らしたらしいマチは、一人先に出て行ってしまった。
「じゃ、行ってくるから♦︎」
「いってらっしゃい」
二人だけで行くとわかったアリシアは、何故か満足気に手を振ってヒソカを見送ると、放置されていた木箱の上に腰を下ろして読書を再開した。
「お・ま・た・せ♥」
「別に待ってないよ」
先に前を歩くマチに追いついたヒソカは、少し後ろに付いて歩きながら忍び笑いをした。
「アリシアは"空気を読んで"お留守番してるってさ♥」
「あっそう」
少しだけ沈黙を貫いた後、マチは沈みゆく夕日に目を向けたまま、再び口を開いた。
「──あのアリシアって奴、今自分が置かれてる状況理解してんの?」
「さあ? 彼女は初めからあまり自分自身を追究しようとはしなかったし、『一族の最後の生き残り』なんて突然言われても、ピンと来てないんじゃないかなぁ♥」
「にしてもあたしらに警戒心無さ過ぎじゃない?」
あれでも少しは警戒心芽生えてる筈だけど。ヒソカは心の中で呟いた。
「……今は、何も危害が無いからねぇ♥」
「何よ、なんか引っかかる言い方だね」
「何も無ければ、何も無いってことでイイじゃないかなぁ♥」
ヒソカの含みある言い方に、マチは眉間に皺を寄せる。
「しかし蒸せるねぇ♥ この時期って夜も蒸し暑いからさぁ、すぐ汗かいちゃって肌がベタついちゃうよ♥ ──ねえマチ、あそこで休憩しないかい?」
ヒソカが立ち止まって指差す先には、ホテルの建物があった。
「一人で行ってな」
「つれないなぁ〜〜♥」
マチはいつものように冷たくあしらうと、シャルナークから渡されたリストの人物の事に、今は意識を集中するのだった。
陽は完全に暮れて夜。
十老頭は、1日に起きた教訓から、会場をセメタリービルへと移動して厳戒態勢を敷いた。
裏では賞金をかけて装った競売で集まった人材に、対
その頃、二人組でリストの人物を探しながら市内を目指していたノブナガ以外の旅団員達は、先に行動を起こしていたクロロからの連絡を受け、セメタリービルに進路を変更。団員達に、その道中での暴れ方に珍しく条件をつけた。
『派手に、
市内の検問は旅団員にいとも簡単に破られ、止めようとするマフィアらが次々と殺されていく。
華やかで美しいヨークシンの夜の街は、爆発音や銃撃による発砲音、そしてマフィア達の阿鼻叫喚によって、恐ろしい旋律を奏でていた。
──ウヴォーさん、聞こえますか?
ウボォーギンの死を知ったクロロによる、旅団員からウボォーギンへの
「くそっ、アイツら何処へ行きやがった?」
他の団員達が街で暴れている一方で、仮宿で留守番をしていたノブナガはというと。目の前で見張っておきながらなんと、ゴンの策略に引っかかって二人を逃がしてしまっていたのであった。
とりあえずノブナガは仮宿の周辺を探し回ったが、既に遅かった。ゴンとキルアは、この場所から遠くへと離れてしまっていたからだ。
「まんまとやられたぜ。……ったくよぉ!」
勢いで壁を殴りつけたが、怒りよりも残念である気持ちの方が強い。
あーあと溜め息混じりに待機場の荒れた倉庫入ったノブナガは、真っ暗闇の中を面倒くさそうにして、蝋燭の一つ一つに火をつけていった。
「──ん?」
最後に端の方にあった蝋燭に火をつけようとした時だ。
近くで規則正しい寝息が微かに聴こえる。ノブナガは辺りを見回し、大型サイズの木箱の後ろ側を覗いた。
こいつは……。
木箱にもたれて寝息を立てて眠っていたのは、アリシアだった。どうやら、本を読みながらそのまま眠っていたらしい。
「おい、起きろ」
ノブナガはめんどくさそうにアリシアの肩を揺すった。
「……んっ」
何度か揺すられて起きたアリシアは、寝惚け眼で小さく欠伸を漏らした。
「一人か?」
「そうよ……、あなたは──」
徐々に意識に頭が冴えてくると、アリシアはやっと目の前の人物がノブナガであることに気付いた。
「あの子達は?」
「あ? アイツらか……?」
アリシアが誰の事を訊いたのか直ぐに理解出来たノブナガは、数秒黙った後に『逃げちまったよ』と、ばつが悪そうに答えた。
「逃げた?」
『だって、あの子達はそんなにヤワじゃないし……♦︎』
だからヒソカはあの時、ああ言ったのだろうか。ゴンやキルアの二人が逃げたと知って、アリシアは心の中でほっと安堵していた。
そんなアリシアを横目で見ながら、ノブナガは目の前の蝋燭に火をつける。
──ミムノ……なんたらだっけか?
──しかしよォ、よく見りゃあまだまだ
普通とは違う、際立つ美しさはあるが、アリシアの顔にはまだ幼さが残っているのだ。
──小娘にゃあピクリとも来ねぇ。
何でもイケるアイツじゃあるまいしと、頭に思い浮かべたのはヒソカである。
すると突然。建物の隙間のどこからか吹いた夜風が、ぬるりとアリシアを撫でて通り過ぎ、その時の風に乗った僅かな甘い香りが、ノブナガの鼻腔を
甘ぇ…………。
甘いのに嫌ではない。むしろ心地が良い。蝋燭の灯りも相俟って、ノブナガの目にはアリシアが異様に艶めかしく映った。
──甘い匂いのせいか?
ノブナガは、何度か手の甲で自分の目をゴシゴシと擦った。
「どうか、したの?」
真横にいて気になったのか。アリシアは少し、ノブナガを警戒しつつも見つめ返した。
「あ? ……んでもねーよ」
目元から手の甲を離せば、自分を見つめるアリシアと目が合う。アリシアの瞳には星々が輝いているようで、ノブナガはその異様とも思える美しさに息を呑んだ。
その瞬間──。全てを掴まれてしまうような感覚に囚われて、最後に意識までもがアリシアの奥に吸い込まれそうになった。
「────やめろ」
なんとか我に返ったノブナガは、アリシアから焦るようにして背を向けた。
危ねぇ……っ
つい今し方まで何も思わなかったというのに。
意識まで吸い込まれそうになったあの感覚は、恐ろしい程の恍惚感があった。これ以上アリシアの近くに居続けるのはマズイと、ノブナガはアリシアから距離を置いた。
当のアリシアはというと、遠く離れて座ったノブナガを最初は不思議そうに思って見ていたのだが、そのうち何事も無いと判断した様子で、本を読み始めている。
──念、か? いや違う。
凝でアリシアを見るが、何もない。
──そういやぁ、団長が言ってたな。
『彼等は特殊な人間で、独特の甘い香りには人を魅了する成分が含まれ、その香りに取り付かれた者は数知れず──』
クロロからの説明を思い出しながら、これが
と同時に、魅夢の一族であるアリシアという存在を薄気味悪く感じながら、ノブナガは団員の戻りを待つのだった。