魅夢の一族   作:あまてら

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オリストのターン






隻眼とのカイコウ

 

 

 

 

 少年は、左の眼に熱い痛みを感じながら、埃や土臭いコンクリートの地面にうつ伏せの状態で目を覚ました。

 ──身体中が痛い。

 それは、右腕と肋骨の何本かが折れているからだった。

「お、お姉ちゃん……っ」

 裸でうつ伏せに倒れている姉のもとへと這いながら向かえば、全身に熱い痛みが走る。

「お姉ちゃん……!」

 気絶しているのか、顔が反対方向に向いているせいでよくわからない。必死で這って、這って、這って。呼んでも反応の無い姉に向かって、少年は左腕を伸ばした。

 やっとの思いで姉の腕を掴めば、どくりと自分の心臓が震える程に、人の肌の冷たさを感じた。

「お、……お姉ちゃん!」

 まさか、嘘だ。恐ろしさに痛みを忘れた少年が、慌てて擦り傷だらけの姉を抱き起こす。

「うわあああああ!!!!」

 少年は泣き叫んだ。

 右眼は無残にくり抜かれ、光の無い左眼が虚ろに開かれたまま、姉は既に死んでいたのだ。

 廃墟の中で少年の悲痛な叫びが響き渡る。その右眼には溢れる涙、左眼には血の涙。

 少年の左眼もまた、くり抜かれた空洞があった。

 

 

 

 アリシアは、今日もホテルの部屋を抜け出して港に来ていた。

 高い場所から広い水平線を眺めるのも悪くないが、部屋に籠るのは退屈だった。近くの堤防に腰を下ろし、被っていたフードを下ろせば、穏やかな海風に髪がなびいた。

 ──気持ちいい。

 風の気持ち良さに目を閉じたその時である。突然、何者かの熱い視線がアリシアに突き刺さった。

 ──誰?

 アリシアはそれを感じ取ると、その場から立ち上がって辺りを見回し、自分に視線を送った相手を探した。

「気のせいかしら……?」

 何とも言えない視線だったが、今はそれが無い。もしかしたら気のせいなのかもしれないと、下ろしたフードを再び被ってホテルに戻ろうとした。すると──。

 前方から野太い声で雄叫びをあげるが如く、『待ってくれ』と現れた人物が一人。

 息を切らしながらアリシアの目の前に立つのは、およそ2mもあろうかという、雲をつくような体格の良い大男であった。

 いつから切っていないのか、目まで隠れる程のもじゃもじゃしとした癖毛に、顔の大部分を覆う髭。例えるならば、森のくまさんだ。

「あ、あ、あの……」

 深く被っているフードのせいでよく見えない。

 アリシアはフードを下ろし、空を見上げるように男を見た。

「おおおお!」

 間近でアリシアを見た男は、興奮気味に声を上げると、自らの顔をギリギリまで近付ける。

 アリシアはそんな大男に圧倒されて思わず顔を強張らせると、隠すように下ろしたフードをまた被った。

「わ! すまない!」

 恐がらせてしまった。男は慌ててアリシアから離れた。

「そ、その、やっと見つけて……俺のミューズを」

「みゅ、みゅーず? ……って、何?」

 二人の間に妙な沈黙が流れる。

 それを先に破ったのは、目の前の大男だった。

「まあ、そのつまり、ミューズとは芸術の女神の事で…………ってああああもう!!」

 男は若干の恥ずかしさを紛らわせるようにして、頭を掻きむしった。

「単刀直入に言う。頼みがあるんだ。俺の作品のモデルになってほしい!」

「モデル……?」

 アリシアは自分の知る情報を頼りに、頭の中で『モデル』というものが何をするのかを想像した。

「勿論報酬金は出す! 前払いだ!」

 笑顔が苦手なのだろうか。必死に作り笑いをする男を見上げつつ、アリシアは警戒を解かない。

「あの……、わたし、戻らなきゃ。部屋に──」

「あ! 待ってくれ!」

 横を通り抜けようとしたアリシアの肩を、男は咄嗟に掴んだ。

「俺は怪しくない! 見た目はこんなんだが、信じてくれ! これでも一応、名の知れたフィギュア作家なんだ!」

「ふぃ、ぎゅあ?」

 聞き慣れない言葉に振り向けば、男は『あ!』と焦りの声を上げ、アリシアの肩から慌てて手を離した。

「と、とにかく、一度騙されたと思って──」

「え?」

「いやいやいや! 言葉の綾だ今のは。頼む! お嬢さん、どうしてもあんたにモデルになってほしいんだ」

 男は地面に正座をすると、額を地に付けて伏せた。つまり、土下座の形である。

 顔は伏せていて窺い知れないが、その声はとても真剣で、どこか哀しげに感じられた。

「ねえ、顔を上げて。額が汚れてしまうわ」

「駄目だ! 受けてくれるまで上げられん!」

 どうしたら良いのか。自分に土下座をしてまで頼む男を、このまま放って置いて、ホテルに逃げ帰るべきだろうか。アリシアは困り果てた。

「……わ、わかったわ。だから顔を上げて」

「本当か!?」

 男は待ってましたと大喜びで顔を上げると、急いで立ち上がる。

「善は急げ、だ。少し歩くが、俺の家について来てくれ」

 半分押し切られながら、アリシアは仕方なく男に付いて行くしかなかった。

「着いたぞ」

 暫く歩いて着いた先は、街から離れた静かな場所だった。周りに家は無く、男が住むには狭いのではないかと思われるくらいの、こじんまりとした青い三角屋根の平屋が一軒。その横を、小さな川が流れている。

 ここって……。

 まるで、森に住んでいたあの家のようだった。

「どうした?」

 家を見つめながら呆けていたアリシアに、男が声をかける。

「……似ていたの、母様と住んでいたお家に」

 招かれて中へと入れば、閉め切った部屋が埃臭い。

「す、すまない! ここには誰も入れた事が無いから散らかしっぱなしなんだ!」

 男は恥ずかしそうに慌てながら、長い事閉ざしていた窓を開け回った。

 脱ぎ散らかった衣服や物が散乱したリビングらしき部屋を通り、アリシアは導かれるようにして、奥の部屋へと足を踏み入れる。

 ──わあ。

 リビングらしき部屋とは打って変わってこの部屋は、やけに綺麗に整頓されている様子だった。埃一つない大きなガラスケースの中には、何体もの大小様々な種類の人形が飾られている。

「この部屋は作業室だ。アトリエと言った方がいいか」

 アリシアがガラスケースの人形を見ていると、少し遅れて男が入って来た。アトリエだと教えてくれたこの部屋の隅をよく見れば、作業台が確かにある。

「この人形は、あなたが作ったの?」

 ガラスケースの中を指差したアリシアに、『まあ、そうだな』と自信有り気に男は答えた。

「凄い! どれもみんな生きてるみたいだわ」

 それぞれに大きさや顔形は違えど、どれもがまるで生きているかのようで、"森のくま"みたいな男からは想像もつかない程の、繊細さと美しさが人形にはあった。

「さっき言った"フィギュア"ってのが、この人形達の事だ」

「これがふぃぎゅあ……」

 物珍しそうにガラスケースの人形を見つめるアリシアの姿に、男は話を切り出した。

「そのフィギュアのモデルを、今回あんたに頼んだんだ」

「わたしがふぃぎゅあになるの?」

「ああ」

 アリシアは再び『凄い』と声を上げて、目を輝かせた。

「そういえば自己紹介がまだだったな。俺の名はハール」

「わたしはアリシア」

「良い名だな」

「母様が好きだった、お話の中の女の子の名前と一緒なのよ」

「へえ。その『かあさま』とは、今は一緒に?」

「いいえ。母様は死んでしまったから、わたしひとり」

 アリシアは至って普通に答えた。

 ハールは気まずそうに、そしてどこか残念に思いながら『そうか』と呟いた。

「ちょと見てもらいたい物がある、少し待っててくれ」

 するとハールは、アリシアを部屋に残して何かを取りに行った。

「これなんだが……」

 少しして、ハールが布に包んだ二つの何かを抱えながら持って戻った。

「それは何?」

「絵だ」

 ハールが持ってきたのは、20号と40号サイズの古めかしい絵画であった。ハールは包んだ布を外し、そっと壁に立てかける。

「え……」

 アリシアは、その絵画にどきりとした。

 絵画には、ネイビーブルーの髪色と星空の瞳をした若い女性の人物画と、同じくその女性と同じ髪色と瞳をした、四人の男女が草原に立つ風景画が油彩で描かれていた。

「これは、俺のご先祖さんが描いたものだ」

「この人達って……」

 フードを下ろし、絵画を熱心に見つめる。描かれた人物達は、アリシアと同じ髪色と瞳を持っていた。

「魅夢の一族だ」

 刺繍の入った白と黒の民族衣装を身に纏う彼等は、男女共に髪の長さが背中まであり、凛としてとても美しかった。

 ──わたしと同じ髪色に、瞳の色。

 アリシアは何だか不思議な感覚を持って絵画を見た。

「死んだ婆さんから昔聞いた言い伝えでは、道に迷って怪我したご先祖さんが偶然、魅夢の一族に出会って助けられたっていう話があって……」

 そこで交流を持ち、絵描きであったご先祖さんが描いて残したのが、この二点だとハールは言う。

「見てもらったのは、あんたが魅夢の一族だとわかったからだ。耳の裏に、星型の入れ墨があるか?」

「これ?」

 アリシアが左耳の裏を見せれば、『それだ! 確かに"純血者"だ』とハールは、やや興奮気味に声を上げた。

「なんでわかったの?」

「なんとなく──そう、なんとなく港に足が向いて、海の風に当たっていたんだ。するとアリシア、あんたを見つけた」

 長い前髪で隠れて見えない目が、アリシアを見つめる。

 ハールは、アリシアが港でフードを下ろした様子を、たまたま目にしていたのだ。ハールという男が押し切ってでもアリシアをモデルにと頼んだのには、理由があった。

「俺には──」

 ハールは右側部分の前髪を、自分の手で上げて見せる。

「俺には、魅夢の一族の血が流れている。だからわかったのかもしれない」

 その右目には、アリシアと同じ星空の瞳があった。

「正確に言うと、ご先祖さんが魅夢の一族の女との間に子をもうけ、その子孫が俺なんだ。まぁ、先祖返りとでも言うんだろうな」

 魅夢の一族の特徴である瞳だけを受け継いで生まれたというハールは、二点の内の肖像画の絵に視線を移しながら、アリシアを見つけた時の不思議な感覚を思い出していた。

 あの瞬間、ハールの体の細胞や遺伝子の一部が、まるで電流が流れるように反応したのだ。『ここにいた』と。

「この瞳のせいで随分嫌な目にもあったが、あんたに会えて何だか少し心が晴れた気がしたんだ。それに、作品の最後を飾るに相応しい」

 "最後"とは、どういう事なのか。

「最後って?」

 アリシアは、前髪を下ろして再び目が隠れてしまったハールへと、質問をした。

「今回の作品でフィギュア作家を引退するのさ。来る前に言った『名の知れたフィギュア作家』って事で、一生遊んで暮らせるくらいの金は稼いじまった。最後にオリジナルのフィギュアを作って売って、その金で旅行にでも出るかな」

 こんなに素敵なふぃぎゅあを作れるのに……。

 初めて見たアリシアでも、ハールの作成したフィギュアの素晴らしさには目を奪われていたのだ。まだ作品を知ったばかりだというのに、もうそれが終わってしまうのだと思うと、何だか少し残念ではある。

「俺は良いミューズに出会えたものだな」

 久しぶりに作品に対する意欲が湧いたハールの声は、若干浮き立っているようだった。

「あっ! 茶を出してない!」

「いいえ、お茶ならわたしが──」

「いや、アリシア、あんたはモデルだ! 今すぐ用意するから待っててくれ。その後直ぐに始めるから!」

 前髪と髭に覆われた顔でくしゃりと笑っているであろうハールは、アリシアを再び部屋に残し、今度はキッチンへと走って行った。

 少しすると、キッチンから色々音がしてきた。家事が苦手なのだろうか。何かの割れた音もした。

「いやぁ、こういうのは慣れていなくてな」

 真新しい花柄のティーカップに紅茶を淹れてきたハールは、『新しい客用のカップだから安心してくれ』と言ってアリシアにそれを出し、ついでに座る椅子もリビングから持ってきた。

「ありがとう」

 アリシアは用意された椅子に腰を掛け、紅茶の入ったティーカップに口を付けて一口飲んだ。

「あ!」

 突然また、ハールが大声を出した。

「そのままだ! そのまま、少し動かないでいてくれ!」

 急にどうしたというのか。

 ハールは、慌てるようにして作業台近くに置いてあったスケッチブックを手に取ると、椅子に座るアリシアを色々な角度から素描し始めたのだ。

 アリシアは戸惑ったが、これは『空気を読んで』素直にハールに従った。

「カップを少し口から離して、そうだ。目はこっちを向いてくれ。自然に、いや、笑わなくて良い」

 何やら真剣な様子である。前髪が邪魔ではないのか、と心の中で思いながら数十分。そろそろ同じ体勢が疲れてきた。

「ねえ、ハール? わたし疲れてしまったわ」

「──よし、良いだろう。あぁ、ありがとう。もう動いて良いぞ」

 どうやら終わったらしい。やっと許しを得たアリシアは、固まってしまいそうになっていた自分の身体をほぐすように、腕を頭上へと伸ばした。

「さっきまでのは何をしていたの?」

「あんたを描いていたんだ。これを元にしてフィギュアを1体作り上げる」

 ハールが見せてくれたスケッチブックには、先程アリシアがしていた"ポーズ"の素描があった。

「あなた絵も上手なのね! 色は塗らないの?」

「自慢じゃないが、こういう色の記憶力ってのが俺は良くてな。もうしっかりと記憶したよ」

 そう言ってハールは、作業台近くの引き出しから小切手を一枚切り取ると、ペンで日付けと数字を書いてアリシアに渡した。

「俺の予想では1体が結構な高値になると踏んでる。それによってプラス分も払うし、後2体用のモデルも頼みたい。約束の報酬金なんだが、今日の分はとりあえずこの金額を受け取ってくれ」

 渡された小切手を不思議そうに見つめるアリシアは、『これはお金?』と訊いた。

「お金というよりは引換券だな。銀行に行ってお金と交換だ。大金だと小切手の方が持ち運びに便利だし、盗まれる危険も減る。俺は銀行に預けてあるし、今すぐ用意出来る金は20万ジェニーくらいしかない」

「ぎんこう?」

「まさか、銀行がわからないなんて……嘘だろ?」

 そのまさか、だった。

 お金の存在を最近知ったばかりのアリシアにとって、銀行など知る筈も無い。

「なら勿論口座は無いよな……。金も無くてあんた、一体今までどうやって生きてきたんだ?」

「えっと、ね──」

 アリシアはハールに、"全て"、ではなく、ヒソカとの衝撃的な出会いの一部始終や、メルサと幻影旅団の話は省きながら、今までの事をさらりと流すように伝えた。

「じゃあそいつが全部世話してくれてたって?」

「ええ」

 随分と気前の良い『友人』とやらは、本当に安心な人物であるのか。

 今の俺自身が言えるような立場じゃないが……。

 掻い摘んだ説明を聴き終えたハールは、何やら複雑な思いを感じていた。

「……よし、じゃあ、銀行に行って口座を作ろう」

「え?」

「あんたの『友人』は何から何まで世話してくれていたようだが、肝心な事は教えちゃあいないんだな。人間生きていくには色々知らなきゃならないし、特に金は必要だぞ」

 今から行こうと言うハールに連れられ、アリシアは街の中にある銀行へと、急遽向かう事になった。

「ふぃぎゅあ、作らなくても良いの?」

 前を歩くハールを見上げながら訊けば、『それよりも気になって手につかない』と返された。

「わたし、ハールの妹なの?」

 それから銀行を出て、歩きながらのこの質問。

 それは、銀行で口座を作る手続きでの事。口座を作る上で欠かせないものが、素性のよくわからないアリシアには無い。その為、咄嗟にハールがアリシアを兄妹だと偽ったのである。

「そういう設定のおかげで口座作れただろ? これから金を引き出すには、自分の指の指紋と暗証番号を入力するんだ。覚えたか?」

「勿論よ。"しもんにんしょう"は人差し指でしょ? 番号は1──」

「っだあああ!! それは口に出して言ったら駄目だ! 誰にも言うな、自分だけ覚えてりゃあ良いんだ」

「友達にも?」

「当たり前だ!」

 ハールのお陰で、アリシアはなんとか口座を開く事が出来た。ついでに、1体分の報酬金である3500万ジェニーも、ハールの預金から振り込んでくれた。

「着いたな」

「今日はありがとう」

 アリシアの滞在するホテルの入り口前で、2人は向き合った。

「いや、お礼を言うのは俺の方だ。あんたのお陰で良い作品を作れそうだからな。また明日もよろしく頼む」

「ええ。また明日ね」

 家路へと戻るハールの背中に手を振る。

 ──あの人は、メルサと違うといいなぁ。

 そのような期待を持ちながら明日を楽しみにして、アリシアはホテルの中へと戻って行った。

 

 

 

 

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