アリシアの視線の先には、ヒソカの作るトランプタワーがあった。
「ヒソカって凄いのね。わたしはそこまで出来ないもの。それに、どうやってさっきからカードを出しているの?」
何でも感動し何でも喜ぶアリシアが『素敵ね』と拍手を送れば、『ボクは奇術師さ♦︎』と何枚も手から出して見せた。
「さぁ、アリシア、もう寝る時間だよ♠︎」
先程からアリシアが小さな欠伸をしていたのを気付いたヒソカは、手を取ってベッドルームへと導いた。
「さあ、おやすみ♠︎」
アリシアを大きなベッドに寝かせ、一人その部屋を出ようとするヒソカに、アリシアは声をかける。
「ヒソカは眠くないの?」
「ボクはまだやることがあるからね♣︎」
「ふーん、そうなのね。じゃあ、おやすみなさいヒソカ」
静かに笑みながらベッドルームを出たヒソカは、また何処かへと出かけて行った。
ベッドの中に残されたアリシアは睡魔に勝てず、瞳を閉じてそのまま深い眠りへと落ちていった。
アリシアが夢の中の住人と化して暫く経った頃、ヒソカは別の場所にいた。薄暗い部屋に月の光が照らす中、ヒソカは女と行為に及んでいたのである。女の艶かしい声と共に、淫らに絡み合うのは二つの
「どうしたの……?」
静かな足音を立てて窓際へと歩くヒソカを目で追った女は、余韻を感じながらおもむろにベッドを離れると、逞しい男の背中に飛び込むように抱き着いた。
「……ヒソカ?」
何も答えてはくれないし、何も語り出そうとはしない。男の背中越しから伝わってくるのは、言い表せぬ程の拒絶である。女ハッとして焦りの表情を浮かべると、ヒソカから慌てるようにして飛び退いた。
「──キミとは、今夜でお別れ♣︎」
本当につまらなそうな声で告げる。
「そんな、……嫌よ!」
「しょうがないじゃないか、飽きちゃったんだから♣︎」
くるりと振り向いたヒソカは、いつも見せていた顔で女を見つめた。
「私あなたを、あ……、愛してるの!」
女の口から出た『愛』という言葉に、ヒソカは思わず吹き出した。
「やめてくれよそんな冗談♠︎ つまらなくて死にそうなんだけど♣︎」
「冗談じゃないわ。最初はただ、遊びでも良いと思ったの。けど、今は本気なのよ!」
必死に擦り寄る女には、何の感情も持てはしない。
「……言いたいことは、それだけかい?」
冷たい返しに女が顔を上げると、明らかにヒソカは笑ってなどいなかった。そんなヒソカの表情に、女の肝が一瞬で冷える。
「抱いたのはただの気まぐれ──そう、キミがこの天空闘技場で働く受付嬢で、念を使える女性だったから♦︎ ただの女の子には興味ないんだよね、ボク♣︎」
ショックのあまり呆然と立つ女の横を通り、ヒソカは身支度をし始めた。
「……それじゃ♦︎」
「ま、待ってヒソカ! 遊びでも良いの、お願い……!」
ドアの前で女に呼び止められたヒソカは、もう振り返りもしない。
「ボクがそんなキミを殺さないでいるのは、せめてもの慈悲だよ? ──いや、ただの気まぐれかも♣︎ ……さようなら♠︎」
バタンと音を立ててドアが閉まるまで、女はその場に立ち尽くすだけであった。
ヒソカ=モロウ。このヒソカという男は、人を殺す事によって快楽を覚えたり、または興奮を治める為に殺す事もあったりと、常識では考えられない性癖を持っている。
時々、興奮した身体を押さえる目的で人と交わる事もしばしばあった。因みにヒソカは、相手が男でも女でも問題は無い。
翌朝。アリシアが目を覚ますと、カーテンから薄っすらと朝の光が射しているのが見えた。
──ヒソカは?
ベッドルームは自分ひとりだけ。まだ戻って来てはいないらしいヒソカを探してみようと、アリシアはベッドから起き上がる。
「いないの? ヒソカ?」
隣のリビングルームのドアを開けて入ったとほぼ同時だった。
「なんだい?」
「──きゃあっ!?」
背後から突然声がして、アリシアは飛び上がる程に驚いた。
「ひ、ヒソカ!」
振り向けば、微笑を口角に浮かばせたヒソカが真後ろにいた。
「フフフ♠︎」
「急に後ろからあらわれるんだもの。びっくりしたわ」
「キミの驚いた声や顔が見たかったからね♦︎」
悪戯っぽく笑うヒソカに『心臓が止まるかと思ったんだから』と口を尖らせれば、『それはイイネ♦︎』とアリシアには聴こえない声でヒソカは呟いた。
「ねえアリシア、お風呂に入ろう♠︎」
「え? おふろ?」
きょとん顔のアリシアの手を引いて、ヒソカはバスルームへと連れて行った。
「さあ、服を脱いで♦︎」
アリシアはやはり恥ずかしがる事もなく、ヒソカの目の前で衣服を脱いだ。
「ヒソカも一緒なの?」
「そうだよ♠︎」
「何故? お風呂は一人で入るものじゃないの?」
「一人で入るより楽しいし、それにボク達友達だろ?」
「友達だと一緒に入るの?」
「まあね♦︎ 友達じゃなくても、遠い何処かの島国では、男女が一緒に入る"オンセン"ていうお風呂があるって話さ♠︎」
何となく言いくるめる事に成功したヒソカは、自分も着ていた服を一気に脱ぎ始めた。
アリシアの目の前で露わになった身体には、一片の無駄など無い。とても固く締まった筋肉は念入りに鍛えられていて、まるでそれは、美術館に飾られている彫刻像の様である。
普通なら見惚れてしまうであろうその肉体美体に、アリシアは見惚れるどころか、自身との身体の違いを見比べる事の方に興味を引かれていた。
──ヒソカと、わたしのカラダは違うのね。
「……さぁ、ボクが身体を洗ってあげるよ♥」
広いバスルームの中のバスタブには、既にお湯がはられている。アリシアがバスタブへと視線を向けていれば『先ずは頭からね♦︎』と、適温のシャワーで髪から洗い始めた。
「自分で出来るわ」
「イイからイイから♥ アリシアはジッとしててよ♦︎」
ヒソカは手慣れた様子でアリシアの体を丁寧に洗い流し終えると、『先にこのバスタブの中に入っててね♦︎』と指をさした。
言われる通りにゆったりとしたバスタブに肩まで浸かるアリシアは、自分自身をシャワーで洗い流すヒソカからバスタブの中のお湯へと目を向けると、気持ちの良いリラックス状態のままに、ぼうっと呆けながら待った。
「……ふう♦︎」
身体を洗い終えたヒソカがバスタブに足を入れた時、アリシアはふと顔を上げてヒソカを凝視した。
「……ヒソカ?」
「何?」
オールバックにしていた少し長めの髪は濡れて下がり、顔にあったペイントも全て洗い流されていたので、一瞬別人のように見える。
「違う人みたいだわ」
「よく言われるんだよね♠︎」
バスタブの端と端、向き合う形で座った目の前ヒソカを黙って見つめれば、彼は負けじとアリシアを見つめ返した。
背中まである癖のない長いネイビーブルーの髪が肌に張り付き、髪の色と同じ瞳には無数の小さな星が見える。雪のように白い肌、華奢な身体ではあるのに、それなりに女らしい曲線美。頬は薄紅に染まり、閉じられた唇はとても瑞々しく柔らかそうである。
簡単に壊れちゃいそうだねぇ……♦︎
めちゃくちゃに壊した姿を想像すれば、熱を帯びる自身がグググ、と堅く反り上がる。
「それは何?」
アリシアの脚にソレが触れてしまった。
当たるナニかに視線を向けながら不思議そうな顔をして見つめるアリシアに、『今度ゆっくりと教えてあげる♦︎』とヒソカは、嬉しくて堪らない悪戯小僧のように笑った。
二人でバスタイムを楽しんだ後、ヒソカは脱衣所でアリシアにバスローブを着させ、その手を引きながらバスルームを出た。
「キミに新しいのがあるんだ♠︎」
ヒソカによって用意された新しいアリシアの服は、最初に貰った服装と似た、ゴシック調のモノクロワンピースであった。
「これもわたしに? 素敵だわ!」
心から喜ぶアリシアは感激のあまり、前から思わずヒソカに抱きついた。
「ありがとうヒソカ!」
深い意味など勿論ある筈が無い。純粋に嬉しい気持ちを持ったアリシアを、ヒソカは満足そうな顔で抱きしめ返した。
ふと香るのは、シャンプーの香りとは別の甘い匂い。昨日も匂ったあの香りだ。何処からか匂うのではなく、アリシア自身から香っている。
──この匂いは何?
すると後ろから見知った気配が。それを感じ取ったヒソカは、アリシアからゆっくりと離れた。
「いらっしゃい──マチ♥」
いつからいたのか。入り口付近の壁にもたれかかった女に声をかける。マチと呼ばれたその女は、眉間に皺を寄せながらヒソカを睨みつけていた。
──女のヒト……?
ヒソカの後ろからマチを見たアリシアは、母以外の女の人間を初めて目にし、テレビで見たのとは違う新鮮さに胸が高鳴った。
「会いに来てくれて嬉しいよ♥」
不機嫌窮まりない表情のマチは、一度ヒソカに視線を向けると直ぐ、後ろでこっそりとこちらを伺うアリシアへと移した。
「この前のすっぽかした理由を聞きに来たの。その返答によっちゃあ……」
「わざわざその為にボクに会いに?」
「んなわけないでしょ。返答もだけど、ていうかアンタが呼び出したんじゃない。早く返答と、呼び出した理由言いなさいよ」
ぎろりとヒソカを横目で睨めば、本人は薄気味悪い程にマチを熱く見つめている。
「──この前のはさ、全員動き出さなくても解決できただろ? 団長も動かなかったんだし♠︎ ボクがしゃしゃり出る幕はなさそうだ、と思ったから♦︎」
「……はあ? 何そのふざけた答え」
「ふざけてはないよ♠︎ 大勢で動くより効率良いと考えたんだ♦︎ 団長には悪かった、ごめんねと伝えてくれないかな?」
「……っふん」
マチは、納得のいっていない不満気な表情を露わにした。
「……で、呼び出した理由は?」
「マチに逢いたかったからだよ♥」
「さようなら」
おもいっきりのスルースキル発動で立ち去ろうとするマチの前を、ヒソカは塞ぐ様に立つ。
「半分本気で半分冗談だけど、明日からさぁ、久しぶりに試合に出るんだ♦︎ だからいつもの頼むよ♥ 勿論報酬は弾むし♠︎」
マチはヒソカを睨み上げながら、苛立ちを込めて溜息を吐いた。
「わかったからそこどいてくれない?」
その答えに口角をニイっと上げたヒソカが嬉しそうに横へとズレれば、マチはヒソカから視線を外して部屋から去って行った。
マチが立ち去った扉の向こうを、ヒソカは名残惜しく見つめている。そんな様子にアリシアは、二人の関係について頭の中で整理しながら、ピタリと当てはまる何かを考えていた。
「さっき来た
アリシアへと向き直したヒソカは、マチという女性の事を話ながら側へと歩いて来る。
「美人だろ? ちょっとツンとしてるけど、そこが堪らないんだよねぇ♥」
楽しそうに微笑むヒソカを見つめて、やっと当てはまる言葉が閃いたアリシアは、『なるほど!』と少し大きい独り言を呟いた。
「何がなるほど、なワケ?」
ひとり納得し、満足そうな表情であるアリシアに質問すれば、「マチはヒソカの恋人なのね!』という答えが返る。
「フフフ♥ ──そう、つれない恋人さ♥」
ヒソカは目を細めて笑うと、アリシアの鼻先をちょんと軽く押した。
「ここは何ていうところなの?」
身嗜みを整え終えた後、アリシアからの質問にヒソカは、此処が何処なのかを説明し始めた。
此処は地上251階、高さ991mの天空闘技場という所で、一日平均4000人の腕自慢がより高い階を目指してやってくる場所だという。細かいことは端折られたが、現在ヒソカは200階クラスの選手であるらしい。
「明日は久しぶりに闘えるから、とっても楽しみなんだ♠︎ ──まあ、やり甲斐があれば、だけど♦︎」
闘技場とは、一体どんなところなのだろうか。初めて知る事に少しだけ気を惹かれたアリシアは、頭の中で色々と想像を巡らせるのだった。
一方その頃、ヒソカに呆気ない程簡単に別れを告げられた天空闘技場の受付嬢は、未だにヒソカを諦め切れずにいた。
「──ねえ、あの200階クラスのヒソカ様の……、聞いた?」
同じく受付嬢をしているもう一人が話しかける。噂好きの彼女は、天空闘技場で働く職場仲間からこっそり教えてもらった話をよくするのだが、関係を秘密にしていた女は『ヒソカ』という名前に少し動揺しながらも、内に秘めて『何かあったの?』と冷静を装った。
「ヒソカ様の部屋にね、若い女性がいるんですって」
──女性。それを聞いて、女はほんの少しだけ心を揺さぶられた。
実際男と女の関係にはなったものの、ヒソカの部屋には一度も訪ねた事は無く、向こうからやって来るのをただ待つ身。秘め事であったので自分との噂ではなくて良かったとは思う反面、自分じゃない相手が気になってしまう。
──もしかして。
女は、心当たりのある女性を一人思い浮かべた。
そういえば、前に一度だけ見てる。確かマチとかって……。
ある夜、ヒソカの部屋の場所を訊ねて受付に来たマチという女性の事を、女はヒソカに問うた事があった。
「……マチの事かい?」
名前を口にしたのに、直ぐにはぐらかされてしまった。けれどマチという女とヒソカの関係が嫉妬に値する男女の関係では無いと、外れを知らない自信のあった女の勘が告げている。
「それって髪を高く、一つに結び上げている女性じゃなくて?」
「あー、聞いてるのと違うわ」
返ってきた予想とは違う答えに、女の胸がざわりとした。
「ルームサービスで部屋に入った時に見たらしいんだけど、ネイビーブルーの長い髪を垂らした美少女だそうよ」
──あの娘じゃない!
女は、胸を締め付けられる程の不安に駆られた。
マチという女は、ネイビーブルーの髪色じゃなかった!
「とても大事そうにその女性を扱ってたみたいだから、実は恋人なんじゃないかって噂。ヒソカ様ってお顔は素敵だけれど、色々癖が有りそうだし……。そんな人の恋人って、凄く興味深いわよね」
愉快そうに噂を語る彼女に、『そうね』と女は愛想笑いを返した。しかし、隠して握ったその右手が、僅かな怒りを持って震えているのである。
──ねえ、ヒソカ。一体その女は誰なの?
一方的である深い嫉妬の念は、女の心の奥底でふつふつと湧き上がっていた。