長めになりました。
「やだ……いやあ!」
必死になって泉で血を洗うアリシアは、先程の出来事を頭の中で何度もフラッシュバックしていた。半ば半狂乱になりながら、泉にいた魚や、たまたま側にいた小動物等もアリシアの視界に入った途端に、あの恐ろしい光景のようにパァンと弾け割れてしまったのだ。
「やだぁ! 助けて母様ぁっ!」
──わたしはどうしてしまったの?
泉の中で身体を震わせ、アリシアは声を押し殺して泣いた。
小さな嗚咽が森林に響き渡る。その声と血の臭いを頼りに、ヒソカは奥まで進んだ。気配を消して来てみれば、月明かりに照らされた血の雨の跡を見つけた。
──やっぱりね♥
アリシアは念能力で再び人を殺した。残忍たるアリシアの念能力。一度だけ見たあの惨たらしい光景は、今もヒソカの脳裏に焼き付いて離れない。
「あ、いたいた♦︎ アリシア♥」
泉から離れている細い木の横から、ヒソカはアリシアに声をかけた。
「ヒソカ……っ」
アリシアは体をびくりと震わせながらも、決してそちらを振り向こうとはしない。
「来ちゃダメ、ダメよ!」
「どうして?」
「わたしに近寄るとダメなの。死んでしまうの!」
「それがキミの念能力さ♦︎」
「ネ、ネンノウリョク? これが……?」
「そう♠︎ キミは念能力が何なのかわからないみたいだけどね。無意識で取得したか、誰かに擦り込まれる様に教わったのかのどちらかの方法で念が使えてるんだよ♦︎ ──普通は少し時間がかかると思うんだけど。キミはやっぱり……ンフフっ♥」
一人可笑しく笑うヒソカが、一歩また一歩と歩み寄れば、アリシアは身を縮こませて『ダメ!』と叫んだ。
泉の中にまだ生き残っていたであろう魚が、アリシアの近くで宙に浮きながら膨らんで弾け割れる。
「キミは……特質系?」
「ダメっ、ヒソカが死んじゃうわ!」
背後にヒソカが近寄る気配を感じ取り、アリシアはぎゅっと目を瞑った。
「ボクは死なない♦︎ アリシアはその、とても素敵な能力を自分でちゃんとコントロール出来る筈だよ?」
「む、無理だわ。あんな、あんな恐ろしい事、わたしっ」
「大丈夫、出来るよキミなら♠︎ ボクを傷付ける事なんてしないさ♦︎ ──もしかして、したいのかなぁ?」
「傷付けたりなんてしない、だってあなたは、わたしの初めての、大事なお友達だもの!」
ゆっくりと歩み寄るヒソカは、ずぶ濡れになって立ち尽くすアリシアを、後ろから優しく抱きしめた。
「そうだよアリシア、ボクらは友達♦︎ ……ホラ、キミはボクを傷付けてなんかいないだろ?」
強く閉じた目を開けて、アリシアは後ろから抱きしめるヒソカを見上げた。月の光りに照らされた大きな瞳には、美しい幾つもの星が輝き、その目から涙が大量に溢れ出している。
「ヒソカ……!」
アリシアはヒソカの胸に抱きつくと、その手に力を込めて咽び泣いた。
──殺さずに生かしといて良かった……♥
アリシアを抱き締め返しながら、ヒソカは妖しく光る月を仰いだ。
「さあ、アリシア。風邪を引くといけないからさ、帰ってシャワーでも浴びよう♦︎」
二人は部屋へと戻った。人に見られないようになるべくひっそりと。血塗れのアリシアをヒソカが用意したマントで隠しながら。
「ヒソカの言うとおりだった。メルサは……」
お湯が張られたバスタブに浸かりながら、アリシアはどこか虚ろな目をして言った。
「これでわかっただろ? 今のキミは何も知らないから騙されやすい♠︎ 迂闊に心を許しちゃイケないんだよ♦︎ ボク以外にね♠︎」
流れる涙を人差し指で拭われたアリシアは、ヒソカに目を移した。
「ねぇ、わたしは恐ろしい化け物なのかしら?」
「いいや♠︎」
「じゃあ、あんな恐ろしいノウリョク……。なんでわたしは使えるの?」
「それは、キミが望んで使えるようになったから♦︎」
「わたしあんな恐ろしい事、望んでなんかいない」
「そうかな? キミは望んだ筈だよ?」
「望んでない!」
アリシアが声を荒げると、照明の一つがパアンと弾け割れた。
「──へえ、生きてるのだけかと思ったけど♦︎」
そう言って唇の端を上げたヒソカの右頬から、タラリと血が流れる。どうやら細かく飛び散った破片で傷付いらしい。
「あぁ!」
アリシアは慌ててヒソカの右頬を両手で押さえた。
「ごめんなさい! わたし……、わたし、ヒソカを傷つけるつもりなんてなかったの!」
目の前で取り乱すアリシアを愉しそうに見つめるヒソカは、両手で一生懸命に押さえるその手に自らの手を重ねた。
「キミが傷付けたんじゃないから安心しなよ♦︎」
「でも、ヒソカの顔に……!」
「ボクは大丈夫♠︎」
ヒソカはアリシアを抱き上げると、割れた照明の破片を避けて歩き、安全な場所にアリシアを降ろした。タオルで身体を拭き、バスローブを身につけたヒソカがふと横に目を向ければ、アリシアはまだ、濡れたままの状態で呆然と立っている。
「風邪を引いちゃうよ?」
アリシアの手からタオルをそっと奪い、優しく頭を拭いてやる。
「……ヒソカ」
「なんだい?」
伏せられていたアリシアの目が、ヒソカに向かれた。
「あのネンノウリョクは、わたしが望んだから?」
「ん〜、念能力には能力使用者の個性があってね♠︎ それぞれの意識や気持ちで、個別の能力が目覚めることがあるんだ♣︎ 念を扱う使用者達は皆、いずれかの系統に属する性質を持ってて……おっと、長くなるからこれはまた後に置いといて──」
ヒソカはアリシアにバスローブを掛け、肩を抱いてバスルームを出た。
「キミは特質系なのかなぁ? 意識や気持ちで特殊能力に目覚めるけど、自分の系統と違った能力が目覚めることもあるし。でもやっぱり系統と一致すれば抜群に良いし……♥」
「だけどわたし、人を殺したいなんて思ってないわ」
「殺したいとは思ってなくても、死にたくないって思ったり、生きたいって思ったりしたんじゃないかい?」
「あ……」
『タベラレタクハナイ』と強く思った、あの時の事が頭を過ぎった。
「風船の様に弾け割れたり、雨の様に降り注いだりするのは、キミの心の中に印象的だった意識が反応したのかも♦︎ 残酷なモノをファンシーにする事で、残虐さが少しでもマシになるようにとか♥ ……キミは自分を守る為にあの能力を得たんだよ。とっても素敵なね♠︎」
ソファに座らされて床と睨めっこをするアリシアは、着ていたバスローブのを端をぎゅっと握り締めた。
「ちっとも素敵じゃないわ」
「そんな事はないさ♠︎ ボクはアリシアが素敵な念能力を使えてとても嬉しいよ♦︎」
「あんな恐ろしいの、素敵だなんて思えない」
「何で? キミ自身を守る能力じゃないか。キミは騙されやすいし、か弱いし、キミが強くならなければ生きる事は難しいよ♣︎ だからボクと友達でいることも出来なくなるだろうね♦︎」
心の中で舌を出しながら、ヒソカは告げた。
「わたしが弱いと、ヒソカとはお友達でいられないの?」
アリシアは今にも泣き出しそうな表情でヒソカに迫った。
「……まあ、そうだね♦︎」
「いやっ! 折角ヒソカとお友達になれたのに」
「ボクはね、キミとずっと一緒にいられる訳じゃない。何処かへ一人で出かける事もある♦︎ その間に何があるかわからないんだ、キミ自身が身を守るくらいのこと出来ないと、ボクとは一緒にいられないし友達でもいられないよ♠︎」
ヒソカはアリシアの濡れた髪に触れながら言う。
「自分で自分を守って、少しでも強くなれたら……お友達でいてくれる?」
「勿論だよ♦︎」
その答えに安堵したのだろう。アリシアは、パアッと電気が点いたような笑顔を見せて喜んだ。
「本当に?」
「ああ、本当だよ♠︎」
「とても不安だけど、わたし頑張るから!」
イイねぇ、その顔──♦︎
偶然拾った玩具の最期がますます楽しみである。ヒソカのその口元は、更に緩んでいった。
その晩から、アリシアは少しだけ自由になれた。それはヒソカが、アリシアが一人で自分から遠くへ離れて行く事はしないだろうと自信をもって確信し、固く閉めていた玩具の箱を外したからである。
それでもアリシアは殆ど部屋から出なかった。それはまだ、メルサの事を引きずっているからだろう。
警戒する事を覚え始めたアリシアは、以前よりかは慎重になっていた。そしてもう一つ、アリシアは強くなる為にはどうしたら良いかとヒソカに問いかける。
「教えてあげよう♠︎ 手取り足取り、……ね♥」
念能力というものをヒソカから教わる事にもなったのである。
「出来るかしら……」
「ヤル気があるならね♦︎ 大丈夫。キミは読み込み早そうだからイケるよ♠︎」
こうしてアリシアは、『ヒソカと友達でありたい』『タベラレタクナイ』という理由を持って、強くなる訓練を始めたのだった。
「キミが何系なのか調べよう♦︎」
先ずは基本である四大行を学ぶ事。しかしその前に、自分が何系であるのかを知る必要があった。
「ボクが考えたオーラ別性格分析で当てはめると、ぱっと見、単純一途な強化系なんだけどなぁ♠︎」
"オーラ別性格分析"とは、実戦経験を長く積んできたヒソカが、系統別と性格に共通点があるのを発見し、独断と偏見で考案された系統診断である。
「でもキミが使ったのは強化系のそれとは違う特質系だし……♣︎」
系統を知る方法は、もう一つあった。心源流教えの一つで、自分の得意系統を見分ける際に使用されるという、"水見式"だ。
やり方は非常に簡単。グラス一杯に水を入れ、その上に一枚の葉っぱを置く。手のオーラでグラスを包むようにして"練"を行えば、系統によって異なる変化が生じる為、生まれ持った属性が分かるのである。
「これは?」
グラスの中の水は沸騰し、葉っぱは消失。その様子を隣で見ていたヒソカの口元は、弧を描いていた。
「キミは特質系だってさ♠︎」
「とくしつけい……。ヒソカは?」
「ボクはね、教えてもイイけど、今は秘密♥」
「ズルい!」
「系統を秘密にするのは、自分を守る為でもある。覚えておきなよ♦︎」
基本を学びつつ、アリシアの能力であるあの力を操る事も、勿論訓練していった。
「ボクとこのグラス、どっちが大事かな?」
「ヒソカ」
「フフフ♠︎ じゃあこのグラスはいらないね♦︎」
グラスに集中すれば、僅かに浮き上がったグラスは膨張してパァンと弾け割れた。
「そうそう♦︎ その感覚を覚えるんだよ♠︎」
幾度か物で試した後、アリシアは力尽きて倒れた。それから何時間も目を覚ますことなく眠り続けている。
──まるで眠り姫の様だね。
ここに来た当初からアリシアがよく眠っている事に、ヒソカは今更ながら気付いた。
食事は野菜や果物ばかりを食し、肉や魚はさほど好んで食べない。体力は持つのかと思われたが、それを眠る事によって補っているらしい。
あの念能力を使い過ぎると、こんなにも長く眠るアリシアの弱点。
「早く目覚めなよ、つまんないじゃないか♣︎」
そう呟くと、ヒソカは眠るアリシアの頬に唇を落とした。
アリシアがヒソカと初めて出会った日から半年。ヒソカに教わりながら学んだ四大行は、既にマスターし終えていた。
あの恐ろしい能力は訓練を重ね、今では自在にコントロール出来るようになっている。始めはグラスから。時にはカエルなどの爬虫類や哺乳類、虫なども試した。生き物を殺す罪悪感や恐怖もあったが、ヒソカと友達として一緒にいる為、タベラレずに生きていく為には『必要だから』と、自分に言い聞かせるしかなかった。
「名前を付けるかい?」
「名前?」
ある日の午後。ヒソカが、アリシアの使う能力の命名を提案してきた。
「名前を考えるのって、簡単なようでむずかしいのね」
「それじゃあ……」
名前をつけるという発想がアリシアにはなかったので、幾つかの名前の候補をヒソカに上げてもらうと、その中から『
「ほぅら♥ キミの能力、もっと素敵になったね♦︎ なんたってこのボクが、名付け親だからねぇ♥」
「そうかしら?」
「そうさ♠︎」
年が明けて1999年1月──。
「良いコで待っててね♦︎」
ヒソカは出掛けたっきり戻って来なかった。
アリシアは毎日テレビから流れる情報に釘付けになりながら、いつかは戻って来るだろうヒソカの帰りを待つ。外には時々出るようにしていたのだが、メルサとの一件以来、
外へ出るには必ず受付の前を通らなければならないからである。
ヒソカとの訓練の為に一時的に一緒に外へ出た時には、ヒソカの背に身を隠しながら出られた。しかし、いざ一人となると後ろに隠れる事も出来はしない。アリシアは、緊張な面持ちで受付の前を通った。
──いない。
メルサの姿は受付に無かった。次の日も、そのまた次の日も、メルサの姿はどこにも無いのである。
いなくてほっと安堵する半面、姿が全く見えないのが少々気にかかる。一体、メルサは何処へ行ってしまったのだろうか。不思議に思っていたアリシアが、入り口前のベンチで惚けながら座っていたある日の事だ。
近くで立ち話をする男二人の話し声が、やけに鮮明に耳に入ってきた。
「前いた受付嬢のネーチャン美人だったよな」
「ああ! あのメルサって?」
「そうそう」
「あの受付嬢さ、半年近く前に退職届け出して辞めちまったんだってよ」
「マジかよ?」
「マジさ。何日か無断欠勤した後にフッと現れて、何にも話さずに……だとよ」
アリシアは驚いた。男達の会話の信憑性はわからないけれど、確かにメルサと言っているのが聴こえた。
メルサ……。
姿を全く見ないのは、もしかしたら本当に辞めていなくなってしまったからなのかもしれない。あの日を最後に見たメルサの顔が、今もアリシアの頭からなかなか離れてはくれなかった。
そして一週間後。ヒソカは帰って来た。
「どこへ行っていたの?」
「ハンター試験♠︎」
「はんたーしけん?」
「ハンター試験について知る前に、ハンターから勉強しないとね♦︎」
微笑みを浮かべながらソファに腰を下ろし、ヒソカはハンターについて説明をした。
ハンターとは、怪物・財宝・賞金首・美食・幻獣等を追求する者達の総称である。
プロのハンターの資格を得るためのハンター試験とは、毎年凄い数の参加者が集い、脱落者が多く出る程の過酷な試練をクリアしなければ合格しないと言われる、超難関試験なのだそうだ。
「ハンターライセンスを持ってるとね、色々便利なんだよね♠︎」
そう言って何処か遠くを見つめては、口元が緩みっぱなしのヒソカである。何か他に良い事でもあったらしい。
「何かあったの?」
「青い果実を見つけたんだ♥」
「青い、果実?」
「そう♦︎ まだまだ青いんだけどね、ンフフ♥」
真っ赤に熟して美味しく実らないかなぁ。とまで独り言のように話すヒソカに、『早く実れば良いわね』と返したアリシアは、ヒソカの青い果実の例えを理解してはいなかった。
ただわかる事といえば、いつも以上にヒソカが楽しそうに笑っている……というだけである。
それからまた日は経ち、3月のある日。テーブルの上にお金と紙が置いてあった。
『お腹が空いたら、このお金で何か食べ物を買うと良いよ♥』
紙にはそう書かれてある。アリシアは置かれていた紙のお金を一枚手に取って、じっくりと見つめた。
アリシアは森の中でしか過ごしていない為、お金を触った事も見た事もないのだ。
今までルームサービスを頼んでいたのだが、何故急にした事もない買い物を? と考えていると、ふと心当たりが頭の中を過る。それは三日前の事だ。
見ていたテレビ番組の中で、人がレジで買い物をする様子を、アリシアがヒソカに問うたのだ。
「これは何をしているの?」
「普通に買い物をしているだけだよ♣︎ もしかしてさぁ、買い物したコトがないの?」
「ないわ」
「ふーん、なるほどねぇ♦︎」
というやり取りをした覚えがあった。
「そうよ……」
ヒソカは買い物の経験がない自分の為に、わざわざ機会を与えてくれたのではないかと、アリシアは悟る。
「ありがとうヒソカ!」
感動したアリシアは、お金を大事そうに胸に当てて喜んだ。しかも今は不思議なくらい空腹感もあって、実にタイミングが良い。早速アリシアは、初の買い物に出掛ける準備を始めた。
──あ、着なきゃ。
服を新たに着替えたアリシアは、髪の色と同じ、ネイビーブルーよりも深くて濃い色をしたフード付きマントを身につけた。これはメルサの一件後、ヒソカからプレゼントされた物である。
フードは被ると顔半分が隠れ、マントは全体を被う形をし、丈の長さは足元まである。一見して男女の区別がつきにくい姿にはなるが、外に出る時には必ず着用するようにしている。
買い方は……、どうすれば良いのかしら?
上機嫌なままに外へ出たアリシアは、施設内にあるフード店や売店の前でひとり、何をどう買えば良いのか迷っていた。
テレビで見た感じではレジに物を持って行き、店員とお金のやり取りをし、買う。という流れであったが、ここのフード店や売店は、直接店員に何かを注文して事が進む形式のようである。
うーん……。
他の人が買っていく様子を暫く見学し、どのタイミングで行動に移すか悩んでいた時だった。
「っわあ!」
「あ!」
その場でうろうろとしていたアリシアが、走っていた知らない誰かとぶつかった拍子に、前のめりに倒れてしまったのである。
「いたた……」
どうやらぶつかった相手も反動により地面に尻餅をついたらしく、痛そうにお尻を押さえながらゆっくりと立ち上がった。
「ごご、ごめんなさい!」
まだ、上半身を起こした状態で座ったままのアリシアに慌てて近寄って来たのは、この施設ではあまり見かけない少年だった
「大丈夫?」
アリシアより背の低いその少年は自分の手を差し出して、座り込んだ状態のアリシアを立たせてくれた。
「わた──」
「なんでお前が謝ってんだよ、ゴン!」
自分も謝ろうと口を開く寸前。背後から別の誰かの声がして、アリシアは振り向いた。
その先にいたのは銀髪の、これまた同じ歳ぐらいの少年である。"ゴン"と呼ばれた目の前の少年は、彼の事を『キルア』と、呼び返した。
「余所見してたコイツが悪いだろ!」
ギロリと不服そうにこちらを睨む少年に対しアリシアは、『ご、ごめんなさい……』と力弱く謝るしか出来ない。
「オレもスピード出して走っちゃったんだしさぁ」
「甘いんだよゴンは!」
「本当に、ごめんなさい!」
二人の少年に頭を下げてその場から去ろうとすると、銀髪の少年が『おい!』と、アリシアを呼び止める。
「アンタさあ、さっきからずーっと店の前でうろうろしてたけど、買わないワケ?」
「キルア見てたの?」
「お前が来るの待ってた間に、コイツがさっきから視界に入ってきてたんだよ。フードマント被ってるからちょっと浮いてるし、嫌でも目に入ってね」
まさか見られていたとは。人目につかない筈のマントであったのに、このキルアという少年には気付かれてしまうなんて。アリシアは何をどう返して良いのか悩み、考えていた。
「もしかしてさ、買い方わかんない?」
ゴンが、ずいっとアリシアに顔を寄せてくる。
「あ、えっと、一応テレビで見たりとか、他の人が買うところを見てなんとなくはわかる……と思う」
やや自信のない言い方をすれば、銀髪の少年キルアが信じられないと言った表情でアリシアを見つめた。
「買い方わかんねーとかマジかよ!」
「ねえ! じゃあ一緒に買いに行こうよ!」
ゴンがアリシアを誘った事に、キルアが思わず『ゴン!』と不満の声を上げる。
「だってこの人困ってるんじゃないかな? オレ達も買いに来たんだしさ、ついでにこの人も一緒に行けば良いって思ったんだ。ね、行こうよ!」
有無を言わさず、アリシアの手を掴んで走り出すゴンには戸惑いを隠せない。
「……ったく」
反対にキルアはというと、その行動に呆れながらも、仕方なく付いて走った。
「ここのね、バーガー美味しいんだっ」
「ばーがー?」
バーガーとはなんなのかと、連れられて入った店の中を見渡せば、パンで何かを挟んだ食べ物の絵や看板が目に入る。
「バーガー知らないの?」
「パンで何かを挟んだ食べ物っていうのは、わかったわ」
「バーガーも食べたことないとか……。一体どういう育ち方してんだよ」
二人の後ろにいるキルアは、呆れた眼差しをアリシアに向けた。
「ありきたりなバーガーショップだけど、美味しいんだよねこれが!」
ニコニコとこちらに笑顔を向けるゴンに、アリシアは一瞬頬が緩みそうになるのを抑えた。それを止めたのは、メルサの顔が頭の中を過ぎったからである。
「いらっしゃいませ!」
何も返さない俯き加減のアリシアの手をぐっと引き寄せて、ゴンは店のカウンターに前進。
「このスペシャルバーガーセット二つ! キルアは?」
「俺はスペシャルダブルバーガーセットで」
「それでお願いしまーす!」
アリシアはただただ、少年達が注文する姿を見つめているしか出来なくて、会計の時に自分の分の紙のお金を出すだけで精一杯だった。
「はい、これお釣り!」
少年からお釣りを受け取ったアリシアは、マントの内側にあるポケットにそのお金を仕舞う。
「天気も良いしさ、外のベンチに座って食べようよ!」
そう言って店の外へと駆け走るゴンの背中を唖然として見つめていると、『ほんとお人よしっていうか、バカというか』呆れを通り越したような声で、溜息交じりにキルアが呟いた。
少年達の後を付いて行けば『こっち!』と、ゴンがアリシアを右隣りに。キルアを左隣りに座らせようとしていた。──が、キルアは敢えてその横に備えられていたもう一つのベンチに腰を下ろす。
「はい、スペシャルバーガーセット。キルアもはい!」
ゴンからバーガーとポテト、ジュースを受け取る。どうやって食べるのだろうかと、包み紙に包まれたバーガーをアリシアはじっと見つめた。
「いただきまーす!」
少年二人がバーガーを食べ始める。その様子に視線を向け、再びバーガーに目を戻したアリシアは、恐る恐る包み紙を開けてみた。
──良い匂い。
開けた瞬間、今まで感じたことの無い、とても美味しそうな匂いがした。バーガーのそれは、パンに挟まれたレタスや目玉焼き、そして苦手なひき肉の塊である。
アリシアは躊躇するも、ゆっくりとそのバーガーを一口だけかじる。
「──美味しい!」
生まれて初めて食べたバーガーは、今まで味わった事の無い、とても美味なものであった。
「でしょー!」
「うん、とってもっ」
ゴンは、アリシアが美味しそうにバーガーを食べる様子に満足気だ。
"ばーがー"って、こんなにも美味しいものだったのね。
気付けばアリシアは、いつの間にかバーガーをぺろりと完食し終えていた。
「ごちそうさま!」
三人でごちそうさまをし、座っていたベンチから立ち上がる。
「お腹いっぱいになったよねー、キルア?」
「また直ぐに減るだろ?」
「えへへー、まあね」
二人の会話を聞きつつ、そろそろ戻ろうと思ったアリシアは、ゴンとキルアに声をかけた。
「あの、二人とも。さっきは、どうもありがとう」
「別にお礼言われるような事してないよ~〜」
「バーガーなんて誰でも食ったことあんのに。アンタよっぽど金持ちか貧乏なんだろうな」
「キルア、失礼だよ」
目の前の少年二人がああだこうだと言い合う様子を黙って見つめていたアリシアは、何だか微笑ましくも羨ましく思いながら、無意識に『ふふ』と、微笑を口角に浮かばせた。
「笑った!」
特にマズイと焦った訳ではなかったが、慌てて口を手で押さえる。少年二人はアリシアの笑い声に少し驚いていたのだ。
「なんだ、笑ったり出来んのか」
キルアが言う。
「てっきり何も感情出さねぇ変なヤツって思ってたけど」
「だからぁー! キルアさっきから失礼だってば~」
「あーはいはい。悪かったって」
再び、言い合いが始まりそうなゴンとキルアの間に挟まれて困ったアリシアは、この空気を切り替えるように二人を止めに入る。
「あの! "ばーがー"、どうもありがとう。それじゃあ……」
もう一度お礼を言って頭を下げると、アリシアは二人の前から急いで去ろうとした。
「ねえ!」
ゴンが呼び止める。
「オレはゴン、キミは?」
足を止めて振り返れば、改めてゴンは自分の名前を告げ、アリシアの名前を問う。
「こっちはキルア!」
ゴンについでに紹介されたキルアは、『何勝手に紹介してんだよ』と文句を言いたげな表情を浮かべ、ゴンをジト目で睨んでいる。
アリシアは少しだけ黙ったまま、ゴンとキルアを交互に見つめてから口を開く。
「──わたしの名前は、アリシア」
それだけを答えると、アリシアはその場から逃げ去るようにして、ゴンとキルアと別れたのだった。
ゴンとキルアという少年達に出会ったその夜の事。アリシアは、ベットの中でなかなか寝付けずにいた。
初めての買い物でゴンに助け舟を出してもらい、生まれて初めての"ばーがー"なるものを口にしたあの瞬間、あの美味さ。そして少年達との会話をしたあの短い時間を過ごし、まだ興奮が冷めやらぬといった状態に陥っていたのである。
ヒソカといえばまだ戻ってはおらず、広いベッドルームにアリシア一人という状況だ。
何だかんだで眠れないと思いつつも、瞼はいつの間にか落ちてくる。
数時間経った頃だろうか。アリシアはぱちりと目を覚ました。辺りはまだ暗く、外が夜であるというのはわかった。ゆっくりと上半身を起こしてベッドルームの入口に目を向けると、少しだけドアが開いているのに気付いた。しかも、扉の向こうの部屋から明かりが少しだけ漏れているではないか。
──ヒソカ、帰って来たのかしら?
アリシアはそっと静かにベッドから出ると、その扉のドアノブに手を伸ばしかけた。
何──?
けれどその手は、ドアノブを回すことなくそっと引っ込めらる。何か小さく、微かに呻く声がしたからだ。何だか息遣いも混じるその呻きと共に、アリシアの全身がピリピリとしたモノを感じ取った。
イルミについて行った、あの闘技場で感じたヒソカの試合を思い出す。息苦しく感じたあの感覚に似たような気分に陥り、徐々にアリシアの動悸は激しくなっていった。
暴れだしそうな程に鳴る心音が部屋中に響き渡ってしまいそうだと焦りつつも、アリシアは怖いもの見たさでそっとドアの隙間からリビングを覗いてみた。
目だけを動かし、辺りを伺う。まだ微かに聴こえる呻きの方向へと、視線を向ける。
え……?
ソファがある場所に、ヒソカが前屈みになって小刻みに震えてるように伺えた。どうしたのかと心配にも思いながらヒソカを見つめれば、ヒソカの身体から禍々しい何かのオーラが浮き上がっているのがわかった。
「……っ!」
そのオーラに圧倒され、鳥肌を立たせたアリシアは、ヒソカの次の行動に悲鳴を上げそうになった。
前屈みに
──どうしよう!
本能的な恐怖を感じ取ってしまったのか。禍々しいオーラを目の当たりにして、死が過ぎる。パニックに陥ったアリシアは音を立てないよう一目散にベッドの中に入ると、小さく身を縮こませた。
どうか来ないで。ドアを開けてベッドルームに入って来る音に、アリシアの心臓はビクリと跳ねた。そしてベッドの軋みがぎしりと鳴る。
「……!」
包まっていた布団が剥がされ、アリシアはガタガタと震えながら視線を天井付近に移動させた。リビングからの照明の明かりが逆光し、その姿は影に染まっている。
「……ひ、ヒソカ?」
森で暮らしていたアリシアの視力は暗闇に強く、馬乗りになって自分を見下ろす人物がヒソカである事はわかっていた。──が、あえて名前を口に出す。ヒソカはと言うと、アリシアに名を呼ばれても何も答えない。不気味に思える程に、口が裂けるような笑顔を向けるだけである。
「ヒソカ……?」
問いかけるようにもう一度を名を呼んだその瞬間だった。アリシアの首が、ヒソカの右手によってきつく絞められたのだ。
「ぐっ──あっ!」
両手でヒソカの右手を掴み、引き離そうと必死に足掻くが簡単には逃れられない。
「や、は、ぁ、う……っ!」
苦しく呻く声を上げてヒソカを見つめると、ヒソカは恍惚とした表情でアリシアを見下ろしていた。
──苦しい! ヒソカ止めてっ!
苦しさと恐怖の境によって失禁したアリシアは、そのまま意識を手放した。
どのくらい時間が経ったのか。目を覚ませば朝の日差しがカーテンの隙間から射され、その眩しさにアリシアは目を細める。
「……朝?」
上半身をがばりと起こし、警戒しながら周りを見回せば、何かを思い出すように我に返って自分の首元に手を当ててみる。
──あれは、夢?
一体どういう事なのだろうか。昨夜の出来事は夢であったのか。暫くベッドの上で呆けていたアリシアは、まるで夢遊病のようにフラフラと歩きながら洗面所へと向かった。
「おはよう♦︎」
洗面所を開けると、中にはヒソカが。鏡越しにこちらを見て立っていた。
「お、おはよう……!」
ほんの少しだけ肩がびくりとなった。しかし、昨晩の禍々しいヒソカではないとわかると、アリシアは心から安堵した。
「昨日の夜驚いたよ♠︎」
「え?」
「怖い夢でも見たのかな? 酷くうなされててね、凄くバタバタと暴れちゃってて、ベッドのシーツが首に巻き付いてたんだよ♠︎」
「うなされてた?」
「ホラ、首元を見てごらん。少し痕になってるから♦︎」
洗面台の鏡を見れば、自分の首に薄っすらと絞まった痕のようなものが確認出来た。
「夢、だったの……?」
「そんなに恐ろしい夢だったのかい?」
「ええ。とっても。夢で本当に良かった」
「へぇ── ♥」
ほっと胸を撫で下ろしているアリシアから背を向けたヒソカは、自身の右手首にある、引っ掻かれた真新しい傷跡を舌でぺろりと舐め上げながら、不敵な笑みを浮かべて言った。
「──夢で、良かったね♥」