深い海に棲む艦~Prequel to Kantai Collection~   作:ダブル・コンコルド

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戦略はアマチュアがやるものだ。プロフェッショナルは兵站をやる
                           オマール・ブラッドレー


第2章 閉じられた海
21.海魔乱舞


 真夜中の南シナ海を、1隻の巨大な船が進んでいた。

 

 商船日本に所属するスーパータンカー『愛光丸』である。排水量28万トンの巨体はサウジアラビア産の原油をたっぷりと船内に抱え、ペルシャ湾からインド洋、南シナ海を経由し長躯日本を目指していた。

 

「最後の関門だな……」

 

 愛光丸の真っ暗なブリッジで当直を務める二等航海士の横尾は電子海図(ECDIS)から闇に沈む南シナ海に目を向けて呟いた。

 暦は8月1日、夏真っ盛りだ。

 

 船は航海灯という向きを示す電灯を点けているだけで、その他の信号灯以外余計な光は外に出してはいけないことになっている。ブリッジも海図を見るための最小限の電灯を点けるだけで暗闇の中だ。

 

 数日前にマラッカ海峡を通過中だった愛光丸は同地を警備する多国籍軍から警報を受け取った。国籍不明の艦隊が出現し無差別に攻撃を加えている、との情報で、航行の安全が保障できず極めて危険であるため、入港可能な最寄り港に速やかに避退するように、とのことだ。

 

 にもかかわらず愛光丸は未だに南シナ海を航行することを余儀なくされている。

 同じような警報を他のタンカーや貨物船も受信していたらしく、多くの船が競って避退行動をとった結果、南シナ海はひどい渋滞になってしまった。

 

 28万トンもの巨躯を持つ愛光丸が緊急入港できる港が簡単に見つかるわけもない。

 

 頼みの綱は中国の港だったが、迅速に行動した他国の大型船が先んじて避退を完了し、中国沿岸部の港はすぐにパンクしてしまった。日本政府が交渉を始めた時にはすでに手遅れであり、愛光丸は頼みの綱を完全に失ってしまったのである。

 

 そんな時だった。偶然台湾の高雄港に空きが見つかり、入港が許可されたのは。

 

 中国の港よりも遥かに遠く危険だが、このまま日本を強行軍で目指すよりは幾分か安全だ。

 目的地の高雄港までは残り一日。今日を乗り切ればどうにか安全は確保できる。

 いつどこで襲われるかわからないのだから海賊よりもたちが悪い。船員の疲労は精神的にも肉体的にもピークに達していた。

 

「横尾さん、針路はこのままでいいですかね?」

「ああ、このままで大丈夫だ」

 

 操舵手の白崎が舵輪を持ちながら横尾に声を掛けた。

 28万トンの巨大船の舵輪と聞くととんでもなく巨大なものを想像しがちだが、舵輪は直径わずか25センチほど。地味なバルブかと思うほどに小さい。しかしこの舵輪、船にかかる慣性力を検出し自動的に舵を調節する機能を持つ。なかなかの優れモノなのである。

 

「ようやく明日には台湾ですか。よく入港許可が出ましたね」

「ウチと何度か取引をしたことがあった台湾の会社に……何だったかな。確か中華油製だかに頼んでどうにかねじ込んだらしい」

「よその船は政府が交渉してくれるのに日本は企業任せですか」

「愚痴るな愚痴るな。気持ちはわかるがな」

 

 舵輪を持ったまま毒づいた白崎に横尾は苦笑した。

 航海中の船では完全に気を抜ける時間というものは存在しない。船は24時間走り続けているわけであって、いかに自動航法装置が発達してきたとはいえ人間による監視は怠ることができない。

 

 特に船を操る操舵手にとって、普段以上の負担をかけられる航行のストレスは相当なものだ。

 横尾にも、余計に苦労をさせやがって、とイライラが募る白崎の気持ちはよく分かった。

 

 その瞬間だった。けたたましい警報音がブリッジに響き渡った。

 

「衝突警報!?」

 

 舵輪を持ったままの白崎がはじかれたように振り返った。

 同時に横尾がレーダーを覗き込む。

 

「馬鹿な!」

 

 横尾は絶句した。

 愛光丸の800メートル前方に反応が出現していた。

 

「どういうことですか!?」

「なんで……さっきは何もいなかったんだぞ!」

 

 白崎の言葉に横尾はろれつの回らない口をどうにか動かした。

 愛光丸のような巨大船が完全に方向を変えるまでには相当な時間がかかる。このままの速力で進んだら回避は不可能だ。

 

 衝突する。

 

 その事実が白崎を凍り付かせる。まるで背中に氷の柱を突っ込まれたようだった。

 

「面舵一杯!全力で回せ!」

 

 横尾の叫びが白崎を動かした。

 小さな舵輪をこれでもかと回す。すぐに舵は右にきられた。

 

「どうした!?」

 

 衝突警報のけたたましいサイレンが鳴り響く最中、船長室から飛んできた船長の声に、双眼鏡を首にかけた横尾が体を向けた。

 

「前方800に反応あり、現在速力14ノット!」

「全速後進!」

 

 その声と同時に28万トンの巨体を進めていた出力が切られる。

 スクリューがゆっくりと逆回転を始め、船を前に進めようとする慣性力と後ろに進めようとする機関出力が激しくせめぎあう。船尾が激しく泡立ち、莫大な量の海水が撹拌された。

 

 だが同時に、それとは異なる揺れが愛光丸を襲った。

 それほど大きな衝撃ではない。

 

 しかし舵を取っている白崎は見た。愛光丸の右舷側に小さな水柱が噴き上がった瞬間を。

 

 衝撃は一度ではない。三度四度と連続し、その度にブリッジは小さく揺さぶられた。

 何が起きたのか理解できない。目の前の目標をよけることで頭が一杯だった。

 

 小さな衝撃を受けながら、横尾はとある記憶を呼び起こした。

 知り合いにソマリア沖で海賊にロケットランチャーを撃ち込まれた貨物船乗りがおり、その時の話をよく聞かされた記憶だった。

 その話の内容と、たった今の衝撃が似ていたように感じたのだ。

 

 横尾は船長に伝えようとした。

 愛光丸のようなタンカーはロケットランチャーや魚雷で沈むことはない。しかし軍艦ほどの頑丈さはないため簡単に航行不能になってしまう。こうなると乗員は外部の救助を待つしかなくなる。さらにこのタイミングだと大量の原油が流出する恐れもあった。

 

 不意に光の柱が視界をよぎった。

 

 眩いほどの光に照らされ、愛光丸はその姿を夜の海にさらけ出す。

 光量はかなり大きい。真っ暗なブリッジも白昼と思わんばかりだ。

 

「探照灯!?」

 

 この光は前方にいる船から発せられている。普通の船はこんな時に探照灯で相手の視界を塞いだりはしない。

 ならば前方に現れた船の正体は――

 

「駄目だ……」

 

 自分の運命を悟ると同時に横尾の体から力が抜けた。

 どうあっても台湾にはたどり着けない。逃れようがないと悟ったのだ。

 

 横尾が故郷の家族に思いを巡らせた瞬間、愛光丸の中央部に巨大な火柱が噴き上がった。

 その光景が見えた瞬間、先ほどをはるかに上回る衝撃が襲い掛かった。

 ブリッジにいる三人もはじけ飛び、床や壁に叩きつけられた。

 床に倒れ伏した横尾が恐怖の表情を浮かべる中、どこからともなく飛んできたモールス信号を愛光丸は受信した。

 

 だが、彼がそれを目にすることはなかった。

 

 ブリッジの床を突き破ってきた紅蓮の炎が、3人をひとしなみに巻き込んだ。

 

・・・・・・・

 

 スリランカ共和国の港湾都市コロンボは煙にむせいでいた。

 日常とガラリと様相を変えた街には、深い傷跡が残されている。

 

 経済発展の象徴であった高層ビル群はことごとく崩壊し、街そのものが焼け野原と化している。鉄筋コンクリートは高熱で融けて変形し、焼け焦げて骨組みだけになった自動車が道路に転がっている。地面はグランドキャニオンを思わせるほど大小さまざまな穴だらけになっており、アスファルトは吹き飛び土が露出していた。

 

 人の姿はどこにもない。

 警察が住民を避難させることも、銃を持った兵士が辺りを警戒することもない。

 

 瓦礫に混じるように遺体が至る所に転がっている。その多くは一般人だが、軍服に身を包んだ死体もあった。

 スリランカ軍の兵士たちだ。

 あるものは腕が、あるものは足が飛び、さらにあるものは体が真っ二つになっている。五体満足な死体はどこにもない。

 スリランカ陸軍のマークを付けた戦車は履帯が弾けて横転し、吹き飛んだ砲塔が建物の3階に突き刺さっている。装甲車に至っては更に悲惨だ。全体が滅多打ちに遭ったのか無数の破孔を穿ち、蜂の巣のようになって無残な屍を晒している。

 

 これらは激しい空襲と艦砲射撃が残したものであった。

 突如出現した正体不明の敵と交戦したスリランカ軍であったが、装備の近代化の遅れと、暴力的ともいえる敵の物量に押し切られ、ついに本土の蹂躙を許してしまったのだ。

 

 不意に路地が騒がしくなった。

 地鳴りを思わせる重低音と共に、地面が振動しはじめる。振動は次第に大きくなり、圧迫感を増してくる。

 

 やがてその源となる怪物が姿を現わした。

 

 スリランカ軍の歩兵戦闘車や装甲車の類ではない。ましてや一般人の乗用車でもない。

 市街地の歩道を突き破るようにして長い砲身が顔を覗かせ、次いでがっしりとした車体とそれを支える幅広い履帯があらわになった。焼け焦げて骨組みだけになった車を踏み潰して乗り越え、全貌が明らかになる。

 低く構えた車体と大口径の砲口は見る者を圧倒し、砲塔や車体の前面、側面は避弾経始こそ備えていないものの、見るからに分厚く強固な防御力を想起させる。

 

 六号重戦車ティーガーⅠ。

 

 かつて連合軍を恐怖のどん底に陥れた、世界の陸軍史に燦然と輝く名戦車。時を超え海を超え、今スリランカに現れたのである。

 10両、20両とティーガーⅠの行進は続く。

 

 それだけではない。

 ティーガーⅠが数十両と続いた後に、二回りほど小さな戦車がやってくる。

 

 その名をマチルダ歩兵戦車という。

 ドイツとイギリス。かつて敵対した国の戦車が隊列を揃え、コロンボを蹂躙してゆく。

 ティーガーⅠとマチルダⅡは、市街地で生き残った人間を探すかのように88ミリと40ミリの主砲を右に左に振り向け、兵士や一般人の遺体を轢き潰しながら進軍する。

 

 妨げるものはない。

 

 敵の侵略に屈したスリランカ共和国は、建国以来最大の危機に直面していた。

 

・・・・・・・

 

 ディエゴガルシア環礁はインド洋におけるアメリカ軍最大の拠点である。

 楕円を描くようなサンゴ礁に囲まれた陸地の一部をアメリカ軍が基地として使用しているのだ。

 

 多数の航空機が展開するその環礁に、高らかにサイレンの音が鳴り響いた。

 この時兵士たちは、上空を飛び交う彼我の機体が基地に迫ってくる様を目撃していた。

 時折閃光がきらめき黒煙が空に伸びる。被弾し炎上した機体は機首を大きく下げ、海面めがけて突っ込んでゆく。

 

 落ちていくのは全てがレシプロ機だ。

 

 まったく塗装されていないジュラルミンむき出しの機体が太陽を反射してギラリと光る。それが何百という数で大空を覆っているのだ。

 そのレシプロ機は、ほとんどの軍人ならば知っている。

 

 巨大な四発の爆撃機、その名はB-29スーパーフォートレス。

 超空の要塞の名を持ち、かつて日本本土を灰にした恐怖の爆撃機がアメリカ軍に襲い掛かったのだ。

 

 もっともB-29が超空の要塞でいられたのは過去の話だ。朝鮮戦争の時点ですでに狩られる立場だった爆撃機など現代技術の前には単なる的に過ぎない。ミサイルの回避手段を持たない大型爆撃機は容赦なく落とされてゆく。

 

 だが、その数は多い。

 落とされても、粉砕されても、進路を変える機体はいなかった。

 

 当然のことながらミサイルが尽きる。

 その後も戦闘機はバルカン砲で応戦するが、戦闘機に搭載されているバルカン砲の弾薬は少ない。時間に直せば7秒も撃ち続ければ弾切れになってしまう。

 

 数百機もの敵を完全に阻止することはできなかった。

 

 やがて基地上空に侵入したB-29は、無数の黒い塊を投下し始めた。


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