クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ!大正異聞鬼退治!   作:藤渚

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【壱】キャンプ地は時を越えて(Ⅱ)

 

 

『やらなくて後悔するより、やってから後悔したほうがいい。』

 

 

 こんな格言を作ったのは、一体どんな人間なのだろう。それはともかく、とても良い言葉だと私は思う。

 旅行先、同人イベント、そしてフリーマーケット………たまたま立ち寄った店で、見かけたサークルで、出店してた一画において、「あ、コレいいな~」と僅かでも感じた経験はないだろうか。買おうか買うまいか迷っているうちに、また今度来た時でいいや~などという理由をつけて、諦めてはいないだろうか?

 

 

 もしも、その旅行先に行く機会が今後二度となかったら?

 もしも、次のイベントで、そのサークルが参加していなかったら?

 もしも自分が去った後、その品物を他の客が購入してしまっていたら………?

 

 

 たった一つの選択を誤ることで、あなたは運命の巡り合わせを………素晴らしき一期一会の機会を、非情にも無下にしてしまっている可能性とてあることをお気付きだろうか。

 

 あの時買っていれば、迷ってさえいなければ………そんな後悔をしたところで、(まだ出番ではない水柱さんの言葉を借りれば)時を巻いて戻す(すべ)はないのだ。

 

 触れられない虚無感と、触れられる幸福感。どちらが幸せかを決めるのは、あなたの心次第であるが─────

 

 

 

「だからってね、ここまで無駄遣いしていいなんてことにはなりません!全く初っ端から長ったらしいモノローグまで流して、読む側も書く側も疲れるんだからね!」

 

 みさえの一喝により、地の文を使ってまでのひろしの苦しい弁解は強制終了する。あぁ書いてるこっちもしんどかった。

 仁王立ちする妻の目の前で、車内の床に正座をし項垂(うなだ)れるひろし。そんな両親の姿を離れた座席から眺めている、子ども二人と飼い犬一匹。

 

「プー♪プー♪」

 

「ひま、おもちゃのラッパ買ってもらったんだ。よかったな~。」

 

「アンッ。」

 

「たぁい!プップププー♪」

 

 仲睦まじいその光景とは対照的に、夫婦の間に流れる空気は重苦しい。腕を組み夫を見下ろすみさえの口から、溜め息交じりに怒声が飛び出した。

 

「大体何よ!人には無駄遣いするなとか言っておいて、あなただって結局はこ~んなに買ってるじゃないの!」

 

 みさえが指したのは、ひろしの横に積まれた箱達。出発時には見られなかった筈のそれらは、どうやら彼がフリーマーケットで購入してきたもののようである。

 

「ま、まあみさえ、そんなに怒るなよ。俺だってちゃんと考えに考えてから、実用的なものを買い物したんだからさ。」

 

「ふーん………例えば?」

 

「例えば、ええと…………ほら!このウォータージャグ、20ℓも入るんだぜ?凄いだろ?」

 

「飲み物なら、さっきスーパーで買ってきたばかりでしょ?しかもあなたの缶ビール以外は全部ペットボトルなんだけど。」

 

「うぐっ!じゃ、じゃあこれならどうだ?ほ~ら子ども用のプールだ!(うち)にあるのは去年破けて使えなくなっちまったし、しんのすけとひまわりもこれで水遊びが出来るぞ?」

 

「……キャンプ場の近くには川があるって、昨日あなたと話したじゃない。」

 

「ハッ‼そ、そうだったなあアハハハ!ハハ…………あ、あとはその………健康のために始めてみようかな~って思って……………ヌンチャク。」

 

「…………それ、本当に今日買わなくちゃいけないモノだったの?」

 

 次々と放たれる、みさえからの容赦のない指摘(ツッコミ)。最早どう言い訳をしても通用しない状況にあるが、ここで黙って(ののし)られるだけの男・ひろしではない。

 

「そっ、そういうお前だってなあ!何だよその積まれた袋の山は⁉人のコト散々責め立てといて、そっちこそ無駄遣いしたんじゃねーのかっ⁉」

 

「なっ!やや、やあねっ失礼なこと言わないでちょーだい!私はちゃんと家族の皆の役に立つものを買ったのよ!無駄遣いなんてこれっぽちもしてないんだからっ!」

 

 頬を膨らせ、真っ赤な顔で(いきどお)るみさえ。だがその声色に隠れた焦燥(しょうそう)をひろしが見抜けないほど、二人の夫婦人生は浅くはなかった。

 

「ふーん………そんなに自信があるってんなら、見せてもらおうじゃねーの。」

 

「い、いいわよぉ?それじゃまずは………ジャッジャ~ン!見て見てこのフライパン!どんなに使っても底にくっつかないし焦げつかない、しかもIH対応の優れモノよ!それにホラ、こ~んなに軽いんだから♪」

 

「あれ?でもかーちゃん、こないだサトーココノカドーのバーゲンでもフライパン買ってなかった?どんなに使っても底にくっつかなくて焦げなくて、しかもIH対応なのよ~って売ってたオバさんが言ってたヤツ。」

 

「……それに、(うち)はIHじゃなくてガスだろ。」

 

 息子と夫からの冷たい視線に、額や背中を伝う冷や汗が止まらない。しかしここで負けを認めるわけにはいかず、頭をブンブンと強く振ってから、みさえは次の袋へと手を伸ばす。

 

「つ、次はコレ!フリーマーケットのタイムセールで勝ち取った紳士用のTシャツよ!ほら、これからどんどん暑くなってくるでしょ?着替えは何枚あっても困らないし、それに一枚たったの200円!どう?安いでしょ~ぉ?」

 

 ドヤッという擬音を背後につけて、みさえは購入したという数枚のTシャツをひろし達の前に見せびらかす。だがひろしを始め、しんのすけやひまわりそしてシロまでが、そこに描かれていたものを目にするなり、その顔は苦い表情(もの)へと変貌した。

 

「……みさえ、いくら安かったからっていっても、もうちょっとセンスのある柄選んできてくれてもよかっただろ?」

 

「いくら何でも、これじゃとーちゃんがかわいそうだゾ……。」

 

「うえぇ~……。」

 

「くぅ~ん……。」

 

「べっ、別に何でもいいじゃない!Tシャツなんて上に何か着ちゃえば、柄なんて見えないわよ!」

 

「それじゃ何枚かお前にやるから、みさえも普段それ着て過ごせよ。」

 

「え……っ?そ、それはちょっと………だってこの柄、私のセンスじゃないし~アハハハハ!」

 

 苦し紛れの空笑いが、キャンピングカーの中に響く。だが冷蔵庫並みに冷え切った空気と家族からの眼差しからは逃げ切ることが出来ず、みさえは戦慄(わなな)く手を最後の袋の中へと入れた。

 

「じゃ、ジャジャジャジャーン!ほらしんちゃん、アクション仮面のなりきりパジャマよ!前からずっと欲しがってたでしょ?」

 

 みさえが最後の切り札として出したもの、それはしんのすけの大好きなヒーローであるアクション仮面を模したパジャマであった。上下に分かれたそのパジャマには、ご丁寧に頭部まで再現したパーカーもついており、正にアクション仮面になりきれるという子どもの夢を叶えてくれる夢のような代物に、しんのすけは真ん丸の目をいっぱいに輝かせた。

 

「おおぉ~っ!アクション仮面のパジャマだぁ~!」

 

「凄いでしょ~?早速着てみる?」

 

「着る着るぅ!かーちゃんありがとう西(ざい)南北ぅ♪」

 

 大はしゃぎでみさえからパジャマを受け取り、目にも止まらぬ速さで服を脱ぐしんのすけ。鼻唄混じりに上から着替えた彼だったが、途端にその表情は落胆と困惑の色で染まる。

 

「かーちゃん、このパジャマ………オラには(おっ)きすぎるゾ。」

 

 口を尖らせた彼の言う通り、そのパジャマは上だけでしんのすけの全身を覆ってしまい、袖もかなり長い。立て続けに犯した自身の失態に言葉が出てこず、呆然とするみさえの肩に、ポンとひろしが手を置いた。

 

「みさえ、もう何も言わなくていいぞ………俺も悪かったんだし、これからは二人で気をつけていこう?な?」

 

「あなたぁ………あ~ん私も!言い過ぎちゃってごめんなさい!愛してるわぁっ!」

 

 互いの非を認めて謝罪をし、仲直りのハグをする夫婦を遠くで眺めながら、しんのすけは元の普段着へと着替え終える。

 

「やれやれ、とーちゃんもかーちゃんもお買い物が下手だなぁ……それに比べてオラはほら、こ~んないいモノゲットしたんだもんね!エッヘヘヘ~♪」

 

 しんのすけが自慢げに掲げてみせたのは、あの豚面の男から渡された桐の箱。圧倒的な存在感を放つそれに、一家の興味はそちらへと集中する。

 

「え?おいしんのすけ、何だよその箱?」

 

「おもちゃくじの後に行ったお店で、豚のお面をつけたオジさんに貰ったんだゾ。いいでしょ~?」

 

「貰ったって………ちょっとアンタ、お金はどうしたのよ?」

 

「お金なんてかかってないもん。オラが飴あげたら、オジさんがお礼にってくれたの。」

 

「嘘おっしゃい!そんな如何(いか)にも高そうなモノ、タダ同然にくれる人なんているもんですか⁉」

 

「んも~タダじゃないってば!飴と交換したんだってば!」

 

 箱を取り上げようとするみさえの手を、頬を膨らせたしんのすけはひらりと回避する。そしてひまわりとシロのいる座席まで行くと、みさえに向かってあっかんべーをした。

 

「あなた、どう思う?子どもを利用した新手の詐欺じゃないかしら……?」

 

「そうだな……商品を開封した後に、返品不可能って難癖つけて代金を要求してくるってパターンも聞いたことあるぜ。なあしんのすけ、それ開けるのちょっと待っ─────」

 

 

「おぉ~っ何コレ⁉すっご~い!」

 

「たあぁ~!きゃ~い♪」

 

 

 ひろしの制止も時既にお寿司、あっ間違えた遅し。箱の(ふた)を放り投げ、中に入っていたものに歓喜するしんのすけとひまわりの下で、ヘッドスライディングをした両親が流れてきた。

 

「おバカっ‼何もう開けてんのよっ‼」

 

「あぁ~蓋までブン投げやがって、傷でもついたら大変─────ん?」

 

 床に落ちた木蓋を拾い上げた際、ふとひろしは内側に紙が貼られいることに気が付く。少し色褪せて黄ばんだ白いそれには筆の(たぐい)で字が書かれており、やや掠れたそれを声に出して読んでみる。

 

「日輪、刀………(ちん)(たけ)(すず)………何だこりゃ?」

 

 ひろしが首を傾げたその時、「あなた!」とみさえに呼ばれ振り返る。彼女の震える指が、しんのすけの手に握られたものを示していた。

 

 

 

 ───それは、丈が50センチほどの脇差(わきざし)によく似た、一本の刀。

 

 珊瑚(さんご)色の(さや)に、丸と三角の模様が並んだ菖蒲(あやめ)色の (つか)。そして何より特徴的なのは(つば)の形で、真ん中が(へこ)んだ楕円(だえん)型のそれは瓢箪(ひょうたん)にも、或いは豚の鼻にも似ていた。

 

 

「うわ~いうわ~いカッコいい!おサムライの剣だ~!」

 

 刀を両手で抱え、鼻息を荒くし大興奮するしんのすけ。その彼とは正反対に、ひろしとみさえはわなわなと全身を震わせ、まるでブルーハワイのかき氷のように真っ青な互いの顔を、首を(きし)ませて合わせる。

 

「あ……あああああああなた、かかか刀ってだだだ大体、いいいくらぐらいすすするのののの……⁉」

 

「ももも、模造品だとそそそ、そうでもないけど、ほほ本物だとだだだ大体、すす数百万からすす、数千万はするんじゃねえかかかか……⁉」

 

 畏縮する両親を傍目に、刀を大層気に入ったしんのすけはもちもちの頬っぺたを擦りつけている。そんな兄の姿を眺めていたひまわりだったが、窓から差した日光が柄へと当たり、それが反射して鮮やかに(きら)めいた途端、彼女は目を光らせた。

 

「きゃ~☆たたいたいやっ!」

 

「わっ⁉ちょっとひま、何すんの⁉」

 

 突然飛び掛かってきた妹を避けきれず、()し掛かる体重にしんのすけは座席の上に倒れる。

 その時、柄と鞘を握っていた別々の手に無意識に力が(こも)ってしまい、チャキッと小さな音と共に中の刃が僅かに姿を現した。

 

 

 

 

  ─────刹那、(まばゆ)い閃光が(ほとばし)り、車内は(またた)く間に白い光に覆われる。

 

 

 

「おわああぁっ!?」

 

「何だ何だ⁉何なんだよこりゃあ⁉」

 

「何なのよ~これっ‼」

 

「きゃ~っ⁉」

 

「キャゥンッ⁉」

 

 

 

 太陽を直視した時のように、少しも目を開けていられない。

 

 

 まるで烈日の強烈な日差しのような光は野原一家を包み込み、留まることを知らないそれは、やがて車全体をも覆いつくしていった─────

 

 

 

 

 

 

 

   *   *   *   *   *

 

 

 

「ん………ううぅん……。」

 

 ぼやける視界と頭の中で、しんのすけは目を覚ます。

 どうやら意識を失っていたようで、まだチカチカする目を何度も(まばた)きさせていると、床や椅子に倒れ伏していた他の家族達も、小さく(うな)り体を起こした。

 

「うう~ん………一体さっきのは何だったの?」

 

「全くだぜ……おい皆、大丈夫か?」

 

「たやぃ、くあぁ~……。」

 

「くぅ~ん……。」

 

 一先(ひとま)ず全員が無事であることに安堵し、ふらつくみさえに手を貸しながら、ひろしも立ち上がる。視界が高くなったことにより、ここで彼は漸く外の異変に気が付くことが出来た。

 

「なあ……やけに外、暗くねえか?」

 

 ひろしのその言葉に、皆一斉に窓の方を向く。意識を失う前はちょうど昼に差し掛かろうとしていたのに、横に長いガラス越しに見えた外の景色は、空を覆う橙色と闇色が溶けあっているではないか。

 

「嘘でしょ⁉もう夜だなんて、私達そんな時間になるまで寝てたなんて─────あれ?」

 

「みさえ、どうした?」

 

「ううん、大したことじゃないんだけど………あなた、車についてる時計のほうも見てくれる?私の腕時計、調子がおかしいみたいなの。」

 

 みさえが差し出した腕の時計を確認すると、二本の針が示す時刻は自分達がフリーマーケットから戻ってきた際に、ちらりと横目で確認した時間から僅か数分しか経過していない。言いようのない不安に駆られ、みさえの言う通りに運転席側へと移動したその時、ひろしが声を張り上げた。

 

「お、おい……どうなってんだ?ここ、サービスエリアの駐車場じゃねえぞっ⁉」

 

 そこに含まれた狼狽の色に只事ではないことを察し、みさえも運転席側へと向かう。自分も行こうと体を向けたしんのすけの手に、こつんと当たる硬いものがあった。

 

「お……?おぉ~オラのおサムライ(ソード)ちゃん!無事だったんだね~♪」

 

 箱から開封した時のように、刀を抱きしめ頬擦りをするしんのすけ。ふとその時、彼はとある変化に気が付いた。

 

「あれ?何かコレ、ほんのり(あった)かいような……?」

 

 振って揉んで、暫くしてからじんわりと熱を孕み始めたホッカイロのように、刀がポカポカと温かいのだ。ついでによくよく見ると、鞘と柄のこの配色………どこかで見覚えがあるような。

 

「ひま、シロ、これ何かに似てると思うんだけど、分かる?」

 

「たぁ?」

 

「クゥン?」

 

 隣にいるひまわりとシロに尋ねてみるが、彼らも同時に首を傾げてみせるだけ。その時、バタバタとけたたましい足音が車内に響いた。

 

「ととと、とりあえず一旦外に出てみるから、みさえは子ども達と中で待ってろ!」

 

「分かったわ!気をつけてね、あなた!」

 

 しんのすけ達のほうへと駆け寄ってくるみさえの後方で、ひろしはエントランスに手を掛けている。

 

「とーちゃんばっかりズルい!オラもオラも~!」

 

「あっ、コラしんのすけ!」

 

 ひまわりを抱き上げるみさえの横をすり抜け、刀を持ったまましんのすけは走り出す。そして素早い身のこなしで、ひろしが開けたエントランスの隙間から外へと飛び出した。

 

「よっと………おおぅっ寒~い!」

 

 着地したのは、コンクリートの上………ではなく、ふかふかとした草の上。刺すような寒気が半袖半ズボンから露出した肌に触れ、暖替わりの刀を抱きしめ身震いするしんのすけの目にも、その光景は映った。

 

「お?ココって……………どこ?」

 

 

 

 ずらりと並んでいた車の代わりに自分達を囲んでいたのは、一帯に生い茂った沢山の木々や草。

 

 静まり返った森の中、高く伸びた林を見上げれば、既に瑠璃(るり)色へと移ろった空の真ん中に浮かんだ三日月が、幾つもの星と共にこちらを見下ろしていた。

 

 

「おいっ!勝手に外に出たら駄目だろ!」

 

「そうよおバカ!危ないでしょっ!」

 

 背後から叱責する声に振り向けば、慌てた様子で降車してくる両親と、みさえに抱かれた腕の中で好奇の目を辺りに向けるひまわり、そしてシロが遅れて車から飛び降りてくる。

 

「ほっほ~い!とーちゃん、オラ達もうキャンプ場についたの?」

 

「んなわけ無ぇだろ!サービスエリアから車なんて、一ミリも動かしてないんだから………くそっ、一体全体どうなってやがんだ?」

 

 理解し難い状況に頭が追いつかず、苛立ちながら頭を掻くひろし。腕の中のひまわりを一層抱き締め、不安げに周囲を見回すみさえ。警戒しながら辺りの匂いを()ぐシロ。そして、彼らを余所にはしゃぐしんのすけとひまわり兄妹。

 

 

 

 

 ─────そんな彼らを、(やぶ)の中から食い入るように見つめる、もう一人の存在。

 

 『それ』は、口元に笑みを浮かべたまま、一歩……また一歩と、確実にその距離を縮めていく。

 

 

 

「ねえあなた、警察呼びましょうよ!それかレスキュー隊!」

 

「まあ待てよ。ひょっとしたらキャンプ場付近の山かもしれないし、とりあえずGPSで場所を確認して………。」

 

 

「あのぅ、もし───」

 

 

「あ、あれ?電波が…………おいおいマジかよ、ひょっとしてココ圏外か?」

 

「えっ嘘……やだ、私のスマホも圏外になってる!ねえあなた、どうしましょう⁉」

 

 

「えっと、あのぅ───」

 

 

「どうしましょうって言ったって、いきなりこんな知らない山ン中に放り出されちゃ、どうしようもねえだろ。」

 

「そんな………そうだわ!確か方位磁石持ってきてたわよね?それと地図を使えばいいいんじゃない?」

 

 

「あのぅ、もしもし───」

 

 

「いや、それも無理だ……行き先や帰りの道は全部車のナビに登録しちゃってるし、それじゃあコレは要らないわよね~って地図が乗ってる雑誌を家に置いてきたの、お前だろ?」

 

「じゃあ何っ⁉まるで私が悪いみたいじゃない!あなただってあの時、別に地図なんて無くても最新式のナビがあるから平気だぜ~フフンみたいなこと、偉そうにいってたくせに!機械なんかに頼り切らないで、用心してでも持ってくるべきだったのよ!」

 

「今更過ぎたこと言ったって仕方ないだろっ‼」

 

「何よっ‼何か文句あるのっ⁉」

 

「あの───」

 

「「うるっさい(せぇ)わね(な)‼さっきから何なの(だよ)っ⁉」」

 

 先程から割り込んでこようとする声に堪忍袋の緒が切れ(+夫婦喧嘩の八つ当たり)、ひろしとみさえは鬼の形相をそちらへと向けて怒鳴る。

 するとその場所にはいつの間にか、(かさ)を深く被った男が一人、藪の中からこちらへと歩いてきた。

 まるで時代劇などでよく見る農民のように、古びた着物を(まと)った男が近付いてくると、不意にシロが唸り声を発する。

 

「ウウゥ………アンッ!アンアンッ‼」

 

「おっ?ど、どうしたシロ?落ち着け~どうどうっ!」

 

 しんのすけが(なだ)めようとするも、シロは男への威嚇(いかく)()めない。そんな彼に構うことなく接近してきた男は、穏やかな声色で話しかけてきた。

 

「もし、貴方がた。道に迷われたのですか?」

 

「へ?あ、ああそうです!どうしてこうなったかは分からないんですけど、気が付いたらこんな知らない山の中にいまして……。」

 

「そうですか、それは災難でしたな。でしたら私が道を案内いたしましょうか?夜の山は早々に降りなければ危険ですよ、何せ……………『人喰い鬼』が出ますから。」

 

 笠の下から見えない顔で、男はくつくつと笑う。彼の発した『人喰い鬼』という言葉とその不気味な雰囲気に怖気(おじけ)ながらも、顔を合わせたひろしとみさえは互いに頷いた。

 

「すみません、助かります!」

 

「本当にありがとうございます。この通り小さい子どももいるので、不安で仕方なくて……。」

 

 男の厚意に感謝を述べる二人に、「いえいえ」と変わらず穏やかに答える男。そんな彼を見ていたしんのすけが近くに寄ろうとしたその時、「アンッ!」とまたしてもシロが大きな声で()える。

 

「んもぅシロったら、さっきからどうしたの?」

 

 いつもとは違う様子のシロに、怪訝(けげん)な顔をするしんのすけ。落ち着かせるために頭を撫でようと手を伸ばしたその時、手の先とシロの距離が大きく開いた。

 

「おっ?」

 

 ふわりと体が持ち上がり、その拍子に手から刀を離してしまう。

 高くなった視界の先にはポカンと口を開けた両親と妹の姿、そして先程より大きな声で吠えたてるシロが眼前にいることから、今自分が何者かに持ち上げられたのだと、ここでしんのすけは理解した。

 

「クク………子供だ、久々の子供の肉…………しかもこの匂い、まさか『稀血(まれち)』に巡り合うことが出来ようとはっ‼」

 

 そう呟く男の声は、最早温厚なものではなくなっている。呆然とするしんのすけの目の前で、男の背中が膨らみ始めた。

 

「なっ……何だよアレ⁉」

 

 驚怖(きょうふ)するひろし達の前で、着物を裂いた男の背中から二本の腕が姿を現す。その一本が笠に手を掛け、投げ飛ばした次の瞬間、その場の誰もが悲鳴を上げた。

 

 

 額から生えた(つの)。 耳まで裂けた口に並ぶ、鋭い歯。

 ぎょろりとこちらを睨む、吊り上がった眼。 異様に長い爪と、首下まで伸びた、ねとついた長い舌────。

 

 

 

「だから言ったろ?『人喰い鬼』が出る、って………ヒヒ、ヒヒヒヒヒ!」

 

 

 明らかに人離れした風貌と男……否、鬼の恐ろしい嗤い声に震え上がり、足が(すく)んで動かない………立ち尽くしたままの大人二人を尻目にし、鬼はしんのすけを抱えたままこちらへと背を向ける。

 

「ハッ!ま、待て────」

 

 ひろしが叫ぶより僅かに早く、鬼はその場から走り去る。その姿を目で追う間も無く、あっという間に林の中へと消えていってしまう。

 

「アンッ!」

 

 するとシロはしんのすけが落とした刀を口に(くわ)え、鬼の走っていった方角へと駆け出した。

 

「あっ!おいシロ!」

 

 ひろしが呼び止める間も無く、シロの姿もまた闇の中へと消えていく。再び訪れた静寂の中、ひろしとみさえはへなへなとその場にへたり込んだ。

 

「嘘、だろ……夢だよな?コレ……。」

 

「しんちゃん………しんのすけぇっ‼」

 

「たーい!たいやぁっ‼」

 

 みさえとひまわりの悲痛な叫びは、すっかり濃くなった夜の暗がりへと溶けていく。みさえの(すす)り泣く声が暫く響いていたその場に、遠くから聞こえる別の音。

 

「?……何?何の音?」

 

 涙と鼻水で濡れた顔を上げ、みさえは音のした方を向く。

 草木を掻き分けるような音は次第に大きくなり、それがこちらへと近付いているのだと気が付いたのと同時に、突如藪から何かが飛び出してきた。

 

「わわっ‼な、何だよ今度はっ⁉」

 

 みさえとひまわりを背後にやり、ひろしが叫ぶ。すると『それ』は直ぐ様起き上がり、こちらへと駆け寄ってくる。

 

 

 

「大丈夫ですかっ⁉」

 

 

 

 三日月に照らされたその姿………藍墨と若竹の市松模様の羽織を纏い、背中に大きな箱を背負ったその『少年』の額には火傷に似た(あざ)があり、耳には花札のような耳飾りを揺らしていた

 

 

 

 

 

   *   *   *   *   *

 

 

 

 

 一方その頃、鬼に拉致(らち)されたしんのすけはというと………

 

 

「ほっほ~い!速い速~い♪でもちょっと風が冷た~い♪」

 

「……お前なあ、もうちょっと(さら)われてる自覚持ったらどうだ?」

 

 まるでジェットコースターに乗っているかのように、怖がる様子が全く無い上にはしゃぐしんのすけに呆れながら、鬼は山の斜面を下っていく。

 

「ねえ鬼さん、これからどこ行くの?」

 

「ああ?今からお前は俺の(ねぐら)に行くんだよ、そこでお前を頭からバリバリ食べてやるのさ、どうだ~怖いだろう?」

 

「ねぐらって何?小倉の親戚?オラ、小倉トーストの餡子(あんこ)はたっぷりがいいなぁ~。」

 

「ああもう、あんまり喋ってると舌噛むぞ………ったく、稀血(まれち)でなかったらあの場で喰ってやってもよかったってのに。」

 

 ぶつぶつと呟く男がまたも発した聞き慣れない単語、その意味を尋ねようとしんのすけが口を開こうとした時、フッと視界に影が差した。

 

「⁉────チッ、もう追いついてきたのか‼」

 

 鬼は足を止め、忌々し気に上空を見上げる。同じように顔を上げたしんのすけが見たもの、それは────(ちゅう)を舞い、暗闇の中で光る『何か』を振り(かざ)す、何者かの姿。

 しんのすけが瞬きをした次の瞬間、轟音と共に激しい衝撃が一帯を襲った。

 

「ぐおおおぉぉっ⁉」

 

 咄嗟のことに対応が遅れ、体勢を崩した鬼はうっかりしんのすけを離してしまう。

 

「おわああぁぁぁぁ~っ!」

 

 空中でくるくると回転しながら落下するしんのすけ。あと少しで地面とぶつかる寸前、彼は服の襟を何者かの手に掴まれ、惨事は回避された。

 

「……お?」

 

 きょとんと丸い目で、しんのすけは窮地(ピンチ)を救ってくれた存在────自身の隣に立つ、一人の『青年』を見上げる。

 

 

 

 

 左右異なる模様の羽織、片手に持った刀の刀身が、月光を受けて青く光を放っている。

 

 しんのすけを見下ろすその瞳は、彼がこの世界(ばしょ)に降り立った時に見た空の色と同じ、鮮やかな瑠璃色をしていた。

 

 

 

 

 

《続く》

 

 


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