カラン、と乾いた音を立てて、
木々に囲まれた
「…………お?」
くりくりの目を何度か
三日月の光を受け、暗夜の中に
鬼へと向けられた刃の先端………しかし、そこには切り裂くための鋭さは存在せず、なだらかな丸みを帯びている。
この形を、何か間近なものに例えるならば───
「ぶっ………ギャッハハハハ!何だよその変ちくりんな刀、まるで
堪えきれず吹き出し、頭と腹を抱えて笑い
刀の持つ役割とは主に、対象を斬ることにある。だが今、しんのすけが構えているコレはどうだろうか………敵を斬り裂く鋭さもなければ、一切の殺気や覇気さえ
「言われてみれば確かに………どれどれ、ベロ~ンッ。」
「ってコラ!本当に舐める奴がどこにいる⁉」
「うへ~まじぃ……んもう全然甘くないじゃんか!鬼さんの嘘つきっ!」
「えぇ~っ何で⁉何故に俺が悪いことになっている⁉第一それが本物の飴だとは一言も言ってないだろバカタレェ!」
あろうことか刀身に舌を
「は~やれやれ。笑って怒鳴って、腹も程よく空いてきたな……………残念だが、
不意に落とされた声の
「トミーっ‼」
振り返ったしんのすけが
「コラ~!お前の相手はオラでしょーがっ!」
「ハッ、関係ないな。腹が減ったから目の前にある手頃な餌を喰う、それだけのことだ………なぁに心配するな、お前も後からコイツと会わせてやるよ………俺の、腹の中でな。」
吊り上がった口元から覗く牙を伝う唾液が、薄く開いた口の間から筋を描いて垂れていく。鬼の形相と恐ろしい言葉に全身が
「オラ……オラ………。」
義勇を助けたい。助けなきゃいけないのに、怖くて逃げだしてしまいたい。戦慄は徐々に全身へと伝染していき、遂にはそれが刀を握る手にまで到達しようとしたその時、「しんのすけ!」と義勇の声が彼の名を叫んだ。
「……もう、いい……逃げろ…………
「そんなのやだゾ!トミーも一緒に───」
「いいから早く行け‼俺に構うなっ‼」
喉を圧迫されているとは思えない程の声量が辺りに響き、ビリビリと震える空気がしんのすけの肌にも伝わってくる。
苦悶に歪んだ義勇の
いつでも温かく包み込み、自身の命を
生きる望みを失い、暗く深い沼のそこに沈んでいた自分の手を掴み、強引に引き上げ再び光り差す世界へと戻してくれた、無二の友である
そして、まだ共に刻んだ時間は僅かであれど、初対面の自分のことを友と呼び、そして
「(逃げてくれ、しんのすけ………もうこれ以上、俺と関わった誰かがいなくなるのは────)」
「やだっ‼」
義勇の中に広がっていく
「オラは………オラは絶対に、トミーを置いて逃げたりなんかしないゾっ‼」
「ハハッ、なぁにいっちょ前に格好つけてやがんだ。自分の足を見てみろ、
「ち、違うもん!これはえーと、んーと………そうだ!ムシャムシャ震いだゾ!」
鬼が
「オラ、お前なんかちぃ~っとも怖くなんてないもんね!オラもトミーも、お前の晩ご飯になんかなるもんかぁっ‼」
義勇の膝丈程しかない小さな身体、そのどこに秘められているのか疑問に思うほどパワフルな大声量が、びりびりと森の空気を僅かに振動させる。
「行っくぞぉ!くらえ~
それを言うなら
が、
「おっ?おわっ!おとととっとっとぉっ⁉」
それは、大きく足を踏み出した直後の出来事。突然バランスの崩れたしんのすけの体はぐらりと揺れる。
一体、しんのすけに何が起きたというのか…………その
ズボンやパンツのゴムの伸縮性にだって、限度というものがある。普段から
「おわあああぁぁっ‼」
転ぶまいと励んだ努力も虚しく、しんのすけは刀を振りかざした状態のまま、正面から地面へと倒れていったのであった。
「しんのすけ……っ‼」
「ギャッハハハハ!おいおい何てザマだ、見ていられないな!」
叫ぶ義勇、目元を掌で押さえ
片や
「あ───?」
開けた鬼の視界に映ったのは、目と鼻の先の距離に突如現れた『何か』。
丸っこい先端、夜闇に映える
見覚えがある。と鬼が脳で認識する前に、ゴツッ‼と鈍い音と共に頭に衝撃が走った。
「あ
同時にやってくる鈍い痛み、『それ』が自身の額に直撃したのだと漸く理解出来た鬼の目が見たものは、顔面から派手に転倒するしんのすけの姿。
赤く擦りむいた額と鼻先に顔を
「な───っ⁉」
ここで、鬼は漸く異変に気が付いた。
しんのすけの持っている刀───まるで千歳飴の様だと、つい先刻己が散々
その真っ白な刀身が、
「どうなってやが───ん?何だこの
不意に
続いて、ジュゥッと熱した鉄板が肉を焼く時のような音、そして額の鈍い痛みが徐々に熱へと変化していったその時、開いた鬼の大きな口から絶叫が轟いた。
「ギャアアアァァァァッ‼
あまりの熱さと火傷の激痛に飛び上がり、鬼は剣の先端から離れ両手で額を押さえ、叫びながら悶え苦しむ。
「(あれは、しんのすけの刀か……?一体何が起きている?)」
一方、目の前の光景に唖然としていた義勇であったが、自身を掴む手の圧迫が緩くなった隙をつき、すかさず鬼の腕を蹴り上げる。薬の効き目が
「アンッ!」
「!………お前は。」
下を見れば、あの綿飴のようなしんのすけの飼い犬がこちらを見上げている。少しだけ驚いたのも束の間、彼の傍に転がる
「アンッ!アンアンッ!」
「……そうか、お前が見つけてきてくれたのか。」
義勇は屈んだ体勢のままシロを見下ろし、小さな切り傷の残る頬を緩ませる。そして彼は手を伸ばし、己の得物であるその日輪刀の柄を力強く掴んだ。
「う~ん、いててて~………鼻とおデコ擦りむいちゃったゾ……。」
目の前で起きていることなど
「おぉ~っ何コレ⁉オラのおサムライ
従来の何倍もの長さになった刀に興奮し、どこまで伸びているのかを目で追っていると、しんのすけは自分のいる数m先で
「鬼さんどしたの?お腹痛い?」
「痛ぇのは俺のデコだ‼よくもやってくれたなクソガキ‼」
「えぇ~そんなこと言われたって、オラよく分かんないもん。
「それを言うなら
痛みの引かない額の火傷を撫でながら、鬼は拭いきれない疑問を口に出す。するとそんな彼に追い討ちをかけるように、先程の伸びた刀身が頭に直撃した。
「
「うう~ん、この剣重いゾ………おわっととと!」
伸び切った刀の重量を扱えず、しんのすけは何度もよろめく。刀身はまるで剥き出しになった魚肉ソーセージのようにぐにゃりぐにゃりと曲がっては歪み、その動きに合わせてベチベチと刀が鬼へと容赦ない攻撃を当てていた。
「痛い!また痛っ、今度は
抗議をしようと口を開いたのと同時に、頬に叩きこまれた強烈な一撃。鬼が地面へと倒れた向こうでは、刀を何とかしようとしんのすけが苦戦していた。
「重いぃ~ぬおおおおおぉ……‼」
このままでは鞘に納めることも出来ないし、持ち運ぶことも出来ない。ましてやキャンピングカーに持ち込むなど
『 『それ』はお前さんの心次第で、どんな形にも変化する代物だ。強い心を持てばより強く、より大きな力となって反映される 』
「んーと、それってつまり……………あれ?えっと、どゆこと?」
ちょくちょく忘れそうになるけど、彼はまだ生まれて五年しか経過していないスーパー幼稚園児。ヒントとなる台詞を思い出しても尚、言葉の意味が理解出来ず首を傾げてしまう。そんな彼の頭上でモコモコと浮かぶイメージの中で、台詞を述べた本人であるあの豚面の男が、ズザーッ!と頭からスライディング形式でズッコケていった。
「そうだ!こないだのアクション仮面で出てきた、おサル怪人ソンゴクーもこんな風に長く伸び~る棒使ってたゾ。えっと確か、元に戻す呪文は………思い出した!縮めニョイボー!」
しんのすけがそう叫んだ直後、刀身はみるみるうちにその丈を縮めていき、やがて彼が二、三度瞬きをした時には、何事もなかったかのように元の長さに戻っていた。
「おおっ戻った!凄いぞオラのおサムライ
思いつきの呪文で本当に効果があったのか……といった疑問は拭えずとも、ともあれ
「あれ?そいや何か忘れてるような……?」
しんのすけが呟いた直後、ドンッ‼と凄まじい音が一帯に響き渡る。彼が刀から顔を上げたその先には、踏み出した片足を地面へとめり込ませたあの鬼が、憤怒の形相でこちらを睨みつけていた。
「そりゃあきっと俺のことじゃねえのかなぁ?
鬼の体は先程よりも大きく膨れ上がり、振り上げた腕も四本から六本へと増えている。ぎょろぎょろとした眼球には明確な殺意が込められ、そこにはしんのすけの姿が映しだされていた。
「ギャハハハハッ‼散々コケにしてくれた礼だ!好物は後回しなんて言ってられねえ!一吞みで喰ってやらぁっ‼」
「おわあああぁぁっ!どうしよどうし─────お?」
再びしんのすけが刀を構えようとしたその時、不意に掴まれた襟首を後方へと引っ張られる。
そのまま尻餅をついたしんのすけの目の前を、左右柄の違う
「遅くなってすまない………しんのすけ、よく頑張った。」
「!────トミー!」
「アンアンッ!」
「おお~シロ!ちゃんとトミーの剣見っけられたんだな、偉いぞ~さすがオラん家の犬。」
無邪気にじゃれつくシロと戯れるしんのすけの姿に、義勇の頬も僅かに緩む………だがそれも、ほんの一瞬の間だけのもの。
「しんのすけ、シロ─────俺がいいと言うまで、目を
「アンッ!」
「ほ……ほいっ!」
何故そんなことをするのか、という疑問はしんのすけの頭には無かった。友達の頼みとして、彼は素直にシロと共に
「………いい子だ、お前達。」
少年と仔犬の頭に優しく触れた後、義勇は地面を強く蹴る。
一歩………彼が鬼との間合いに入るには、たったそれだけで充分だった。
「クソッ!邪魔するなぁっ‼」
伸ばされた鬼の腕が、全て義勇へと襲い掛かる………しかし、それらが彼に触れることは、一本たりとて無かった。
「 『水の呼吸 参ノ型────流流舞い』」
川の水が流れるように、滑らかに……そして鋭く、義勇の剣戟は鬼の腕を全て切り落としていく。
「な………っ⁉」
動揺し、目を
「─────終わりだ。」
抑揚のない、だが僅かに怒気を孕んだ声。
それが鬼の耳に届く前に、深縹の刃は首へと当てられる。
血
《続く》