クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ!大正異聞鬼退治!   作:藤渚

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【壱】キャンプ地は時を越えて(Ⅳ)

 

 

 カラン、と乾いた音を立てて、(さや)が地面へと落ちる。

 

 木々に囲まれた夜凪(よなぎ)の森で、(あらわ)になったその刀身に、その場の誰もが言葉を失った────色んな意味で。

 

 

「…………お?」

 

 くりくりの目を何度か(しばた)かせ、しんのすけは引き抜いた刀へと目を向ける。

 

 

 三日月の光を受け、暗夜の中に(きら)めく柔らかな、乳白(ミルク)色の刀身。

 

 鬼へと向けられた刃の先端………しかし、そこには切り裂くための鋭さは存在せず、なだらかな丸みを帯びている。

 

 この形を、何か間近なものに例えるならば───

 

 

 

「ぶっ………ギャッハハハハ!何だよその変ちくりんな刀、まるで千歳飴(ちとせあめ)だな!ハハハハハッ!」

 

 堪えきれず吹き出し、頭と腹を抱えて笑い()ける鬼。彼の言うことに賛同したいわけではないのだか、千歳飴という例えには義勇も思わず心中で頷く。

 刀の持つ役割とは主に、対象を斬ることにある。だが今、しんのすけが構えているコレはどうだろうか………敵を斬り裂く鋭さもなければ、一切の殺気や覇気さえ微塵(みじん)も感じられない。

 

「言われてみれば確かに………どれどれ、ベロ~ンッ。」

 

「ってコラ!本当に舐める奴がどこにいる⁉」

 

「うへ~まじぃ……んもう全然甘くないじゃんか!鬼さんの嘘つきっ!」

 

「えぇ~っ何で⁉何故に俺が悪いことになっている⁉第一それが本物の飴だとは一言も言ってないだろバカタレェ!」

 

 あろうことか刀身に舌を()わせ、案の定顔を(しか)めるしんのすけ。理不尽な言い掛かりを受けてもすかさず注意をする鬼の姿に、実はお人好しなんじゃないかと一瞬思ったものの、決してそれを口に出そうとしないのが、この冨岡義勇という男であった。

 

「は~やれやれ。笑って怒鳴って、腹も程よく空いてきたな……………残念だが、(たわむ)れの時間はここまでだ。小僧。」

 

 不意に落とされた声の音調(トーン)。しんのすけの背中を冷たい汗が伝い落ちたその刹那、自身の頭上を通過する風を切る音の直後に、「がは…っ‼」と背後から義勇の(うめ)く声が漏れる。

 

「トミーっ‼」

 

 振り返ったしんのすけが(まなこ)に映したもの、それは頸部(けいぶ)を掴む鬼の手によって体を持ち上げられ、顔を歪ませる義勇の姿。先程の薬の効果が表れてきたのか、震える手を何とか動かして引き剥がそうとするも、指の先は(くう)を虚しく掻き(むし)るだけであった。

 

「コラ~!お前の相手はオラでしょーがっ!」

 

「ハッ、関係ないな。腹が減ったから目の前にある手頃な餌を喰う、それだけのことだ………なぁに心配するな、お前も後からコイツと会わせてやるよ………俺の、腹の中でな。」

 

 吊り上がった口元から覗く牙を伝う唾液が、薄く開いた口の間から筋を描いて垂れていく。鬼の形相と恐ろしい言葉に全身が(すく)み上がり、改めて目の前の対象に感じた恐怖に、しんのすけの身体は硬直してしまう。

 

「オラ……オラ………。」

 

 義勇を助けたい。助けなきゃいけないのに、怖くて逃げだしてしまいたい。戦慄は徐々に全身へと伝染していき、遂にはそれが刀を握る手にまで到達しようとしたその時、「しんのすけ!」と義勇の声が彼の名を叫んだ。

 

「……もう、いい……逃げろ…………(じき)にもう一人、隊士がここに来る……それまで、は……俺が時間を……っ!」

 

「そんなのやだゾ!トミーも一緒に───」

 

「いいから早く行け‼俺に構うなっ‼」

 

 喉を圧迫されているとは思えない程の声量が辺りに響き、ビリビリと震える空気がしんのすけの肌にも伝わってくる。

 苦悶に歪んだ義勇の表情(かお)。薄く開いたその瞳が映したのは、しんのすけの姿たけではなかった。

 

 

 

 いつでも温かく包み込み、自身の命を()してまで守ってくれた、優しい(ひと)

 

 

 生きる望みを失い、暗く深い沼のそこに沈んでいた自分の手を掴み、強引に引き上げ再び光り差す世界へと戻してくれた、無二の友である少年(ひと)

 

 

 

 そして、まだ共に刻んだ時間は僅かであれど、初対面の自分のことを友と呼び、そして果敢(かかん)にも人喰い鬼の前へと立ちはだかった、不思議な幼子(おさなご)の、この少年………。

 

 

 

 

「(逃げてくれ、しんのすけ………もうこれ以上、俺と関わった誰かがいなくなるのは────)」

 

 

 

 

「やだっ‼」

 

 

 義勇の中に広がっていく晦冥(かいめい)を突如切り裂いた、光の刃────それは、しんのすけが発した力強い一声(ひとこえ)

 

「オラは………オラは絶対に、トミーを置いて逃げたりなんかしないゾっ‼」

 

「ハハッ、なぁにいっちょ前に格好つけてやがんだ。自分の足を見てみろ、(ひざ)が大爆笑してるぞ?」

 

「ち、違うもん!これはえーと、んーと………そうだ!ムシャムシャ震いだゾ!」

 

 鬼が(あざけ)(わら)った通り、しんのすけの膝や背中はまるで産まれたての仔山羊(こやぎ)さながらにがくがくと震えている。それでも彼の二つ並んだまん丸の瞳は、眼前の鬼から少しも逸らされる様子は無かった。

 

「オラ、お前なんかちぃ~っとも怖くなんてないもんね!オラもトミーも、お前の晩ご飯になんかなるもんかぁっ‼」

 

 義勇の膝丈程しかない小さな身体、そのどこに秘められているのか疑問に思うほどパワフルな大声量が、びりびりと森の空気を僅かに振動させる。

 

「行っくぞぉ!くらえ~()()()()()()!てりゃああぁ~っ‼」

 

 それを言うなら()()()()………心の中で静かに訂正を入れる義勇の眼前で、両手でしっかりと鞘を握った刀を振りかぶり、しんのすけは悪鬼目掛け果敢(かかん)に駆け出す。

 

 

  が、

 

 

「おっ?おわっ!おとととっとっとぉっ⁉」

 

 それは、大きく足を踏み出した直後の出来事。突然バランスの崩れたしんのすけの体はぐらりと揺れる。

 一体、しんのすけに何が起きたというのか…………その原因(こたえ)は、体勢を戻そうと体を揺らし、ついでにプリプリと尻も揺らす彼の(くるぶし)辺りに絡まった衣服(モノ)にあった。

 ズボンやパンツのゴムの伸縮性にだって、限度というものがある。普段から物臭(ものぐさ)な人、(ある)いは着替えの途中で用を思い出したorアクシデントが発生した、などなど理由はエトセトラ。とはいえ、足下にそんなモノが絡んだ状態で足を思いっきり開いたりなどしたら、どうなることか。

 

「おわあああぁぁっ‼」

 

 転ぶまいと励んだ努力も虚しく、しんのすけは刀を振りかざした状態のまま、正面から地面へと倒れていったのであった。

 

「しんのすけ……っ‼」

 

「ギャッハハハハ!おいおい何てザマだ、見ていられないな!」

 

 叫ぶ義勇、目元を掌で押さえ哄笑(こうしょう)する鬼。

 片や(まばた)きを、片や笑い泣きで濡れた目を拭おうと己の手を取り払った────それは、刹那の間のことであった。

 

 

 

「あ───?」

 

 

 

 開けた鬼の視界に映ったのは、目と鼻の先の距離に突如現れた『何か』。

 

 

 丸っこい先端、夜闇に映える乳白(ミルク)色。

 見覚えがある。と鬼が脳で認識する前に、ゴツッ‼と鈍い音と共に頭に衝撃が走った。

 

「あ(イタ)っ!」

 

 同時にやってくる鈍い痛み、『それ』が自身の額に直撃したのだと漸く理解出来た鬼の目が見たものは、顔面から派手に転倒するしんのすけの姿。

 赤く擦りむいた額と鼻先に顔を(しか)め、それでも利き手にはしっかりと刀の柄を握りしめている。

 

 

「な───っ⁉」

 

 

 ここで、鬼は漸く異変に気が付いた。

 

 しんのすけの持っている刀───まるで千歳飴の様だと、つい先刻己が散々(けな)した、あの刀。

 

 

 その真っ白な刀身が、()()()()()…………そして特徴的だった丸い刃先は、今も尚自身の額とピッタリ接触した状態にあるのだ。

 

 

「どうなってやが───ん?何だこの(にお)い?」

 

 不意に鼻腔(びこう)(くすぐ)ったのは、香ばしい………否、香ばしいを通り越して焦げてしまったような、胸がムカムカする不快な臭い。

 続いて、ジュゥッと熱した鉄板が肉を焼く時のような音、そして額の鈍い痛みが徐々に熱へと変化していったその時、開いた鬼の大きな口から絶叫が轟いた。

 

「ギャアアアァァァァッ‼(あっち)い‼アチチチチ‼」

 

 あまりの熱さと火傷の激痛に飛び上がり、鬼は剣の先端から離れ両手で額を押さえ、叫びながら悶え苦しむ。

 

 

 

「(あれは、しんのすけの刀か……?一体何が起きている?)」

 

 一方、目の前の光景に唖然としていた義勇であったが、自身を掴む手の圧迫が緩くなった隙をつき、すかさず鬼の腕を蹴り上げる。薬の効き目が(ようや)く表れた義勇の体は、多少ふらつきながらも地面へと着地することが出来た。

 

「アンッ!」

 

「!………お前は。」

 

 下を見れば、あの綿飴のようなしんのすけの飼い犬がこちらを見上げている。少しだけ驚いたのも束の間、彼の傍に転がる深縹(みはなだ)色の刃の刀に、義勇は我が目を疑った。

 

「アンッ!アンアンッ!」

 

「……そうか、お前が見つけてきてくれたのか。」

 

 義勇は屈んだ体勢のままシロを見下ろし、小さな切り傷の残る頬を緩ませる。そして彼は手を伸ばし、己の得物であるその日輪刀の柄を力強く掴んだ。

 

 

 

「う~ん、いててて~………鼻とおデコ擦りむいちゃったゾ……。」

 

 目の前で起きていることなど(つゆ)知らずに、ここで漸くしんのすけが顔を上げる。未だ絡まったままのズボンとパンツをそのままにゆっくり立ち上がった時、彼は手に握った自分の刀の変化にやっと気が付いた。

 

「おぉ~っ何コレ⁉オラのおサムライ(ソード)ちゃんが長くなってるぅっ!」

 

 従来の何倍もの長さになった刀に興奮し、どこまで伸びているのかを目で追っていると、しんのすけは自分のいる数m先で(うずくま)っている鬼の後ろ姿を発見する。

 

「鬼さんどしたの?お腹痛い?」

 

「痛ぇのは俺のデコだ‼よくもやってくれたなクソガキ‼」

 

「えぇ~そんなこと言われたって、オラよく分かんないもん。()()()なこと言わないでよね~もう。」

 

「それを言うなら()()()だろうが…………()つつ、何でこの傷だけ治りが遅いんだ……?」

 

 痛みの引かない額の火傷を撫でながら、鬼は拭いきれない疑問を口に出す。するとそんな彼に追い討ちをかけるように、先程の伸びた刀身が頭に直撃した。

 

(いだ)っ‼今度は何だ⁉」

 

「うう~ん、この剣重いゾ………おわっととと!」

 

 伸び切った刀の重量を扱えず、しんのすけは何度もよろめく。刀身はまるで剥き出しになった魚肉ソーセージのようにぐにゃりぐにゃりと曲がっては歪み、その動きに合わせてベチベチと刀が鬼へと容赦ない攻撃を当てていた。

 

「痛い!また痛っ、今度は(あっつ)い‼お前なぁっもういい加減に────ふべらっ⁉」

 

 抗議をしようと口を開いたのと同時に、頬に叩きこまれた強烈な一撃。鬼が地面へと倒れた向こうでは、刀を何とかしようとしんのすけが苦戦していた。

 

「重いぃ~ぬおおおおおぉ……‼」

 

 このままでは鞘に納めることも出来ないし、持ち運ぶことも出来ない。ましてやキャンピングカーに持ち込むなど(もっ)ての外、このままではみさえに「捨ててきなさい!」と叱られるに違いない。どうしたものかと脳ミソをミキサーの如くフル回転させていた時、とある人物の姿と言葉が頭の中に浮かぶ。

 

 

『 『それ』はお前さんの心次第で、どんな形にも変化する代物だ。強い心を持てばより強く、より大きな力となって反映される 』

 

 

「んーと、それってつまり……………あれ?えっと、どゆこと?」

 

 ちょくちょく忘れそうになるけど、彼はまだ生まれて五年しか経過していないスーパー幼稚園児。ヒントとなる台詞を思い出しても尚、言葉の意味が理解出来ず首を傾げてしまう。そんな彼の頭上でモコモコと浮かぶイメージの中で、台詞を述べた本人であるあの豚面の男が、ズザーッ!と頭からスライディング形式でズッコケていった。

 

「そうだ!こないだのアクション仮面で出てきた、おサル怪人ソンゴクーもこんな風に長く伸び~る棒使ってたゾ。えっと確か、元に戻す呪文は………思い出した!縮めニョイボー!」

 

 しんのすけがそう叫んだ直後、刀身はみるみるうちにその丈を縮めていき、やがて彼が二、三度瞬きをした時には、何事もなかったかのように元の長さに戻っていた。

 

「おおっ戻った!凄いぞオラのおサムライ(ソード)ちゃん!」

 

 思いつきの呪文で本当に効果があったのか……といった疑問は拭えずとも、ともあれ一先(ひとま)ず結果オーライということで。

 

「あれ?そいや何か忘れてるような……?」

 

 しんのすけが呟いた直後、ドンッ‼と凄まじい音が一帯に響き渡る。彼が刀から顔を上げたその先には、踏み出した片足を地面へとめり込ませたあの鬼が、憤怒の形相でこちらを睨みつけていた。

 

「そりゃあきっと俺のことじゃねえのかなぁ?馬鈴薯(ジャガイモ)頭のクソガキよぉっ‼」

 

 鬼の体は先程よりも大きく膨れ上がり、振り上げた腕も四本から六本へと増えている。ぎょろぎょろとした眼球には明確な殺意が込められ、そこにはしんのすけの姿が映しだされていた。

 

「ギャハハハハッ‼散々コケにしてくれた礼だ!好物は後回しなんて言ってられねえ!一吞みで喰ってやらぁっ‼」

 

「おわあああぁぁっ!どうしよどうし─────お?」

 

 再びしんのすけが刀を構えようとしたその時、不意に掴まれた襟首を後方へと引っ張られる。

 そのまま尻餅をついたしんのすけの目の前を、左右柄の違う()()()()()羽織がふわりと風に揺れた。

 

「遅くなってすまない………しんのすけ、よく頑張った。」

 

「!────トミー!」

 

 団栗眼(どんぐりまなこ)をキラキラと輝かせ、しんのすけは義勇の姿に歓喜する。

 

「アンアンッ!」

 

「おお~シロ!ちゃんとトミーの剣見っけられたんだな、偉いぞ~さすがオラん家の犬。」

 

 無邪気にじゃれつくシロと戯れるしんのすけの姿に、義勇の頬も僅かに緩む………だがそれも、ほんの一瞬の間だけのもの。

 

「しんのすけ、シロ─────俺がいいと言うまで、目を(つむ)っていてくれ。」

 

「アンッ!」

 

「ほ……ほいっ!」

 

 何故そんなことをするのか、という疑問はしんのすけの頭には無かった。友達の頼みとして、彼は素直にシロと共に(まぶた)をギュッと固く閉ざす。

 

「………いい子だ、お前達。」

 

 少年と仔犬の頭に優しく触れた後、義勇は地面を強く蹴る。

 一歩………彼が鬼との間合いに入るには、たったそれだけで充分だった。

 

「クソッ!邪魔するなぁっ‼」

 

 伸ばされた鬼の腕が、全て義勇へと襲い掛かる………しかし、それらが彼に触れることは、一本たりとて無かった。

 

 

 

「 『水の呼吸 参ノ型────流流舞い』」

 

 

 

 川の水が流れるように、滑らかに……そして鋭く、義勇の剣戟は鬼の腕を全て切り落としていく。

 

「な………っ⁉」

 

 動揺し、目を(しばた)かせる鬼………しかし彼が次に瞼を持ち上げた時、離れていた筈の義勇の姿は目の前にあった。

 

 

 

「─────終わりだ。」

 

 

 

 抑揚のない、だが僅かに怒気を孕んだ声。

 

 それが鬼の耳に届く前に、深縹の刃は首へと当てられる。

 

 

 

 血飛沫(しぶき)を上げて刎ね飛ぶ、鬼の首。その光景を見ている者は義勇と、そして夜の森を静かに見守り照らす、空の三日月のみであった。

 

 

 

 

 

《続く》

 


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