ラブライブ!SNOW CRYSTAL   作:la55

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Moon Cradle 第7部後編 第25話

「まず、①の「「それ以外の勝利」により、敗者・弱者が排除されることになったり新たなる争いの火種になりかねない!!それどころか、それにより人類滅亡につながる可能性もある」だが、人の歴史というのは、「勝者の歴史」、つまり、「争いの歴史」でもある。事実、歴史上いろんな争いが起きており、その勝者が歴史を作ってきたのじゃ」

人の歴史においていろんな争いが起きている。百年戦争、ばら戦争、アメリカ独立戦争、ナポレオンの戦い、近現代においても、第1次・第2次世界大戦、大きいものをあげていってもきりがない、それくらいかなり多くの争いが起きている。そして、その勝者がそれから先の歴史を作ってきたのだ。で、この沼田の言葉に、木松悪斗、

「やっぱり、俺の言っていることが正しい!!「勝利こそすべて」「勝利こそ正義」なのだ!!」

と、自信満々に、自分の考えが正しい、歴史はそれを証明している、と、威張っていた。

 が、沼田、すぐにトーンを落とし、話の続きを語った。

「だがな、その争い、そして、「それ以外の勝利」により、その争いに関係ない、もしくは、そんな争いなんて好まない、そんな弱い者たちから勝者はいろんなものを奪っていったのじゃ!!たとえば、住む場所、仕事、お金、そして、大事な家族もな!!

そう、争いが起きると弱き者たちにそのしわ寄せがきてしまうのだ。自分たちが住む場所が戦場になることでそこの住民たちは、住む場所、仕事、お金、そして、大事な家族すら失ってしまうのである。むろん、たとえ自分の住む場所が戦場にならなくても、その争いの影響で平穏だった生活がすぐに壊れてしまうこともあった。

 で、それを踏まえたうえで、沼田、あることを言った。

「そして、それは、今、現代においても起きてしまっておる!!第2次世界大戦後に起きた冷戦がその例だ!!この冷戦で多くの弱き者たちが難民となった!!」

このとき、沼田はこう考えていた。

(この冷戦は2つの陣営の戦いだった。しかし、その中心となる国同士で戦うことはなかった。そのかわり、いろんなところでその代理戦争が起き、結果、多くの者たちが難民となった・・・)

第2次世界大戦後、世界はアメリカを中心とした自由民主主義陣営と旧ソ連を中心とした社会主義陣営、2つの陣営が世界の覇権をめぐって対立する、冷戦の時代へと突入する。この冷戦、それぞれの陣営の中心だったアメリカと旧ソ連が直接戦争することはなかったため、「冷たい戦争」、つまり、「冷戦」、と名付けられた。が、この争いだが、直接的な戦争という形ではなく、いろんな分野で2つの陣営が対立する、そんなことが起きていた。たとえば、月面着陸などといった宇宙分野、オリンピックなどを舞台としたスポーツ分野など。そして、この争いは、アメリカ、旧ソ連の代理戦争というかたちで世界中に争いの火種をばらまいてしまった。朝鮮戦争、ベトナム戦争、アフガン侵攻、などなど。これにより、戦場となった場所に住む多くの人たちは家族がバラバラになったり難民になったりと災難が降りかかることになる。まさに、争いが弱き者たちをつぶそうとしている、といってもおかしくなかった。

 さらに沼田の話は続く。

「その冷戦のさなか、人類最終戦争の一歩手前といえる事態が起きる。もし、このとき、一歩でも間違えたら核戦争が起きて人類は滅亡していただろう。それくらい、争い、それによる「それ以外の勝利」を追い求めてしまうあまり一歩でも間違えたら人類滅亡に進む可能性だってあるのじゃ!!」

この沼田が言っている争い、それは、キューバ危機、のことである。アメリカとは目と鼻の先にあり社会主義国でもあるキューバに旧ソ連が核ミサイル基地を作っているところをアメリカが発見、アメリカはすぐにキューバを海上封鎖した。これにより、アメリカと旧ソ連は一触即発の危機を迎えることになる。ただ、このときは当時の両国のリーダーとのやり取りにより旧ソ連はキューバでの核ミサイル基地建設を断念、アメリカの海上封鎖も解除となりその危機は去った、のだが、そのやり取りがなければ本当に核戦争が勃発してもおかしくなかったのだ。このことを知っている沼田、

(もし、核戦争が起きたら、人類はすぐに滅亡してしまう。だからこそ、争いというものは本当に怖いものなのじゃ!!)

と、その恐ろしさを感じとっていた。

 で、さらにさらに、沼田の話は続く。

「そして、冷戦は終わるも、今度は世界中で「それ以外の勝利」を追い求める風潮が強くなり、それによって新しい争いの火種、いや、新たなる争いが実際に起きてしまう。そして、勝者と敗者、強き者と弱き者、富豪と貧しき者、その格差は次第に拡大していき、それに伴って社会のひずみも大きくなった。もしかすると、いろんな争いの「それ以外の勝利」によってその格差が広がっていった、いや、勝者・強者が敗者・弱者を排除していったのかもしれない・・・」

冷戦は旧ソ連を中心とする社会主義国の崩壊により終結した。が、それにあわせて経済などを中心に、個人間、国内、世界中で「それ以外の勝利」を追い求めていろんな形で争いが起きてしまった、のかもしれない。たとえば、株式市場などにおいてその争いは勃発した、のかもしれない。そして、その争い、勝負に勝った者はさらなる勝利を追い求めて新たなる争いを始める。こうして、そんな争い、勝負に勝ち続けた者は勝者・強者・富豪となり、負けてしまった者は敗者・弱者・貧者となる、そんな世界になってしまったのかもしれない、現代においては。そして、ただ1つだけ真実としていえるのは、たとえそうみえないとしても、冷戦が終わって30年もの間に、勝者・強者・富豪と敗者・弱者・貧者の、貧富を含めた、いろんな格差は広がってしまったこと、それに伴って社会のひずみも拡大してしまった、のはたしかである、そのことだった。

 そして、沼田は「勝利こそすべて」という自分の考えを押し通している木松悪斗に向かってこう言った。

「そして、木松悪斗の考え、「勝利こそすべて」「勝利こそ正義」、さらに、「勝ち続けること」、それは、「それ以外の勝利」を追い求めるあまり、その敗者・弱者すら排除してしまう危険性をはらんでおるのじゃ!!」

沼田、木松悪斗にこう言ってしまうのも理由があった。「それ以外の勝利」とは相手を徹底的に叩き潰す、自分もしくは自分たちの利益のためだけ、ただ自分たちのためだけ、敗者・弱者のことなんて気にせず、いや、むしろ、敗者・弱者を排除しながらする「勝利」のことである。そして、その「勝利」こそ木松悪斗が追い求める「勝利」であった。以前、木松悪斗は「某有名私鉄の赤字路線を廃止しろ」と命令したことはこの物語の第1章において述べたことがある。で、なんで木松悪斗がこんな命令を某有名私鉄にできたかというと、木松悪斗はその某有名私鉄の大株主だったからである。で、木松悪斗が某有名私鉄にそう命令した理由、それは、赤字路線を廃止することで某有名私鉄の株の価値を上げ、少しでも自分が持つ株の時価総額、つまり、自分の資産(利益)を増やそうとしたからだった。が、その赤字路線が廃止になることはその沿線住民は貴重な足を失い困ってしまうことになる。でも、木松悪斗からしたら、そんな人たちのことなんて関係ない、自分たちの資産(利益)を増やしたい、ただそれだけで行った命令だった。と、こんな具合に、木松悪斗が「勝利」、いや、「それ以外の勝利」を追い求めることは、相手を徹底的に叩き潰す、自分たちの利益のためだけ、自分たちのためだけに勝利を目指す、それと同義である。そして、それは、木松悪斗の勝利により敗者・弱者は次々と排除されてしまうことすら意味している。さらに、木松悪斗の勝利が続けばその被害は拡大してしまう、いや、「勝利こそすべて」「勝利こそ正義」という言葉ですべてが片付けられることになり、その言葉自体、悪魔の言葉しか聞こえなくなってしまうだろう。なぜなら、「勝利」、いや、「それ以外の勝利」が正当化されると、それは、敗者・弱者の排除、それすらも正当化されてしまうから。そういうわけで、沼田、これらのことを危惧してあんなことを言ったのである。

 と、言いつつ、沼田、話をもとに戻す。

「そんな社会のひずみや「それ以外の勝利」を追い求める風潮、さらに、冷戦以降の「それ以外の勝利」のための争いのなかで生まれた難民などの諸問題、そして、人種・民族・宗教などといった要素が複雑に絡み合い、今、個人・集団のあいだで「それ以外の勝利」を追い求めて新たなる争いの火種が次々と生まれようとしている。さらに、それらによって、弱者、自分たちが認めないものを排除する傾向が強くなっている。そして、新たなる争いの火種や排除というものは国同士のあいだにまで起きようとしている。お互い同士を認めない、徹底的にそれらを排除する、これらにより、現在、世界では、新たなる冷戦、新冷戦が勃発しようとしている。いや、それ以上に、徹底的に「それ以外の勝利」を追い求めてしまうあまり、理性という歯止めすら効かなくなってしまい、結果、人類滅亡、につながってしまうかもしれない・・・」

このときの沼田はこう考えていた。

(今、世界中において、自分たちのことしか考えず相手すら認めない風潮が起きている。それは、社会のひずみ、「それ以外の勝利」を追い求める、そこから起きているかもしれない。そして、その風潮がはびこってしまうと、自分たちより弱者、自分たちが認めないものを徹底的に排除してしまう傾向が強くなってしまう。いや、それはもうすでにその傾向は強くなっているかもしれない。さらに、その傾向は国同士のあいだでも強くなっている。そして、それが世界の新たなる分断、新冷戦へとつながりかねない。こうなってしまうと、今度こそ人類滅亡の核戦争、そのカウントダウンが始まってしまう・・・) 

今、世界中において、この30年ものあいだ、人類は「それ以外の勝利」を追い求めたことによりいろんな格差が広がってしまった。それにより、少しでも「それ以外の勝利」にありつこうとしているのかどうかはわからないが、人々のあいだで自分の考えしか認めない、他人を排除する、そんな考えが広がってきてしまった気がする。そして、それは、自分より弱い者、自分の考えにそぐわない者を徹底的に排除するといった行動・運動につながってしまう、いや、それ以上にこれらの行動・運動同士がぶつかることで新たなる争いの火種が起きようとしている。さらに、これらの行動・運動がその国の政府にすら影響を及ぼそうとしている、いや、国自身がこれらの行動・運動により、より「それ以上の勝利」を追い求めてしまい、結果的にいろんな国同士でぶつかりあってしまっている、のかもしれない。事実、自分たちのことだけしか考えていなかったり、自分たちの考えでしかものをみない、そんなことがまかり通っているのか、平気で国同士の約束事を簡単に破ったり弱者などを徹底的に排除してしまう国、自分たちの利益・利権の拡大のためかどうかしらないが、それでも、他国とのあいだで軋轢を繰り返そうとしている国、その国同士でいがみ合った末、新冷戦、そんなものが起きる、その一歩手前、まできているのかもしれない、今は。いや、場合によっては、「それ以外の勝利」をお互い追い求めてしまうあまり、お互いの歯止めすら効かないため、人類滅亡となる核戦争を引き起こしてしまう、そんなことを心配してしまうのは自分だけだろうか。とはいえ、そんな意味でも、現代、いろんなもの同士が「それ以外の勝利」を追い求めてしまうあまり新たなる争いの火種を世界中に振りまいている・・・そういっても過言ではないのかもしれない。

 そんなわけで、沼田、①について、こうまとめた。

「そうみていくと、人々は長い歴史のなかで「それ以外の勝利」を追い求めて醜い争いをしてきた。その結果、世界は敗者・弱者などを排除したり新たなる争いの火種を次々と生み出しておる。むろん、その争いは自分たちが生き残るためなどの理由があるなら考える余地はあるが、たとえそうであったとしても、争いというのは弱者などを守るためにも絶対に避けるべきだろう。そして、もし、人が「それ以外の勝利」を追い求めて勝ち続けようとすれば、最悪の場合、人類は滅亡するかもしれないだろう」

 

 続けて、沼田は②について語り始めた。

「続けて、②、「「それ以外の勝利」により勝者そのものに残酷な運命が訪れることがある。場合によっては自滅することもある」ことだが、それは「それ以外の勝利」を追い求めたあまりいけないものにまで手をだしてしまうことがあったりするのじゃ。こうなってしまったら最後本当に過酷な運命が待ち受けておる。こんなことはいろんな分野で起きておるのだが、特にスポーツの世界ではそれに対する影響力は半端ない・・・」

この言葉のあと、沼田はその一例をあげた。

「スポーツの世界というのはフェアプレーが基本理念じゃ。だが、人というのは「それ以外の勝利」を追い求めてしまうあまり、人の身体能力などを意図的に増強させるもの、ドーピング、というものに手をだしてしまうことがあったりする。それは個人でも国でもじゃ。だが、そのドーピングじゃが、身体能力などを格段にあげてくる、と、同時に、体に対する副作用もかなり強い。そのため、ドーピングに手をだした者にはつらい後遺症、最悪の場合、死、すら訪れてしまうこともある。だからこそ、スポーツの競技団体はドーピングに対してとてもきびしい対応をとるようにしているのじゃ」

そう、スポーツの世界の歴史は対ドーピングの戦いの歴史でもあった。フェアプレーを信条としているスポーツの世界、しかし、昔から人々は「それ以外の勝利」を追い求めるあまり、ドーピングという悪魔の薬に手を出してしまった。その悪魔の薬に手を出したのは、個人、だけでなく、国、もあった。国の場合、国威発揚のためにドーピングに手を出していた。①の冷戦の説明のとき、スポーツの世界でもオリンピックを中心に2つの陣営の戦いが起きていたのだが、そのなかで社会主義国だった旧東ドイツ(ドイツは第2次世界大戦後から1989年ごろまで自由民主主義陣営の西ドイツと社会主義陣営の東ドイツに分かれていた)は国威発揚のために積極的にスポーツ選手たちにドーピングを行っていた。また、自由民主主義陣営のなかでも、オリンピックで金メダルが獲れたら多額の富が得られることもあり、ドーピングに頼る選手も現れたりした。だが、ドーピングは身体能力を著しく高めることができる反面、それに伴う副作用も強く、それによる後遺症に一生悩まされたり、最悪の場合、死、に至るケースが相次いでしまう。これを重くみた国際オリンピック委員会などのスポーツ競技団体はドーピングを禁止したり、オリンピックをはじめとする大会で抜き打ちのドーピング検査をするなど、ドーピングに対してとても厳しい対応をとるようになった。そのドーピングに対する対応だが、今において、市販の風邪薬すらドーピングとして摘発されるほど年々厳しくなっている。だが、ドーピング技術も日々進化しているため、それに合わせてそのドーピングを見つけるための技術も日々進化している。なので、ドーピングの技術に関してはいたちごっこの日々が続いている、しかし、その裏では、少しでも「それ以外の勝利」を追い求めようとしている人の姿が見え隠れしている、といえるのかもしれない。

 さらに、沼田、昔のことを思い出したのかのようにあることを言った。

「そして、②において、「勝利」という物語を作ろうと思って急ぎ過ぎたあまり、勝者となった者のこのあとの運命すら過酷なものにしてしまうこともあるのじゃ。大相撲で言えば、貴乃花や稀勢の里、高校野球において、は全試合・全イニングを投げ切って優勝したほうがいい、という考えがもたらすもの、とかじゃな・・・」

これについては第1部第8話でも取り上げているが、(日本人だけかどうかはわからないが、)日本人はよく「勝つこと」「勝利すること」という結果論だけを追い求めてしまうことがある。そのため、無理をしてでも勝利しようとしたりする。それは、大相撲の貴乃花、稀勢の里のとき(大怪我したにもかかわらず無理して出場しその場所を優勝することができたものの、その無理がたたり、その後、けがに苦しんでしまったために早期での引退を余儀なくされた)だったり、高校野球のエースでも、全試合・全イニングを1人で投げ抜き全国優勝した、という美談を作ったものの、そのエースはその後、それに対する無理がたたってしまい大成することができなかった、などのことが起きていたりする。そう考えると、その者にとって無理してまで「勝利」という美談を作ったものの、それを引き換えにその者に残酷な運命を課してしまった、といるのかもしれない。いや、それこそ、最悪の結末、を迎えさせてしまったのかもしれない。

 さらに、沼田はあることについても語った。

「さらに、たとえ勝者であったとしてもそれがずっと続くわけではない。勝者もやがて敗者になってしまう。それは歴史が語っている。いあ、もうすでに、「平家物語」の最初の一文に載っている!!勝者が常に勝者とは限らないのじゃ!!」

沼田の言っている「平家物語」の最初の一文とは、「祇園精舎の鐘の音・・・」で始まる文のことである。意味としては、「栄華を誇った者であっても必ず衰える。勢いが盛んな者も結局は滅亡してしまう」、だったりする。が、この一文は歴史がすでに証明していたりする。世界史においてはローマ帝国などが、日本史においては室町幕府や江戸幕府、そして、平家といったものもだ。それらはすべて一時期栄華を誇ったものの、最後には歴史の表舞台から去っていった。その意味でも、勝者・強者がずっと勝者・強者であり続けてるわけではないのだ。

 そんなわけで、沼田、②についてこうまとめた。

「こうしてみてみると、たとえ、「それ以外の勝利」」を追い求めてしまうあまり、場合によってはその者にとって過酷なる運命、いや、自滅の道に進むことがあったりする。また、たとえ今は勝者・強者であったとしてもいつかは敗者・弱者になってしまうものなのじゃ!!」

 

 そして、最後に③について沼田は話し始めた

「そして、③の「それ以外の勝利」に追い求めるあまりとても大事なことを知る機会を失ってしまう」ことじゃが、主に買っても負けてもそこからいろんなことを学ぶことができるのじゃ。故人曰く、「価値に不思議な勝ちあり、負けに不思議な負けなし」じゃ!!」

「勝ちに~」、この名言は江戸時代の平戸藩主松浦静山が自分の書物に書いた一節である。そして、プロ野球の名監督である野村克也さんの座右の銘でもあった。この一節の意味であるが、

 

「負けるときには、何の理由もなく負けるわけではなく、その試合中に何か負ける要素がある。勝ったときでも、何か負けに繋がる要素があった場合がある」

 

である。そして、この一節から次のことがいえる。

 

「勝負は時の運とはいうものの、ひとつだけはっきり言えることがある。

 偶然に勝つことはあっても、偶然に負けることはない。

 失敗の裏には、必ず落ち度があるはずなのだ。

 勝った負けたで一喜一憂する必要はない。

 そこから何を学びとるのかが問題なのだ。」

 (株式会社コンパス・ポイント(フーガブックス・Chinoma)HPより)

 

つまり、たとえ勝ったとしても負けたとしてもそこから何かを学び取ることが大切なのである。そして、それを沼田は会議室にいるみんなに向かってこう言った。

「人というのはいろんなところで勝負を行おうとしている。そして、勝負には必ず勝ち負けというものも発生してしまう。そして、それにより「勝った」「負けた」と一喜一憂したりするもんだ!!じゃが、勝負において「勝った」「負けた」が1番重要ではない。1番重要なのは、勝ったとしても負けたとしてもそこからなにかを学び取ることなのじゃ!!人は勝負をして、勝ったこと、負けたこと、そこからとても大切なことを学び取ることで先へと進むことができるのじゃ!!人生とはその繰り返しであり、それによって1人前の大人へと成長していくものなのじゃ!!」

人はいろんなターニングポイントにおいていろんなことを学び成長していく。特に勝負においてはただ「勝った」「負けた」だけで済ませるだけでは人は成長しない。その勝負において勝った負けたとしてもそこから勝敗を決したものがなんなのかを知る必要がある。そして、それを学び取ることで人としてさらに成長することができるのだ。人の人生は平たんではない、むしろ、岩山ばかりである。そんななかでいろんな経験をしそこからいろんなことを学ぶ、それが人として成長していく、それこそ人生においてとても重要なこと、なのかもしれない・・・。

 そして、沼田は木松悪斗の方をにらみ、こう言い放った。

「そして、木松悪斗が言う「勝ち続けること」、いや、「「それ以外の勝利」を続けていく」、それ自体、③の一文で言えば、そんな大事な機会をみすみす見逃している、そう思えてしまうものなのじゃ。特に、負けたとき、には!!」

そうである。木松悪斗が言う「勝ち続けること」、いや、「「それ以外の勝利」を続けていくこと」はそんな貴重な機会をみすみす見逃している、そんなことが言えたりする。木松悪斗みたいにただ勝ちにこだわってしまうと「その勝利からとても大切なものを学ぶことができなくなってしまう」、いや、それ以上に、「負けるという経験を得ることができなくなる」、そのことは人にとってとても痛手である。なぜなら、勝つときよりも負けるときのほうが得るものが大きい、から。そのことは、松浦静山の一節、「偶然勝つこともあるが偶然負けることはない。負けには必ず理由がある」、自体それを証明している。勝ちにおいてそれが偶然なものがあるかもしれない。しかし、負けには偶然というものは存在しない、必ず負けた理由がある、というものなのである。そして、人は、偶然勝ったのであればそこから学ぶものは少ない、対して、負けた場合は必ず理由があるので人はその理由を知ることでいろんなものを学びとるができる。なので、人は負けたとき、その理由、その要素から自分の人生にとってとても大事なものを(勝つときよりも)多く学ぶことができる、と、いえるかもしれない。

 そして、このことから次のことが言えるかもしれない。

「人は一人前の大人に成長していく過程を経るなかで、ときには負ける、挫折する、そんなことを経験したとしても、そこから大事なものを学んでいく、そんな姿勢がとても大事なのかもしれない」

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