ラブライブ!SNOW CRYSTAL   作:la55

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Moon Cradle 第7部後編 第26話

 と、こんな具合に、ホワイトボードに書いた①②③について順に説明した沼田は部活においてとても重要なことを話し始めた。

「そして、部活において特に③はとても重要だったりする。部活とは「学校での部の活動」のことをいう。そして、学校というのは「学生たちが校(舎)に集まっていろんなことを学ぶ場所」なのじゃ!!さらに、そのいろんなことは学問だったりいろんな経験のことであり、学生たちはそこから自分の人生にとって大事なものを学び自分を成長させていくものなのじゃ!!つまり、部活というのは、「学校での部の活動を通じて学生たちがいろんな経験をし、そこから自分の人生にとって大事なものを学ぶことで自分たちを成長させていく場所」、なのじゃ!!」

そう、部活とは、学生たちが部の活動を通じていろんな経験をし、そこから自分の人生にとって大事なものを学び成長させていく場所、といっても過言ではなかった。学生たちは部活を通じていろんな経験を得ることができる。それは、小さなある目標を達成できた、でもいい、○○に勝つことができた、でもいい。とても大切なのは、そこからなにを得られたのか、なにか学ぶことができたのか、なのである。特に勝負の世界であるスポーツ系の部活においてはとても重要なことである。勝負の世界である以上、勝ち負けは必ず発生する。そのなかで、なぜ勝ったのか、なぜ負けたのか、それを分析し、そこから、その勝敗を分けた要素、その理由、そこからくるとても大事なものを自ら学び、それをもってさらに研鑽を積んでいくことで自分たちを成長させていく、ものなのである。むろん、それは文化系の部活にもいえる。いや、そのもの自体すべての部活においてとても重要だったりする、のかもしれない・・・。

 そして、そのなかで沼田はあることを言いだした。

「その意味でも、部活において、ある1つの勝利、大きな目標の達成、そこに至るまでの過程がとても重要だったりする。その過程のなかで学生たちはいろんな経験をする。むろん、それが勝負であったら「負ける」という経験もあったりする。その経験のなかで学生たちは紆余曲折をしながらいろんなことを学ぶことで一歩ずつ成長していく。その過程こそ部活においてとても重要なものなのじゃ!!」

部活において「○○優勝」「○○を実現」といった大きな目標を立てることが多い。その目標に向けて学生たちは日々部活を頑張るのだが、大きな目標を達成するためにはいくつもの過程を経る必要があり、そのなかでその目標達成のために経た過程、それこそ部活においてとても重要である、なぜなら、その過程でいろんな経験をすることができるから。そして、その過程での経験こそとても重要である。前述の通り、部活とは「いろんな経験をし、そこから自分の人生にとって大事なものを学ぶことで自分たちを成長させていく場所」なのだが、そこから得つぶしtられる経験はたった1つだけではない、いくつもの経験をしていく、その経験の都度、そこから自分たちにとってとても重要なものを学び続けることになる。そして、それが目標達成という大きな経験へと結びつけることができるだけでなく、これらの経験で得たもの、そのすべてが自分たちにとってとても大きな財産となる、いや、1人前の大人へと成長することができる、のである。だからこそ、部活においてその過程こそ重要だったりするのだ。

 そして、それを踏まえたうえで、沼田、木松悪斗の考えの弱点を言った。

「そして、木松悪斗の考えである「勝利こそすべて」「勝利こそ正義」「勝ち続けること」であるが、とても重要である過程すら吹っ飛ばして結果のみを追い求めようとする、こうなると、人というのは成長しない。ただ勝利という結果のみ固執してしまうと、その途中の過程での経験で得られたはずの自分たちにとってとても重要なものそのものを学ぶ、その機会を失ってしまうものなのじゃ。そして、それは学生たちにおいて自分たちを成長させる貴重な機会をつぶしてしまう、いや、その過程においても勝利のことしか考えていなかったとしたら、その経験そのものを奪ってしまうことになるのじゃぞ!!学生たちにとってこれ以上にとても悲しいものなんてないはずはない!!学校や部活は学生たちが自分たちを成長させる場所である!!そんな貴重な機会を奪ってしまう、それこそ、木松悪斗の考え、もとい、「勝利至上主義」の欠点なのじゃ!!」

木松悪斗の考え、「勝利至上主義」であるが、勝利の結果のみを追求したりする。そのなかで、「勝利」という大きな目標達成においてその途中にある過程自体を無視することがよくある。たとえ経過を無視していなくても、その経過自体ただ勝つことにのみ固執してしまう傾向がある。そして、こうなってしまうと、部活においてとても重要なことである、その過程での経験において自分たちにとってとても大事なことを学び取る、その機会を失ってしまうことになるだろう。結果、たとえ「勝利」という大きな目標を得ることができとしても学生たちは部活においてとても重要なことである「自分たちを成長させる」、そのことができなかったことになる。それはある意味、部活、学校、ともに、その存在意義、「学生たちを成長させる」、それすら失わせることになる。さらに、その過程のにおいて勝つときよりも負けるときのほうがその経過での経験のなかで得られるものが大きい、と考えると、たとえ負けることがあってもそこから多くのことを学び自分たちを大きく成長させることができるのであれば、勝ち続けること、勝利のみを追求すること自体とても哀れ、としかいえないのかもしれない。それを含めたうえで沼田はこう指摘したのである。

 だが、その沼田の持論に、木松悪斗、たてつく。

「しかし、沼田殿、もし勝利を目指すことを諦めたら、部活や勝負に対するモチベーションが保てなくなりますぞ!!」

むろん、木松悪斗の言う通りである。人というのはものを行うにおいて、やる気、モチベーションが重要だったりする。モチベーションが低くなると、やっている行為自体いい加減なものになったり非効率になったりsるう。そうなると結果的にその行為自体失敗したもの、なにも残すことができない、ただやっているだけ、と、マイナス面ばかり目立つことにつながってしまう。それくらいモチベーションというのはとても重要だったりする。

 が、沼田、この木松悪斗の意見に対して自分の持論を展開した。

「だからこそ、「楽しむこと」が大事なのじゃ!!なぜなら、心の底から「部活を楽しみたい」、そう思えるようになれば、学生たちはどんな困難があっても部活を続けることができるのじゃ!!そういうことなので、学生たちは部活においてはその部活自体をみんなと一緒に楽しみながら大きな目標に向かって突き進んでいく、そのなかで、その過程においていろんな経験をみんなと一緒にやっていく。むろん、そのなかで勝つこともあれば負けることもある。成功することもあれば失敗することもある。が、それを通じてみんなと一緒に楽しみながら自分たちにとってとても大事なものを学んでいく。そして、そうしていくうちに大きな目標を達成することができるのじゃ!!」

「(部活そのものをみんなと一緒に)楽しむこと」、それは本当に素敵な魔法かもしれない。だって、それだけを思い続けるだけでどんな困難もみんなと一緒に太刀打ちできるのだから。対して、ただ「勝利のみを目指したい」という形でモチベーションをあげているのであれば、その学生たちは負けたとたんにそのモチベーションを失ってしまう傾向が強くなる。むろん、「今度こそ勝ってやる!!」という気持ちでモチベーションを持続させることができるのだが、その負けによって学生たちにとってとても大事なもの(負けた理由など)を学ぶことをしないのであればその学生たちは人として成長することはできないだろう。なので、また勝利を目指すことになっても人として成長していないのであればまた勝利することは難しいかもしれない。こうなってしまうとモチベーションを持続させることはできなくなるだろう。

 対して、「その部活そのものをみんなと一緒に楽しむ」という考えであれば、たとえ負けたとしても、みんなと一緒にその部活を続ける、みんなと一緒に楽しむ、みんなと一緒に自分たちの大きな目標に向かって進むことができる、そこからくるやる気のもと、みんなと一緒に「負け」という経験から自分たちにとってとても重要なものを多く学ぶことができ、結果、自分たちは人として大きく成長していくことができるのである。そして、人として大きく成長していった学生たちは大きな目標に向かって突き進むことができるのである。それくらい、「部活を楽しむ」という考えは部活をする者たちにとって「いろんな過程のなかでいろんな経験をし、そこから大事なものを学び、自分たちを成長させる場所」という部活の存在意義を叶えるためにも必要な考え、なのかもしれない、それは部活を続ける、そんなやる気を持ち続けるにしても、大きな目標のためにいくつもの過程を経るためにしてもだ・・・。

 さらに、沼田は静真高校女子サッカー部の部長である旺夏に対してあることを尋ねた。

「ところで、旺夏という小童、サッカーは好きか?」

これには、旺夏、

「はっ、それは当たり前でしょ!!サッカー、好き、に決まっているじゃない!!」

と、怒りながら返答するも、沼田、さらに旺夏に対しまた質問する。

「本当にそうか?心の底からサッカーが好きか?ただ勝つことのためだけにサッカーが好きではないのか?」

この沼田の質問に、旺夏、つい本音を言ってしまう。

「そんなの、関係ないでしょ!!「勝ち続ける」こととそれとは関係ないでしょ!!私はサッカーの技術に秀でいている、だからこそ、勝ち続けること、それこそ、この私にとって、サッカーを続けていく、私の存在意義を示すものなんだ!!」

だが、そここそ沼田が旺夏に求めてものだった。沼田、本音を言った旺夏に対し、

「旺夏という小童よ、よく聞け!!部活とは道具ではない、自分たちの心などを成長させる場所なんだぞ!!勝ち続けること、勝ちのみに固執してしまうと大事なものも見えなくなってしまうぞ!!」

と、叱るように言うと、沼田、ついに本題へと入った。

「そして、「心の底から楽しむこと」、その根底にあるのは、「部活そのものが好き」という気持ちなのじゃ!!部活をすることが好き、その競技そのものが好き、その気持ちだけあればみんなと一緒に部活を楽しむことができる、どんな困難があってもみんなと一緒に乗り越えることができる、そういうものなのじゃぞ!!そして、いろんな経過のなかでみんなと一緒にいろんなことを経験していく、たとえ、負けたり挫折してもな、その経験のなかで自分たちにとって重要なことを学んでいく、その積み重ねによって学生たちは一歩ずつ成長していき、やがて大きな目標を達成するとともに一人前の大人になることができる、それこそ部活おいてとても大切なことなのじゃ!!」

部活そのもの、競技そのものを好きであること、それこそ部活をする上でとても大切なのかもしれない。だって、「好き」という気持ちは人にとってあることを成し遂げる上では必要なものだから。いや、「好き」という気持ちほど強い動力源はないのだから。「好き」という気持ちを持ち続けることにより、たとえだんな失敗をしても、そのものを「好き」という感情をバネにまた一からやり直すことができるから。それくらい「好き」といいう気持ちはどんな感情よりもとても強い力をもつものなのである。なので、その「好き」という気持ちが元になっている「心の底からそれを楽しむ」というのはどんなことがあってへこたれることなんてない、万能の薬、なのかもしれない。そんな意味でも、「部活を楽しむ」というのは大きな目標を成し遂げるためにもとても大切なことといえるかもしれない。

 そして、それは(第6部第15話に書いた)月にもあてはまるかもしれない。月はプロデューサー見習として千歌たち赤生のサポートをしてきた。そのなかで月は、Aqoursそのもの、いや、スクールアイドルそのものを好きになった、のかもしれない。さらに、そのなかで月はいろんな経験を経ることで「スクールアイドルそのものを楽しむ」ことを知り、それによって発生した、「Aqoursのみんなと一緒にスクールアイドルを楽しむ」、その気持ちと「スクールアイドル、Aqoursが好き」という無限の動力源によりローマ・スペイン広場でのライブの成功という大きな目標を達成することができたのかもしれない。そんな意味でも、月にとってみればイタリアでのプロデューサー見習としての経験は自分を成長させる大きな機会となった、のかもしれない。

 そして、それは千歌たちAqoursにもいえた。千歌たちAqoursはこれまで、ラブライブ!夏季大会前の東京でのスクールアイドルイベント、ラブライブ!夏季大会東海最終予選、浦の星の廃校決定、と、3回の挫折を味わっている。そのなかでも浦の星の廃校決定のときにはスクールアイドルそのものをやめようとしたときもあった。が、それでも、その度ごとに千歌たちAqoursは立ち上がり、きつい練習をこなしていき、いろんなことを経験していくことで、千歌たちAqoursはラブライブ!で優勝するくらいにまで成長することができた。それはひとえに、千歌たちAqoursメンバーがスクールアイドルが好きだから、そんな気持ちがあったから、かもしれない。「スクールアイドルが好き」、という気持ちがあったからこそ、千歌たちAqoursは何度も挫折しても何度も立ち上がることができた、のかもしれない。いや、それ以上に、ラブライブ!優勝できるまで成長させるほど底知れぬ力を秘めていたのかもしれない、「(スクールアイドルが)好き」という気持ちには・・・。(むろん、そこには千歌たちAqoursのことが「好き」であり心の底からAqoursを応援してくれたよいつむトリオら浦の星の生徒たち、そして、内浦の人たちの存在も忘れてはいけない。だが、その根底にあるのは千歌たちAqoursのことが「好き」という気持ちであり、そんなよいつむトリオたちAqoursのことが「好き」という気持ちが千歌たちAqoursをうしろから支える原動力になっていることも忘れてはならない)

 それに対して、旺夏の場合はどうなのだろうか。月とAqoursとは違い、勝つことだけを信条としている。本当にサッカーが好きかどうかは不明である。ただ1つだけ言えるのは、旺夏は「勝つこと」のみに執着していること、「勝つこと」でのみサッカーが「好き」という気持ちを保たせている、そのことであった。そして、旺夏はそれを叶え続けるため、「好き」でありたいがために「勝利」にのみ固執してしまったため、(旺夏でいうところの)女子サッカー部という部活はきっちりと管理された状態でチーム一丸で行動することになっているのかもしれない。その部活においては「勝利」という大きな目標の名のもと、ただたんに「勝利」のみを追求していく・・・、それが部活の究極の形である、と、旺夏は思っているのかもしれない。が、そこに大きな落とし穴があったりする。それは、負けた場合のときに発生する。きちっと管理された状態で勝ち続けれているのであればそのやっていること(旺夏ならサッカー)を「好き」という気持ちを持ち続けることができることだろう。だって、「勝つこと」に執着しているので、「勝利」したことで自分のそれに対する「好き」という欲求を満たすことができるから。が、負けてしまった場合、「勝つこと」に執着しているものの「勝利」という美酒を得ることができなかったために「好き」という欲求を満たすことができないことにつながってしまう。いや、もし、ケガなどで挫折したとしたら「勝利」という美酒から遠のいてしまうことは誰からみてのあきらかである。それはすなわち「好き」という欲求を当分のあいだ満たすことができなくなることを意味してしまう。これらのようなことが起きてしまうと「好き」という欲求を満たすことができなくなってしまい、それによって自分がやっていることを好きでいられなくなる、そうでなくても、やっていることに対するやる気、モチベーションを失うことにつながってしまう。いや、もしかすると、負けること、挫折することがなくても、管理された状態のなかで「勝利」だけを追い求めてしまうあまり自分たちの本当の気持ちなんて無視し続けてしまうと、部活などチームそのものがシステム化されてしまい、結果的に自分たちがやっていることに対する「好き」という感情、そこからくるやる気、モチベーションを失ってしまうかもしれない。こうなってしまうと、部活、チームそのものが崩壊するのは時間の問題である。それくらい、「好き」という感情はときと場合によってはマイナスに働くこともあるのだ。

 そして、沼田はこんなことまで言いだしてしまう。

「それじゃ、「楽しむこと」と「好きであること」、それ自体お互いに補完関係でもあるのじゃ!!「好き」という気持ちがあるから「楽しむこと」ができ、「楽しむこと」ができるから「好き」という気持ちに磨きがかかるのじゃ!!それはスクールアイドルもサッカーも、いや、すべてにおいていえることなのじゃ!!」

まさにその通りかもしれない。なぜなら、「好き」だからこそ心の底から「楽しむこと」ができるのであり、みんなと「楽しむこと」ができれば自分の心のなかにある「好き」という気持ちに磨きがかかるものなのである。Aqoursの場合、千歌たちはみなスクールアイドルのことが、Aqoursのことが大好きである。そして、いくつもの過程において千歌たちはみんなAqoursとして練習やライブを心の底から楽しんだ。それはたとえとてもきついものであってでもある。そんなきついものまで耐えるだけでなく楽しむことができた理由、それは、千歌たちみなスクールアイドルやAqoursのことが好き、という気持ちがあったからである。そして、その過程において千歌たちはみな、スクールアイドルとして、Aqoursとして、練習やライブを心の底から楽しむことができたことで千歌たちはさらにスクールアイドルやAqoursのことが好きになっていったのだ。こうして、千歌たちAqoursは

「好き」→「楽しむ」→「好き」→「楽しむ」

というサイクルを何度も何度も繰り返した結果、ラブライブ!優勝という夢を叶えた、ばかりではなく、自分たちだけの輝きを得ることができたのである。

 また、「好き」→「楽しむ」→「好き」→「楽しむ」のサイクルは「好き」という気持ちをずっと保持し続ける効果を持っていたりする。人というのはよっぽどのことがない限り、そのものに対して「好き」という気持ちを持続することができなかったりする。日々

いろんなものに晒されている現代において、人というのは1つのものに執着することが難しかったりする。なぜなら、人というのは日々いろんなものにさらされているためにころころと自分の興味が変わってしまうからである。なので、今、そのものが好きであっても、1年後、10年後も同じものが好きである、と、断言できなかったりする。が、自分が好きなものを通じてみんなと好きなものを楽しむ、その行為が起きるのであれば、みんなと一緒にそのものに対して「好き」を共感できるから、好きなものについてみんなと嬉しい感動を分かち合うことができるから、それによって「好き」という欲求を満たすことができるばかりではなく、「好き」という気持ちにより磨きがかかるものである。こうして、「好き」→「楽しむ」→「好き」→「楽しむ」という好サイクルにより、その人が持つ「好き」という気持ちは言葉では言い表せないようなとても大きな存在となっていく。こうなれば、いろんな失敗や挫折が起きたとしてもくじけることがない、そんな強い心を持つことができる、そういっても過言ではないだろう。そして、それは月にもいえるし、千歌たちAqoursにもいえることだろう。

 一方、旺夏みたいに「勝利」のみに固執してしまうと、「好き」→「楽しむ」→「好き」→「楽しむ」というサイクルは起きない、だって、たとえ、今、それが「好き」であっても「楽しむ」という気持ちがない、それどころか、「好き」よりも「勝利」を優先してしまうから。で、こうなってしまうと、自分の心のなかでは「勝利」という2文字しか目に見えなくなってしまい、もし、敗北、失敗、挫折が1度でも起きたら、「勝利」という2文字を達成できない、と、勝手に思ってしまい、さらいは、「勝利」という2文字を喪失したことでそれに対して「好き」という気持ちすら喪失してしまう、そんな危険性すら潜んでいる。だからこそ、「好き」という気持ちは持続させるにはみんなと「楽しむ」ことが重要である、いや、それ以上に、「好き」→「楽しむ」→「好き」→「楽しむ」という好サイクルがあるからこそ人というのは未知のパワーを引き出すことができるのかもしれない。

 そんな話に熱がはいる沼田であったが、これについても忘れていなかった。

「しかし、「楽しむこと」「好きであること」の好サイクルにより自分たちの能力、やる気などを高めたチームは、たった1つ、自分たちだけ、ではない。そんなチームが全国にごまんといる。むろん、部活、特にスポーツ系は全国大会があるくらい、そんなチーム同士で戦うステージというものがある。そこで自分たちのすべてを高めたチームは、自分たちと同じく、「好き」「楽しい」の好サイクルにより持てるものすべてを高めたほかのチームと戦うことになる。これはそういう部活をしている以上、仕方がないことなのじゃ」

 と、ここで外からヤジが・・・。

「ふんっ、やっぱり戦うのか!!むろん、勝つことを目指すのですよね!!」(木松悪斗)

これには沼田も、

「むろん、全国制覇をしたい、少しでも上を目指したい、という目標があるなら勝つことを目指すことになるな」

と、木松悪斗の意見をあっさり認めてしまった。これには、木松悪斗、

「ふんっ!!やっぱり俺の言うことは正しいのだ!!勝つことこそすべて、なのだ!!」

と、逆に意気込んでしまった。

 が、これについては、沼田、しっかり否定してしまう。

「木松悪斗、それは違うぞ!!お前の言う勝つことはただ勝ちに行くことを意味しているのだぞ!!どんな手段を使ってでも勝利を目指す、それは人の気持ちとか関係なく、いや、人を勝利するための道具、相手を屈服させたい、徹底的に叩き潰しにいく、相手のことなんて関係ない、本当に勝つことのみに執着した、本当に最悪のものだ!!」

しょこの沼田の力説に、木松悪斗、ただ、

「ぐぐぐ・・・」

と、うなるしかなかった。

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