ふたりは仲の良い幼馴染であり、(本人たちは否定するが周囲から見れば)微笑ましいカップルだ。
しかし、このふたりには他の人間には知られていない“秘密”があった。
現在、「マイ」と呼ばれている方が本来は星崎空で、「ソラ」と呼ばれている方が元は桜合舞だったのだ──少なくとも2年前までは。
※KCA名義でブログやPIXIVにも掲載しています(Pの方は18禁版)。
1.
夏本番……というにはまだ少し早いが、それでも屋外に出て座っているだけでも自然と汗ばんでくる季節。雲ひとつない天気もそれを助長している。
この市営グラウンドでは、土曜日の昼前から、全国中学校軟式野球大会の地区大会決勝戦が行われていた。
午後2時を回ったところで、今まさに9回裏ツーアウト満塁。ランナーがひとりでも帰れば同点、ふたり以上生還すれば大逆転という、まさに大詰めともいえる局面であり、両チームは元より観客やそれぞれの応援団のボルテージも最高潮まで高まりつつある。
三塁側スタンドには、片方のチーム──すぐ近くの公立校である舞桜中学校の応援団が陣取り、熱い声援を送っていた。
「「「「ふれっふれっ、まいおー! ごーごーれっつごー、まいおー!」」」」
舞桜中にはクラブ活動としてのチアリーディング同好会が存在しており、10人ほどの所属部員が校名の“桜”にちなんだ色鮮やかなピンク色のミニスカ衣装に身を包んで、ポンポンを手に動きを揃えて応援している。
バッターボックスに入ったのは背番号7番、3年生のレギュラーでショートを守る“星崎 空(ほしざき・そら)”だ。
身長はあまり高くないが、学年で1、2を争う俊足と優れた動体視力を持ち、的確に出塁&盗塁をキメる(公式戦の出塁率はなんと7割以上だ)ことから、“舞桜のイチロー”の異名を持つ。このような場面では実に頼りになる選手だった。
相手チームもそのことは分かっているのだろう。本来なら敬遠したいところだろうが、それでは押し出しで同点になり延長戦にもつれ込んでしまう。
覚悟を決めたのかマウンドのピッチャーは外角低めすれすれにスライダー気味の球を投げ込んできた。
1球目は見逃したものの、2球目は打ち返してファールに、3、4球目は低すぎたためボールになる。
カウントは2-2。二死満塁でこの状況は、攻守どちらにとっても多大なプレッシャーだが、もう一度だけ外せる投手側がやや気分的には楽だろうか。
──しかし、その僅かな余裕が逆に仇になったのだろう。
スリークォーターのフォームから放たれた5球目は、先ほどに比べていくぶん制球が甘く、星崎選手の膝の上あたりを通過する──かと思われた時!
「この瞬間を待っていた!」
“舞桜のイチロー”が見逃すはずもなく、鋭くカットされたボールは、ライナー性の軌跡を描いて右中間へと飛び、ホームランにこそならなかったものの、フェンス下部に当たってセンターとライトの丁度中間のかなり深い位置へと転がった。
おかげで、三塁はもちろん二塁にいたランナーもかなりの余裕をもって本塁に帰ることができ、この瞬間、舞桜中の地区大会優勝が決まったのだ。
三塁側からベンチ・スタンド問わずひときわ大きな歓声があがり、逆に相手校のいる一塁側からは落胆の溜息が漏れた。
「ぃやったーーーっ!!」
チア部員たちも、先ほどまで懸命に振り回していたポンポンを放り出して、抱き合ってピョンピョン跳ねながら、喜びの声をあげている。
と、その時、この試合の殊勲者とも言うべき星崎選手が、整列のためホームのそばに戻る途中で、サムズアップした右手を三塁側スタンドに向かって大きく突き出す。
その視線の先は、明確にチア部のいる辺り──もっというなら、その中のひとりを見つめていた。
「ありゃりゃ、星崎くん、やるねぇ」
「ホラホラ、舞、愛しの彼氏の挨拶にちゃんとこたえてげないと」
先ほどまでの純粋な歓喜の笑顔とは異なる、どこか人の悪いニヤニヤ笑いを浮かべて、チア部員たちは仲間のひとり──“舞”と呼ばれた背の高い少女を急かし始めた。
「え!? いや、あの、えっと……」
うろたえながらも、皆の勢いに負けて小さくヒラヒラと手を振る舞。
彼女から反応があったことに満足したのか、星崎選手は駆け足で整列するチームメイトの方に戻っていった。
2.
球場のそばにあるシャワー室付属の女子更衣室で、私たちはチアリーディングのコスチュームから学校の制服に着替えることになりました。
先ほどの決勝戦の興奮がまださめやらぬ状態ですので、皆テンション高く、今日の試合のことなんかをおしゃべりしていたのですが、思わぬ方向へと話題が転がり始めました。
「それにしても、舞はいいなぁ。あんな素敵な彼氏がいて」
へ!? それってやっぱり……。
「あのぅ、もしかして、ソラくんのこと、ですか?」
「決まってるじゃん。ほかに誰がいるのよ」
えっとですね。
「いえ、ソラくんと私は単なる幼馴染ってだけで、別に……」
つきあっているとかそういう仲では、と続けようとしたのですが。
「はぁ? まだそんなこと言ってんの?」
「先週末かて、アンタら、商店街で仲良くデートしとったやん」
そ、それは駅前に新しくできたパスタ屋に行こうって誘われただけで……。
「ほほぅ、でもお昼ごはん食べたあとも2時間ほどふたりでカラオケ行ってたよね」
な、なんで知ってるんですか!?
「あたし達も、同じカラオケにいたからよ!」
ぐっ……それは、言い逃れできませんね。
「ていうか、アンタら、野球部とチア部の休みが重なった日は、いつも一緒に帰っとるやろ」
それは、まぁ、家が隣り同士ですし。
「ふ・つ・う・は! 中学生にもなったら、たとえ家が近所の幼馴染だって、男と女なら、とくに理由もなく一緒に登下校したりしないの!」
「“一緒に帰って友達に噂とかされると恥ずかしい”からなぁ」
えーと、そういうもの、なんでしょうか?
「まったくこの子は図体ばっか大きくなっても、てんでお子様なんだから」
クラスメイトで、チア部でもいちばん親しい槙島さんが、チアコスを脱いだ下着姿のまま、うりゃっと後ろから抱きついてきました。
「ちょ、着替えられないからやめてくだ……ひゃん!」
ど、どこ触ってるんですか!?
「んー、あいかわらず、ツルペタストーンのちっぱいだねぇ」
ぅぅ~、気にしてるのに、ヒドいです。
「大丈夫、貧乳は希少価値でステータスやから。ウチらツルペタ同盟として、くじけず強く生きていこ?」
私に負けず劣らず(無論、小ささという意味で)のバストサイズを誇る(?)、相良さんが、そう言って慰めてくれますが、素直にうなずけるものではありません。
とは言え、いつもの部室ではなく公共の施設ですから、あまり私たちだけでのんびり占有しているわけにもいかないでしょう。じゃれあいをやめて、着替えに専念することになりました。
ミニワンピースタイプのチアコスを脱いで、ブラ(AAカップだって一応してるんです!)とショーツだけの恰好になってから、シャワーを使ってる暇はないので汗をひと通りタオルで拭い、香料入りデオドラントのスプレーをシュッとひと吹きします。
スポーツバッグから、畳んだブラウスと制服のスカートを出して、手早く身に着け、ロッカーの扉についた鏡を見ながら髪と身だしなみを軽く整えて、足元もチア用スニーカーから革のローファーに履き替えれば着替え完了です。
スポーツバッグを肩にかけ、女子更衣室から出ると、ちょうど道を挟んで対面にある男子更衣室から、野球部の人達が出てきたところでした。
「あ、皆さん、お疲れさまー、それと優勝おめでとうございます」
私は、いろいろあって野球部の人たちも比較的親しいので、そんな風に声をかけました。
「おぉ、ありがとう、
エースで4番で長身のイケメンという、どこかの野球マンガに出てきそうな(たぶん主人公のキザなライバル役でしょう)キャプテンの八重垣くんが、如才なくそう返してきます。
八重垣くんは、同じ3年生だけでなく下級生の子たちにもファンが多い人気者です。案の定、1、2年の後輩たちは「目がハート」状態になってます。
もっとも、槙島さんや相良さんは「カルくてチャラい」「リアクションがイマイチ」とあまり高い評価を下してないみたいですけど。
PTAが講堂でお祝いパーティの用意をしているそうなので、なんとなく流れでそのままチア部と野球部は一緒に学校に戻ることになったのですが……。
「よっ、マイ!」
「あ、ソラくん」
本日のMVP候補のひとりと言えるソラくんが、私の隣りにやってきました。
「どうだった、今日のオレの活躍ぶりは?」
「ええ、とっても凄かったです──羨ましいくらいに」
後半、思わず本音を小声で言ってしまいました。
幸い、周囲の人は元よりソラくんにも聞こえていなかったようで、「そうかそうか」とご満悦。
「最後のアレは一応二塁まで踏んだんだからツーベースヒットだよな? サイクルヒット達成だから賭けはオレの勝ちだぜ」
「え? 賭けって……あっ!」
そういえば試合前にソラくんと「今日の試合でサイクルヒットを達成したら、ひとつ言うことをきく」という約束をしてたんでした。
決勝に臨むソラくんのモチベーションが、少しでも上がればと思っての言葉だったのですが、まさかホントに達成するとは……。
「わ、分かりました。約束、ですからね」
「よし。じゃあ、明日、お前んち行くから、その時にな」
3.
講堂での「野球部優勝おめでとうパーティ」がお開きとなり、そろそろ日が西に沈みかけた頃合いに、制服姿の少年と少女は、スポーツバッグを肩にかけ仲良く家路についていた。
今日の試合の自慢とも反省ともつかない事柄を、熱心にしゃべり続ける少年・星崎 空と、相槌をうちながらニコニコとその話を聴いてあげる少女・桜合 舞。
本人達は否定するが、並んで歩くふたりの姿は、誰が見ても幼馴染以上恋人未満の微笑ましいカップルと言えるだろう。
だが、このふたりには秘密があった。お互い以外、誰にも言えない、言っても信じてもらえないだろう秘密が……。
「──それにしても、まさか、キミがこんなに野球部で活躍するようになるなんて……」
話が途切れた時、ポツリと少女がそんな言葉を漏らす。
「それを言うなら、オマエだって、チアリーディング部や女子の輪に随分なじんでるじゃないか──なぁ、“桜合 舞”ちゃん」
わざと名前の部分を強調するように呼ぶ“少年”の言葉に、“少女”はツイと視線を逸らした。
「ねぇ……私たち──ううん、僕たち、ずっとこのままなのかなぁ」
「さぁね。でも、こんな
「え、原因は、あの時の“お願い”じゃあ……」
「はっきり断定はできないだろ。それに──仮にそうだったとしても、じゃあ、どうすれば、元に戻れると思う?」
「それは……そう、ですね……」
少年と少女の秘密。
それは、周囲から“星崎空”として扱われている方が本来は桜合舞で、逆に桜合家のひとり娘として暮らしている子が元は星崎家の長男だったという事。
もし、ほかの人々に離せば一笑に付されそうなヨタ話だが、空と舞のふたりにとっては真実だった。
とは言っても、尾道を舞台にしたどこぞの映画みたく、ふたりの体と心が入れ替わったというわけではない。
入れ替わったのは“名前”、あるいは“立場”そのもの。
より正確に言うなら、ある日を境に周囲の人々から、空は“桜合舞”、舞は“星崎空”とみなされるようになったのだ。
4.
それは、ふたりが中学に入学したばかりの4月半ばのある土曜日の話。
中学校という新たな環境にも多少は慣れ、また1年生のクラブへの参加も学校からOKが出たことから、この日、ふたりはそれぞれ希望する部活への入部届を出していた。
星崎空は、小学生時代からリトルリーグに入っていたこともあり、野球部へ。
一方、桜合舞はどちらかと言うとインドア派の少女であり、幼馴染の空はてっきり何か文化系のクラブに入るだろうと思っていたのだが……。
「え!? 何、舞、チアリーディング部なんて入ったの!?」
ちょうど時間が合ったので学校から一緒に帰る途中、舞からそのコトを聞いた空は、思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。
「う、うん……やっぱりヘンかなぁ」
恥ずかしげにうつむく少女を見て、慌てて少年はフォローする。
「い、いや、全然そんなことないよ! 舞はかわいいし、チアリーダーの衣装とかも似合うだろうなぁ!」
コレを何の打算もなく素で言ってしまえるあたり、少年と少女の距離感の近さが推察できるだろう。
「ただ、舞ってあんまり運動が得意じゃないだろ。よくは知らないけど、アメフトの応援とか見てると、チアリーディングって結構ハードっぽいし」
「それは、大学生とか社会人だからだよぉ。中学の部活なら、そこまでハードってことはない……と、思うんだけど……」
言ってるうちに自分でも自信がなくなってきたのか、舞の言葉が尻すぼみになる。
「ま、しばらくやってみて無理そうなら、最悪転部って手もあるんだし、何事もチャレンジしてみるのはイイと思うよ。でも、なんでいきなりチアリーディングなんだ?」
「うん、あのね。舞は空くんの言う通り、あんまりスポーツとか得意じゃないから、空くんにつきあってトレーニングとかできないでしょ。だから、せめて野球部で頑張る空くんをチアで応援してあげたかったの」
仲の良い幼馴染で、親愛・友情・恋慕の3つがごちゃ混ぜながら間違いなくお互いのことを大切に想っている相手からそんな事を言われて、嬉しく思わない男がいるだろうか。
当然、空も、照れくさそうに視線を明後日の方に向けつつ、内心では「くぅ~、舞のヤツ、可愛いこと言ってくれるなぁ!」とテンションが鰻上りだった。
そのせいもあって、舞に「ちょっと寄って行きたい場所があるけど、いいかなぁ?」と聞かれた時も、上機嫌で承知したのだ。
舞に連れられて林の中の小道を抜けると、そこには小さな神社らしき建物があった。
「へぇ、こんなトコに神社……っていうかお社があったんだ」
「うん。願掛けの穴場なんだって」
確かに古いし小じんまりとしてはいるが、荒れた感じはないから、誰かが頻繁に通って掃除とか手入れをしているのだろう。
舞がカバンの中から取り出した紙にメモしてあった“願掛けの作法”に従って、ふたりは揃って並んで社の前に立ち、まずは二礼二拍で挨拶。続いて、柏手を打った手を合わせたまま、心の中で願い事を思い浮かべる。
(神様……僕は自分のことは自分で頑張りますから、舞の願い事をかなえてあげてください)
先ほどの幼馴染のけなげさに打たれたのか、空少年はとても優等生な“お願い”をしている。
まぁ、神頼みで願いがかなうとは本気で思っていないが故の鷹揚さなのだろうが、もし、隣りの舞の願いを知っていたなら、そうはいかなかったかもしれない。
(神様、もしできるなら、あたしも空くんと同じくらい野球とか運動が得意になって、空くんのことを、もっともっと理解したいです。それで、空くんにも“桜合舞”のこと、もっともっと知って欲しいです!)
内気でおとなしげな外見に似合わず(いや、あるいはそれだからこそ、か)まだ幼さの残る少女は、どうやら心の内に激情を秘めていたようだ──1歩間違えばヤンデレと言われそうな気もするが。
最後に一礼して参拝を終えたふたりだが、その時、不思議なことに頭の中に「──その願い、叶えて進ぜよう」という声が聞こえた……ような気がした。
「え? 何、いまの?」
「あぁ、やっぱりここ、神様は本当にいたんだぁ」
うろたえる空と対照的に舞はうれしそうだ。
(これでわたしの願い事、かなえてもらえるんだ)
ニコニコ顔で動じていない舞を見て、空も落ち着きを取り戻す。
「ちぇっ、本当に神様がいるなら、もっと別のお願いをしとけばよかったかな。舞は、どんな願い事をしたの?」
「んー、ないしょ。さ、そろそろお家にかえろ、あたしなんだかお腹がすいちゃった♪」
5.
(──で、翌朝目が覚めたら、私が“桜合舞”に、あの子が“星崎空”になってたんだよね……)
それも、魂や身体が入れ替わったのではなく、周囲──家族は元より先生や友達、その他諸々の人から、空であるはずの少年が桜合家の娘の舞、舞であるはずの少女が星崎家の長男の空としてあつかわれるようになったのだ。
そればかりではない。
確かに体そのものは元の自分のままだったが、空の髪の毛は肩を覆うくらいの長さに伸びていたのだ。
しかも舞の服──起きた時着ていたパジャマや、学校のセーラー服、体操服、可愛らしい普段着、はては下着に至るまで、サイズがピッタリになっていた。まるで、あたかも最初から彼が“桜合舞”だとでもいうように……。
ともあれ、幸いにしてその日は日曜日だったため、舞の家族をなんとか誤魔化して朝食の時間を切り抜け、その後、すぐ隣りの星崎家──空の意識からすれば自宅であるはずの家を訪ねたのだ。
「ただい……じゃなかった、おはようございまーす」
あわてて言い直したところで、ガチャリと扉が開いて、母が顔を出した。
「あら、舞ちゃん。空に何か御用?」
予想通り、空の母親にも、空のことが“桜合舞”に見えているようだ。
「え、ええ、ちょっと……あの、上がらせてもらっていいですか?」
普段の舞はごく普通の女の子言葉を使っていたと思うが、さすがにそれを真似るのは気恥ずかしいので、とりあえず丁寧語でしゃべることで誤魔化すことにした空。
なお、これ以降も人前ではそのしゃべり方がデフォになり「お淑やかで礼儀正しい娘」という評価を得るようになるのは余談である。
勝手知ったる二階の空の部屋──本来は自分のものであるはずの部屋へ入ると、そこではなぜか自分のスウェットを着た舞が、腕立て伏せをしていた。
「──31、32、さんじゅうさん……」
「……何やってんの?」
「あれ、空くん」
腕立てを止めて床から立ち上がっる舞。
「なんか、スゴいよ! 今まで1回もできなかった腕立て伏せが30回以上できるようになってるの!」
「いや、この状況で気にするところはソコじゃないだろ!?」
思わず関西芸人の如くツッコんでしまう空。
「舞、今の僕たちの異様な状況について理解してるよね」
「あー、うん、たぶん。あたしが空くんになって、空くんが舞になってる?」
頭のいい舞にしては珍しい短絡的な物言いに、空は溜息をついた。
「そんなシンプルなモノじゃなくて、見ての通り僕らの身体そのものが入れ替わったわけじゃないから、“僕が舞、舞が空として周囲から認識されてる”っていうほうが正確なんじゃないかな」
しかし、空自身も気づいていないのだ──本来はどちらかと言うと脳筋に近い自分が、このややこしい事態を自然と的確に読み解いているという状況に。
「うーん、でも、それだけじゃない気がする。だって、あたし、今朝目が覚めてから、身体がこんなに軽いんだもん」
言われてみれば、確かに髪型がスポーツ刈りになっただけではなく、まるで「小学生時代からの野球少年」のように、浅黒く日に焼け、身長こそ変わらぬものの、体つきも心なしかガッチリしているように見える。
「空くんも、なんだか可愛くなってるよ、ほら!」
舞に半ば強引に手を引かれて(そしてそれに抗えず)、洗面所に連れて行かれた空は、改めて今の自分を再見分することになる。
髪型が舞のものになっていたのは知っていたが、よく見ると、これまでロクに陽にあたったことがないように肌の色も白く、手足も筋肉が落ちて華奢になっていた。
「──もしかして周囲の認識というより僕らの“立場”が入れ替わった? それで“運動少年の空”の立場になった舞はたくましく、僕は“運動音痴の舞”の立場だから、こんなひ弱に……」
「ぶぅっ、ひ弱はないでしょ、ひ弱は。それに、今は空くんが、そのひ弱な舞なんだよ」
実際、試しに腕相撲をしてみたところ、“舞”な空は“空”な舞にあっさり負けてしまったので、その考察はあながち間違いではなかったのだろう。
それからがまた大変だった。
どうしてこんな事態になったのか、その時は皆目見当がつかなかったため、とりあえず周囲には、この“立場入れ替わり”のことは隠すことにする。
ここまではふたりの意見は一致したのだが……。
「いいっ!? 僕がチアリーダーやるの!?」
「そうだよ。あたしだって、空くんの代わりに野球部の練習に出るんだから、空くんも頑張ってくれないと」
「うっ……それは、まぁ、確かに」
自分があのヒラヒラな格好でチアの演技をするところを想像すると、恥ずかしい限りだが、等価交換と考えると確かに舞の言い分に理があった。
まだふたりとも入部届を出したばかりなので、部活の手順や人間関係などは来週1から覚えていけばよいというのは、不幸中の幸いだろう。
「それと空くん、人前では、ちゃんと“桜合舞”らしくして行動すること」
「あ~、できる限りは努力する。けど、完全に真似するってのは無理だよ」
いくら仲の良い幼馴染とは言え、小さい頃ならともかく、ここ数年は空は男友達と、舞は女友達と過ごす時間も多かったのだ。その時、互いがどんな風にふるまっていたかまでは、さすがに知らない。
「しょうがないなぁ。じゃあ、せめて周囲に恥ずかしくない程度には女の子らしくしてよね」
「ぅぅ、わかったわかった。でも、舞の方こそ、僕の真似なんてできるの?」
「もちろん! あー、あー……コホン! オレの名前は星崎空。舞桜中学の一年生だ。好きなものは野球、これでもリトルリーグでは3番バッターとして活躍してたんだぜ」
声色を低めてそんなことを言う舞は、正直、あまり本物の空とは似ていないが、髪型や服装のおかげでそれなりに少年っぽくは見えなくもない。
「じゃあ、空くん……じゃなくて、“舞”もやってみろよ」
「え!? いや、あの、僕はいいよ」
「“僕”はアウト! マンガとかなら“ボクっ子”ってのもいるみたいだけど、桜合舞はそういうキャラじゃないし」
じゃあ、どんなキャラだと聞きたいところだったが、下手に藪をつつくとトンデモない女子像を押し付けられそうなので、空は自重した。
「えっと……さ、桜庭小学校出身、桜合舞です。趣味は、読書と小物集め。運動は苦手ですけど、チアリーディング部に入ったので、がんばりたいと思います」
こんなのでどう? と視線で問い掛けると「バッチリ!」というイイ笑顔が返ってきた。
「当面は、こんな感じで日常生活を過ごしつつ、こうなった原因を探ることにしようぜ」
「それしかないですね。はぁ~~」
溜息をつく“舞”な空(以後、マイと表記)と、浮き浮き楽しそうな“空”な舞(以下ソラ)の様子が対照的だった。
6.
こうして僕たち、いや“私”たちの新たな“日常”生活が始まった。
意外なことに“星崎空”の立場を得た舞は、拍子抜けするほどあっけなくソラとしての生活に馴染んでいた。
「普通、この種の『転●生』的シチュエーションって、男より女の方が戸惑ったり嫌がったりするものじゃないんですか?」
「だって、オレ、ずっと空くんに憧れていたからね!」
そんなことを言って屈託なく笑うソラは、確かに楽しそうに男子中学生の野球部員という立場を謳歌しているようだった。
実際、傍から見ている限り、運動能力は以前の僕──“星崎空”のものを引き継いでいるようだし、野球の技術に関してもそれは同様だった。
さすがに細かい知識に関しては一朝一夕で身につくものではなかったようだけど、元々“桜合舞”は“星崎空”と親しく、”空”との会話で出て来たわからない言葉などについては、その場で聞いたりネットを見たりしていたので、その不足分も些細なものだったようだ。
男友達とのつきあいも、なにしろ幼稚園+小学校の8年間を同じ学校で過ごし(しかもその半分以上は同じクラスだ)、今年中学に入ってからも案の定クラスメイトになっていたおかげで、“星崎空”のおおよその交友関係は心得ていたようで、さほど困らなかったらしい。
──まぁ、一時期、「何か最近、星崎のヤツ、妙にハイテンションだよな」とか噂が立ってたみたいだけど、それもすぐに収まったし。
けれど、“桜合舞”として過ごすことになった
(こうしてみると、僕、幼馴染のクセに本当に舞のことを知らなかったんだな)
小学校時代からの舞と親しい友達くらいは、一応名前と顔が一致するけど、中学に入ってからの友人はかなりアヤしい。
舞は色々見ていてくれてたのに……って、なんだか申し訳ない気分になったけど、反省するより、今は対策を考えないとなぁ。
交友関係以外にも、衣食住その他も問題が山積みだ。
たとえば服とかオシャレ関係。
有名私立女子校とかの可愛らしいけど着るのがしち面倒くさそうなの代物とかとは違って、ウチの中学の女子制服はシンプルなブラウス+ベスト+スカートだ。
スカートを履くのは気恥ずかしいけど、“桜合舞”は校則通り膝丈の長さにしてくれていたので、ミニと言える程短くなかったのも不幸中の幸いかも。
──それでも、最初の頃は足元がスースーする感触に違和感バリバリだったけど、ほぼ毎日着る服なんだから、嫌でも慣れるしかない。
女の子の下着も、最初は触ることさえ罪悪感があったけど、「今は自分がマイなんだから」と懸命に言い聞かせて、何とか普通に着替えられるようになった。
一方、食べ物関係は、地味に嬉しかった点かも。舞の──ううん、“私”のお母さん、元は洋菓子店に勤めていたパティシェールだったから、料理がすごく上手で、その点は空時代からうらやましく思ってたし(空の母さんは……普通の主婦レベルかな?)。
ただし、“女子中学生の桜合舞”としては、あまりガヅガツした食べ方はできないし、量もあくまで「健康的な女の子」レベルまでしか食べるわけにはいかない。
その点でストレスが溜まるかも……って思ってたんだけど、どうやら身体の方は今の“立場”に適応している(させられてる?)みたいで、いつもの半分くらい食べただけで満腹になっちゃったし、無理に急がなければ自然と女の子らしい上品な食べ方ができてるみたいで、ひと安心。
最後の“住居”については、今のところは無難にやり過ごせていると思う。
元々、小学校4年生くらいまでは頻繁に互いの部屋を行き来してたし、家の中自体も、親戚の家とかよりはずっと詳しいくらいだし。
ただし、舞が女の子だからか、部屋を散らかしたりしてると「お掃除しなさい!」とお母さんにすぐに叱られるのは、まぁ、仕方ないよね?
お風呂もウチ──星崎家よりもひと周り広くて綺麗だし、ひとり娘だから甘やかされているのか、いつも一番風呂に入れてもらえるし。
ただ、やっぱり「女の子って面倒」って感じることも多い。
髪の毛を梳いたり、身だしなみをしっかり整えることについては、お母さんもお父さんも割と厳しいし、お行儀の悪い行動についても、しっかり注意される。
学校から帰った時に着替える私服も、適当にラフな格好してればよかった空の時と比べて、それなりにキチンとした服装でないとお母さんが眉をしかめるし。
そんな窮屈さの憂さを晴らすべく、せめて体を動かしてチアリーディング部の練習に専念しようとするんだけど、この身体というか“立場”は、絶望的に体力がなかった。
あの日、ソラになった舞が喜んでいた通り、腕立て伏せも一回が限界、1キロどころか500メートルほど軽く走っただけで息が切れ、跳び箱の6段すら飛べない。
当然、チア部の練習にはついていくだけでヘトヘト。
一緒にチア部に入ったクラスメイトの槙島さんや相良さんは「無理しちゃダメだよ、舞」と心配してくれたし、ソラも「どうしても辛かったら、辞めてもいいぜ」と言ってくれたけど、“私”にも意地があります。
毎朝早起きして軽いジョギングと体操をし、寝る前にもストレッチや柔軟で身体を解し、休み時間には図書館でトレーニングやチア関連の本を呼んで知識を蓄える。
その甲斐あって、夏休みが始まるころには、何とかチア部の練習でも遅れを取らずに済むようになりました。
その頃になると、“桜合舞”としての生活にもだいぶ慣れ、幾分精神的にも余裕ができたので、この“立場交換”についても、いろいろな角度から考えてみることができました。
“星崎空”としての暮らしに完全に馴染んだソラくんとも相談した結果、どうやら原因は、あの日の舞の“願い”にあるのではないか──という推論にたどりついたまでは良かったんですけど……。
もし、それが本当なら困ったことでもありました。
「噂では、あの社は願い事を“一度だけ”叶えてくれるんだって」
言いかえれば、つまり“二度目”はないということ。
実際、度々ふたりであの社に足を運んで、神様の機嫌をとるべくお供えや掃除をしてから“願掛け”をしているんですけど、あれ以来、一度もあの“声”が聞こえたことはありません。
ここ以外に手がかりはないが、さりとて具体的に何をしたらいいかもわからない──というのが正直なところ。
そのため、最近では、週に一度、日曜の早朝にふたり揃って足を運ぶ程度の、もはや惰性の習慣と化している観があります。
──まぁ、休日の朝から一緒にお散歩って感じで、ちょっぴり楽しみにしてたりもするんですけどね♪
7.
その後も様々なハプニングやトラブルを乗り越えつつも、マイとソラはこの2年半あまり、それなりに充実した中学生活を送ってきた。
元の空より体格の劣るソラは、俊足と巧打力を活かした1番打者へと転向し、ご存じの通り成功している。
マイの方は、ひ弱で運動神経もイマイチな状況に当初は苦しんだものの、精神的には本来の舞より根性があったおかげか、徐々に体力も(あくまで女子中学生としてのレベルだが)改善した。
また、幼少時にオルガンを習っていたおかげかリズム感がよく、積極的に知識を蓄えたこともあって、運動能力が十分についてくると、一転チア部の練習でも抜きんでた演技ができるようになった。
三年生になった今では、その実力と真面目な性格を見込んで副部長を任されているくらいだ。
こういう状況なので、対外的には幼馴染という名目でふたりは共に過ごす時間が多かったものの、部活仲間やクラスメイトとも、それ相応の交流は持っているし、その中で(立場に沿った)“同性”の友人もできた。
それらの友人と、女子中学生、男子中学生らしい毎日を送り、不慣れなことに戸惑いつつも、いつしかそれ以上に、新たな発見や楽しみを見出すようになっていた。
無論、良いことばかりではない。
1年の秋に打者としてスランプに陥ったソラをマイが懸命に励ましたこともある。
逆に、2年の終わりに、“舞桜のイチロー”と親しいことを嫉んだ女の子たちに「なんで、あんなペチャパイデカ女が……」と陰口を叩かれて、ショックを受けたマイを、ソラが慰めてくれたこともあった。
身長が高い(といっても165センチ程度だが)のも、胸がペッタンコなのも、マイが元々男の子であることを考えれば無理もない、当然の話なのだが、その時、なぜかマイは多大なコンプレックスを感じたのだ。
(私は、ソラくんのそばにいるのにふさわしくないんだ……)
いつの間にか、心の中でも「ソラ」と呼ぶようになっていた相手から距離をおくべきだと考え、無性に悲しくなるマイ。
幸いにして、“彼女”の友人たちが何があったか察してソラに注進してくれたおかげで、急によそよそしくなったマイの部屋にソラが押しかけ、半ば強引に彼女の本音を吐き出させてくれた。
「私、ソラくんのそばにいたい、いたいよ……」
「なら、それでいいじゃねぇか。オレだってマイにそばにいてほしいし」
野球部に入って随分伸びたが、それでもまだ“彼女”よりいくぶん背の低い彼に、強く抱きしめられ、マイは嬉し涙を流した。
(あれからなんですよね……私が“彼”になんとなく頭が上がらなくなったのって……恥ずかしいトコ見せちゃったからかなぁ)
頭が上がらなくなったというか、無意識に甘え、頼りにするようなっているのだが、本人に自覚はないようだ。
ずっと、自分が庇護してきたと思っていた存在に、今や自分の方こそが守られる立場なんだということを、理屈ではなくハートで実感させられたのだろう。
それまで「男のプライド」という言い訳でかろうじて一線を保っていた空としての意地がポッキリ折れ、“女の子としての自分”を素直に受け入れるようになったというところか。
「でも、賭けまでしてソラくんがしてほしい“お願い”って、何なんでしよう」
日曜の午後、“彼”が訪ねて来るのを、マイは落ち着かない気分で自室で待っていた。
居間やダイニングならともかく、ソラをこの部屋に招き入れるのは、久しぶりだ。
「っていうか、ホントはココが“彼”の部屋なんですよね……」
即ち、マイにとっては幼馴染とは言え他人の部屋のはずなのだが、今となっては少しもそういう気がしない。
それは、2年半あまりもここで寝起きしてきた慣れによるものもあるだろうし、またその2年半のあいだにマイ自身の手によって部屋が相応に様変わりしていることも関係しているだろう。
ぬいぐるみやマスコット人形が数体増え、カーテンやベッドカバーは淡い色のレースで彩られた可愛らしい代物へと変わり、本棚の少女漫画やファッション誌も順調に量を増している。
あの朝、目覚めた時と比べて、箪笥の中のワードローブも随分増えたし、その大半が(今のマイの嗜好に合わせた)年頃の女の子らしいフェミニンなものだ。
一昨年の夏の“舞の誕生日”に父親が買ってくれたドレッサーには、いくつかの化粧品類が並んでいるし、就寝前や起床後はその前でブラッシングしたりスキンケアしたりもしている。
それに、優等生な女子中学生らしく、普段学校がある日はほぼスッピンのマイだが、こんな風に休日にソラと会う時は、多少は気合を入れてメイクもしているのだ。
──もはや、立場交換する前の舞より女の子らしいとか言ってはいけない。本人があえて気が付かないフリをしているのだから。
そうこうしているうちに、玄関の呼び鈴の音とともに、“彼”の声が聞こえてきた。
「こんにちはー」
「まぁ、空くん、こんにちは。相変わらずカッコいいわね」
(もう、何言ってるんですか、ママは!)
年甲斐もない“自分の母親”の言葉に、自室で聞き耳を立てていたマイの眉が吊り上がるが……そこには僅かな嫉妬がにじんでいた。
「ははっ、恐縮です。おばさん、マイは?」
「二階の自分の部屋にいるわ──そうそう、今日はパパは朝から釣りに出かけているし、わたしもこれからちょっと郊外のヨウコ堂まで買い物に行くつもりなの」
(ええっ、聞いてませんよ!?)
「はぁ、そうなんですか」
「つ・ま・り、しばらくウチには空くんとあの子のふたりだけだから……ね♪」
(ね♪ じゃありませんよ。年頃の娘を同い年の男の子と長時間ふたりきりにするって、ソラくんが誤解したらどうするつもりなんですか!)
マイとしては、いつも通りソラが軽く流してくれるのを期待したのだが。
「えっと、そのお心遣いは有り難く」
(え!?)
「あら、もしかして空くん、今日は本気? 今夜はお赤飯かしら」
(ななななな……)
「いや、流石にそこまで一気には」
「まぁ、空くんなら安心してあの子を任せられるから、別にいいわよ。でも学生のウチは、避妊だけはキチンとしなさいね」
(ひひひ、避妊って……)
二階で聞いてるマイは真っ赤になって悶絶している。
自分とソラが“そういうコト”をしている場面を思い浮かべたのだろう。
──トン、トン、トン……
階段を上ってくる足音がする。
(ああ、もうソラくん来ちゃった。どんな顔して会えばいいのよぅ)
……
…………
………………
そして翌週の月曜日、桜合舞と星崎空がこれまで以上に親密に(ほとんどダダ甘といっていいレベルに)仲睦まじい様子で登校してくる様子を、彼らの友人たちは目にするハメになる。
「ちょっと舞、アンタもしかして……彼氏とヤッちゃった?」
「こらこら、マッキー、お下品やで。ここは慎み深く、こう聞くべきやろ──なぁ、舞やん、昨日はふたりで貫通式やったん?」
「どっちでもおんなじです! それと黙秘権を行使します!」
即答した彼女の答えに、槙島と相良はニヤリと頬を歪める。
「ほぅ、黙秘権。今までやったら即座に否定したやろうに」
「そういえば彼氏って言われたのも否定しなかったわね。そこんトコ詳しく!」
さらにくらいついてくるクラスメイト兼部活仲間の興味本位な追及を懸命にかわす舞。
その姿は、どこからどう見ても、“彼氏と想いが通じ合って幸せな女子中学生”そのものだった。
-おしまい-
ちなみに、夏のこの時(母に気を遣われた時)は、健全な中学生らしく(?)キス止まりでしたが、秋が深まる頃に、結局“一線”を越え、それ以降、実際に身体の方も現在の立場に合わせて、完全に女性化・男性化します。これは、ふたりが現在の(立場上の)性別で生きていく覚悟ができたと“神様”が見なしたため。そういう(いらん)アフターフォローはするんですよね、この神様(ひと)。
なお、中三時のルックスに関しては、ソラ(舞)は「アウトドア志向で活動的な八坂真尋」、マイ(空)は「外見が渋谷凛似だが中身は島村卯月似」とイメージしています。