花嫁の未来たち   作:アランmk-2

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滅茶苦茶久しぶりです。三玖編になります


最強の二人

 きっかけは、ロマネコンティの一雫。

 なんて言うと、なんてロマンチックな響きだろう。物は言いようとはよく出来た言葉で、ただお酒に酔って口を滑らしただけの事を、こんな風にも言い換えられる。

 何の話かって?

 上杉風太郎が中野風太郎になったきっかけの話。

 あれは私達の誕生日に皆で集まって成人のお祝いをしている時の事だった。お父さんがこの日の為にと買っていた、私達の生まれ年のロマネコンティをソムリエに開けてもらい、その圧倒的な力に酔いしれて、ふわふわと良い気分の時の会話がそうだった。

「お父さん、何か欲しい物ある?」

 ワインに濡れてルージュを差したような唇を艶っぽく光らせながら、一花はそう聞いた。お父さんの誕生日というわけではないけど、もう一月も経てば父の日だから、複数あれば皆で分担して、高い物なら皆で協力して買い物をしようと事前に決めていた。

 しかし、お父さんの口から出て来たのは、予想外の言葉だった。

「跡継ぎが欲しい」

 お父さんは、傍目にはいつも通りだけど確かに酔っている口をそう滑らした。

 その言葉に私達は顔を見合わせて笑うしかない。お父さんには私達五人というの子供がいるけど、女の子なのでいつかは中野家から出て行ってしまう。女でも跡継ぎにはなりえるとは思うけど、この大きな家のあれこれをする器量は私達にはないな、と皆こっそり思っていたので、この家の跡継ぎという物はいないという現状だ。

「三玖、フ―君に家に来てもらうように言ったら?」

 酔って軽くなった二乃の口からそんな言葉も飛び出して、きっとそれは冗談だったと思うけど、私は真剣に頭の中でそれを考えた。

 フータローは家柄は良いとは言えないけど、でもそれを言ったら私だって本来は家柄の良い娘と言うわけでもない。けれどフータローは大学で主席が行う新入生挨拶を任されるほど頭が良いし、愛想が良いとは言えないけど昔とは違って人付き合いもきちんとある。フータローの人の心に寄り添える温かさは、きっと病院という悩みのるつぼにあって一際輝く代えがたい美点だと思った。

 それから私は、お父さんがどんな事をしているのか教えてもらうようになった。

 医者としての仕事はもちろん、色々なパーティーに出席したり、関わりのある人に贈り物や手紙を出したり、何かにつけてあるらしい会合に顔を出したり、などなど多岐にわたる。

 言葉を借りて言うなら、こんなに一緒にいるのにそんなこと全然知らなかった、だろうか。まあ言ったのは私なんだけど。

 私はどうしようかとある時フータロー相談すると、彼はくすくす笑って頭を撫でてくれながら、こんな事を言った。

「金持ちになろうって夢を叶えさせてくれるなんてな」

 そんな冗談めかした口調に、私はちょっと怒って食って掛かったけど、そんな私を手で制して、黙らせるように唇をふさいできた。……ずるい、と思ったのを覚えている。

「病院の経営なんて立派な仕事、お義父さんが認めてくれるなら、俺の力の全てを使って勤めたい」

 そんな前向きな言葉を貰って、私はお父さんを説得しに行った。

 お父さんは簡単に説得とはいかなかったけど、意外にも乗り気だったのはお爺ちゃんだった。今は亡きお母さんを大切に思ってくれて、再婚する素振りのないお父さんをせっつくより、結婚する気のある私達を中野家に入れたほうが速いと思ったのかもしれない。

 フータローのお父さんはと言うと「貰ってくれるっていうなら苗字くらい払わないとな。ガハハ!」だそうだ。らいはちゃんは「これからお兄ちゃんの名前を言う度に『え、お義兄さん?』って会話をしなくちゃいけないのかな」なんて言ってたけど、好意的な様子だったので一安心した。

 婚約者になった風太郎と一緒に、色々な家の事を手伝って改めて思った事は、これでは体力も気力もいる料理の道との両立は出来ないのではないだろうか、という事だ。

 私は同じ夢を持つ二乃と一緒に、大学で経営学を学びながら料理の学校も通っていたが、料理の学校は辞めて勉強に専念する事にした。

 大学を卒業する時に、

「中野家の風太郎を認めさせるために、主席で卒業して」

 なんて無茶を言ったのは反省してるんだよ?

 でも風太郎はそれを成し遂げて、卒業生代表の挨拶を読んだのは、記憶に新しい。見に行っていた私はそれを見て泣いちゃって、周りの人に変な目で見られたことも思い出かな。

 お父さんは「他の世界を見て、それから病院の経営に携わっても遅くはない」って言ったから、風太郎は中野家とは全然関係ない、けど大きな企業に就職した。ちなみに私は病院に事務員として就職した。

 籍は入れてたけど結婚式はまだいいかな、なんて話を大学卒業前にしていたら、お父さんは脅すみたいにこんな話をしてきた。

「後にすればするほど、中野の人間として呼ばなければならない人が増えるが、いいのかな? 早いうちなら上杉として最後だから、と身近な人達だけの式を挙げても文句は言われにくいだろうけどね」

 二人で相談して、落ち着いた式にしたいと早くに挙げる事を決めた。

 友達と、お世話になった人、まだ出会ったばかりの職場の人を呼んで、お城みたいな会場で行った結婚式はとても幸せだった。式は高いとか煩わしいなんて言われても、この幸せを知っている人がいるなら無くならないんだろうな。

 お爺ちゃんが建ててくれた大きな家に、夫婦二人じゃ広すぎるね、なんて風太郎に言った事もあった。

 

 そんな事を言った一年も経たない内に、[[rb:春希 > はるき]]と[[rb:夏月美 > なつみ]]は生まれてきたんだったね。

 

 姉妹の皆も、両家のお父さんお爺ちゃんお婆ちゃんも大喜びしてくれて、二人はこんなに望まれて生まれて来たんだよ、と言ったけど、小さすぎて分からなかったよね。

 中野のお爺お婆ちゃんは男の子が生まれてくれてほっとしていた。もちろん女の子の夏月美がどうでもいい訳じゃないけど、やっぱり跡目を継いでくれる男の子は単純に嬉しい意外の感情もあるんだろうな。

 普通の二倍大変だけど、四倍嬉しい怒涛のように押し寄せる幼児期を過ぎたら、この子達の教育と言うものを考えなければならない。

 昔の私みたいにならないように、と沢山の勉強をさせた事、二人はどう思っているかな。習い事を、やりたい事を見つけてともっともらしい事を言って何個もさせている私は、世間一般で言う所の教育ママというやつだろうか。

「中野さん、中待合でお待ち下さい」

「はい」

 私を呼ぶ声に、はっと回想の渦から引き戻されて立ち上がった。仕方のない事だけど、病院の待ち時間は長すぎる。大学時代から今までたっぷり思い返してしまった。

 ぶるぶると震えたスマホを見て、春希と夏月美が家から出発した事を知らせる、位置情報アプリを開いた。

 二人は本当にいい子に育ってくれた。

 頑張り屋で、何にでも取り組む姿勢は大人の私もはっとさせられる物がある。そんな二人を見習ってほしいな。

 誰がって? それは……

 

 

 

 

 

 

のどかな休日の昼下がりに、仲良く手を繋ぎながら歩いている子供達がいた。握った手をぶんぶん振り回しながら、童謡を口ずさんでいる。二人の歩く整備された土手には、青々とした草が伸びて初夏の訪れを感じさせる。抜けるような青空を、その子供達は母親譲りの青い瞳で見上げていた。

「おーいそこの双子―」

「「あっ」」

 そんな微笑ましい二人の間を割って入る一つの声があった。

 二人はその呼びかけられた方向を向くと、スポーツウェアに身を包んだ、マラドーナを彷彿とさせる縮れ毛にひげ面の男が立っていた。髪にひげに、ところどころ白いものが混じっていて年齢を感じさせる。

「監督だ」とは春希、

「ヘボ監督」そう言うのは夏月美だ。

 春希と夏月美が二人でいる時は、基本的に春希の方から口を開いて会話のきっかけをつくりだしている。少ししか生まれた時間が違わないが、そういう所でお兄ちゃんぶりを周囲に示しているのだ。

「その言葉を聞くと、本当にお前達が三玖の子供なんだなという事を実感するな。大人だって傷つくんだぞ夏月美」

 とてとてした足取りで双子は土手を下って、恰幅のいい男のお腹を見上げた。

 男は子供サッカークラブの監督だった。二人は数か月後にここのクラブの年少クラスへ通う事が決まっており、何回か責任者である監督と顔を合わせている。

もう十年近く昔とは言え、非常に珍しい五つ子の姉妹を覚えていた監督は、これからサッカークラブに通う事になる子供の親がその五つ子の一人である事を驚いたものだった。しかもそれはヘボ監督などとありがたくない言葉を放った三玖だったので二つの意味で驚きだ。

「次のクラスの時間まで空いてるから少し練習していかないか?」

 ボールを片手に笑いかけてくる監督を前に、双子は顔を見合わせて、それだけで二人の意思の疎通は滞りない。

「んー、しない」

「お母さん迎えに行くの」

 双子はニコニコ笑うと、父親と母親が持たせてくれたスマホやブザーや財布やらを見せて喜々として捲し立てる。監督は自分の子供がこんなに無邪気だったころを思い出して、勝手に目頭が熱くなっていた。

「くっ、美しい親子愛。最高だぜ。うちの子供にも見習ってほしいくらいだ。まあそれなら引き留めて悪かったな。お母さんによろしく伝えてくれ」

「「?」」

「どうした?」

「習うのこっちじゃん」

「よろしくって何で?」

 双子は首をかしげながら尋ねた。

教わる側として、教えてくれる人にありがとうの気持ちを持って教わりなさい、という母親の言葉には包括しきれない人間関係の複雑さに、二人は頭を悩ませた。

「おいおい、こういうのはお互いへの尊重があって上手くいく物なんだぞ」

「「そんちょー?」」

「つまり、大切ってことだな」

「「うーん」」

「よし、じゃあ単純な話をしよう」

 と監督は言うと、その大きなお腹を揺らしてカゴから一つボールを取り出した。

「二人とも、このボールを見てどう思う?」

 そう言われて、双子は再び顔を見合わせた。

 何の変哲もないサッカーボールである。強いて言うなら、

「新しいね」

「ぴかぴかー」

 二人の正解者に、よくできましたと監督は頭を撫でた。

「そうだこのボール全部新品にしたんだ。で、このボールにできたのは、お前達のお父さんとお母さんがお金を出してくれたからなんだぞ」

「お父さんと」

「お母さんが?」

 そう言われると、ただのボールにも俄然興味が湧いてくる。双子はボールを手に取って、そこから両親を感じ取ろうとべしべし叩いた。

「二人とも、何か物を買ってもらったら何て言う?」

「「ありがとうって言う」」

「そうだな。だから俺も子供達皆のためにボールを買ってくれた、お前達のお父さんお母さんにありがとうって思っていることを、俺からも言うがお前達からも伝えてほしいんだ」

「分かった」

「ありがとうって言ってたって言うね」

 双子は貰ったからありがとう、という単純な論理は理解できたので、さっきの疑問がなくなった晴れやかな心でそう言った。

「しかし安い買い物じゃないからな。さすがお金持ち。これぞノブレスオブリージュだな」

「のぶれす」

「おぶりーじゅ? 何それ」

 聞き慣れない言葉に、小さな子特有の何それ何それ攻撃が開始された。その一転攻勢にたじろぎながら、監督はきちんと説明した。

「ノブレスオブリージュってのは、まあ簡単に言うとお金持ちが寄付したりして人の役に立つことをするって事だ。お前達のお父さんお母さんは立派な人だな」

 大好きな両親が褒められて、双子はキャッキャと喜んだ。

「お前達も立派な大人になるんだぞ」

「大丈夫だよ」

「他の習い事も頑張ってるもん」

「偉いな。ちなみに何してるんだ?」

「水泳と」

「ピアノ」

「「英会話」」

「お坊ちゃんお嬢様な習い事してるな。三玖の奴、結構教育ママなんだな」

 監督は感心したように顎髭を一撫でした。三玖が教育に熱心なのは、自分が勉強ができなかった事の裏返しだが、そんな事は知る由もない。

「きょーいくママって無理やり勉強させるお母さんってテレビで言ってた」

 春希は唇をつーんと尖らせながら、不服そうに言った。その少しネガティブな意味を持った言葉を母親に適応させる事に、異議を夏月美が春希から継いで唱える。

「勉強って皆嫌って言うけど、夏たち嫌じゃないもん。だからお母さんはきょーいくママじゃないよ」

 どうだ、とばかりに二人は誇らしげに胸を張った。

「お前達すごいな。うちの子供に爪の垢でも煎じて飲ませてやりたいぞ」

「あ、そろそろ行かないと」

「春くん早く行こう」

「悪かったな引き留めて」

「「ばいばーい」」

「またな」

 大きく手を振りながら、双子は祖父が経営していて母親も務めている病院へと足を進めた。

 二人は新しく知ったノブレスオブリージュという言葉を、自分達で実行してみたいなと思っていた。

 必要とされる人間になる、というのは父親である中野風太郎がよく言っている事だったので、双子にとって目標に掲げやすい言葉だった。

 それに……

「「のぶれすおぶりーじゅ!」」

 何だか必殺技みたいでカッコいい。

 自分の中に生まれた新しい価値観に、二人はそんな事を思って笑い合った。

 

 

 街中を歩いていると、意外にも寄付を募る団体の多い事に双子は気が付いた。二人はその全てに小遣いや手伝いで貰ったお金を少しづつ入れて回ると、そのうちの団体の一つから羽を貰い、それを胸に差して勲章に見立ててお互いを褒め合う。

 赤信号を待っている時に、春希の視界の端で気になる物が映った。歳を経た女性が、ゆっくりとした足取りで歩いている。それだけなら何の変哲もない光景だが、春希はその足取りがふらついている事を目ざとく見つけた。

「行こ」

「もー! なに、春くん?」

 ぐいっと手を引かれた事に文句を言いながら、夏月美は兄に手を引かれるに任せて後をついて行く。

「おばあちゃん、大丈夫?」

 余裕のない息使いをしていた女性は、突然の声に立ち止まって、声の方向を見下ろした。幼い真ん丸な目が、気遣うように見上げている。

「どうしたの、ぼく?」

「ふらふらしてたよ」

「そうなの? 病院行く?」

 ひょこっと夏月美は兄の後ろから顔を出して心配しながら聞いた。

「これから病院行く所だったのよ。いつもだったら病院が出してくれるバスに乗って行くんだけど、今日は乗り遅れちゃって、歩いて行こうと思ってたの」

 自分の孫ほどの子供に心配される自分を情けなく感じながら、ゆっくりと心配してくれる二人の子供に語り掛けた。

「ふらふらするならやっぱり車に乗らないと。夏、タクシー呼んで」

「うん」

「いいのよそんな……」

 止めようとした声は、タイミングよく来ていたタクシーが目の前で停まった事で遮られる。

 開いたドアに向かって双子は女性を押した。彼女もここまで小さな子供に心配されて意地を張るほど子供でもないので、大人しくタクシーで病院に行く事にした。

「どちらまで?」

「中野医院まで」

 女性の口から知っている場所の名前が出てきた事に、なぜだか二人は嬉しくなって飛び跳ねる。

「お孫さんを乗せてください」

「いえ、孫ではないんですけど。ぼく達、どこに行くの? 病院の方に行くなら一緒に乗って行く?」

「「ううん。歩いて行く」」

「そう? ありがとうね」

「あ、そうだ」

 と、春希は何か思いついたように財布をごそごそ探った。お目当ての物を見つけると、女性に差し出した。

「あげる」

「なあに?」

 差し出された物をそのまま受け取ると、それは五百円硬貨だった。子供にとってはとんでもない大金だ。慌てて返そうとするが、双子は満足そうな顔をして歩きだそうとしている。

「じゃあねおばあちゃん。僕達のおじいちゃんに診てもらったらすぐ良くなるから大丈夫だよ」

「あの、お名前教えてちょうだい」

 このふらつく足では元気な子供に追いつけない、と思った彼女は、それならこの子供達の祖父を通じてこれを返そうと思った。

「僕、中野春希」

「私は夏月美」

「「ばいばい」」

 それだけ言うと、無駄なほどに元気に駈け出して、あっという間に彼女の視界からいなくなってしまった。

 立派な子供もいるものだ、と彼女は感心しながらタクシーを発進させる。持たせてくれた五百円硬貨を大切にポーチにしまって、きちんとお礼を添えて返そう、と微笑んだ。

 

 

 

 

 隣の話声も油断していると聞き逃してしまいそうな、そんなざわめきにあって存在感を放つ声が遠くで上がった。

 わあわあと響くそれは向かい合う子供の泣き声で、しかし心配そうな目を向ける人はいても、駆け寄って「大丈夫?」と聞く人はいなかった。それは泣いている二人が白人と黒人の子供で、見るからに厄介そうな問題に好き好んで首を突っ込む人はいないからだった。

 そんな気になる泣き声を、遠くから夏月美は耳ざとく聞きつけて、それがどんな人の物なのかも考えずに兄を引っ張るように駈け出した。

「なんだよー」

「誰か泣いてるよ。助けてあげないと」

「ほんと? どこ?」

 二人は保育園では組の中心的存在だったので、自分達が間に入れば丸く収まるだろうと、外の世界には何の根拠もない自信を胸に、その泣いている人がいる所へ向かった。

「大丈夫?」

 そんな渦中に飛び込んだ春希と夏月美の双子は、優しいのかただ考えていないのか。

 黒い瞳と青い瞳に睨まれたが、そんな事で二人はひるまない。英会話に来てくれる先生は、山の様に大きなお尻を持つアメリカ人女性で、それに比べれば可愛い物だと二人は思っていた。

「こけたの?」

「血が出てるよ」

 と笑いかけながら聞くと、しかし相手からの反応は芳しくない。

 泣いているヒステリックそのままに、彼らが口を開けば『何言ってんだ』に始まり『どっか行け』『関係ないだろ』のコンビネーションが繰り出され、最後には『バカ野郎』と大きな声を浴びせかけられた。

 そこまで聞いて双子は、ああ日本語じゃ伝わらないんだと理解した。話している言葉が通じない、という事は怖さを覚えるかもしれないが、少なくともこの双子にはなかった。

「えっと、『大丈夫?』かな」

「あ、春くんすごい。じゃあ『助けになれない?』」

 そんな双子を変な奴と思った二人の少年は、知らない人に泣いている所を見られたくなくて突き放す言葉を投げつけた。

『なれない! いいから。どっか行け』

「通じた通じた!」

「英語習っててよかったね!」

 しかし目の前の日本人は手を取り合って喜んでいるので、少年二人はポカンと大口を空けてそれを眺めていた。

「バンドエードある?」

「持ってない」

 いつもならポケットに一つ二つ母親が忍ばせておいてくれるのだが、今日の服は自分で決めた物だったので、運悪く持っていなかった。

「「……」」

 双子はじっと互いを睨みつけると不意に、

「「じゃんけんぽん」」

 春希はグーを、夏月美はパーを出した。

「私の勝ち。春くん買ってきて」

「もう一回」

「やだ! この前お母さんとお父さん起こしに行った時も、最初は私が勝ったんだから」

 夏月美は再戦を望む兄の言葉を撥ね付けた。先日どちらが両親を起こしに行くかでじゃんけんした時に、最初負けた春希が三回勝負しようと言い出して、それに負けてしまった事を未だに根に持っているからだ。

「分かったよ」

「でっかいやつだよ」

 負けた春希は、渋々といった様子で財布の中身を確かめて、すぐ傍のコンビニへ駈け出した。

 一人残った夏月美は、二人の少年の怪我がどのような物か改めて見た。

 白人の男の子は、肘の辺りを擦りむいて薄く血が滲んでいる。膝頭が隠れるほどのズボンだったので、膝のあたりは砂ぼこりが付いている程度だ。

 黒人の男の子の方は膝をしたたか打ち付けて擦りむいたようで、切れた肌から真っ赤な血が流れ落ちて、靴下まで赤く染めていた。

『洗わないと』

 彼女はそう言って二人を公園の蛇口まで引っ張って行った。

『痛い!』

『男の子でしょ。泣かないの』

 溢れんばかりの文句を浴びせてやろうかと思った少年達は、どう見ても年下な女の子から母親みたいな事を言われて、言い返そうとする自分がひどく子供っぽく感じられたので黙って手を引かれるに任せた。

 血の滲んだ傷口に砂粒が食い込んで、けれど触るのも痛いので放っておいたそこに、夏月美はゆっくりと水をかけて洗い流してやる。父親の友人が新婚旅行に言った時に買って、お土産にくれたハイビスカスの鮮やかなハンカチで濡れた箇所を拭くと、折よく買い物を済ませた春希がやって来たので絆創膏を傷口に張った。

『もう喧嘩しちゃダメだよ』

 夏月美は胸元に差していた羽をとって、春希もそれに倣って彼らにあげた。二人は胸元に差された羽を見て互いの顔を見合わせる。

 双子は満足気に頷いて手を振りながら、二人の少年の下から去って行った。

 良い事をしたなあという充実感にみたされながら、双子は母親がいる病院への道を歩いて行った。

「夏」

「なに? 春くん」

「お金なくなっちゃった」

「えー」

「お母さんに謝ろう」

「うん」

 

 

 診察を終えた私は、受付で支払いをしながら知り合いと少し話していた。

「中野さんと会いたいのですが……」

 突然出た私の名前に驚いてその方を見た。白髪交じりの年配の女性だ。

 いや、中野という名前なんてそんなに珍しい名前じゃない。この病院にも二人の中野先生がいる。お父さんの中野院長と、小児科医の中野先生だ。

「中野先生ですか? 当院には二人中野先生がおりますが」

「はい。春希君と夏月美ちゃんというお孫さんがいる中野先生にお礼を言いたいんです」

 えっと私は小さく声を漏らした。どうして春君と夏ちゃんの名前が。

「うふふ……」

 そばにいた私に気が付いた受付の人は、おかしそうに笑った。

「どうかされました?」

「いえ、春希君と夏月美ちゃんの一番の関係者がすぐ隣にいたもので。すみません」

 隣? と口を動かして、その年配の女性は私の方を見た。

「あなたが?」

「あ、はい。春希と夏月美は私の息子と娘です」

「え、そうなんですか? お若いんですね」

 にこにこと微笑みながら女性は話してくれた。

 歩いて病院に来ようとしていた時に、立ち眩みしそうになっていた自分に声をかけてきて、無理せずタクシーに乗るように勧めてくれてお金を出してくれた、という話だった。

「そうですか。二人がそんな事を」

「ええ、本当に立派なお子さんですね」

 そんな話を聞くと、胸がいっぱいになる思いだ。あの子達が人の為に気を遣うことができて、子供の決して多いとは言えないお小遣いを躊躇いなく出すなんて、そうそう出来ることじゃない。

「あ! お母さん!」

「お母さーん」

 噂をすればなんとやら。受付に子供の大きな声が響いて、ぱたぱたと走っている足音が聞こえる。

「春君、夏ちゃん」

 私はその場に屈んで走って来た二人を受け止めた。額を伝う玉のような汗を拭いてやりながら二人を褒めてあげる。

「二人とも偉いね」

「なにが?」

「どうしたのお母さん」

「あの人がお礼を言いたいんだって」

 といって二人をお礼を言いたがっている女性の方に向かせた。隣を通り過ぎたのに気が付かない視野の狭さは、普段なら咎めるべきなんだろうけど、私に一直線な視線は何て可愛いんだろうとも思っちゃう。

「あ、さっきのお婆ちゃん」

「さっきはありがとうね。どうしても二人にお礼を言いたかったの」

 二人は照れくさそうに笑うと、誇らしげに胸を張って言った。

「のぶれすおぶりーじゅって言うんだって」

「お父さんお母さんみたいな立派な大人になるの」

 誰から聞いたのだろう。聞いた事をすぐにしたくなる子供っぽさで、こんな風に人の役に立つ行動をとれるのは、なんて凄い子達なんだろうな。

「難しい言葉知ってるね」

女性は膝が良くないそうなので椅子に座って話かける。鞄から財布を取り出して五百円硬貨を二枚取り出して春君と夏ちゃんの手に握らせた。

「ありがとう。二人の優しい気持ちで元気になったから、お返しとそのお礼」

「「どういたしまして」」

 二人はそれを受け取ると満面の笑みを浮かべる。自信に満ちたその顔は、私が風太郎を好きになって、好きになって貰えるように自分を磨いて身に着ける事ができた物で、こんな小さなうちからそんな顔を出来る事に、この子達は本当に立派に育ってくれているんだと胸が熱くなる。

 診察の順番が来た女性は二人と握手をして立ち去って行った。

「帰ろうか、二人とも」

「「うん!」」

 私は右手に春君、左手で夏ちゃんの手を繋いで帰宅の途についた。元気にぶんぶんと振り回される手に、普段ならそんな動きは疲れるのに、二人がそうさせるのならむしろ元気になれるなんて、母親って不思議な生き物だなと思う。お母さんも私達姉妹にそう思ってくれていたのかな。

「せんせー」

 大きな声で話していた春君が、一際大きな声を出した。

 見ると、ブロンドの女性が子供を二人連れて歩いている。それは英会話の先生に来てもらっている女性だった。風太郎よりも背が高い上に横にも大きいので迫力が凄い。

「ハル、ナツ。さっきはありがとうね」

 彼女は日本に住んで長く、日本語もペラペラだ。

「何が?」

「今日せんせーに会うの初めてだよね」

「私はね」

 彼女はそう言って笑うと、力強い手で両手に引いている子供を無理やり自分の前に連れてこさせた。ブロンドの恐らく彼女の息子と、友人から預かっているのか黒人の子供だ。胸に募金したら貰える羽をつけている。

「あー」

「さっきの」

「この二人、あなた達に怪我の手当てをしてもらっておきながらお礼も言わなかったそうじゃない。感謝の言えない子にさせたくないから、知ってる子達で助かったわ。ほら二人とも、お礼言いなさい」

 二人の男の子は少し俯いて口をぱくぱくさせている。これくらいの男の子にとって、自分よりも年下の男の子にも女の子にも改めてお礼を言うなんて、ちょっと恥ずかしいかもしれない。

「「アリガト」」

 日本語はあまりしゃべっていないのだろう、少しカタコトなありがとうで、でもそれだけで気持ちは充分だ。

「「いいよ」」

 えへへ、と笑いながら二人は男の子達のそばに行き、その手を握っている。大人だって、知らない人に手を差し伸べられるとは限らない。二人にはこの美点を、子供の怖い物知らずな時期だから出来る物で終わらせてほしくないな。

「二人とも、凄いね」

 日が傾き始めて、煌々と照り付ける光が柔らかな茜色になっていく中を歩いて行く。

 土手の下ではサッカークラブに通う小学生がボールを追いかけている。大きな体の監督が、ディフェンダーの子に線を引くような仕草をしながら熱っぽく指導をしていた。まさかあの監督に自分の子供が教わる事になるなんて、全く想像していなかったな。

「ねえお母さん」

 そんな私の視線に、春君は思い出したように手を引いて何かを言いたそうだ。

「なあに? 春君」

「監督がね、ボールをありがとうだって」

「監督が言ってたの。寄付したりするのは立派な事だって。夏たちもお父さんお母さんみたいになれるように頑張るからね」

 子供っていう存在は凄い。私達が知らない間にどんどん大きくなって、あっと驚かせてくれる。この驚きの連続の喜びは、きっと何事にも代える事はできないんだ。

「ねえ春君、夏ちゃん」

「「なに?」」

「人の為に何かを出来る人であり続けて」

 私は自分のお腹に一回目を落として、そして二人を見つめた。

「これからお兄ちゃん、お姉ちゃんになるんだから、お手本になってあげてね」

 どういう事? と二人して首を傾げて少しすると、ようやく意味が分かったのか大きな声をあげて喜んだ。

「本当? お母さん」

「うん。本当だよ」

「弟? 妹?」

「まだ分からないよ。でもね、一つだけ決めてる事があるの」

「「なーに?」」

「男の子でも女の子でも、秋って言葉は入れようってこと」

 お爺ちゃんが作った、お母さんが再婚して【中野】になる時に、お父さんとの間に子供ができるくらい回復してほしいという願いが込められた、子供の名前候補帳の事を思い返した。

「春、夏」

 春君は自分と、夏ちゃんを指さして流れる季節の順番を確かめている。

「秋!」

 夏ちゃんが私のお腹を指さして、楽しそうに声を張りあげた。

「だから二人とも、弟か妹どっちでも優しくしてあげてね」

「「まかせて!」」

 笑い出した二人につられて私も笑った。

 家族が一人増えて、単純に手間が一つ増えるだろうし、苦労も増えるのは二人を産んだ時に知っているけど、それでもまた子供が欲しくなるのは、幸せは二乗されていくのも知っているからだ。

 春君がいて幸せが二になるなら、夏ちゃんがいてそれが四になる。少し未来に生まれてきてくれる、秋君か秋ちゃんかまだ分からないけど、その子がいてくれるなら幸せは八に大きくなってくれるに違いない。

 小さな大切な命を新たに迎える事に、心配なんて無かった。

「お兄ちゃんお姉ちゃんになった友達から話を聞こうよ」

「じゃあ私は他のお母さん達に話を聞く。お母さん、ちゃんとお姉ちゃんになるからね」

「僕もね」

 だって、立派に育ってくれた最強の二人がいるから。

 


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