水色の鱗をもつ龍の肉は、脂身が少なく鶏肉のように淡泊な味わいだ。氷の魔法を操るせいか、脂はすぐに固まって身体から老廃物として抜けていく。老成した龍であればあるほど、脂はより早く固形化して糞として排出されるものだから、肉としての旨味は未熟な龍であるほど良質なものになる。
今回の水色の鱗の龍の肉は、焼けば食えないほどではなかった。決して当たりとは言い難いが、それでもマシな部類であることを男は知っている。もくもくと、山盛りの肉にナイフを突き立て頬張っていく。
「なぁ」
「……なんだ?」
「こいつの肉、美味くないな」
「まだマシな部類だ」
「これでか?」
「これでもな」
「ふーん」
美味くない、とは言っているものの。少女もまた男と同じ肉を食べていた。口直しに脂ののったヒドラの肉を何度も摘まんでいるが、それでも食う量は尋常ではない。食べ始めは同じだったにも関わらず、既に少女は男の倍は食っている。
そんな咀嚼音と、時折交えられる会話を除くと、耳に届くのは外で降り注ぐ雨の音が精々だ。川が氾濫するほど強いというわけではなく、かといって視界をしっかりと確保できるほど弱いわけでもない。
場所は、男の住処であった。男は肉を少女に半分押しつけてすぐさま帰ったのだが。しばらくすると、少女の方から男の住処にやってきた次第である。手土産に、大量の肉を持って。
男からすれば迷惑以外の何物でもない。しかし、濡れネズミにねった少女と、頑張って運んできた肉の事を考えると、男は渋々ではあるが迎え入れる他になかった。食えなくなってしまっては、もったいないのだ。
「お前はどうして、そんなに強いんだ?」
唐突だった。何の脈絡もなく、今日の天気でも訪ねてくるように少女が聞いてきた。
男は少女に怪訝な目を向けた。
「藪から棒に何だ」
「……? やぶから、ぼう?」
「……いきなりどうした、という意味だ」
「へー。難しい言葉知ってんだな」
言いながら、少女は口いっぱいに肉を頬張った。花の咲いた様な笑顔を浮かべている様子から、どの肉を食べているのかは明らかだった。
しっかりと咀嚼して、飲み下してから。
「お前に、勝てる気がしない。最強の筈のあたしが、勝てないって、本気で思った」
「そうか。だが、俺の答えなんぞ、つまらないぞ?」
「それでもいい。強さの理由、教えてくれ!」
真っ直ぐな瞳が、男を見ていた。あまりにも純粋で、簡単に水底まで見えてしまいそうなほど透き通っている。
男はその瞳を静かに見つめ返した。眦を裂けんばかりに見開いて、重みをもって相対した。それだけで、空気が鉛のように重苦しくなっていく。
少女は、目をそらさなかった。
ただジッと、男のことを見つめ返した。
男は変わらない少女の眼差しに、目を伏せた。
そしてぽつり、と水滴一粒零れ落ちるかのように、静かに語り始めた。
「死の恐怖を、克服するためだ」
「あっ、それはわかるぞ! あたしも喰われないために、強くなったからな!」
「否、そうではない」
男は少女の言葉を否定した。
深い、闇の中に居るような、幽鬼の瞳が少女を見た。
「克服するのは、己が死の恐怖ではない」
「……?」
どういう意味なのか、少女には全くわからなかった。男の言葉はあまりに言葉足らずだ。それを自覚しているからこそ、続けて口を開いた。
「俺が目指すは、刈り取る命がもつ死の恐怖の克服。獲物に、死の恐怖を与えず殺す術」
「それ、って……」
少女の心を圧し折った、男の絶技。獲物を、殺したと悟られず絶命させる一撃。
気が付けば、死んでいるのではない。死んだことに気付かないのだ。
だが、その命は確かに絶たれている。
少女は、その話に強さの根幹があると、本能として理解した。
だから、食べる手を止めて、身を乗り出して聞きに徹する。
「死の恐怖は、残酷だ。弱肉強食といえばそれまでだが。しかし、俺は奪った命を糧に、命を繋いでいる」
少女にとっても身近な話だ。聞き手の少女もまた、弱肉強食の森の中で生きてきた。森に育てられてきたという自負があるし、そのおかげで強くなったという矜持がある。自分が最強だといって憚らない豪胆な自信と実力を持っている。
「奪った命に対して与えるのが、死の恐怖だ。己が為に奪った命への仕打ちだ。いくら感謝をすれども、祈りを捧げようとも。俺は奪い、果てはその心さえも犯している」
自然に対する感謝。命に対する感謝は、少女にも理解することができる。
しかし、少女は割り切っていた。死の恐怖なんてものは、弱肉強食の世界では当然のことなのだと受け入れていた。
少女にとって、それに対して悩む男の考えは、まさに青天の霹靂と言わざるを得ない。
目を見開きながらも、口から言葉に出そうになるのを堪えながら、少女は男の次の言葉を待った。
「……考えた。俺はどうすれば、散っていく命に対して、奪った命に対して最高の手向けを呈する……感謝を、贈れるのか」
「それが、喰われる恐怖の克服だっていうのか?」
「然り」
重々しく頷くと、男は口を一文字に結んだ。これ以上語ることは無いと、まるで地蔵にでもなったかのように動かない。
少女は別に、無言のメッセージを読み解いたわけではない。
それでも、彼女は沈黙していた。
男の絶技の理由を理解した瞬間に、胸に浸透していく温かさに困惑を覚えたせいだった。今まで恐ろしくて堪らなかった男の強さが、途端に怖くなくなった。腹の奥で空腹とは違った、くすぐったい疼きを覚えた。頭に血が昇っていくが、嫌な感覚ではなかった。
少女は自分の胸に手を当てた。手で分かるほど、体は温かい。ぽかぽかとした陽気の中、草原の真ん中で寝っ転がっているような、そんな感覚。
普段なら、その温かさに心が満たされている筈だった。しかし、少女は温かさを感じながらも、まるでぽっかりと穴が開いたような、飢餓にも似た物足りなさを覚える。
視線を落としても、自分の軽く握られた手と、豊満な胸が映るだけだ。自分の身体は、どこも欠けていない。
――足りない。
もしかして、自分の強さを確かめたいと思ってしまったのだろうかと、斧を手に持った自分をイメージした。しかし、手に掛かる重みのイメージは、求めているものとは違っていた。
――何か足りない。
ふと、少女は男の方に目を向けた。
俯いて、石にでもなったかのように動かない、ドラフと見間違うほど偉丈夫のヒューマンだ。その姿が、何故だか少女には小さく見えた。好物のエディブルラビットよりも、さらに小さく。
――そうだ、絶対にそうだ。
「お前、弱いんだな」
少女の小さな手が、男の頭の上に、柔らかく置かれた。
不意のことに、男は瞠目して顔を上げた。
「何を」
「……あれ? なんか違うな」
男の頭を横に撫でて、少女は首を傾げた。
気を取り直して縦に撫でて、またも首を傾げた。
もっともその首を傾げたいのは、男の筈なのだが。
「あぁ、そっか」
少女は男の目の前まで近寄ると、その後頭部に手を置き、自らの方へと引き寄せた。
あまりにも理解の出来ないことの連続に、男はなされるがまま、少女の胸に顔をうずめることになった。
「お前、弱いんだから。無理するな」
少女の手は、男の背中と後頭部に添えられていた。
力などほとんど入っていない、柔らかい手つき。
宥めるように後頭部を撫でて、背中をさすった。
男は頭の中では混乱の極致に至りながらも、目を閉じてそれを受け入れていた。
「お前はいい奴だ。でも、いい奴すぎるから弱いんだ」
言い聞かせるように。
耳の中に心地よく、少女の声がこだまする。
「弱いと、喰われるからな」
――だから、最強のあたしと。
少女は純粋無垢な微笑みを浮かべながら。
「お前、あたしの番になれ」
水浸しの冷たい服の上に、温かい雫が沁み込んだ
「あたしの名前は、サラーサ」
少女、サラーサは男に名を告げた。名を名乗る声は、柔らかいものではなかった。無神経に一切合切を振り払ってしまうほど力強く、自信に満ちた真っ直ぐな名乗りだった。
「……俺は、スレイドだ」
男のしゃがれ声が、名乗りと共に吐き出された。
そんな男、スレイドの名乗りを認めると、サラーサはまた彼の背中をさすった。
「よろしくな、スレイド」
どこまでも明るいサラーサの声が、雨音さえも打ち払って、彼の住処の中で響き渡るのであった。
多分、サラーサが母性に目覚めたらこんな感じ。
そんな妄想を、形にしてみました。