お前、あたしの番になれ!   作:沖縄の苦い野菜

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第三話 燻りと清流

 

 

 春の森は穏やかな陽気に包まれる。特に何の工夫をせずとも過ごしやすい気温で、心地の良い風が吹き抜ける。風は甘い香りを、華やかな彩りを鼻に訴えかけてくる。森の何処に、何があるのかを教えてくれる。

 特に先日は雨が降ったばかりだ。森は土の匂いに満たされている。そこに差し込むように風が吹いて来れば、嗅覚が比較的鈍いヒューマンでも、わかるものだった。

 

 スレイドは風を頼りに、森の中を進んでいた。彼の鼻が正しければ、目的地は森の中心部になりそうだ。獣の皮で作られた粗い革袋をいくつか腰につけ、愛用の戦斧を担ぎながら歩く威風は、まさに老練された狩人を彷彿とさせるが。目的は、狩りではなかった。

 

 この季節になると、森には多くの花が咲く。毒を持つ物、薬となる物。そして、非常に多くの蜜をもつ物。

 スレイドの狙いは、特に蜜を多く持っている花の採取だ。そこから蜜を採り、森の中でも数少ない甘味として嗜む腹積もりである。特に、この森の花の蜜は雨の日の後に、よく熟成されたものが採れる。良い品質のものを狙うなら、雨が降った三日後が狙い目なのだ。

 

「あれは……」

 

 森を抜けると、拓けた中心部に出た。一面が色とりどりの花が咲いている、自然の花畑。天から差す陽の光も相まって、自然の中にきらめく宝石のように美しい光景が広がっている。

 だが、スレイドが声を出したのは、別の理由だ。

 

 ブンブン、と虫の羽音が少し離れた彼の耳まで届いて来る。花畑には、ビースティンガーの群れが集まっていた。蜜をせっせと集める姿はいっそ愛らしささえあるが、遭遇すれば堪ったものではない。気づかれれば、あの数十匹に及ぶ群れが、劇毒の針をもって殺到してくるのだ。

 そもそも、一部界隈において幻ともいわれているビースティンガーとの遭遇自体、スレイドにとっても数年ぶりの出来事だ。対処方法など、知っているわけがない。

 

 だが、チャンスでもあった。

 ビースティンガーの巣には、人間が花から採取するよりも更に数段上質な蜜が採れるのだ。その品質たるや、フルーツを蜜漬けにすれば自然の宝石と呼ばれるほどの光沢と、一国の重鎮であっても滅多に口にできない最高級の嗜好品となる。ただの蜜であっても、パンケーキにかける最高級のシロップとして活躍する。

 

 ビースティンガーが幻と言われる所以は、ここにある。

 贅沢思考、もっと、を突き詰める人間でさえも、誰もが最高級品と認めるだけの嗜好品。それは当然、自然界の中でも最高級の嗜好品として君臨している。

 端的に言えば、ビースティンガーの巣というものは狙われやすいのだ。人間からもそうだが、何より野生動物が蜜の芳醇な匂いに釣られて群がってくるのである。

 

 ビースティンガーも、決して弱い魔物ではない。毒針の一撃は強力の一言に尽きる上に、群れの総数は優に百に及ぶ。一匹の大きさもヒューマンの頭部ほどであり、大きさに見合った生命力も申し分ない。

 しかし、自然界ではその体の大きさが仇となる。的が大きくなった分、ウルフリーダーには容易に噛み殺され、ミノタウロスには脳天からかち割られ、グリフォンには爪で引き裂かれ、果ては人間にさえも武器をもって容易に殺される。通常の蜂程度のサイズであれば問題にならなかったことが、浮き彫りになっている。

 体が大きい利点は、毒針の大きさと毒の容量が増えたことと、炎にすぐに焼き殺されなくなったことくらいだろう。

 

 だからこそ、ビースティンガーは自然界では非常に数を減らしやすい。的が大きくなって殺されやすくなったこと。そして、巣に溜めた蜜を狙って襲われる日々。魔物一匹、たかが複数人の人間如きに群れは後れを取らないが、それが積み重なれば話が違う。消耗が激しいのだ。加えて、体格が大きくなっていることで、通常の蜂の10分の1の出生率というのも数を減らすことに拍車をかけている。

 

「……しかし、あの数」

 

 ビースティンガーの群れは、何も花畑を占領しているだけではなかった。見上げれば、空に無数とも呼べる数が円を描きながら飛行している。まるで蜜を採っているビースティンガーを守るために哨戒しているような様子だ。それらの個体は下で蜜をとっているビースティンガーよりも毒針が大きく、顎も立派なものだ。総数は、百や二百じゃきかないだろう。

 

「女王種か」

 

 通常のビースティンガーの群れは、これほどまで統率された動きはとらない。女王種直轄の部隊でもなければ、哨戒に適した戦闘蜂まで一緒に出払うことは無い。巣の近くを必ず警護している筈だ。戦闘蜂まで一緒に居るのは、巣が近い証拠か。あるいはよほど重要な補給部隊なのか。

 

 どちらにしても、巣の規模は莫大なものだろう。ただの一区画にこれだけのビースティンガーを派遣しているのだ。巣に所属しているそれは、軽く見積もっても三千。場合によっては、万に届く最大規模の巣になっている可能性もある。

 

「――妙だ」

 

 スレイドはビースティンガーの様子を見て、喉に小骨が刺さったような、言いようのない不信感を抱いた。スレイド自身、ビースティンガーを見るのは数年前になるので、確信を覚えたわけではなかったが。

 

「何故、この森に?」

 

 問題は、そこであった。

 ビースティンガーは本来、スレイドの活動区域である森には生息しない筈の魔物だ。外から蜜を集めに迷い込んだビースティンガーを見る機会が、ごくごく稀にあれども。それさえも、数年に一度のことだ。

 

 あの規模のビースティンガーが遠出をするのは、有り得ない。少なくとも、戦闘蜂を連れてくるなど、ここ十数年の間にスレイドは見たことがない。

 

 観察してしばらくすると、ビースティンガーは蜜を集め終えたのか、戦闘蜂を連れて東に向かっていった。スレイドはそれを見ると、静かにビースティンガーを追跡し始める。

 

「確かめねば」

 

 異変が起き、森に害があるならば――

 

 スレイドは戦斧を持つ手に力を込めながら、羽音の軌跡を踏みしめた。

 

 

 

 ◆◇◆

 

 

 

 それはもはや、虫の豪邸とも呼ぶべき佇まいであった。

 樹齢千年はいくであろう、森の中でも一二を争う大樹を覆いつくすほどの蜂の巣。いや、もはや大樹と一体化していると言えばいいだろうか。その先行きの見えない異様な住処は、ともすればダンジョンの入り口に見えなくもない。大きな入り口であれば、スレイドが少し屈めば入れるほどなのだから。

 

 例え普通の蜂よりも大きいビースティンガーの巣であっても、この規模は尋常ではないのだ。

 

 そんな巣の前には、数多のビースティンガーの残骸が転がっている。巣の目の前の地面を覆いつくすほどの数である。そして、その死骸の手前には多種多様な動物の死骸がゴロゴロと転がっている。兎の群れ、数匹の熊、ウルフリーダー率いる狼の群れ、果ては一匹のグリフォンまで。

 血生臭さも、異臭も、特に鼻につくことはない。そもそも、襲撃者側の骸からは殆ど流血していないのだから。ビースティンガーの残骸の臭いが鼻につくこともない。それ以上に濃い、甘く鼻の奥を通り抜けるような芳醇な蜜の匂いが全てを上塗りしている。

 

「女王種が居るのは、確定か」

 

 巣からひとつの茂みを挟んだ木の影に身をひそめながら、スレイドはビースティンガーの巣を観察していた。戦闘になる場面も何度か観た。ただの魔物とは思えないほどの連携で、最小限の被害をもって敵を殲滅する様は、巣の中にまだ見ぬ軍師を幻視するほど鮮やかだった。ビースティンガーの亡骸よりも巣に近い侵入者の遺骸がないことが、それを何より物語っている。

 

 近くを通りかかった獣が、定期的にビースティンガーの巣を狙って現れるが、空と巣の中から警戒をしている戦闘蜂に殺されていく。比較的弱い魔物であれば、ビースティンガー側は無傷で戦闘を乗り切っているようだ。しかし、熊や集団の魔物に襲われれば、消耗を余儀なくされて死骸が増えていく。

 

「………」

 

 スレイドは隠れることをやめ、茂みの中を歩き始めた。自らの胸中に燻った思いを押しつぶし、瞳を据わらせ戦斧を担ぐ。その背中は燃え尽きたように生気が感じられず、しかしそびえ立つ城壁の如く大きかった。

 

 巣の目の前まで歩けば、空と巣の中から百に近いビースティンガーが彼に向けて殺到した。激しい羽音を鳴らしながらの突撃は、本能によるがむしゃらな突撃ではない。波状攻撃となるように、先陣が失敗しても第二、第三の攻撃を行えるように工夫された陣形を敷いている。普通の魔物、人間であれば確殺に至る戦術。

 

 しかし、スレイドは戦斧を凪ぎ。

 瞬く間に、己に迫るビースティンガーを塵殺してみせた。

 

 波状攻撃をしようとした第二、第三のビースティンガーも例外なく、ただ戦斧を振るい胴体を真っ二つに切り裂いた。ビースティンガーの羽音があまりに大きすぎるために、戦斧を振るう音はまるで響かない。音もなく、塵殺してみせる狩人がそこに居る。

 

「……終わりか?」

 

 迎撃してきたビースティンガーの数が少ないことに、スレイドは訝しそうに眉をひそめた。明らかに花畑で見たビースティンガーよりも数が少ないのだ。あのビースティンガーたちは、一体どこに行ってしまったというのか。

 何より、耳につく音が不気味だった。確かにビースティンガーの羽音が耳に届くにも関わらず、空にも、巣の中にもその姿が見えない。森の中は、あまりに雑然としていて姿を捉えることができない。

 

 これだけ巣に近づかれているにも関わらず、攻撃が失敗したとみるや、まるで観察するように周りに待機する。野性の魔物という枠を、逸脱し過ぎた行動だ。例え女王種がいたとしても、この立ち回りには違和感だけが残る。

 

 しかし、結局やることに変わりはない。

 スレイドは、戦斧を両手で振り上げた。

 

「この森を乱す者共よ」

 

 ――その一切合切、塵殺せむ。

 

 そして、唐竹に一閃。

 音もなく、大地を傷つけるでもなく、振るわれた刃は。

 

 ビースティンガーの巣を、縦から真っ二つに両断してみせた。

 

「ワッ」

 

 巣を切り裂いたことで、蜜の香りが更に濃くなって鼻を刺激する。見てみれば、巣から大地に大量の蜜が溢れ出しているのだ。陽の光を浴びて、本物の黄金にも劣らないきらめきをみせている。

 一瞬、そんな蜜の光景に目を奪われたが。スレイドは自分のすぐ目の前に勢い余って放り出された魔物を、油断なく見下ろした。

 

 それは、人型の魔物であった。まだあどけない少女のような顔立ちに、ポニーテールのように巻かれた蜜に負けず劣らずの黄金色の髪。太ももと胸部の谷間を露出させた銀の甲殻のような鎧に身を包む姿は、背伸びをした姫騎士を連想させるほど微笑ましく可愛いものだが。

 その背中からは、陽の光に当てれば先が透けて見える琥珀色の一対の羽を生やし、臀部からは巨大な果実の様な、警戒色の蜂の尾が付属している。

 

 ビースティンガーの女王種、というには成熟し切っていないように見られる、魔物の少女だ。

 少女は急いで起き上がると、スレイドを見上げて驚愕に身を震わせた。

 

「モ、モクテキ、ナニ?!」

 

 その女王種には、片言ではあるものの言葉を操れるだけの知性があった。しかし、スレイドは別段驚いた様子もなく、相も変わらず据わった瞳でその姿を射抜いた。知性があること自体、ビースティンガーの動き方を見ればわかることだった。

 

「森から往ね」

「デテイケ? デキナイ! モウ、ドコニモイケナイ!」

 

 空気を切り裂かんばかりの悲痛な声音で、少女は叫び散らした。

 それでも、スレイドは己の姿勢を崩すことがない。

 

「それは、適した居場所がわからないからか? それとも、力がないのか?」

「リョウホウ」

「そうか。ならばここで――」

「マ、マテ! アトスコシ、タクワエアレバ、デテイク!」

 

 スレイドが戦斧を構えようとしたところで、慌てて少女が両手で彼の動きを制した。殺されぬように、目尻に波を浮かべて懇願する。

 

「ジョウオウ、モウ、ワタシダケ。ワタシガシネバ、シュゾク、ゼツメツ! タノム、マッテ!」

 

 鉄が軋むような音が響く。

 スレイドが沈黙している間にも、魔物の少女はありとあらゆる言葉で助命を懇願し続けた。それこそ、地に頭をこすりつけることさえして、命を繋げようと感情を曝け出した。

 

 スレイドは一歩、前に踏み出した。

 そして少女の前に立つ――

 

「――忠告しておく」

 

 ――ことなく、その横を通り過ぎ。

 両断された巣から溢れ出した蜜を、粗末な革袋に詰め込んだ。

 

「命惜しくば早々に、この森から往ね」

 

 その声音は、地を這う蛇のように少女に纏わりつき、重くのしかかった。

 

 スレイドは少女に目もくれず、さっさと来た道を引き返していった。

 少女はそんな彼の背中を、その場にへたり込んでただ見送るほかになかった。

 

 

 

 ◆◇◆

 

 

 

「スレイド! 良いもの採ってきたぞ!」

 

 その日の夜のことだった。

 鉛灰色の髪を靡かせながら、スレイドの住処にサラーサが突如やってきた。もとから喜びを隠す気がないのか、満面の笑みを浮かべて、片手には斧を。もう片方の手には人の胴体ほどある大きな壺をこさえている。

 

「その壺。何処から持ってきた?」

「これか? 前に森に散らばっていた荷物を漁った時に手に入れたんだ! いいだろ?」

「そうか」

 

 大方、迷い込んだか近道をしようとして森に入った商人などが、荷台を放棄して逃げようとしたといったところか。一年に数回は、森に荷物が散乱している光景を見ることがあるのだ。

 

 サラーサは壺をスレイドの目の前に置き、その中身がよく見えるように傾けた。

 透き通るような甘い香りが、彼の鼻によく届いた。

 

「ハチミツだぞ! 壊れていた巣から溢れているのを見つけたんだ!」

「……そうか」

「でかかったぞ。大木がまるまる巣になってたんだからな!」

 

 スレイドは壺の中に指をつけて、その蜜を口に含んだ。鼻の奥にまで届く花の香りが肺にまで達し、胸を焼き焦がす様な熱が湧きおこる。

 それを全て飲み下して、スレイドは雫を落とすように呟いた。

 

「うまい」

「そう思うだろ? あたしもハチミツの中だと、これが一番美味いって思うんだよな!」

 

 サラーサは無邪気に、自分が如何にしてこのハチミツを手に入れるに至ったか。どんな苦労があったか。魔物の群れと格闘してその全てを打倒した自分の強さがどれほどのものだったか。語ることが尽きないとばかりに、蜜を肴に朗々と明るい声を上げ続けた。

 

 スレイドは、そんな彼女の言葉に適当に相槌を打つ。聴きに徹して、全てを飲み下して。蜜を口に含むたびに、燃え上がるような熱を腹底に溜めながら。

 

「あっ、それと安心していいぞ」

「……何を?」

「あいつ、殺してないから。殺したら、この蜜もう喰えないからな!」

 

 サラーサの言葉に、スレイドはキョトンと目を零しそうなほど見開いて、間抜けな面を晒した。その面構えときたら、一流の道化師が大笑いするほどに酷いものであった。

 そんな彼にお構いなく、サラーサは続けざまに言った。

 

「今度は一緒に、この蜜を採りに行けたらいいな!」

「……くくっ」

 

 スレイドが腹から震えて、声を上げた。噛み殺したような声を低く上げながら、しかしその顔は雨上がりの空を見上げるように清々しく。

 

「あぁ、そうだな」

 

 サラーサの言葉に頷いて、蜜を一口舐めとった。

 燻った埃を水で押し流すように。華やかな香りは全身に行き届き、口の中には甘い幸せが広がった。

 

 

 




感想、評価、大変嬉しい限りです。何よりモチベに繋がります!

こんな感じで、少しずつ続けさせていただきます。
どうぞ、よしなに。
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