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退屈な授業のお礼は欠伸に代えた。少し暑い、窓をからりと空ける。窓際の席の特権だった。雲の浮かぶ空は授業で説明されたって納得できない蒼さがある。吹き抜ける風まで青く幻視出来るくらいには、私の目は灰色で。自分で自分を見失っていた。
──私、高校生なんだ……………………。
そういう実感は得てして、唐突にやってくる。例えば空を見上げてる時とか、退屈な授業の中で、とか。
もっと、
「……生(あおい)」
「ひあっ──」
恐怖、突然奪われた視界。犯人は空の代わりに全面に写りこんできた。空っていうのも案外に人の顔くらい狭いものなのかもしれない、と、変な声が出た恥ずかし紛れに考える。目の前で親友に笑われていようが、気にしないで考えた。
「授業、聞いてた?」
「…………この真っ白のノートを見て、どこから聞いてないと思う?」
「そう言うと思った」
結局、苦手な授業なんぞ聞かないに限るのだった。高校生の実感を得た私には高校生なりのやり方がある。勉強のレベル的に近い同年代の理解の方が、授業がよく分かる。──そんなのを言い訳に、授業中、空を見ていたり落書きをしていたり。そんなことばかりだった。
差し出されたノートを鞄にしまう。これで復習──というよりは、学習、はバッチリだ。
「ねぇ、美希(みき)」
名前を呼ぶ。どうしたの? そんな返答の代わりに首を傾げている。相変わらず口数が少ない事だ。もう高校三年生だっていうのに。高校だって私が決めて、部活だって私についてきて。この子は社会に出て大丈夫なのかなぁ。自分も同い年の、ひょっとするともっと子供なクセして心配する。
「私たち、高校生なんだってさ」
「そうなんだ」
全く何も分かっていない様子で、とりあえずといった風に頷かれる。そりゃそうだ。私もよく分かんないから。
「大学とかってもう決めた?」
「生の行く所」
「実は就職を考えてるんだよね~」
「なら、就職する」
「いやまあ、嘘なんだけど。大学行くなら近場がいいよね~!」
「…………生がいるなら、どこでもいいかな」
うん。アンタに相談した私がバカだったかもしれないな。
刷り込まれた鳥の雛みたいに、この子は私の後を追ってくる。何でだ。中学からの浅い付き合いなのに、どうして私は卵の殻を割る係になったのか。片手でできないのに。
美希の名誉のために行っておくと、別に、美希は人間嫌いって訳じゃない。話しかけられれば応じるし、話題だって提供する。それなりにテンションも上がれば若干調子にも乗る。
「本気で言ってる~?」
「うん」
「そっかー。じゃ、私も真剣に考えないとね」
「大丈夫、だよ? これでも、真剣に考えてるから…………」
なるほどそれなら安心だと、簡単に納得するほど私は甘くなかった。美希なら、真剣に考えた結果として一緒の大学に行くとか言い出しても何も不思議じゃなかった。そういう子なのだ。しかし、今それを指摘したところで意味は無いので敢えて黙っておく。
「そっか、なら心配ないかな」
「うん」
心配いらない、と慌てて付け足す美希。余計に心配になる仕草だ。高校生生徒は思えない童顔に、むんっと気合いが入った。誰もいじった形跡のないセミロングが豊かに揺れる。私は地毛が茶色だから、正直黒髪に憧れる。
「何その表情」
「…………頑張ろう、の顔」
かなり恥ずかしかったらしく、歪む顔を抑えて言う。さては無意識だなこの野郎。
「あのさ」
どうした? と言う代わりに憧れ黒髪がふわりと揺れた。それをひとつまみ取って、しげしげと眺める。あ、枝毛発見。さすがの美希も枝毛までは守備範囲を広げられないらしい。生ちゃんの勝利、景品は特にありません。
「将来、何になりたい?」
勝利ついでに、美希が確実に、明確に言葉に詰まる質問をした。
小学校時代での習い事やクラブ活動から大学の選択に至るまで、私はひたすらに逃げ回ってきた。真剣に考え出せば何か自分の大切なものが崩れさる気がして、適当に、楽しそうな事だけを見つめてフラフラと
今も思えない。
だからこそ、真剣に考えていなかった。
これからについて、何も考えていなかった。
私には今しかない。過去も、未来もない。本気でそう信じている。
「──生」
聞いた声だった。夜の公園に響く足音だけで分かる。美希だ。両親が美希に頼んだんだろう。
「ごめんねー、迷惑かけて。悪いんだけどさ。暫く、泊めてくれない?」
「勿論」
美希は何も聞かない。私の事情を聞かない。聞いてくれない。
「ねえ」
「どうしたの」
「聞かないのかなって。私の母さんから聞いたんでしょ?」
「…………うん」
どういう意味での『うん』なんだろう。美希は何も語らない。
「どういう意味?」
「生は、話したくなったら、聞き出すのを待つ人じゃないから。なら、私はは話してくれるのを待ってる」
確かに。ここで美希に聞き出されたら、キレていたかもしれない。いや、美希が美希以外の行動をとれば、私は怒っただろう。
「じゃあ、聞いてよ。私ね? ──」
話す。
「父さんが…………嫌い。私、親が嫌いだよ」
どうしても嫌いだった。家族だから、という義務感こそあるけれど。どうしても、嫌いだった。
「そっか」
「うん…………」
ポタリ、雨が落ちる。私の涙だった。舐めると少し塩っぽい。
「私は?」
「好き……」
それだけで良かった。
美希は私を、優しく抱きしめる。
「ありがと! 聞いてくれて。スッキリしたよ」
「役に立てた?」
「そりゃあもう、とんでもなく」
「なら、良かった」
公園からの帰り道、明るく振る舞う私は、ほんわかと笑う美希を見る。ああ、好きだなぁと思った。
「一週間したら帰るから。それまでお世話になります」
「…………もっといても、いいけど」
「それはさすがに、ね」
決着をつけなければならない。
「一週間の内に色々考えるよ。進路の事。なーんか、美希のおかげでヤル気になってきた!」
「……良かった」
「私、変わるよ。今まで色々やってきたんだけど、本気じゃなかった。本気になる」
「うん」
とはいえ、美希は相変わらず何も変わらないだろう。
「美希は?」
「生に、ついて行く」
「そっか。じゃ、付き合ってくれる?」
「勿論」
二人で、頑張ろう。
そういうことになった。