物心がついた頃から自分の周りは敵ばかりだった。
自分でも制御できない程の強すぎる魔力は、幼い子供が当たり前のように受け取るはずの優しさを、自分の周囲から遠ざけていった。今になって考えてみれば自分にはそんなものは最初から無かったのだろう。
恐ろしい、気持ち悪い、云々。その場にいるだけで強大な魔力による威圧感で他者を気圧してしまう自分は、厄介者なんて言葉では片付かない程に迷惑な存在だった。
親には捨てられ、怪しい人間には捕まり、顔の作りや淡色の髪は良いからと玩具奴隷として売られ、腐臭漂う馬車の荷台に乗せられた自分は自分自身の境遇を悟った。
きっと趣味の悪い金持ちの玩具にされ、飽きるまで嬲られた後はゴミのように捨てられ、ただ無意味に一生を終えるのだろうな、と。
達観していたわけではない。ただ自分という存在を諦めてしまっていただけだった。
──そんな時、手が差し伸べられた。
馬車を引く行商人の頭を握り潰し、馬から荷台を切り離し、逃げていく他の奴隷たちには一瞥もくれずその人は真っ直ぐ自分の元へ歩み寄り、手を握ってくれた。
『バケモノ同士、仲良くしましょ』
そう囁いた白髪の少女は自分の額にキスをして、死んでいた自分の心を生き返らせてくれた。一緒に生きようと提案し、困惑する自分を連れ出してくれたのだ。
『あなたは今日から私の妹だよ』
名無しだった自分に『シス』という名前を与え、更には魔王軍という居場所を与えてくれた。
彼女は軍の中でも一際目立った存在で、長たる魔王に対しても一歩も気後れしない強い人で。
『ほらシス、一緒にご飯を食べよう』
家族はおろか生まれてから一度も与えられなかった、優しさという温かさをこれでもかというほど与えてくれて。
『シス、一緒にお風呂に入らない?』
生きる術を、知性のある魔物として生活するうえで自分からは欠如していた”当たり前の常識”を叩きこんでくれて。
『おやすみ、シス』
道端の石ころ同然だった名無しの魔物を、シスという一人の少女として生まれ変わらせてくれた。血は繋がっていなくても、そんなことは関係ないと、決して見返りを求めない無償の愛を注いでくれた。
どうしてそこまでしてくれるのか──たった一度だけ質問したことがある。
その時彼女は、苦笑いをしながら答えてくれた。
『シスだけだったから。私と同じ、生まれながらのバケモノは』
彼女は『意思を持った災害』などと揶揄されたことがあったという。自分も似たようなもので、家畜同然の扱いで育てられた村では大した捻りもなく『病原菌』とだけ呼ばれていた。
そんな話を私たち二人は、過ぎ去った昔話として笑った。きっと忘れられる過去ではないけれど、彼女と一緒なら乗り越えることができた。忌み嫌われる存在であったとしても、彼女の妹として──バケモノ姉妹としてなら世界にだって抗えた。
でも、日を追うごとに自分の力は強くなっていって。
姉と違って力のコントロールができない自分の自意識は次第に壊れていった。
それこそ本当のバケモノのように不幸を振りまく怪物へと変貌し、暴れて、暴れて、暴れて。
過激思想ゆえに意味もなく無闇に人間たちを蹂躙していたその時代の魔王軍の連中は、ほとんど自分が皆殺しにした。殺そうと思って殺したわけではない。自分の意志では体を制御できず暴走した末に殺戮を繰り返していて、たまたまその標的が魔王軍だったというだけの話である。
数人は取り逃がしたが、あとは姉を残して魔王軍は崩壊した。たった一人、この自分の手によって。
誰も自分には勝てなかった。どうあっても自分は
魔力の増幅によって生命力が飛躍的に向上していき、ほとんど死なない肉体へと進化したのだ。
傷口は即座に塞がり、首をはねられたとしても数秒で再生し、強靭な生命力が瞬く間に免疫を生成するため猛毒の類も水泡に帰する。
不死身の怪物。一言でいえばそれだ。
同じ不死身の体を持ちながらも知性タイプの魔物然としている姉とは違い、理性を無くして暴れまわる自分はまさに災害そのもの。敬愛する姉の声にすらも耳を傾けず、全てを破壊せんとする自分は止まらない。
そんな時、いつかの取り逃がした魔王軍の残党が再び自分の前へ現れ。
報復だ、仲間の仇だと喚きながら彼らは古代兵器を用いた特殊な術を使い──自分を封印した。
超常の力を持つ古代兵器を利用したその封印に施されていた特殊な術式とは『封印の解除を姉の命とリンクさせる』というものであった。
つまり姉が死ぬまで封印は解けない。
当の姉は不死身の肉体を持っているため死ぬことはない。
ゆえに自分の封印が解ける時は、この星が終わりを迎えようとも訪れることはない。
災害である自分がいなくなれば世界は保たれる。封印されていれば姉を傷つけることもない。疑う余地もなく良いこと尽くめだ。自分への復讐という私怨だったとはいえ、魔王軍残党の彼らは誇張なしに世界を救った。
『ダメだよ、そんなの』
しかし、姉はそれを認めなかった。
『シスの自由を奪う権利なんて誰にもないんだ』
封印の棺に吸い込まれていく自分を前にして、姉は不敵に笑ってみせた。
『シスは何も悪くない、あなたよりも脆弱なこの世界が悪い』
姉の意地を見せる時だ──などと平気で嘯いて、もう一度だけかつてのように私の額にキスをしてくれた。
『不死身の私だけど、ちゃんと死んであなたの封印を解くから』
『目覚めた後でも皆がシスを目の敵にするのなら、その時はこんな世界なんて滅ぼしてしまえばいい』
『……一人は嫌だ? 寂しい? ふふっ、心配ないよ』
『たとえ
───でも、迎えに来てはくれなかった。
魔力を使い果たす程に暴れても、封印から解かれた自分を見つけてはくれなかった。
当然察した。彼女は幽霊になどなれなかったのだと。死者でありながらこの世に魂が残留する確率はあまりにも低い。
だから、自分の中に残っている願いはシンプルだ。愛してくれた姉のいない世界で、自分が望むことなど一つしかない。
この世で唯一不死を殺すことができる『聖剣』。
おそらくはそれを手にして姉を殺したであろう『勇者』を見つけ出し、そして。
──姉の骸のすぐそばで、どうか自分も殺してほしい。
それだけが自分の願いだ。
★ ★ ★ ★ ★
「……っ?」
「あっ、起きた」
まさに快晴。気持ちのいいお洗濯もの日和な青空の下、広々とした草原の中央に聳え立つクソデカい大樹の木陰で俺に膝枕をされていた淡色の髪の少女が目を覚ました。
「おはよう、シス」
「……んんぅ」
寝ぼけ眼をこすりながらゆったりと上体を起こし、そのままボーっとするシス。心ここにあらずといった感じだが、妙な夢でも見ていたのだろうか。
シスを拾ってから既に一週間が経過している。開始三日で俺の元の口調と一人称はバレてしまい、呼び方を『シスちゃん』から『シス』に変えてからは少しだけ距離が縮まったような気がしなくもない。
現在時刻は昼過ぎ。今日はお弁当を持ってこの草原でランチと洒落込もうという話になり、渋るトリデウスとシスを連れて、アルトも含めて四人で近場のこの草原へ訪れたというわけだ。
ちなみに食事は既に終わっており、お腹いっぱいでおねむになってしまったシスに膝枕をしてあげたのが三十分くらい前の話。
「よく眠れたか?」
「……はい」
段々と意識がハッキリしてきたのか、シスは見た目相応の眠そうな子供っぽい顔から、普段の少し目つきが悪い無表情へと戻っていく。どっちにしろシスはかわいいので問題はない。
「……申し訳ありません、無遠慮にもお膝を貸して頂いてしまって」
「固いなぁ。膝枕なんていつでもやるって。慣れてるし」
「慣れてる……のですか?」
「…………」
失言だった。死ぬほど顔が熱い。
いや、別に? たまーにアルトにしてあげてるだけだし? あいつがどうしてもっていうから仕方なくな? 俺の意思ではない、うん。アイツが悪い。
「あーアルト! そっちにスライム行ったのだ!」
「よっし、任せてトリデウス──なにっ!? ま、股下を……!?」
うるせぇなアイツら……。
てかアルトのやつ、この一ヵ月でトリデウスと仲良くなりすぎだろ。
「……あの二人は何をしているのですか?」
不思議そうな顔でバカどもを観察しつつ聞いてくるシス。そういえばあの二人がスライムを追いかけまわす前にお昼寝したんだったか。知らなくて当然だ。
「なんかトリデウスの眼鏡がめっちゃ速いスピードで行動するスライムに奪われたらしい。アルトと協力して奪い返そうとしてんだけど……あのザマだ。どう思う?」
「弄ばれてますね。……スライムに」
「そうなんだよな、遊ばれてるんだよな。……スライムに」
クッソ速いスライムに翻弄されるショタと少年の絵面は中々に愉快で、見ている分には面白い。当人たちは至って真面目なんだろうけど。……ていうかあの高速スライム本当に何者なんだ。
「うぎゃああぁぁ! コイツ火の玉吐き出しやがったのだ!?」
「逃げるんだトリデウス! 一旦態勢を立て直しアッヅ!!? ちょっとまアッヂ!! くっそこのスライムぁ!!」
元魔王軍幹部のトリデウスと聖剣の勇者のアルトが完全に遊ばれている。あのスライム魔王より強いんじゃなかろうか。
……まぁ、あんな風にアルトがまた自然に過ごせるようになったのは良いことだと思う。
シスが来てからは部屋のクローゼットから無闇に聖剣を取り出すこともしなくなったし、以前のように気配りのできる勇者に戻ってきた。やっぱりアルトには守る対象がいた方が、勇者としての自意識がしっかりするのかもしれない。魔王の呪いで勇者殺すマンになった仲間たちを見て落ち込んでいた時とは大違いだ。
今回のランチも半分はアルトが作ってくれた。スラム時代に持ってきてくれたあの美味いサンドイッチとか色々、ともかくシスのために張り切っていた。見た目的には少々幼いシスの姿を、勇者パーティの最年少シスターだったあのエリンと重ねているのかもしれない。基本的にアルトとは対等な立場の俺ではどうにもできないポジションだ。
「……楽しそう、ですね」
ふと、シスが呟く。
その目は少し先にいるバカ二人を見ているようだが──それよりも遠くの何かを見ているようにも感じられた。
「混ざってきてもいいんだぞ?」
「いいえ、シスは運動が得意ではありませんので」
自分の名前を一人称にしているシスはそう言って苦笑いした。確かにどこか病弱っぽいというか、薄幸の美少女的な雰囲気はあると思う。俺と違って……なんというか、ヒロインっぽい。
「じゃ、あいつらが遊んでる隙におやつ食べようぜ。クッキーがあるぞ」
「えっ……でも、いいんでしょうか?」
「いいんだいいんだ。アルトたちがスライムに勝って戻ってくるか、俺たちが先に全部食べちゃうかのチキンレースって感じで。……ほいっ、あーん」
「あ、あーん……?」
バスケットから一つ取り出したクッキーを差し出せば、若干困惑しつつもシスは口を開けてくれた。
そしてパクりとクッキーを口に含んで咀嚼すると、分かりやすく目を輝かせる。
「美味しい……」
「おかわりもあるぞ」
「っ!」
バスケットごとシスの方に差し出すと彼女はひょいひょいとクッキーを手に取り、無言でモソモソと食べ始めた。一気に大量のクッキーを口の中に含みすぎてハムスターみたいになっている。かわいい。
「俺もたーべよ」
自分で作ったお菓子をつまんでみれば、口の中に程よい甘さが広がっていった。
うん、うまい。我ながらよく出来ているし、これならシスががっつくのも頷ける。
「モフモフ……モグモグ……んぐっ、ごほっ!」
「ゆっくり食べな……?」
むせた白髪少女に水筒を手渡しつつ、バスケットの中からこっそりアルトとトリデウスの分を小皿に取り分けておく。
青空の下で暖かい陽気に当てられながらクッキーを食べ、バカ二人とスライムの追いかけっこを眺める。
そんな一日も悪くないな──と考えつつ、爆速でクッキーを消費していくシスを見て苦笑いをするのであった。