非常にマズイ。エリンちゃんが嗚咽を通り越して、大泣きし始めてしまった。
今いる場所は他の人も訪れる巨大な共同墓地だし、このままじゃエリンちゃんの近くに人が集まってしまう。
「どーすりゃいいんだ……!」
あたふたしながら頭の中を掘り返していく。
幽霊に出来る事って何だ……? 相手には触れることができないし、声を届けることもできない。
ポルターガイストみたいに他の物体に触れることはできるかもしれないけど、それをしたところで今のエリンちゃんが更にパニックになるだけだ。
うーんと、えーと。
──あっ、そうだ。死霊使いの勉強してたとき、たしか幽霊の使い方みたいな本を読んだんだ。
そこに書かれてたのは、対象の人間の肉体に入り込むことで強制的に意識を奪う『憑依』とかいう技術。
うまくいくか分からないけど、それを使えばとりあえずこの状況は打破できるはず!
「お邪魔しまーす……!」
「──っ!?」
エリンちゃんにタックルをかます勢いで突っ込んでみると、身体全体が水中に入っている時のような感覚に支配された。四肢を纏う不可思議な感覚に動揺したが、なんとか意識をしっかり保つ。
本の情報によれば、意志や精神力が強い人は幽霊の憑依を拒否して魂を弾き飛ばすことができるらしいし、俺が気を抜いたら憑依はできないかもしれない。意外と高度な技だ。
「……あっ、ぐ……」
エリンちゃんが呻き声を上げて数秒、次第に体の感覚がハッキリしてきた。指先まで纏わりついていた不思議な感覚は薄まっていき、まるで自分の体を動かすかのように『当たり前』の感覚が湧きあがっていく。
「……お?」
気がつけば、俺の視界には巨大な墓石が映っていた。これはつまり、エリンちゃんの視点になったということか。
両手両足も自由に動くし、体に不自由な感覚は一つもない。
どうやら、完全に憑依が成功したらしい。
シスターの からだを てにいれた!
★ ★ ★ ★ ★
ギシギシと音を立てる木製の階段を上っていき、とある部屋の前にたどり着いた。ここは現在、勇者が使用している部屋だ。
私たち勇者パーティは、主にこの街に拠点を置いている。この街は王国の中でも特に大きく、また中心でもある。ここを拠点にすれば様々なエリアへ行きやすくなるし、戻ってくるのも容易だ。
今回も王国からの直々の依頼で、北の街に進攻しようとしている魔王軍の手先を殲滅することになっている。
なっている……のだが。
「あの、勇者? ファミィだけど……入ってもいいかな」
何回かドアをノックしても返事がないので、声をかけた。しかし部屋の中から返答が飛んでくることはない。
私は心の中で溜息を吐きつつ、両手に持っているトレーに視線を落とした。
そこにはパンやスープなど、簡単な食事が乗せられている。依頼の話をする前に、彼にはこれを食べてほしい。
あの盗賊女が死んでから一週間、勇者は一度も食事をしていない。彼の持つ聖剣の影響で本人の生命力は保たれているが、栄養摂取は生物の基本だ。このままではいつ倒れてもおかしくない。
さすがに心配だ。我慢ならずにドアに手をかけると、意外にも鍵はかかっていなかった。
「入るよ?」
恐る恐る中へ足を踏み込んでいくと、硬い何かを踏んでしまった。感じた痛みからくる声をなんとか我慢し、何を踏んだのか確認する。
私の足元にあったのは、小さな写真立てだった。その中には、冒険を始めたばかりの頃の、私たち勇者パーティーの写真が。
勇者を囲むようにして、私とエリン……それから今は怪我で療養中の女騎士、ユノアが立っている。みんな笑顔で、この時の楽しそうな雰囲気が写真からは感じられた。
でも、写真立てのガラスにはヒビが入っていた。そんな状態で床を転がっているなんて、まるで怒りに任せて投げ捨てたかのようだ。
嫌な予感がして、正面を見た。そこにはベッドの上で蹲って、体全体を毛布で覆っている勇者の姿が。
私は左にある机にトレーを置き、小さい声で勇者に声をかけた。
「勇者……あの、ご飯を持ってきたんだけど」
「……」
なるべく控えめな声音で話しかけたのだが、勇者からの返事はない。眠っているわけでなさそうだし、彼は私と会話する気がないのだろうか。
「聖剣の生命力維持だって、栄養が送られてるわけじゃないよ……。このままじゃ体が持たない」
少し近づいて話してみるが、私へ意識を向ける気配はない。その様子に不安感を覚え、その場で立ちすくんでしまう。
これ以上、どんな言葉をかければいいのか分からない。彼を励ましたいのに、どんな台詞も意味をなさない。
こんな姿の勇者は、これまで一度も見たことがない。勇者はいつだって気高くて、常に余裕を持っていた。安心する笑顔を見せてくれて、私や仲間が落ち込んだ時も精一杯励ましてくれた。
どんなときも勇者は折れなかった。不意を突かれて魔王の幹部に負けた時も、狡猾な魔物に聖剣を奪われた時も、敵の策略で誤解から村を追い出されたときも、彼は冷静で明るかった。
そんな勇者を私は尊敬していたし、出来るならばこの人の支えになってあげたいとも思った。
──なのに。
「出ていけ」
「……え?」
静かな声音で私を追い払おうとする彼に、狼狽するばかり。
「早く出ていけ……誰の顔も見たくない」
「ゆっ、勇者──」
「消えろっ!!」
今までに聞いたことのない彼の怒号に恐怖し、私は逃げるように部屋から出た。突然のことで動揺してしまい、若干過呼吸になってしまう。
一階のリビングまで戻り、ソファに腰掛ける。もう頭の中がぐちゃぐちゃで、泣きたくなっていた。
どうして? 何で勇者はあんなに塞ぎ込んでしまっているの?
目の前で他人が死ぬなんて、彼にとって初めての経験ではないのに。魔王軍に蹂躙される村人や、難病で命を落とす子供だって、旅の中でたくさん見てきたはずだ。
そのたびに悲しんで、魔族に怒りを燃やして、墓標に花束を手向けて、前に進んできた。一度だって現実逃避をしたことなんてない。
……そんなに、あのラルとかいう盗賊女が大切だったのか? あんな小さくて、口が悪くて、旅の邪魔をしてきたあの女が?
たしかに、彼女のおかげで助かった場面はいくつもある。彼の言う通り、数多のトラップは素直に協力できない彼女なりの照れ隠しだったのかもしれない。
それでも、他人だろう。勇者になったその日に出会ったと言っていたが、共に旅をしてきた仲間である私たちと違って、彼女は一匹狼の盗賊。パーティに誘った時だって、なにやらごちゃごちゃ言って加入を断ったじゃないか。
なんなんだ、クソっ! わからない! あの女が!
何であんな分かりやすい罠で道案内をするんだ。どうして呪いが付与されている私たちのアイテムを盗んで助けた。
あんなにも勇者を導いておいて、なぜ仲間にならなかった! 勇者を目の敵のように言っていたのに、なぜ身を挺して彼を助けた! 何がしたいんだあの女は!?
どうして───どうして勇者は、私たちよりもあの盗賊女が大切なんだ。私が魔物の毒に犯された時も、ほとんど焦らなかったじゃないか。
「うぅっ……」
思わず泣きそうになってしまったが、なんとか堪えた。ネガティブな思考に取りつかれてしまっているが、このままではいけない。私よりも小さいエリンの前で、情けない姿は見せられないから。
この行き場のない憤りは、今は心の中にしまい込んでおこう。
何を言ったところで、ソルドットは帰ってこない。彼女は自分の命を賭して、勇者を救ってくれたのだから。
これ以上余計に考えたら、取り返しがつかないほど死者を冒涜することになってしまう。一人の人間として、そんなことをしては駄目だ。
ふと、時計を見てみると、時刻はとっくに昼を過ぎていた。ラル・ソルドットの墓へ行ったエリンの帰りが遅い。
彼女は勇者の今の状況に焦るばかりか、ソルドットの死因が自分だと思い込んでしまっている。ここ一週間は、アイツの墓に通い詰めだ。もしかすれば、罪悪感に押しつぶされて、共同墓地で打ちひしがれているかもしれない。
少し心配になってソファから立ち上がると、玄関からノックの音が聞こえた。おそらくはエリンだろうが、どうしてわざわざノックをするのだろうか。拠点のカギは持っているはずだ。
玄関まで歩いていき、小窓を覗いてみる。そこから見えたのは、見慣れた金髪の少女……やっぱりエリンだ。
客人ではないことに胸を撫で下ろし、玄関の鍵を外してドアを開けた。
「おかえり、エリン」
「あっ、あぁ、ただいま……です。魔法つか──あ、いやっ、ええと……」(やべっ、この子の名前忘れた! ふぁー、ふぁ……なんだっけ?)
──玄関の先にいるエリンは、なぜか挙動不審だった。