王国中心街のとある武道場。僕はそこで木製の剣を握り締め、とある人物と打ち合っていた。
単純な刀身のぶつけ合い、鍔迫り合い、そのどれに置いても僕は劣勢。
相手はかなり筋肉質な身体をしているが、見た目とは裏腹にその身のこなしは軽やかだ。打ち合いを始めて三時間、僕の剣は未だ一回も彼には当たっていない。
「勇者殿、動きが固すぎますぞ」
「……うわっ!?」
指摘した瞬間、相手は足払いをして僕を転倒させた。何とか受け身は取れたが、いつのまにか木剣は僕の手を離れて床に転がっている。
剣士が自分の武器を手放す……それはつまり、敗北を意味していた。
「はぁ……はぁっ……」
休憩なしで数時間打ち合っていたせいか、僕の息はもう上がりっぱなしだ。体が酸素を求めるあまり、立ち上がれないまま激しい呼吸を繰り返す。
疲弊した僕の様子を見て、目の前の初老の男性は自分の木剣を床に置いた。
そして一言。
「休憩しましょうか」
北の街で紅蓮の騎士と相対してから、二週間が経過した。あれ以来魔王軍は少し大人しくなり、また村を襲うような魔物たちも冒険者たちの手によって被害が出る前に討伐されている。
人間にとって、今は束の間の平和だ。それゆえに出番が減った僕たち勇者パーティは、冒険を一旦休んでこの中心街で日々を過ごしている。
……ただ、僕らが冒険に赴かないのは、もう一つ理由がある。
それは僕自身の問題だ。ファイアナイトに負けたあの日から、明らかに剣の腕が鈍っている。油断すれば、中級のボスにさえ後れを取るほどに。
おそらくはこの一ヶ月の出来事の影響だろう。立ち直ったつもりでも、僕の体は未だ本調子に戻ってはいない。
ラルを失って、引きこもってファミィに当たり散らして、ゴーストに鼓舞されて、ファイアナイトに敗北して、また挫折して。
しまいには出会ったばかりのゴーストに励まされる始末。……いや、少しかっこつけたな。
正確に言えば、僕はゴーストに甘えさせて貰ったのだ。まるで母親にすり寄る幼子のように、抱擁から寝かしつけまでされてしまった。あまりにも情けなくて、でも嬉しくて、僕の心はぐちゃぐちゃだ。
そんな心の乱れは、当然のように剣を鈍らせる。弱くなってしまった今の僕に、聖剣を振るって魔王軍と戦う資格などない。
だからこそ、僕は『勇者としてのアルト』を取り戻さなければならない。一刻も早く、聖剣にふさわしい勇者に戻らなければならないのだ。
そのために、最強の剣技の使い手である王国騎士団副団長のザッグさんに手合わせをしてもらっている。
噂によればもう齢五十を超えるそうだが、その腕は全盛期にも劣らないレベルで顕在だ。まるで手も足も出ない。
ファミィの言う『渋おじ』とは彼のような人物のことだろうか。たしかに僕から見ても、年齢を感じさせない彼の強さは鮮烈だ。
「ふぅ……」
僕はザッグさんについて行く形で、武道場のベンチに腰を下ろした。流石に三時間の手合わせは少し堪えたのか、ザッグさんも服に汗を滲ませている。
「おや?」
唐突に声を出す初老の副団長。彼の目線を追っていくと、そこには不思議な現象が発生していた。
二枚のタオルが、フワフワと宙に浮いている。それを見て、ザッグさんは思わず笑う。
「ははっ。もしかしなくても……噂のゴースト殿ですかな? いやぁ、かたじけない」
そう言いながら宙に浮くタオルを手に取るザッグさん。僕も彼にならって、もう一枚のタオルを取って首筋を拭いた。
すると数分後、僕らの目の前に、次は浮遊するコップがフワフワと飛んできた。中には冷えた水が入っていて、この疲れた身体が酸素の次に欲している物だ。
それを手に取って水を喉に流し込んでいくと、いつの間にか膝の上に一枚の紙が置いてあった。
【無理して倒れたら木剣でぶん殴るからな】
そんな少し脅しじみた文章を読んで苦笑いをする僕を見て、ザッグさんは小さく笑った。
「優しい幽霊ですね。まさかタオルや水まで運んできてくださるとは」
「はは……。手荒な部分もありますけど、確かに優しくて良いヤツですよ」
そう告げると、いきなり紙が顔面に叩きつけられた。
「いでっ! なっ、なに……」
【バーカ!】
「おやおや、ゴースト殿は褒められ慣れていないのでしょうかねぇ」
まるで遊んでいる子供を見ている親のように、微笑ましいものを見る表情でゴーストがいるであろう正面を眺めるザッグさん。
彼の言う通り、ゴーストは照れ屋なのだろうか。
思い返してみれば、僕はゴーストの事をほとんど知らない。幽霊の知識……という意味ではなく、ゴースト本人のことだ。
なぜ引きこもっていたあの日に、ポルターガイストとして現れたのか。どうして北の街へ行けと鼓舞したのか。何故僕を抱きしめて励ましてくれたのか。
……そもそも、男性なのか女性なのか。
渡してくる紙やリンエル・モーノスに憑依していた時の口調や一人称から考えれば、ゴーストは男性という事になる。
しかしながら、僕は男言葉で話しながら一人称が『俺』の少女を知っている。なのでラルのように、口調が強いだけでもしかしたら女性……という線も考えられる。
どちらにせよ、僕はまだゴーストを視認できないので、彼(彼女?)の性別を判別することは不可能だ。
まぁ今のところは仲間でいてくれるようだし……それに、あの時僕のことを『大切だ』と言われてしまったので、ゴーストを疑うことはしたくない。
正直ゴーストに気に入られた理由は見当もつかないのだが、仲を深めればいつかは話してくれるだろう。焦りは禁物だ。
「さて、勇者殿」
すっかり元気になったザッグさんがベンチから立ち上がり、床に置いてあった木剣を拾い上げた。
「私はこのあと会議の予定が入っていますので、あと一時間ほど打ち合ったら今日はお開きに致しましょう」
「はい。……あぁ、ゴースト。君は先に帰っていていいよ」
そう言うと、ほんの少しだけ感じていた気配が消えた。視認は出来ないが、恐らくゴーストはこの場からいなくなったのだろう。
それを確認してから、僕もベンチから離れて木剣を握りしめた。
「ザッグさん、わざわざ忙しい日にありがとうございます」
「いえいえ。こんなジジイでよければ、いつでも頼ってください」
朗らかに微笑んだザッグさんは、すぐさま鋭い目つきに切り替わった。その一瞬の変化で、僕の気も引き締まる。
それから一時間、僕は最強の剣士にコテンパンにされるのであった。
★ ★ ★ ★ ★
副団長との鍛錬で疲弊した体をなんとか動かしながら歩いていると、拠点である家の前にエリンを見つけた。どうやら家に着いたのが同じタイミングだったらしい。
よく見ると、エリンの周囲に食料が入っている紙袋が幾つか浮遊している。
どうやらゴーストが荷物を持っているようだが、紙袋が妙にプルプルしている。幽霊でも重いものは重いのだろうか。
「あっ、勇者さま」
近づいてくる僕に気がついたエリンがドアを開けてくれた。先に家に入れてくれる、ということか。
僕は首を横に振って、視線を紙袋に移した。
「ゴーストを先に入れてあげて。荷物が重そうにみえるよ」
「そうですね! ごめんなさいゴーストさん、うっかりしてました」
金髪のシスター少女がぺこりと頭を下げると、程なくしてフワフワと浮遊した荷物が中へと運ばれていく。
ゴースト、武道場から出てすぐに荷物持ちにされてたのか……。
全員が中へ入ると、鼻につくような妙な臭いが部屋に充満していた。鼻の奥が刺激されるような臭いで、エリンも若干涙目だ。
辺りを見渡すと、ドアの開いている部屋を見つけた。その部屋からは、紫色の妙な蒸気が噴出している。
部屋の中を覗いてみると、そこには怪しげに笑いながら薬品を調合しているファミィの姿が。
恐る恐る声をかけてみると、ファミィがこちらに気づいた。そして焦ったような表情に変わり、両手を合わせて頭を下げる。
「ごっ、ごめんなさい。魔道具の調合をしてたんだけど、ドアを閉めるの忘れてた……!」
「これからは気をつけてね……すごい臭うから」
苦笑いをしながら言うと、ファミィが「あはは……」と言いながらそっとドアを閉めた。それを確認して僕たちが部屋を離れようとすると、突然再び部屋のドアが開かれた。
「あ、ゴースト! 帰ってたなら薬品を二階に運ぶの手伝って!」
その言葉の後、宙に浮いていた紙袋たちはそっとテーブルに置かれ、すぐさまファミィのいる部屋から薬品類がフワフワと飛んで出てきた。
かなり薬品の量が多いようで、何度もビーカーやら何かの器具やらが部屋から浮いて二階へと移動していく。
その光景を見て、色々と書類を抱えているファミィに思わず声をかけてしまった。
「あの、僕も手伝おうか?」
「勇者は副団長さんにしごかれてヘトヘトでしょ。いいから休んでなさいよ」
「……う、うん」
ファミィに反論できず、大人しくリビングのソファに腰を下ろした。
確かに身体の節々が痛むし、脹脛も若干筋肉痛だ。これは風呂に入ってマッサージでもした方がいいか。
ソファに座りながら筋肉痛の部分をさすっていると、後ろから料理中のエリンの大きな声が聞こえてきた。
「ゴーストさーん! それが終わったらお風呂の様子みて貰えませんかー!」
「あっ、ゴースト、このマネキンも二階にお願い!」
「お皿並べるのゴーストさんも手伝ってくださーい!」
「さっきの部屋に五冊くらい大きい魔導書あるから、全部持ってきてくれる?」
「井戸からのお水汲み一緒に来てほしいですー!」
「机運ぶの手伝って! これで最後だから、お願い!」
………やっぱり僕も手伝おう。
幽霊:フワフワしてたらパシリにされました……(半泣き)