自宅に向けて歩き出しても、美樹のやつは服の裾を摘んだままだった。
「……どうしたんだよ」
「……なんでもない」
ぎゅ、とつまむ力が強くなる。俺には美樹の内心はわからない。
俺の想像でしかないが、きっと心細いのだろう。誰にも相談できない重大なことを、一人で抱え込んでいるんだから。
だから、理由を問いただすことはやめた。
それきり、会話はなかった。なんだこの状況は。頬が熱い。雨の音がやけにうるさく感じる。
妙な空気に耐え切れなくなって、俺から口火を切る。
「そ、そういえば聞きそびれてたけど……さっき言いかけた事ってなんなんだ?ゾンビどうこうのやつ」
「それは……少し、長くなるから。着いてから話す……」
「そ、そうか……」
再び、沈黙。気まずい空気。
「……伊吹」
「ん」
「……なんで、親切にしてくれるの?あんた、あたしのこと嫌いだったじゃん」
「うーん……わかんねえ。ただ、あのまま放っといたらお前がなんか、そのまま死んじまいそうな気がしてさ。俺、お前のこと嫌いだけど別に憎いわけじゃないんだ」
「……え?」
「それに、困ってる人見たら助けたいって思うだろ。それ以外に理由いるか?」
「……ねえ、伊吹。あたし、あんたが羨ましい」
「どした、急に」
「……恭介の腕、急に治ったじゃん。あれ、さ……治したの、あたしなの」
「は……?ずいぶん突飛な話だな。一体何をどうやって?」
「伊吹、あんた魔法とかって信じる?」
「いきなりそんなこと聞かれてもな。夢のある話だとは思うけど」
「色々あってさ。あたしね、恭介の腕を治すために魔法を使ったんだ。もちろん恭介には内緒で……って言っても、そんなこと言えるわけないんだけどね。まあ……こんな話、信じてもらえないかもしれないけどさ」
美樹は自嘲気味に語る。
にわかには信じがたい話だけど、上条の超回復はそれこそ魔法みたいな話だ。第一、二度と治らないと言われていたケガが一日で突然治るなんて普通に考えたらありえない話だ。実際起こったからそういうものかと受け入れていたが、魔法を使ったと言われたら筋が通る。それに―ー
「信じるよ。大体お前、そんなメルヘンチックでしょうもない嘘つくやつじゃないだろ。それが上条の腕っていうデリケートな話題なら尚更の話」
「……ありがと。それでね、腕が治ったのはいいんだけど……ノーリスクで魔法を使えるなんておいしい話はなくて。色々、辛いことがあって。それでさ。仁美が恭介に告白するって聞いちゃって。恭介の腕を治したのはあたしなのに。仁美を助けたのもあたしなのに……って、思っちゃったの。最初は、純粋に恭介の腕を治したいだけだった……そうだと思ってた。でも……自分でも気づかないうちにいつの間にか見返りを求めてた。そんな自分がすごく醜くて、ヤなやつだと思った。だから、アンタが羨ましい。打算抜きで人のこと助けられるあんたが。なんの見返りも求めず、恭介の心を支えてたあんたが。恭介の心を掴んでたあんたが……羨ましかった!」
「別にいいじゃねえか?別に見返り求めても。ひとつ勘違いしてるけど、俺だってなんの見返りも求めずやってるわけじゃないぞ」
「……そうなの?じゃあんたは今、何を求めてんのさ」
「後悔しないこと。仮にあのまま見過ごしてお前が死んでたりしたら『何であの時声かけてやらなかったんだろう』って後悔するだろ。何かできることがある時に何もしないで寝覚めの悪い思いするのヤなんだよ、俺」
「後悔しないように、か……」
そんな話をしているうちに、自宅にたどり着く。
「……っと、着いたぞ。ちょっと玄関で待っててくれ、タオル取ってくる」
「ん、わかった」
美樹が俺の服をぱっと離す。そのことに何故か若干の名残惜しさを感じつつ、バスタオルを二枚取ってきて美樹に手渡す。一枚は自分用だ。
「まあ、タオルで拭いたくらいじゃ不足だろうけど……とりあえず上がってくれ。ちょっと床はビタビタになっちゃうけど、どうせ後で掃除するから」
「それじゃ、お邪魔します……ところで伊吹の親御さんって、何してんの?」
「色々事情があるみたいでさ、今は二人共海外にいる。だから家には俺一人」
「そうなんだ……」
「さて……それじゃ、色々詳しく聞こうか」
・・・・・・
お互いリビングの椅子に座り机を隔てて向かい合う。
これから話すぞとなった時、美樹が妙な提案をすしてきた。
「ねえ伊吹、包丁とかナイフとかがあったら、ちょっと貸して欲しいんだけど。説明しやすくするために、ちょっと必要だから」
「そりゃいいけど、危ないことに使うなよ」
台所から包丁を一本、美樹に手渡してやる。
すると美樹は深呼吸したのち、おもむろに自らの腕に包丁を突き立てた。
当然腕からどくどくと血が流れてくる。
「わ〜〜!?!?!?おまっ、何やってんだ!?包帯、包帯!」
「いいから!あたしの腕、よく見てて」
美樹の言うとおりに腕を見てみると、もう既に血が止まっている。それだけではなく、しゅうしゅうと傷口が塞がっていく。やがて完全に塞がり、まるで最初から傷などなかったかのように綺麗に元通りになる。傷が開いてから消えるまで、その一連の流れは5秒にも満たなかった。
「これでわかったでしょ?あたしがもう、人間じゃないって意味。そしてこれが、あたしの魂」
唖然とする俺をよそに、美樹は机の上に装飾のついた青い宝石をことん、と乗せる。きれいな宝石だが、その青色はどこか淀んでいる。
「魂?」
「この中にあたしの魂が入ってるの。この宝石……ソウルジェムとあたしの身体が100m以上離れたらあたしの身体は死ぬ、みたい。だから今のあたしのこの身体に魂は入ってないんだよ。死んでるのと、同じなの。だから……」
「……もしかしてそれが、魔法の代償?」
「そういうこと。それだけじゃなくて、化け物と殺し合いしなきゃいけない義務も背負わされちゃってる。そういう人たちのこと、魔法少女って言うんだけど」
「魔法少女か……響きだけはメルヘンチックだけど……笑えねえよ」
「うちの学校の先輩に、魔法少女の人がいてさ。その人はカッコよくて綺麗で、人助けのために戦えるすごい人だった。でも……死んじゃった。化け物に殺されて」
「死んだ……」
「先輩が死んだ後は、代わりにあたしが人のために戦ってやろうって思った。能天気だったんだ。その時は自分が人間じゃなくなってるなんてことも知らなかったから。でもあたし、その先輩みたいには全然うまくいかなくて。それに、自分が人間じゃなくなってるのも知っちゃって。それで、今度は仁美が恭介に告白するって聞いて……それで」
「心が折れた?」
「そう、なのかも。でもあたし、ゾンビじゃん。こんなんじゃ恭介に好きなんて、言えないじゃん……!」
美樹が耐え切れなくなったのか、ぽろぽろと涙を流し始める。
話を聞いていて、俺は美樹にどうしても言いたいことがあった。
「一つだけ言わせてくれ、美樹。お前はお前だ。そりゃ身体はどうにかなっちゃったかもしれないけど、心が身体の外に出ちゃったのかも知れないけど、心がなくなっちゃったわけじゃないだろ。もしお前が本当にゾンビだったら泣いたり悩んだり苦しんだりしないだろ」
「それは……」
「お前は人間だよ、間違いなく。俺が保証する」
「……っ、ぅ……!」
美樹からの返事はない。まるで子供のように泣きじゃくっている。俺は美樹のそばに立ち、先ほど外でやったように背中をさすってやる。
少しでもこいつの心が楽になって欲しい。こいつは何にも悪くないんだから。
「大丈夫。大丈夫だ……今までよく我慢したな」
泣き止むまで、ずっと背中をさすっていた。どれくらい経ったか、ようやく美樹が落ち着き始めるのを見てティッシュ箱を美樹の近くに置いてやる。
「……ほんと腹立つくらい気が利くんだね、あんた」
「ふふふ、もっと褒めてもいいぞ……ちょっとは、元気出たみたいだな」
「おかげさまでね。ちょっとだけ気持ちが楽になった」
「それならよかった……でも、まだあるだろ?上条の問題と、鹿目さんとケンカしたこと」
「……うん」
「俺は、どっちもしっかりケジメをつけなきゃいけないと思ってる。結果がどうなったとしても上条の件は心にケリを付けるべきだと思うし、鹿目さんにはちゃんと謝るべきだと思う」
「……わかってる、でも……」
「でも、じゃないの。これから先、後悔したくないだろ。できるだけ早くやるべきだ。そうじゃないとお前、多分後悔すると思う」
「……うぅ……わかってるんだけど、でも……心の準備が……」
「……ったく。俺お前のそうやってウジウジ優柔不断にしてるとこ初めて見たけど、やっぱ嫌いだわ」
「……あたしも、頼んでもないのに人のお母さんみたいな面してお節介焼くアンタのとこ初めて見たけど……やっぱ嫌い」
「「……あははっ」」
なんだかおかしくって、二人して笑い出す。今までのやりとりの中で、もっとも平和な嫌い宣言のキャッチボールだった。
・・・・・・
「ところで、伊吹さ」
「ん、なんだ?」
「もし、よかったらなんだけどさ……あんたの家、泊めてくれないかなー、なんて……」
「……はへ?」