「やっちまった……」
宮殿内部、長い長い廊下の片隅でイエヤスの独り言が虚しく木霊する。
首を左右に巡らせて歩いてきた方向とまだ行ってはいないと思われる方向を見比べるがどっちが正解かイエヤスには分からなかった。
迷子である。
帝都警備隊時代に巡回路辺りの地理はかなり把握できていたイエヤスだったが、宮殿内部はまだ慣れておらず、迷ってしまったのだ。
いつもはイエーガーズの他メンバーが一緒にいたため迷うことはなかったのだが、今日は運悪く一人で会議室へと向かう手筈となっていた為起こった事態であった。
「どこだよここ……広すぎだろ、宮殿……」
自分の方向音痴を棚に置いて宮殿のせいにしても道が分かるようになるわけもなく、イエヤスはとりあえず歩き続ける事にした。
「…………?」
会議室を探しながら歩いているとイエヤスは不意に違和感を覚えて立ち止まった。
最近イエヤスはこういった謎の感覚に見舞われることがあった。
風の流れのようなものを感知できるようになっており、スタイリッシュに相談すると風を操る帝具を使い続けた事によって風に敏感になっているのではないか?という話であった。
風の流れが知らせてくる違和感にキョロキョロと視線を動かしていると
「へぇ? 道に迷うような唯のおバカかと思ったけど、アタシの気配に気付くなんて意外と腕利きだったり?」
廊下の天井の一部が裏返り、そこから一つの影が飛び降りてくる。
素早く身構えて腰の剣へと手を伸ばすイエヤスに影は手を振って敵意の無さをアピールしてくる。両手を頭の後ろへとやり無防備に佇む姿にイエヤスは一応の警戒心は解いた。
クリーム色の長髪を靡かせる姿は艶やかで、褐色の肌を惜しまずにはだけさせた上半身は水着と見間違うほど。下半身はアレンジが多いがなんとか道着と思わせる要素を残していた。
ニシシと無邪気に笑う顔はあどけなさを残していながらも大人の女性への階段を上りつつある色っぽさも含まれている。
「アタシはメズ。大臣お抱えの処刑部隊『皇拳寺羅刹四鬼』っていうんだけど知ってる?」
エスデスから名前だけは聞いていたイエヤスが頷くとメズは満足そうにしながらイエヤスの周りをグルグルと回りながらジロジロと興味深げにイエヤスを観察する。
「君って噂のエスデス様直属の特殊警察だよね? こんな所で見慣れない気配がして気になって来てみたら明らかに迷子ちゃんになってたから影で呆れてたんだけどさ? なんかアタシの気配に気付いたっぽいじゃん? なんでなんで?」
矢継ぎ早に繰り出される質問にイエヤスはなんとか応える。
「風の流れ? ハハッなにそれ、変なの!」
「変なのって……」
初対面であることを疑いたくなる程、歯にもの着せぬ物言いにイエヤスは困惑するばかりである。
「あっ! シュテンに呼ばれてるんだった。じゃあね、迷子の風くん!」
言いたい事を言いたいだけ言ってメズは消えていった。
…………
残されたイエヤスは長い廊下でポツンと一人佇む。
「………ここどこか教えてから去ってくれよ……」
その後、メイドさんを見つけて案内してもらって事なきを得たイエヤスであった。
エスデスからの指示で行っていた雑事の報告を終えて待機していようと会議室へと入ると先客がいる事にイエヤスは気付いた。
椅子に腰掛けて優雅に足を組み読書に勤しむ姿がムカつく程似合っているランであった。
「こんにちは」
「よっす」
会議室へと入ってきたイエヤスに気付いたランが視線を向けて挨拶をした。
イエヤスも返す。
イエヤスが席に座るのを見届けるとランは本を閉じて机の上へと置いた。
「そういえば貴方には一つ聞きたいことがありました」
真っ直ぐにイエヤスを見つめるランは前置きとして、答え辛いなら無視して頂いても構わないのですが、と言ってから話を切り出した。
「幼馴染の勧誘を蹴ってまで貴方がこちら側に残った理由はなんですか?」
思いの外、深く切り込んできたランにイエヤスは目を見開いて驚愕を露にした。
「いつまでも腫れ物に触るような態度では貴方も疲れると思い、切り出してみましたが、不快でしたか?」
「いや、驚きはしたけど別に不快ってわけじゃねぇよ」
手を振って気にしてはいないとジェスチャーしたイエヤスはあの時のタツミとの会話を思い出しながら帝国側に残った理由を話した。
その中でランが、帝国を中から変える、というワードにピクリと反応したことをイエヤスは見逃しはしなかった。
ランも別に隠すつもりはなく頷いて肯定の意を示した。
「帝国を中から変えるとは具体的にはどういった考えで?」
具体性を求められてイエヤスは言葉に詰まった。頭の中でグルグルと思考が巡りしどろもどろながらも何とか言葉にしようとしたが
「とりあえず強くなって手柄を立てて将軍になれば変えられるはず、なんて事は言いませんよね?」
ランに先回りされて何も言えなくなってしまう。
完全停止してしまったイエヤスにランはジト目を向けつつも、それも仕方なしかと考え直した。辺境から上京してきて数か月の少年に帝国を変える方法を問うのは酷というものだろう。
「このことは他の人には?」
停止していたイエヤスはランの問い掛けに首を勢いよく横に振った。
皆イエヤスを気遣ってタツミとの会話について深く聞いてはまだいなかった。
それを見たランは安堵の吐息を漏らしつつも人差し指を立てて唇に当てる。
「貴方の話はできるだけ内密にしたほうがよいでしょう」
帝国を中から変える話は一歩間違えば大臣批判へと捉えることができる。
口に出すのは慎重を重ねる事が最重要であるはずだがイエヤスはランに問われて呆気なく暴露した。
危機管理ができてなさすぎると溜息を吐きたくなるのを我慢しながらランはイエヤスに忠告した。
ランの忠告に顔を蒼くするイエヤスだが、そこであることに気が付く。
イエヤスの問い掛けるような視線の意図に気付いたランは声を忍ばせながら頷いた。
「ええ、そうですよ。私も帝国を中から変えようとしている者の一人です」
くれぐれも内密にですよ? と念を押すランにイエヤスは頷きながらも思い掛けず心強い味方が現れた事を喜んだ。
暢気に嬉しそうにしているイエヤスに先が思いやられるとランは肩を竦める。
「それではイエヤス、次に話し合うまでにもう少し具体的な方法を考えていてくださいね? これは宿題です」
ランの物言いにイエヤスは故郷の頃を思い出して顔を顰めた。
「なんですか?」
「いや、なんかその言い方、故郷にいる先生に似てるなって思ってよ」
「………先生……ですか」
決して出来の良いとは言えない生徒であったイエヤスはよく先生に怒られては宿題を出されていた。タツミとの勝負も勉学だけは負け越しており、サヨに至っては勝てた記憶がなかった。
イエヤスの指導に苦労している先生の姿がランには手に取るように分かった。
その感覚は酷く胸に痛みをもたらしたが、それ以上に懐かしく心地好い感覚であった。
自然と口元が緩みそうになるのを懸命に押し留めるラン。
「話を誤魔化さないように。 宿題の件、分かりましたか?」
頷く姿を見て満足したランは話はこれで終わりと切り上げて机の本に手を伸ばした。
視線を本へと落とすランをイエヤスはしばし凝視する。
「………なにか?」
凝視の意味を問うランにイエヤスは悪びれることなく率直な事を述べる。
「いや、いっつも本読んでるなぁって思ってよ」
「まあ趣味と実益を兼ねてますからね、貴方は本を嗜んだりは?」
イエヤスの言葉にランは本を持ち上げつつ応えた。
「俺はマンガしか読まねぇな」
らしいと言えばらしすぎる返答にランは思わず苦笑を返す。
それでも話の風呂敷を広げようとランは質問を繰り出した。
「漫画、ですか、 私はあまり読まないのですが、最近はどういうのがあったりしますか?」
最近の流行りを聞いてきたランにイエヤスは眉を歪めて少し言いづらそうにしながら口を開いた。
「いや、帝都に来た頃は読んでたんだけど最近は懐事情が乏しくて読んでないんだ。だから最近の流行りとかはちょっと分からないな」
それを聞いたランは控えめながらも苦言を呈した。
「人の生き方にとやかく言うつもりはありませんが、宵越しのお金を持たないというのはどうなんでしょうか? 確かに現将軍職に就かれている方の中にはそういった人もいるとは聞きますが」
ランの言葉にイエヤスは自分が普段どう思われているのかが分かって憮然とした顔になるが、元来の自分の性格に対してはあながち間違っていない認識なので、そこには文句はなかった。だが、今回に限ってはちゃんとした理由があるので、不名誉極まりないその疑いを拭っておくことにした。
「ちげぇよ、ちゃんとした理由があるから早まんな」
元々イエヤスが帝都に来たのは貧困に喘ぐ故郷の村を救うための出稼ぎであった。
イエヤス・タツミ・サヨの3人で出稼ぎに来ていたが、サヨは命を落とし、タツミは反乱軍に身を置いている。タツミが初志を忘れている等とは思わないイエヤスであったが、反乱軍の給料事情など知るはずもない。ならば最悪の事態も想定して自分が他の二人の分も送らなくてはという使命感が働き、現在のイエヤスの懐事情に繋がるのである。
イエヤスの弁を聞いてランは目を見開いて驚きを露にした。
「それは……申し訳ありませんでした。配慮の欠けるようなことを言ったこと、謝罪します」
「あぁ、そういうのはいいっていいって」
席を立ち頭を下げて正式に謝罪するランにイエヤスは手を振って気にしてはいないアピールをした。
この日、イエヤスは志を共にする同志を見つける事ができ、ランは手の掛かる新たな生徒を受け持つ事になった。
ある日イエヤスはスタイリッシュに呼び出されてスタイリッシュの研究室へと赴いた。
研究室に入るとスタイリッシュがすでに待ち構えており、イエヤスは言われるがままにスタイリッシュの目の前に置かれた座椅子に座った。
口を開けさせたり聴診器を当てたり等診察を始めたスタイリッシュにイエヤスは内心首を傾げたが黙って従う。
「やっぱりね」
診察を終えたスタイリッシュの口から零れたのは小さな溜息と共にそんな言葉だった。ビシッとイエヤスへと指を差したスタイリッシュの目は半眼でジト目となっていた。
「ほんのちょっぴりだけどイエヤスちゃん、眼に隈ができているわよ。他の目は誤魔化せてもアタシの目は誤魔化せないわよ」
フェクマの一件以来、寝る前の鍛錬の時間を密かに伸ばしていたイエヤスはそれがバレてバツが悪そうにする。
イエヤスの様子に再び溜息を吐き出したスタイリッシュはセリューから聞いた話や前にイエヤスを治療した際に気になったことがあると言ってベッドを指差した。
ベッドには枕の近くに機械が付けられまくったヘッドホンのような物が置かれている。
それを付けて寝るように言うスタイリッシュにイエヤスは戦々恐々といった手付きでヘッドホンを持ち上げる。
「別に取って食ったりしないわよ。それは脳の調子を測る機器よ。人体に影響を与えるタイプじゃないから安心しなさい」
言われる通りに頭に機械を取り付けたイエヤスはベッドに寝転んだ。
すぐ起こすから眠りなさいと言われ、眼を閉じるとほどなくして寝息がイエヤスの口から漏れ出す。
「……寝付きが良いのは良い兵士の証拠と言うけれど、この場合は違うわよね」
寝不足の証を見せ付けられたスタイリッシュは今日何度目になるか分からない溜息をつきながらイエヤスに取り付けられた機器から送られてくる信号の解析を始めるのであった。
しばらくして起こされたイエヤスにスタイリッシュは検査の結果を話した。
寝ているイエヤスの脳の一部が高い活性化の数値を示していた。これは一般の人間においても活性化する部位であったが、それと比べても目を見張る数値だったとスタイリッシュは言った。
本来睡眠時、人は記憶の定着や整理を行っていると言われている。
これは戦う技術や経験にも同じことが言えた。
イエヤスは脳はこの能力が他よりも優れている事が機器によって証明されたのだ。
イエヤスの寝坊癖はここからきているのではないかとスタイリッシュは言った。
「要約すると、イエヤスちゃんの睡眠は他の人と比べてより重要なものだからちゃんと睡眠を取りなさいってこと」
イエヤスを正面に見据えるスタイリッシュ。
「真面目に鍛錬をした後は、しっかりと睡眠を取る。それが貴方が強くなる為の一番の近道よ」
諭すように言うスタイリッシュにイエヤスは目頭が熱くなるのを感じながら礼を言おうと口を開くが、それをスタイリッシュは制す。
「礼ならセリューに言いなさい。あの子、最近イエヤスちゃんの様子がおかしいって心配してたんだから」
先輩の温かい心遣いにイエヤスはついに堪える事ができなくなり、溢れるものを腕で隠しながら拭うことしかできなかった。そんなイエヤスの肩を優しくポンポンと触りながらスタイリッシュは慰めるのだった。
(なぁ~~んてね)
本当は力に飢えているイエヤスを言い包めて体の一部の機械化や薬物投与による肉体強化を施そうとスタイリッシュは考えていた。
だが、調べた結果イエヤスの睡眠時能力が類い稀なる力を秘めていると分かったスタイリッシュは貴重なサンプルとして外的強化要素はやめておくことにした。
(さぁ、イエヤスちゃん。貴方がその能力でどこまで強くなれるのか見せてちょうだい)
イエヤスの事は決して嫌いではないが、それはそれ、これはこれとして知識の探究者としての欲を抑えきれないスタイリッシュは俯くイエヤスを興味深い研究対象を見る目で眺めていた。