「そういえば、用事を思い出しました」
それはそんな言葉から始まった。
いつものようにパトロール勤務をしていたイエヤスとセリューの二人。
パトロールは始まったばかりで太陽はまだ大きく傾いていた。
セリューの言葉にイエヤスは視線を向けつつ先を待つ。
「と、いうことなのでイエヤスくん! ちょっとの間コロと二人でパトロールを続けてもらえますか? 今日のパトロールの順路はコロが把握しているので心配いりません」
「えっ!?」
「キュッ!?」
続いたセリューの言葉が予想外過ぎた為イエヤスとコロは戸惑いの声を漏らした。
チラリとセリューの足元にいるコロへと目を流すとコロも寝耳に水だったらしく驚いていた。
「セ、セリュー先輩と離れてコロは大丈夫なんですか?」
「半日程度なら離れていても大丈夫ですよ、それ以上経つとリンク?というのが切れて一時的に活動停止してしまうらしいですが」
セリューに、ん! とコロの首輪へと伸びているヒモを差し出されたイエヤスは恐る恐るそれを受け取る。
「それでは! 定期連絡のために詰め所に戻った時に合流しましょう! いってきます!」
有無を言わさずにサササッと走り去っていくセリューをイエヤスとコロは呆然とした表情で見送るしかなかった。
「「………………」」
二人の間に沈黙が流れる。
互いに目を向け視線が交差する。
イエヤスを覗く二つの黒い瞳は深く淀み一つ見当たらない。まるで深淵でも覗いているかのような錯覚をイエヤスに与えた。なんとなくコロがイエヤスに対して良い感情を持っていないことも察しており、それも相まってイエヤスはコロに苦手意識を持っていた。
「あっ、おい」
視線交換を一方的に打ち切ったコロが足早に歩きだした。
イエヤスの困惑の含まれた掛け声を聞き、ピタッと動きを止めたコロの首だけが振り返る。
その目が、パトロールにいくぞ ついてこい、と語っているような気がした。
再び歩き出したコロの後を慌てて付いていくイエヤスであった。
迷いのない足取りでパトロールを先導するコロにイエヤスは軽く自信をなくしていく。
方向音痴であるイエヤスは未だに自信を持って帝都の土を踏み締めることができない。
相も変わらず足早に歩くコロの背中を眺めるイエヤス。
足早な理由にも心当たりがあった。
要するに早くパトロールの順路を巡り終えて詰め所に行きたいのであろう。
それがセリューに早く会いたいからなのか、イエヤスとのパトロールを早く終わらせたいからなのかは分からなかったが、できれば前者がいいなとイエヤスは思った。
そんなことを考えていると、不意にコロが立ち止まった。
そして、街並みの一点から目を離さない事に気付いたイエヤスがその視線を追うと
「あっ」
一人の幼女が歩いていた。
目映い金髪は肩口で切り揃えられており、主張の控え目な小さな髪留めが目に止まる。大きな眼に整った顔立ちは将来性の抜群さを物語っている。
廻す視線は落ち着かず、足運びはおぼつかない。
広い帝都を一人歩くには、どう考えても幼さが過ぎた。
愛くるしい大きな目の端に溜めた大粒の涙は今にも零れそうで、決壊と同時に泣き声も響くだろうことは想像に難くない。
要するに
「迷子か」
察したイエヤスは迷い子の元へ迷いなく進もうとした時、すでに幼女の元に辿り着いたものがいた。コロである。
「ぐすっ……うぅ…………?……ワンちゃん?」
ぐずり始めていた幼女だったが、突如目の前に現れた謎の生物に首を傾げる。
「ワンちゃん? あー犬ね、……まぁ似てはいるか」
コロに対する幼女の言葉に半ば納得しつつコロと合流するイエヤス。
近寄ってきたイエヤスに一瞬怯えた様子だった幼女だったが、その服装を見て強張った体を少し解した。
「ていとけーびたいの人だー」
「おうよ、帝都警備隊のイエヤスだ! そいつはコロ」
片膝をつき目線を合わせたイエヤスは親指を立てて自らを指し明るさを意識しながら自己紹介をした。
迷子になって不安でいっぱいになってるであろう幼女の内を察しての気遣いであった。イエヤスもよく迷子になるので気持ちはよく分かっている。
「イエヤスくんとコロちゃん、メイはメイだよ」
イエヤスの心意気が通じたかは分からないが目尻の涙を消したメイは気を持ち直したようであった。
「コロちゃん、抱っこしていい?」
コロの見た目がいたく気にいったらしく、上目遣いでお願いしてくる。その手は待ちきれないかのように半ば浮いている。
子供ならではの早すぎる立ち直りに逞しさを感じながらも、抱っこの許可については心の中でイエヤスは唸った。
コロの内に秘められた凶暴性について身を以って知っているイエヤスとしては易々と出せる許可ではない。
チラリと件の生物を盗み見ると、悩むイエヤスなどそっちのけに小さな両手を上げてピョンピョンと飛び跳ねウェルカムの意思を示していた。
人の気も知らずに、と小さく溜息をついたイエヤスが許可を出すとメイは目を輝かせながらコロを抱き寄せるのだった。
母親と離れてしまった事を聞き出したイエヤスはどうしたものかと首を捻った。
さっきまでの半泣きがどこへやら、コロを抱えてご満悦中のメイは自分は犬好きなのだが、親が飼う事許してくれない事等を暢気に語る。
だが、そこでイエヤスはメイの言葉から現状を打開するヒントを得る。
「犬……なるほど、犬か」
メイの腕の中で大人しくしているコロに目をやる。
確かに犬と酷似しているコロならば、犬と同じく鼻が利くのではないかとイエヤスは推測した。それならば匂いを辿れば母親の元へと辿り着けるのではないかとも。
コロにイエヤスの案を説明すると、心得たと言わんばかりに己の胸を叩く。
スンスンと鼻を鳴らしたコロはメイの抱擁から抜け出して案内を始める。
それを二人は追い掛けながらイエヤスは自分の案が名案であったと確信して頬を緩めるのであった。
数刻前まで緩んでいた頬が今、引き攣っているのをイエヤスは自覚していた。
コロの後を追いながらメイが迷子の不安をぶり返さないように雑談に興じていたイエヤスだったが、ふいに既視感を覚えて辺りを見渡した。
方向音痴なため来るまで気付かなかったがそこはメイと出会った場所で間違いなかった。
どういうことかとコロを疑惑の視線で射抜く。
視線に気付いているであろうに振り返らないコロだったが、イエヤスがそれは振り返らないのでなく、振り返られないのではないかと疑念を強めつつ視線を注いだ。
注ぎ注ぎ注ぎ、注ぎすぎて満タンとなったそれは一粒の冷や汗と変わってコロの顔を滴った。
疑惑が確信へと変わる。
「おまえ匂い追えてねーじゃねーか!!」
コロの嗅覚はそこまで優秀ではないのであった。戦闘に特化した生物型帝具であるため止む無しなのだが、見栄を張ってしまった以上イエヤスに責められるのも仕方がなかった。
ポリポリと所在なさげに頭を掻くコロを尻目に次の手を考えるために知恵を絞るイエヤス。メイは再びコロを抱き上げてギュッと抱きしめた。
詰め所に迷子の捜索願が来ているかもしれないと考えたイエヤスは詰め所に向かうこと考え付いた。
と、その時
「あっ! ママ!!」
メイの歓喜の声がイエヤスの耳を叩く。
考え込んで俯き気味になっていた顔を上げメイが向いている方向に視線を走らせるると、そこにはこの娘にしてこの母親あり、と言わんばかりに見目麗しい女性が歩いていた。
メイを探しているのだろう、その視線は落ち着かず、視界に集中しているせいか足運びはおぼつかない。
その様子は立場は逆であろうにメイを初めて見た時の様に酷似していた。
まさに親子である証のようなものを見せつけられたイエヤスが納得していると
「っ!!??」
メイが母親に向かって走っていくのが視界に入った。
だが、母親のいた場所は大通りの反対側であった。
つまりメイと母親の間には馬車の通り道があるのだ。
メイが母親を見つけた時、運命の悪戯か馬車は通っていなかった。故にメイは失念したのであろう。
しかしその悪戯が悪質なものであることをイエヤスは確信する。
車道を駆けるメイを横から大型の馬車が凄い速さで迫ってきた。
明らかに法定速度を守っていないそれはメイへと向かって吸い込まれるように突進していく。
イエヤスは即座に地面を蹴り、メイの元へと跳んだ。
間に合うかはかなりきわどく、抱き抱えた際の失速を考慮すれば二次被害すら考えられた。
だが、イエヤスの中に諦めるという選択肢など存在はしない。
必死の思いでメイへと手を伸ばした時、イエヤスはメイから飛び出すものを目にした。メイに抱かれたままであったコロである。
「ぐぅるるぁあああああああああああ!!」
悍ましき雄叫びを上げながら身体を肥大化させたコロは馬車の前に立ちはだかりメイを護る壁と化した。
轟音を響かせながら馬車とコロがぶつかるが、イエヤスは其方へは意識を向けずに突然の事態に車道の真ん中で立ち往生をしているメイを回収して車道を渡り切った。
コロの丈夫さをイエヤスは嫌という程分かっているのだ。馬車にぶつかった程度で心配するなど逆に失礼というものだろう。
「メイ!! 大丈夫か?」
「う、うん……」
イエヤスの問い掛けにメイは状況を把握できていない様子で返答した。
メイの母親が走り寄ってきてイエヤスの問い掛けと似た内容のものをメイへと発した。
そこでようやく理解が及んだのであろう、恐怖や安堵、様々な感情を涙に乗せてながら母親にメイは抱き着いた。
イエヤスへの礼を繰り返す母親を宥めながら車道へと視線を向けると騒ぎを聞きつけた警備隊が事故の処理をしているのを捉える。
その合間を抜けるようにコロが3人へと寄ってくる。
身体は元のコンパクトサイズに戻っており、怪我をした様子もなかった。仮にしていたとしても再生済みなのであろうとイエヤスは察した。
「ナイスだったぜ、コロ」
イエヤスの労いの言葉にコロは視線だけで答え、メイの元へと向かう。
コロのつれない態度にイエヤスはハンッと鼻を鳴らすが、その反応は予想できていたので特に思うことはなかった。
事故現場へと行って事情を話さないといけないな、とそちらへと目を向けたイエヤスの耳に
「っ!? ……やぁ」
怯えと拒絶の含まれた声が入ってきた。
イエヤスが振り向くと母親に抱きついているメイがそばにいるコロから顔を背けて震えていた。
母親は震えるメイの背中を優しく撫でながら、どうしたものかと困惑している。
コロの表情はイエヤスには分からなかった。それは出会った時から変わらず、時折察している気分に勝手になっているがそれも確信があるものではなかった。
だが
今は確信している。
今、コロは立ち尽くしていた。
どうすればいいか分からなくなっていた。
傷付いていた。
コロはゆっくりと親子のそばを離れる。
イエヤスの元へと来るが決してイエヤスの目を見ようとはしなかった。
今の姿をイエヤスに見られるのは嫌なのだろう、イエヤスに心の内を知られるのが嫌なのだろう
「……………」
コロと入れ替わるようにイエヤスは親子の元へと歩いた。
擦れ違い様、コロに視線を送られる。
初めて会った時のように片膝をついてメイと視線を合わせ口を開く。
「メイ」
顔を背けていたメイがピクリと肩を震わしてゆっくりと時間を掛けて振り向く。
目の前にイエヤスがいて、少し離れた位置にコロがいることが分かりようやく落ち着きを取り戻したようだった。
「………イエヤスくん」
か細い声を上げるメイにイエヤスはなんと言おうか思考を巡らす。だが、思考はまとまらず、それでも何かを言わなければという謎の使命感に押されて見切り発車で口を開いた。
「コロはな、あの通り身体を大きくして戦うことができるんだ。あの姿は正直結構不気味で俺も苦手だ、しかもあまり好かれていないようで態度も素っ気ない。何考えているのかもよく分からないし、そんなところが不気味さをマシマシにしているところもある」
でも、とイエヤスは続けた。
「今日一緒にいて分かったこともあるんだ。あいつは泣きそうだったメイに誰よりも早く気づいたんだ。誰よりも早く駆け寄ったんだ。メイの力になろうと出来もしない見栄を張って恥を掻いたんだよ。早くパトロールを終わらそうと急いでいたくせにメイと会ってからはそんな素振り欠片も見せなかったんだ、コロの見た目が怖かったのは分かる、不気味だったのは分かる、でもメイから見たコロは、決してそれだけじゃなかったはずだ、だから………だから」
怖がらないでやってほしい、恐れないでやってほしい
そう言おうとするが喉を通らない。
イエヤスも分かっているのだ、恐怖とは理屈ではない。不気味とは理屈ではない。
直感で生きる幼子にとっては特にそうである。
コロだってイエヤスにこんな事言ってほしくはないだろう。
同情じゃない。憐憫じゃない、義憤でもない。
この衝動がなんなのかイエヤスにも説明はできなかった。
それでも何かを言わずには居られなかった。
だが、それもここまで
もう言葉は出てこなかった。
「……………」
なにも言えなくなったイエヤスをジッと見つめるメイ。
何かを考えるようにじっとしていたメイは己の母親へと視線を移した。
母親は娘の考えを読んだようで、静かに微笑みながらうなずいた。
母に後押しされてメイは小さな小さな声を上げる。
「………コロちゃん……」
本当に小さなその呼び声を、しかしコロは見逃さなかった。
ゆっくりとメイへと近付いていくコロ。その姿は先程勇ましく、そして悍ましく馬車を撥ね退けていたものと同じものとは連想し難い姿であった。
目の前まできたコロにメイは恐る恐るといった様子で手を伸ばした。
コロも答えるように手を伸ばす。
ギュッ
コロの指先をメイが優しく摘まんだ。
そこから伝わる暖かさをメイは知っていた。
迷子になって胸が不安で満たされていた時に此方を気遣うような眼をして最初に現れた時に知った。
抱きしめた時に知った。
どうして忘れてしまっていたんだろう
あんなに暖かかったのに、あんなに嬉しかったのに
今日、もう何度目になるか分からない感覚がメイを訪れた。
目頭が熱くなり堪え切れなくなる感覚。涙の感覚。
「……ぐすっ、ごめん……ね、グスン、………ごめんね」
涙を零しながら体を動かしたメイに母親は意図を汲んで抱きしめていた両手を広げる。
解放されたメイはそのままの勢いでコロへと抱きついた。
抱きつき謝罪を繰り返すメイにコロはただただ静かに受け入れるだけであった。
泣き疲れて眠ってしまったメイを抱えながら此方を何度も振り返り頭を下げる母親を見届けたイエヤスとコロ。
事故の後処理も終わりパトロールを再開することにした。
ついてこい、と言わんばかりに先を歩き出したコロ。
その足取りは軽いものであったが、イエヤスはある事に気付く。
思わずニヤそうになる頬を全力で阻止する。
コロの足取りは軽く、だが、その速さは確かにゆっくりとなっていた。