窓を閉め切った体育館。そこで行われていたのは一つの試合。
コートには三人。一人と二人。どちらが有利なのかは言うまでもない、そのはずだった。
後輩どもの息を呑む音が聞こえる。
「──はあっ、はあっ」
汗が滴り落ちる。
思考が乱れる。
目を閉じれば今にも倒れてしまいそうになる。
「20-0。 マッチポイント」
無慈悲な審判の声が聞こえる。いつもは私の勝ちを後押ししてくれるはずの宣誓は現実を見せつけてくる。
前にいる香織も肩で息をしている。いつもはこんな逆境でも感情を昂ぶらせてくるその情熱も今は燃え尽きかけているかのように見えてしまう。
(──ああ、くそ。くそっ)
もはや声をかける余裕もない。息が荒いのはこちらも同じ。心が死にそうなのは香織と変わりはしない。
反対側のコートにいる少女に必死で目を向ける。
こちらのサーブを待つ少女。最近転校してきたその女。そいつの目は何処か遠くを見ているような無機質な瞳。
──こちらを見ていない。一度たりとも視線が合うことはない。
全くもって私達に興味が無いのか。見る価値もないというのか。
ふざけるな。こっちは二人。それに対しあっちはたった一人なのだ。
この三年間死に物狂いで練習してきた。全国にも行った。表彰台にも幾度も名を残してきた。あの天才どもに今回こそは勝てると、そう思えるまで努力してきたのだ。
今年が中学最後、香織と組める最後かもしれないのに。
それなのに、それなのに──。
サーブを上げる。何としてでも、何をしても一点だけでも──!
「ゲ、ゲーム。マッチワンバイ南雲。21-0。……21-0」
私は立ち尽くし、香織は膝から崩れ落ちる。その言葉は心の折れる音に等しかった。
先輩としてこのさぼり魔に部活に出て欲しかった。それだけだった。
二人でいいと言われた時どれだけ煮え繰り返っていたか。それがもう、何か言うことに意味があるのかと心から後悔していた。
「……お疲れ様でした」
淡々とこちらに告げ体育館から出て行くそいつ。誰も、引き止めることはしなかった。止めることなどできなかった。
あいつに何か言う気概さえも既に無くなってしまっていた。
「──ひぐっ」
香織は泣いていた。負けた悔しさ故か、それとも恐怖なのか。
力の入らない手を握ろうとしてしまう。
私は怖い。あいつがどうしようもなく怖い。
何故あそこまで強いのか。何故あんなに余裕そうなのか。──どうしてあんなに興味のなさそうな目をできるのか。
理解できない。その感情がどうにも恐ろしい。
結局、あいつはこっちを見ることすらなかった。視線が重なることすらなかった。
天才。そんな言葉では言い表せない埒外の存在を垣間見た気がした。
「……怪物」
何処からかそんな言葉が漏れる。この空間内の誰かが言ったのか、それとも私の口から出たものか。
誰もがそんな言葉でしかあいつを表現できなかった。
ラケットが手から滑り落ちる。汗なのか、力が入らないからなのか。
どっちでもいい。もはや拾う体力も、拾おうとする意思すらも失っていた。
この日以降私はラケットを、三年間共にいた相棒を握ることすらできなくなった。
バドミントンに関わるものを見ると、あの目を思い出す。思い出してしまう。
どれだけ強くなっても、あの三強に勝てたって。結局あいつがいる限り、どの宝石も石ころに変わるのだろう。
その後私はバドミントンを辞めた。もう二度とやりたいと思うことはないだろう。
聞くところによると香織はまだ続けているらしい。どんなことを考えてシャトルを追いかけるのだろうか。
怯え、恐怖、絶望。それとも私とは違う何かなのか。
どうでも良いか。転校してしまったあいつのことなんて。
部屋に飾る写真。それは香織とのツーショット。どっかの大会で優勝した時の記念の思い出。
それを箱に入れ、押入れの奥にしまう。
自身のバドミントンの思い出を全て詰めた箱。これを次にいつ開けるかは分からない。
けど、けれど。もし開ける機会があったとするならば──。
その時はもう、その写真を見て震えることがないように、涙を流すことがないように。
そんなことを願いながら押入れを閉める。心に穴が空いた、そんな気持ちが終わることはなかった。
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