試合は一ゲーム目とは違う空気に包まれていた。
「9-4」
決して試合が逆転したわけでもない。差は依然として広がり続けるこの状況。
違うとすればそれは一つ。あの一点を境に御劔令のスマッシュが入り始めたことだけ。
「9-5」
だがそれは大きな違い。
単純な確率の話。絶対であった牙城が崩れ、少しずつ繋がり始めた細い糸。それが観客やプレイヤーに光を見せ始める。
「11-5」
試合を観る者というのは、負けている側が奮闘しているのを観るのが好きなものである。ミスも許されぬ緊迫感の中で逆転の一歩を必死に歩くのに胸を動かされる。そんなドラマティックな展開を何よりも望んでいる。
まあつまり、何が言いたいかというと。
──会場は既に、御劔令に傾く者がほとんどであった。
「──っ」
インターバルの最中。
冷たいパイプ椅子に座ったのに、ドリンクを飲み首を冷やしたのにどうも熱が消えていかない。
理由は分かっている。あの一点から、私の心はばくばくと何かを訴え続けている。
けど、それが何かは分からない。その感情の正体が不明である限り、私にはそれがもやもやでしかない。
「だ、大丈夫? 南雲さん」
「……問題ない」
「そう? 辛かったらちゃんと言わなきゃだめだよ?」
心配してくれる花柳には悪いのだが、今は構ってやる余裕はない。
試合をしている限り体に問題はない。特に怪我をしたわけでもないし、これから故障する前兆みたいなのも感じられない。
なら、やっぱりこのもやもやが原因。この心に根付いて離れない何かをどうにかしないと試合に集中できやしない。
勝つだけなら今のままで問題はない。点は取られるだろうが元々そんなところにこだわっているわけでもない。
でも、これは今解決したかった。この漠然とした感情にどうしてもけりをつけたかった。
「……何か悩んでるの?」
花柳が心配そうにこちらを覗き込んでいる。
……誰かに相談すれば変わるだろうか。
「……なんかもやもやする。体から熱が取れない」
「えっ! もしかして熱でもあるの!?」
「違う」
やっぱり相談したのは間違いだったのか。おろおろするばかりのこいつから何か分かるとは思えない。
「……じゃあ多分、試合が楽しいんじゃないのかな?」
「……えっ?」
「わくわくしてる時とかって戸惑うことはあるけど、それ以上に熱くなれるんだよ!」
わくわく……? 楽しい……?
……そうか。そうなのか。これは、この気持ちは。
──楽しいというものか。
その言葉は心にすとんと収まってくる。
楽しいか。確かに昔、こんな風な気持ちをそう言ったかもしれなかった。
「楽しい……。──そっか、そうなんだ」
少し浮ついた足でコートに戻る。気付けばあんなにも荒れ狂っていた気持ちの波がいつのまにか落ち着いていた。
楽しい……。うん、楽しい──。
「南雲さん!」
「……?」
「頑張って!」
後ろから花柳が声を掛けてくる。その言葉になんだか少し笑いが溢れてしまう。
この私に心配なんて。今勝ってる私に応援なんて。
──全く、今日は本当に。懐かしいことばっかりだなぁ。
「……そこで見てて」
「っ! うん!」
一言言って戦う場に戻り始める。もう振り返る気はない。
だって、そっちは試合が終わった時に見ればいいから。
……うん、なんだかとっても心地良い。
「よう。なんだかすっきりした面してんなぁ」
コートを遮るネットの向こうから戦うべき相手が見える。
なんだが少し怒ったような、楽しそうなよく分からない顔。
そうか。ここではみんな、こんな顔で挑むんだ。
「まあいいや、さぁてやろうぜぇ!」
「……ふふっ」
試合が再開される。これが多分最終ゲーム。
周囲の音が入ってこなくなるのもいつ以来か。本当に、今日は私をむずむずさせてくる。
またラケットを構える。どうしよう。なんだかとっても動きたい。
部長には悪いけど、返すだけなのはもう飽きた。
──少し、ギアを上げようか。
このままやっても勝てたのに、どうしてやる気になってしまったんでしょうか。
多分次で試合は終わります。多分。