どうしてこうなったのか。
ありえない。理解ができない。訳がわからない。
この微妙に長い人生で今まで私にこんな危機に陥ったことがあったか。
──いや、ない。それは断言できる。
体はもう諦めてしまいたいと動くのを止めようもしているこんな状況は、少なくともバドミントンでは感じたことはない。バドミントンで経験してないなら必然的に人生初体験であると確信できる。
一体どうしてこうなったのか。
このまま夏のインターハイまで平和で穏やかな日々が続くと思っていた。己の心と向き合う期間になると思っていたのに──。
「咲耶ちゃん頑張って! あと五ページ!」
どうしてこんなにも辛い気持ちで教科書に向き合わなくてはならないのか。
全ては振り返ること二時間ほど前、あの恐ろしい宣告が下されたその時からである──。
私が通う海鳴高校にはある制度が存在する。
中間、期末テストにて赤点を取ると補習教室に参加しなくてはならない。
そして、そこで行われる再テストにて赤点を取ってしまうとどうなるか。答えは至極単純、留年するのみである。
これは特別推薦生であっても例外はない。あくまで勉学こそが学生の本分だというのがこの学校のモットーである。
……普通特待生は免除にされると思うのだが。私は学校が近いと言うことしか気にしてなく、特に条件には入れてなかったが。
さて、なんでこんな話を始めたかというとその訳はシンプル且つ単純。
「……25点」
見事に私が補習コースに足を突っ込みかけているから。それのみである。
返された小テストを見た瞬間、思わず固まってしまうほどに散々たる結果が示されたそれに思わず自分の目を疑ってしまったほどだ。
完全に誤算だった。まさかがここまで点数が低いとは考えもせずに日常を送っていたのである。
確かに授業中、つい夢の世界に飛び込むことも少なくなかった気がする。けど、だからってこんな成績を取ることになるなんて──。
「いやー、だから言ったじゃん! ちゃんと勉強しなきゃだめだよって!」
小声でこっちに話しかけてくる莉子。
声の大きさで察するかもしれないが、ただ今図書室で勉強中である。
これはどうしようかと本気で悩み莉子に相談したところ、勉強を見てくれることになったのだ。テスト前週間だから部活はないにしても、わざわざ自分の時間を削ってまで教えてくれる彼女には頭が上がらない。今度アイス奢ろう。
ちなみに莉子の成績は非常に優秀。文武両道を地で行く優等生である。
「……ごめん」
「謝るなら手を動かす! 期末の範囲は基礎が多めだったから授業で触れた部分覚えればいけるよ!」
莉子は軽くそう言ってくるが、生憎簡単にいかないのが勉強というものである。
基礎から怪しいのだから、教科書を見たって謎の暗号文程度にしか思えないのだ。そもそも私は日本人であってよその大陸の言語は学ばなくても良いと思うのだが──。
「集中!」
「……はい」
……これ以上莉子に迷惑掛けるわけにもいかない。せっかく時間取ってもらったのだし。
雑念もほどほどにシャーペンを動かす。時に教科書とにらめっこしたり辞書を引いたりして懸命に問題を解いていく。
解いていく。解いていく。……解いていく……。………………………………はあっ。
疲れた。大分脳を動かした。人生で一番脳を動かした気がする。
大分進んだと思うし今日はもうお開きにして良いと思うのだが。ほら、空ももうすっかり赤色を通り越してほぼ黒に変わっているし。
「……そろそろ帰らない?」
「そうだね。もう図書室も閉まるし出よっか!」
反対側で勉強をしていた莉子も時間を確認して勉強道具を鞄に仕舞っていく。
特に補習も無い彼女だが勉強に付き合ってくれた。これで家に帰ってもやるのならもう凄いとしか言いようがない。
「──帰ったらちゃんと復習しなきゃダメだよ? 寝る前に単語だけでも繰り返すのが大事なんだからねっ」
「……りょーかい」
帰り道でも繰り返し覚えた方がいいことや覚えやすい方法などを教えてくれる莉子。
非常にありがたいが今のくたくたな頭には非常につらい。溶けちゃいそう。
「ぜぇったいに一緒に全国行くんだからね! こんなところで夏が終わるなんてダメだからね! というか咲耶ちゃんが後輩とか本当に嫌だし!」
莉子の励ましがとても温かい。
なんせここまで成績について言ってくれる人は始めてだったからだ。
父は小学生の時に死んでしまったし、中学では学年でも下の方だったけど特別困ることはなかったからまともに相談することがなかったのだ。
だから、なんというか悪くない気分だ。誰かと一緒に勉強なんて非効率だと思っていたけど全然そんなことはなかった。
「莉子、……ありがと」
「来週の期末を乗り切ったらお礼は言ってほしいなぁ」
「……はい」
何だろう。この辛く厳しい勉強地獄も莉子といれば乗り越えられる気がする。
実は英語だけでなく数学もちょっとまずいけどそれは自分でできそうだし──。
「それじゃ、今週は全科目みっちりやるからね! 一個でも赤点がないように頑張ろうねっ!」
「……え゛っ」
……耐えきれる、はずである。
──結局この後一瞬間、死ぬほど勉強した。そしてテストは無事くぐり抜けられた。
そうして七月も順調に過ぎ一学期は無事終わることができた。
部活には以前よりは顔を出すようになったものの、未だ自分の心を理解する事はできず。
夏休みのとある一日。私は今、父の墓の前にいる。
別に大会があってもお盆と被ることはないので気にすることはないのだが、どうしても来ておきたかったのだ。
墓に水を掛け丁寧に磨いていく。
ここはもうこの世にはいない父と会話ができる唯一の場所。それ故辛いことがあったときにふらりと訪れる場所の一つ。とは言っても最近は何故かここに来たいとは思わず、随分と久しぶりであったが。
「……お父さん、私ね、友達ができたの──」
別に、誰かが聞いているわけでもないのはわかっている。
父は死んだ。私の見ていないところであっけなく地に還った。そんなことは理解している。
私は霊を信じてはいない。しかし、口に出したくなってしまったのだ。どうしても吐き出したくなってしまったのだ。
「バドミントンも、まだ続けてるよ。続けてるんだよ」
ここに来ると父の最後の言葉を思い出す。
父さんはどうしてあんなことを言ったのだろうか。今でもその真意はわからない。
あの時の私はそこまで強くなかったからか。単純にその場のノリで口走っただけなのか。
別に、どちらでもいい。あの時ほどその言葉に対して感情が震えないのだから。
ただ、本当に最近。部長との試合や莉子とのダブルスの後から思っていたことがある。
もしかしたら、私が知らないだけで戦える人は存在するのではないか。私に勝てるやつなんて想像も予想もできないけど、それでも試合になるぐらいの力を持っている人はいるのではないかと。
同世代のライバル。本当にそんなもの存在するのだろうか。
何か競技をやっている者ならほぼ全員にいるはずのそれが今の私には存在しない。
けれど、父は確かに言った。いずれ、横に立ってくれるライバルと出会えるだろうと。
結局、答えなんてわかりはしないのだ。どれだけ考えてもこの赤点ぎりぎりの私には知るべくもないことなのだ。
──だからこそ、だからこそ言いたいことがある。伝えなきゃいけないことがある。
「──だから、確かめてくるよ。これから、日本の頂点で」
父の墓を去る。もう言いたいことは何もなくなったのだから。
果たして次来るときに父に伝える言葉がどうであるかは想像できない。父の言葉が正しかったのか、それとも間違っていたのか。どちらにしても証明する方法は一つ。自分の目で確かめてくることだけ──。
どんな選手にも振り返る過去がある。胸に秘めた思いがある。
それぞれの誓いと決意、すべてをぶつけ全力で挑む数少ない機会。運命の幕はもう間もなく上がるのだ。
──夏が始まる。誰にも予測できない不変の頂点と、時代を変えようとする新しい風、そして
というわけで次から全国編です。やっと原作キャラがちょいちょい出ます。