緊急で全校生徒が体育館に集められた。放課後の、これから部活に出たり塾に出たり、家に帰ろうとする時間に。それも集合の合図がかかったのは午後のホームルームの時。担任の松井は無駄に厳しくて教室では不人気の先生の一人だった。その人が「今から集会をやる。体育館に集合」と冷たい声で言った。もちろん生徒はそれにいい反応をするわけがない。それぞれの生徒からそれぞれの不満が教室で溢れかえる中、それを一蹴するように松井は「はやく並んで」と耳にキンって来る甲高い声で言った。せっかくそれなりに美人なのに、彼女はこういう性格で損をしている気がする。もう少し柔らかい顔になれば、その空いた左の薬指も埋まるんじゃないのって思いながら、わたしは廊下に出た。
「はー、鬱陶しいなあ。悠希は塾とか大丈夫?」
「うん。今日は七時からだから」
「そっか」
悠希は手書きの単語帳をめくっていた。そして口が英単語の発音と同じように動いている。それはわたしの知らない単語ばかりで、もしかしたらもっと先に習う単語を予習しているのかもしれない。相変わらずだなあって思いながら、歩き始めた悠希の生徒のポニーテールを追う。
ゆらゆらとする髪は猫みたいだと思った。つかみどころがなくて、原形があるようでない感じ。こういうことを言葉にすると茜から「猫好きは意味わかんない」って言われるかもしれない。そしてわたしはいつものように「だって猫可愛いじゃん」っていうよく分からないことを口走る。わたしたちの関係は、そういうわけの分からない関係で成り立っている。
学校に入学して三か月が経った。梅雨が終わって本格的に夏が始まって、学生たちはすっかり夏休みが待ち遠しくなっていた。この三か月の間は順調だった、それなりに友達もできたし、勉強も平均よりは少し上、異性にはまだ恵まれていないけど、それはちょっと高望みって感じだ。まあ、まだ好きな人なんていないんだけれど。
「涼子ー、今日は暇?」
後ろから声をかけられて、わたしの肩はぴくりと動く。振り返るとそこには、列の並びを無視した茜がいた。
「どっか行きたいの?」
「そう、駅前の喫茶店。そこのパフェが食べたくなっちゃった」
「パフェか、いいよ。行こう」
「やったー! じゃあ、またあとでね」
茜は手を振って自分の場所に戻っていった。唐突にやってきてお願い事をして、用事が済んだら元の場所に戻る。そんな彼女も猫みたい。茜の髪は入学式の時から茶色だった。それもただの茶色じゃなくて、人工的な明るい茶色。そして学校指定のバッグにはカラフルな模様をしたアクセサリーがたくさんつけてある。典型的な高校生って感じだった。
「パフェ」と口にしてみて思う。わたしはあまりパフェという言葉が似合わない。肩甲骨よりも長くなった真っ黒の髪。でも内側は焦げ茶に染めて控えめのインナーカラー。中学生と高校生の間の春休み以降、髪の手入れをあまりしなかったせいですっかり境目ができあがっていた。耳にはピアスも開けているし、もしわたしがわたしのような人を見かけたとすれば、きっとただの不良にしか見えないだろう。
対して茜はパフェという言葉が似合う。入学当初から茶色だった髪はずっと茶色のままで、派手なストラップたちも色あせない。いつも明るい表情をしていて、化粧だって欠かさない。いろんなところに丁寧で、鮮やかで、そしてかわいい。そんな彼女はパフェが似合う。
「美味しい。何回来ても外れないね、ここ」
「パフェに当たりはずれなんてあるの?」
「んー、わかんない」
「なにそれ」
ピンポン玉みたいに、わたしたちの笑い声は店内に広がっていく。駅前の立地のいい場所にある喫茶店『ミスト』は、放課後の学生たちが集まる。電車を待つ人もいるし待ち合わせ場所にしている人もいる。習い事や塾までの時間つぶしで使う人もいるけれど、人が絶えないということはそれなりに理由がある。
まずは雰囲気がいい。高校生のわたしたちは聴いたことがないようなジャズが数分ごとに入れ替わる。そして学生が多いので、まるで学校の教室にいるような錯覚になる。学校の外なのにいつもと変わらず、学校内の友達と喋ることができる。そんな空間は滅多にない。
それから、マスターの福留さんが素敵な人だ。彼女はわたしたち世代の親よりも少し年上に見える女性だった。学生たちからの人気も高くて、料理や飲み物を学生でも苦労しない値段で提供してくれる。平日はいつもお店を開けていて、休日もお昼から夕方、塾や部活動が終わる時間帯は必ず開いている。まだ注文の会話しかしたことがないけれど、いつか話してみたいなって思わせるような女性だった。
「いいよねえ、ここに住みたいわ」
茜はどちらかと言えば小柄な体をしている。身長はたぶん160センチを切っているし、肩幅もそんなに広くない。全体的に細い線をしているのに、パフェの器はいつもビッグサイズだ。わたしはノーマルサイズでお腹がいっぱいになってしまうものだから、彼女と初めて一緒にパフェを食べた時は驚いた。「そんなに食べれるの?」と戸惑いながら聞くわたしに「うん。だって美味しいもん」って答えた茜の笑顔は忘れられない。
「毎日パフェ食べるの?」
「ええ、それはちょっと」
「いつもパフェしか食べてないけどさ、ここってパスタとかもあるんだよね」
メニュー表を見るとやっぱり、ミートソースやクリームソース、トマトソースとか、数種類のパスタが写真付きで載っていた。
「日曜日、お昼ここにする?」
日曜日? とわたしは首をかしげた。その日は特になにも予定はない。でも茜と遊ぶという約束もしていないはず。
「そう。一緒に食べに来ない?」
「ああ、そういうこと」
お誘いだったらしい。なんだかおしゃれな誘い方だと思った。
「いいよ、また来よう」
「ありがとー、うれしい」
茜は最初、スクールカーストの一番上だった。仲がいい子同士で集まって、学校に行くときも着替えに行くときもトイレのときも帰るときも一緒だった人がいた。たしか身体測定の日も後ろに仲間を連れてわたしと悠希に声かけてきた記憶がある。それから一か月は関係がなかったけれど、少し遅めの梅雨入りが発表された日、彼女はわたしに「駅前でパフェを食べない?」と言って誘ってきた。その時はもう、後ろには誰もいなかった。
「あー、ていうかさ、なんかあった?」
茜の顔がきょとんとした。なんのこと? と表情で聞いてくる彼女を見ていると、おかしいなって思った。彼女は理由がないのにわたしを誘ったりはしない。
「いや、突然パフェ食べに行こって言うからさ、なんかあったのかなあって思ってね」
パフェの隣に置いてあるグラスに口をつけて、口の中にふくんだ。
「ああ、まあ、パフェが美味しいから忘れてた」
「話さなくてもいいこと?」
「んー、じゃあ話しておこうかな」
カチャ、と茜は持っていたスプーンを置いた。そしてわたしと同じように水を一口飲んで「今日の集会のことなんだけどさ」と話し始めた。
「煙草吸ってる人がいたって話だったじゃん。それ自体は別になんともないんだけど、その対策の一環で身なりも厳しく取り締まるって言ってたの覚えてる?」
「うん、覚えてる」
「さっそく生徒指導の先生に目付けられてさ、黒に染め直せ、カバンの物は全部外せ、あとなんだっけ、化粧もするなって言われてさ、多いっての」
茜はまたスプーンを持って、まだまだ半分近く残っているパフェを食べ始めた。
「従うの?」
「いや、夏休みまではこのままで行く。どうせあと一週間だし」
「そっか」
「そう言う涼子は、それ外す?」
茜のスプーンの示す先にはわたしの耳がある。今日も当たり前のように付けている銀色のピアスを外すかどうか、たぶん、そういう質問なんだと思う。
「わたしも外さない。かわいいもん、これ」
「だよね、わたしの髪もかわいいから、絶対に黒染めなんてしてあげない」
「茜は黒も似合うと思うけどなあ」
「褒めても奢らないよ」
悠希がこの会話を聞いてたら、いますぐこの場で説教でも始めそうだなって思った。でもこれこそがわたしたちだから、説教されたところでどうにもするつもりはない。
わたしと茜ははみ出し者だ。控えめに、それもルールを破ることでしか自分を表現できない。わたしたちは、そういう人間だ。