あらゆる通信を遮断する黒い雨<レイン・オブ・アイソレーション>が延々と降り注ぐ領域は、いまや悪人たちの天国と化していた。

そんな黒い雨を走る白い高級車は道の真ん中に女が倒れているのを目撃し、クルマを止める。後部座席の黒スーツの男は下品な笑みを浮かべていた――

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レイン・オブ・アイソレーション

 暗澹とした曇天。次第に暗くなった空はすでに以前から重く黒い雨を降らせていく。民家も商店もない、黒いコンクリで舗装された人気のない道。そんな道を白いクルマが走っていく。

 全長の長い、曲線美を誇るフォルム。見るからに高級車とわかるそれは、道に倒れた女の前で急ブレーキで止まる。急制動で後輪を滑らせていたが、脱線することなく女を轢くこともなくなんとか止めていた。

「おい! なんだよ、危ねえじゃねえか」

「すみません! しかし、道のど真ん中に人が倒れていまして」

「あ?」

「ですから人が倒れているのです」

「はあ? こんな辺鄙な場所に人が倒れているわけねえだろ、バカにして──」

 後部座席から小太りの男が苛立ちを隠さずに外に出る。黒スーツを着た彼は乱暴にドアを閉め、運転席から出てきた細い白スーツの男に詰め寄った。

 彼らの視界には灰色の布をかぶった女が転がっていた。道の真ん中に身を投げ出すような格好は、二人の男を動揺させるのに十分すぎた。

「──るわけじゃねえんだな」

「ええ。どうしましょう」

「だったら……声をかけてみるだろ。おい、おい、聞こえるか、おい」

 ぶっきらぼうに黒スーツの男が声を掛ける。そこでようやく女が起き上がった。ゆらり。そんな音が聞こえてきそうな動きに黒スーツの男は思わず後ずさった。そうしたのは恐れからだけではない。女の容姿が──布のせいで顔しか見えないが──優れていたからだ。

 すっとした鼻立ちの、きれいな形をした緑の双眸。小さな口。それにどこか人間味が薄い奇妙な魅力があった。

「な……なんだよ」

「すみませんが、水を恵んでもらえませんか。食べ物かなにかも」

「タダじゃやらねえぞ」

「もちろん代金はお支払いします。ええ、お金はきちんとありますから」

「なら問題はないが、アンタ、どうしてこんなことしてる」

 黒スーツの問いに女は答えない。まあいい。傲慢な調子で呟いた男はクルマのトランクへと歩いていった。

「ちょっと、旦那様」

「あ?」

「ここにその──」

 言いよどむ白スーツに黒スーツは苛立ちを隠さず、しかし声は極めて抑えてささやいた。

「お望みの商品はございません、だろ」

「──そうです、ここには、私たちはそういう商品を持っていないでしょう」

「ああ、俺たちは奴隷商人だ。まっとうに食料売って暮らしている連中じゃあない。だから、あの女も、商品にする」

「なんですと」

「アレを見たか? なかなかに美しい。雨と泥を払ってやれば立派な商品になる」

「……わかりました。すぐに準備を済ませます」

 ふたりのささやきは強い雨音に紛れ、ささやきあう者同士にしか聞こえない。おい、と黒スーツの男が行き倒れの女に大声を出し、クルマのトランクに来るよう促した。

 女の足取りは重い。病気か怪我でもしているに違いない。黒スーツの男はそう見当をつけた。事実そうだとすればこの上なく都合がいい。

「あの、商品はここに?」

「ちょっと待ってな……これだよ」

 トランクをゆっくりと開けた黒スーツは中を自慢するように指さした。そこには縄できつく拘束された、短い黒髪が目立つ十歳にも満たないであろう女の子が転がっている。赤いワンピースを着せられた彼女は恐怖に震え、怯えた視線が痛々しい。口に食い込んだ縄のせいでなにも話せないでいる。

「なっ!」

「これが商品だ。ああそうだよ、俺は奴隷商人。これからお得意様に商品を届けるところでな……せっかくだからアンタも売り飛ばそうと思ってね」

 女は答えない。絶句しているのだ、無理もない──黒スーツの男は急に愉快な気分になった。隣の女はおぞましい商売人に震え上がって一言も発せないでいる。他人の心を支配する楽しさ。これだからやめられない、クソみたいな商売が。

「ってなわけでだ。少し眠ってもらう」

 女の後ろには白スーツの男がスタンガンを持って構えている。あと一息吸う頃には自分で女を後部座席にぶちこんでいることだろう。大切な商品なのだ、大切に扱わなくては。

 

 はぐわっ! 

 聞こえた声はどう聞いても男の声だった。

 黒スーツははっきり見た。さっきまでふらついていた女がしっかりした後ろ蹴りをかまし、白スーツを気持ちよく吹き飛ばしている。黒い水たまりにばしゃあと白スーツが無様に転がるのと、黒スーツが閉じたトランクに抑え込まれるのはほとんど同時だった。

「あぐわっ!」

「ええっと……あなたがダワナー・インベロンで間違いないのよね。奴隷商人のダワナー。業界でも頭角を表してきた売人の?」

「てめえ俺を知ってうぐっ、なにもん──」

 ダワナーと呼ばれた男は自分をクルマに押さえつける女の腕を見て目を開いた。

 白い腕。文字通りの白。美しい陶器のような色をしているが、よく見るとそれは頑強な機械の体であった。芸術美と力強さを兼ねた体。奴隷商人としての審美眼がとんでもない価値があると叫ぶが、今やダワナーは痛みから絶叫している。

「──クソっ! なんだってんだ、クソ!」

「あなたには賞金がかけられている。相当な額のね」

「賞金稼ぎのアンドロイドだと?」

「サイボーグよ、勉強不足ね」

「クソが、カネが目当てなんだろ。どんだけ積まれた? テメエがもらった倍の額をいますぐ出す、だから見逃せ!」

「バカのうえにアホ? いい、よく聞きなさい。カネの問題じゃない。理想の問題なの」

「理想だあ?」

 苦しそうに呻くダワナー。行き倒れていた──フリをしていた──女のサイボーグは押さえつける力を緩めることなく続ける。

「どれだけカネを多く積まれようがテキトーな理由をつけて見逃すなんてことはない」

「なあおい、2億だ。俺の懸賞金は1億、だから2億をキャッシュでやろう。それともあれか? Eマネーがいいのか?」

「人の話聞いてた?」

「足らんのなら3億、いや4億出す!」

「バカでアホでマヌケなのにこんな商売のおかげで富豪みたいなこと言えるのね。いい、もう一度言うわ。私はカネのために理想を曲げることはない。おまけにもうひとつ。あなたの首には賞金がかけられているけど、生き死にを問わないってあったわ」

「そりゃお前!」

 デッド・オア・アライヴ。賞金首の手配書に書かれている一文。生死を問わずこいつを処理できれば賞金を渡すという文面だが、賞金稼ぎをやったことのないダワナーでもわかった。生かして賞金首の身柄を持って帰るだなんて殺すよりも面倒で難しいことに決まっている。

「殺すってことじゃねえか!」

「どうして?」

「殺さず持ち帰るのは面倒だろうが! 言っておくが俺にこんなことしてタダです──」

「ああそう」

 直後ダワナーは絶叫した。両腿に熱いなにかがぶち込まれ、これまで体験したことのない痛みが彼の全身を突き抜けていく! 

「──むぎゃあああッ!!」

「いまナイフ刺したけど、動けないでしょ」

「あああっ、はあっ、はあっ」

 地面にダワナーを投げた女は指を鳴らす仕草をする。サイボーグの体では生身感のある音は出なかったが、手からは「ぱちん」と音が再生されていた。

 するとどこからともなく黒いクルマが現れ、奴隷商人たちのクルマに寄って止まる。運転席には誰もいなかったが、ダワナーはそれに驚かなかった。

「光学迷彩のクルマだと? ううっくそ、お前はいったい何者なんだ……」

 女はなにも答えることなく淡々とふたりの奴隷商人をクルマの後部座席に放り込む。すると自動的に拘束装置が作動し、太いベルトがシートから飛び出して自力で抜け出せないようにした。

「クソ痛え! こんなことしてタダで済むと思うなよ!」

「そっくりそのまま返すわ。生かして返す意味って考えてみた?」

「ああ!?」

「わざわざ面倒くさい手間かけてあなたを送り届ける意味。相当の恨みを買っているみたいね、そんな商売してたら当然か」

「だからなんの話だよ! クソッ!」

「痛いと思うけど想像力働かせて。あなたが恨んでる奴が生きたまま目の前に差し出したら、どうしたい?」

 痛みと怒りでロクに頭が回っていなかった。だがダワナーはそこでようやく理解した。言うなればこれは出荷だ。家畜を屠殺場に送り込むような。

「ちょっと待てよまさか俺、俺は──」

「バカがちょっとバカになったかしら? ま、私の仕事はこれでほとんど終わり。ドクター、もう少しだけ待ってて」

「──嫌だ! クソッ! 離してくれ、離せ! 全財産は6億なんて軽く越えてるんだ! なあおい、聞いてるか! 聞けよ!!」

 拘束されながらもなお暴れるワグナーに白い鉄拳がぶちこまれる。サイボーグは奴隷商人を気絶させると、助手席に乗せた少女の拘束を解いていった。

「助けに来てくれたの?」

「そのつもりはなかったんだけど、ついでだから助けてあげる。このクルマはROI(レイン・オブ・アイソレーション)領域を突破して近くの街まで動いていくわ。警察のとこの前で停まるから助けを求めなさい。なにかあったらドクターって呼べばきっとなんとかしてくれる」

「う、うん……ありがとう」

「それとこれ。なにかあったら使いなさい」

 サイボーグは少女に小さな拳銃を手渡した。グリップの部分が透明なプラスチックになっていて、少女の指の腹が触れると青白い光を放っていく。

「指紋認証が完了した。これであなた以外にこの銃を使える奴はいなくなったわ。なにかあったらためらわずに使って。自分の命を大事にして。いいわね?」

「わかった」

 緊張と疲れに満ちた返事だった。無理もない。先程まで厳しく拘束されて体力も消耗している。

「それじゃドクター。もう準備できた。あとはお願い」

 サイボーグが助手席のドアを閉めると、運転席に誰もいないクルマがなめらかな加速でこの場を去った。サイボーグはこの場を去ったクルマの下にある黒い箱を拾い上げ、次に自分が倒れていた場所の近くに隠していた大きいスーツケースを手に取る。

 奴隷商人が使っていたクルマに歩み寄っていったのはその後のことだ。確たる足取りはなんの迷いも現れていない。

「さて、そろそろ次の仕事ね。あのクルマに資料があるといいんだけど」

〈あるにはあるだろ〉

「ドクター」

〈こっちのクルマは順調だ。遠隔操作のラグも問題ない範囲だ。質の良い道具を使うってのは本当に良いものだね〉

「頭の中に人の声がするっていうのも慣れてきた。それで、クルマの下に置いてあったのが例の?」

〈ああ。高性能爆弾だ。今回の作戦をおさらいしよう。奴隷商人が取引先に向かうという情報を僕たちは掴んだ。それで君が奴隷商人を待ち伏せして襲撃、奴隷商人から取引先の情報を得てそこも襲撃する。普通の人間がひとりでやれることじゃないが、ルー、君なら大丈夫だ。ROI領域内では初仕事だが……君のボディは僕が監修している。大丈夫だ、心配ない〉

 サイボーグの女、ルーは奴隷商人のクルマの後部座席に黒い箱を放り投げた。そのままクルマのダッシュボードを漁り、ファイルを見つけ出す。ドクターと呼んだ男との通信はまだ途切れていない。ルーはドクターと前置きしてから言葉を続けた。

「良い知らせよ。奴らの情報がわかった」

〈どうだ? 〉

「奴らはクルマで目的地までまっすぐ行くつもりだったみたい。作戦は続行できる」

〈了解だ。君の装備は大丈夫か? 〉

「問題ない。高周波ブレードも異常なし。思いっきり暴れられる」

〈まあ……そうだな。だがもうひとりの賞金首のボディーガードはおそらくサイボーグばかりだ。あるいはアンドロイドか。奴隷の売買に関わっている奴で貧乏人なんてお目にかかれないだろ、油断は出来ないぞ〉

「わかっても。でもスペックは私のほうが上。そういうふうにドクターが作ったでしょ」

〈それもそうだな。ワハハ〉

「奴隷商人のクルマに爆弾もつけた。そろそろ出発するわ」

 ルーは運転席に座りハンドルを握り、シフトレバーをドライブに動かして思い切りアクセルを踏み込む。クルマはやや滑りながらも加速し、すぐにこの場から離れていった。

 

 

 

 黒い雨はますます強くなり、ルーは奪ったクルマで気持ちの良くないドライブを続けていた。サイボーグの彼女はワイパーでフロントガラスを拭わなくても前が見通せるが、それでもワイパーが等間隔で動いているのは彼女が生身の人間だった頃の習性だった。

 ルーの視界にはAR投影されたウィンドウがいくつか表示されている。機械の目とコンピュータを搭載した機械の体が、目的地までの最適経路や残りの距離を教えているのだ。

「ドクター、聞こえる?」

〈いま街に着いたばかりだ。警察にも連絡している。すでに受け入れ体制を用意しているとのことだそうだ〉

「商品として扱われていた子のアフターケアもやってくれるのかしら」

〈それは……わからないな。なんとも言えない〉

「警察のくせに。いや、取扱の対象外ってこともあるか。もうそろそろ到着するわ。支援お願いできる?」

〈君の状態はこちらでモニターしている。張り切って暴れてこい、ルー! 〉

 頼りにしてる。つぶやくように返したルーは遠くに灰色の屋敷があるのを認めた。左右対称の洋館、だがその周りは砦のように囲う建築物で守られている。

〈その洋館は正面の守りがかたいようだ。側面や背面から攻めたほうが良いかも〉

「なんのための爆弾? 正面から突っ込ませて爆発させる。状況を見て側面を突くわ」

 マジかよ! ドクターがおどけてみせるとルーは爆走させたクルマから飛び出した。そのままゴロゴロと転がり、止まると同時に膝たちになって頭を二度叩いた。

 するとクルマに積んでいた黒い箱が、クルマの外からでもはっきりと分かるほどに赤く発光した。クルマは勢いを削ぐことなく洋館の正門をぶち破り、離れていた玄関まで突き刺さり、大爆発を起こした。

 

 玄関は跡形もなく吹き飛び、広く大きな煙で包まれた。同時にわらわらと武装した黒服の集団が外に出る。洋館のある一帯がけたたましいサイレンで包まれる。

 黒服たちは正面玄関で一斉に防御陣形を組み、それぞれが持っている武器を構えた。自動小銃、狙撃銃──彼らはすべて同じ装備を身に着け、ほとんど同じタイミングで構え、煙の向こうでゆっくりと歩いてくる人影に向けて予告なく発砲する。

 圧倒的弾幕。だが人影は歩みを緩めることも、物陰に隠れようとすることもない。弾を避けようとする仕草すらなく前進し続ける。

「なんだあいつは」

「アンドロイドか?」

「サイボーグかもしれん、舐めやがって! 撃ちまくれ!!」

「うおおおおっ!! ハアッ!? リーダー、あれ見てくれよ!」

 クルマの大爆発によって生じた大規模な煙幕が晴れる頃に黒服たちは銃を向けていた相手が誰かを知った。ラジコンカーと、それが背負っているホログラム投影用小型パネルである。彼らは何者にも攻撃していなかった。

「そんなバカな!」

「侵入者はどこに?」

 動揺する黒服たち。そんな彼らの背後にごとりと手のひらサイズのボールが転がり、強烈な爆音と閃光がほとばしった。

「うおおおっ!!」

「ぐああっ!!」

 外に出ていた黒服たちは全員絶叫し、大半が気絶し、そうでないものもすぐに戦える状態ではない。

 それを洋館東側の屋上で見届けたルーはそのまま洋館の一番高いところ──正面の奥の方だ──までジャンプした。かなりの距離があるが、機械の両足が繰り出す跳躍力の前では散歩ほど歩くのと同義だ。

〈ルー、そこが目標のいる場所かい? 〉

「たぶんね。こういう奥まったとこにいるのが相場でしょ」

 心底愉快そうにドクターが笑うのを聞きながらルーは手近な窓を破壊して侵入する。偉い人が使うような装飾に染まった広い部屋に転がって入った彼女は、やや遠くに灰色のスーツを着た男が立っているのを認めた。

「ね、いたでしょ」

〈あの風貌なら間違いない。黒のオールバックに白の眼帯、顔に三本線の傷、グリンドだ。いくつものROI領域じゅうの犯罪組織と繋がりを持つ、大物のなかの大物だよ〉

「あいつをここで倒してカネを頂く。こいつほどの大物ならそしたら悪党どもも少し落ち着くでしょ」

 なーにひとりでぶつくさ喋ってんだ。グリンドと呼ばれた灰スーツの男は首を回して鳴らし、手を組んでバキボキ鳴らし、悠然とした様子でルーに歩み寄っていく。その体に武器はない。刃物も銃もない。

「お前ひとりで乗り込んできたのか? あの正門をよく突破できたな、許可のない人間はすぐに銃殺できるようにしている。生身の人間だろうが、サイボーグだろうが、痛みすら感じさせずにバラバラに出来るんだがなあ。クルマだけ突っ込ませて爆発させるってか、事前に情報を持ってなきゃ出来ない芸当だろ」

「予習するだけの余地も時間もあった。それに私は……極力、人を殺さない」

「俺も殺さないと?」

「手加減が効く相手なら」

 腰に帯びた高周波ブレード。日本刀の見た目をしたそれの鞘から刀身を抜き、柄を手にしたルーは右手でそれを構え、左手に忍ばせていたナイフを投げつける。

「刀に注意を向かせて投擲武器を仕掛ける。なるほど、悪くない」

「なっ」

 グリンドは右の手のひらでナイフを受け止めていた。赤い血が噴き出るのも全く気にせず、痛みも全く感じていないように振る舞っている。

「痛覚抑制を生身の人間が?」

「ははあ、さて、どうだろうな」

 勢いよくナイフを抜き取って投げ返すグリンド。刀で弾き飛ばしたルーはそのまま斬りかかる。もちろん殺すつもりではない。浅い傷をつけられればそれで良い。だがグリンドは一歩踏み込みながら避け、ルーの首元を掴んで投げ飛ばした。

「うわっ!」

「腰のひけた動作だな……手加減して勝てる相手だと思うなよ」

「まさかアンタ、人間じゃない!?」

「さあこい! 俺を殺す気で来るんだな」

 起き上がったルーに迫るグリンド。横に飛びながら重い一撃を叩き込むルー。攻防一体の一撃はグリンドの右腕で防がれた。大抵の生物なら容易に切断出来る高周波ブレード。グリンドは「並の生物」ではないのだ──ルーは目を開き、着地と同時に両手で構える。

「そうらいくぞ!」

 グリンドの両腕がスーツを破いて金属の刃になる。刀で凌いで下がるルーは、グリンドの攻撃の威力が並のサイボーグよりも大きいことを認めた。

〈なんだありゃ、腕だけサイボーグなのか? 〉

「わからない!」

〈パワーとスピードを両立したドンってわけだ。なかなか厄介そうだ、戦うドンか〉

「くっ、ちっ!」

 グリンドは刃になった両腕を振り回してルーに迫る。ルーの視界に投影されるARウィンドウが敵の攻撃威力を評価しているが、それを見ずとも彼女は分かった。鍛えた人間が剣や盾でこれを受けられるのは四発か五発だけだ。それ以上やれば腕の骨が使い物にならなくなるに決まっている。

 それは並のサイボーグ以上の能力を持つルーも危険を感じるほどの威力だ。このまま受け続ければ崩され、そこを突かれてやられてしまう。どうにかして反撃しなければ。

「そらそらいくぞ! そら、おら、おらあ!」

「くうっ、ぬあっ! そこだ!!」

 攻撃を弾いて作り出した隙をつく渾身の突き。確かにそれはグリンドの右肩を貫いた。だが苦痛に顔がゆがむことなく、それどころか心底愉快そうに笑っている。

「っ」

「なかなかやる、白い女のサイボーグ」

「強がってるとこ悪いけど、これで終わりだから」

 言いながらめった刺しにするルー。その突きの速さは人間の出し得るものではない。喉元を突き刺し、強烈な蹴りをかまして刀を引き抜いたルーは、グリンドがたたらを踏んだだけで獰猛な笑みを向けられていることに気づいた。

「なるほどな。これが負けの味か、ふん、次は俺が勝つさ。課題は見つかった」

「負け惜しみを……」

「ああそうさ。俺はもうここから動けない、だがとどめを刺すには早いぞ。面白い話をしてやらなければならないんだよ。なあ、俺はここにいる。だがここではないどこかにもいる。言っている意味がわかるか?」

〈意識の複製? ……まさかスペアボディ? ルー、もしかすると奴は君が戦っている体を遠隔操作しているかもだ!〉

 遠隔操作? ドクターの推測を繰り返しつぶやき返したルーは、豪快に笑い飛ばすグリンドを睨み返す。

「お前にどんな助っ人がついているか知らんが、頭が良いみたいだ。この体はスペアボディ、俺そっくりに作った抜け殻の機械だ。こいつを動かしている時、俺は全部の感覚を俺自身の体にフィードバックさせている。そうしないときちんと動かせないんでな」

「全部の感覚って……痛覚もフィードバックさせている?」

 眼前の敵、いや、敵の意識が乗り移っている機械のおかげで、これまで与えてきた痛みはグリンド本人に伝わっているという。腕が刃になるなんて生身の体では絶対に味わえない苦痛だ。全身をめった刺しにされる激痛なんて人間が味わえば気絶どころか脳が「誤解して」死ぬかもしれない。

「あんた、相当の変態ね?」

「よく言われるよ。ボス、こんなの続けてたら死んでしまいますよってな。俺の好きなことにケチつけるんじゃねえと黙らせてる」

「つまりアンタをぶっ壊しても私は賞金が手に入らないってことね」

「そうなるな。危険を冒してまでここまで来たが無駄足だったってわけだ。それと俺を動けなくさせたお前にもう一つ良いことを教えてやる。俺は傷つけるのが好きだが、同じくらいに傷つけられるのも好きだ」

「もう知ってる」

「斬られまくるのも刺されまくるのも好きだが、一番好きな傷つき方は……自爆だ」

 言うなりグリンドは腹のあたりを抑える。クヒヒと笑い始めたグリンドを見たルーはすぐに踵を返し、壁を四角形に切りつけて壁を蹴り飛ばした。

〈どうしたの!〉

「奴は自爆する気よ! あんなマゾヒストの変態が好きそうな自爆なんてロクなものじゃないでしょ、あいつならこの屋敷くらい吹き飛ばすはずよ!」

 蹴り飛ばした壁は勢いよく吹っ飛び、同じくらいの速さでルーが飛び出す。

「そらそら! 逃げ切れるかぁ!?」

「とんでもない変態ね!」

 スライディング着地、速さを削がないように立ち上がり全速力で走る。駆動機関のスペックを限界近くまで引き出し、あっという間に屋敷の正門まだたどり着き、距離をとり続ける。

 

 あまりの衝撃に一瞬だけ意識が飛ぶ。だがルーはどうにか消えかけた意識をかき集めて自分がどうなったのか確認する。

 遠く背後に離れた屋敷の大爆発。その爆風や圧はサイボーグの体を吹き飛ばすのに十分だった。

 吹き飛びながらもルーは眼下に黒いクルマが走っているのを認める。あれは自分たちが使っていたクルマのはずだ。ルーは姿勢制御を試み、どうにかクルマの屋根の上に激突した。少しへこんだが走行に問題はない。

「ドクター!」

〈よしっ。なんとか受け止められた〉

「奴隷商人とあの子は?」

〈すでに警察には向かった。このクルマを走らせている理由は君を支援しようと思ってたからだ。あんまり意味がなかったみたいだが〉

「そんなことない。来てくれてありがとう。走って帰らなきゃいけないなんて考えるとめんどくさいし」

 ワハハとドクターが笑い、クルマの速度が少し落ちる。爆発した洋館から飛んでくる瓦礫がちらほらクルマの横に落ち、転がっていった。

「ところでドクター」

〈ああ〉

「あの子はどうしたの」

〈そのことなんだが……ちょっとね〉

「ちょっと?」

〈うちでしばらく預かることになった〉

「どうして!」

 ほとんど叫ぶ調子でルーが返す。てっきり警察で保護され、あとで親が迎えに来るものだと思っていたところにこれだ。少なからぬ衝撃があった。

〈実は……彼女は孤児院にいた子なんだ〉

「だったらそこのスタッフが迎えに来ればいいでしょ」

〈その孤児院、今はもうないんだよ。少し前にニュースになっただろ、ホローダイン孤児院が爆破されたってやつ〉

「先週の事件じゃない」

〈両親も孤児院もない。頼れる親戚もいないらしい〉

「だから私たちが預かるって?」

 〈新しい孤児院なり受け入れ先を探しながら、しばらく預かることにした。それでなんだが……僕たちは今回、奴隷商人を生きたまま警察に突き出した。これで結構な額のお金が手に入ったし、奴隷商人だって別の仕事人が牢屋から連れ出して私刑の準備を整えるはずだ。つまり、僕たちはそれなりの猶予期間を手にしたことになる〉

「だから孤児の受け入れができるって?」

〈そだね〉

「理屈は分かったけど、でも私の心の準備が出来てるわけじゃないのよ」

〈そりゃ僕も同じさ。お互い似た者同士ってわけだ〉

 ルーは深くため息をつく。クルマの屋根から運転席に入り、ドクターの遠隔操縦から手動運転に切り替えてハンドルを握る。

 黒い雨に濡れたフロントガラスをワイパーで拭い、視界にAR投影したナビゲーションシステムに目的地──ルーとドクターのアジトだ──を入力してハンドルを切り、道を外れる。あまり整地されていない路面から伝わる振動がハンドルを通じてルーの顔を渋くさせた。

「わかった。あの子はいまどこに? 迎えにいくわ」

〈もう僕らの家にいるよ〉

「あらそう? わかった。手動運転に切り替えたからドクターは面倒見てあげて」

〈オーケーだ〉

 

 

 

 レイン・オブ・アイソレーション。

 ROIとも呼ばれる、黒い雨が絶えず降り続ける領域。いつの頃からか世界中のあちこちに発生していた。

 この領域はただ雨に色がついているだけではない。黒い雨は通信を妨害させる性質があった。ROI領域の中であれば無線機などで会話はできるが、領域内外間で電話や無線機を使おうとすると失敗してしまう。

 故にROI領域の中でなにが行われているかを確かめるには、直接に領域内に赴いて確かめるなどのアナログな方法が確実である。

 他人の目にはつくが簡単には中を覗けない領域──外部との通信が途絶え、その面では孤立している。犯罪に手を染める地下組織にとって好都合な場所であった。

 こうして黒い雨が降る土地は悪人が住むようになった。警察組織の介入はあったが、すべてが成功しているわけではない。故にROI内にいるとされる極悪人の首に賞金がつき、それを狙って賞金稼ぎを生業とする者が増えたのである。

「知ってるよそりゃ。さっきだって大金もらってたんだし」

 ぼやいたルーが見ているテレビ番組はドキュメンタリーものだった。ROI領域に住む悪人と、その首を狙う賞金稼ぎ。番組は賞金稼ぎの方に焦点をあてて構成されていた。当然だとルーは思う。黒い雨に住む者たちがインタビューなど受け入れるはずがない。

「良い初仕事だったって警察の人たちびっくりしてたよ。僕のセンスと君の情熱の勝利ってわけだ」

「ドクター」

 飾り気のある緑のカーペットが目立つ居間。居心地のいい空間にあるソファに座るルーの隣に眼鏡の青年が座り込む。

 灰色のダボついた服に黒いチノパン。少しひげが伸びている、やや不健康そうな顔立ちの危険な香りがする青年は、居間のドアに隠れる赤いワンピースの少女に手招きした。

「あの子、ちっとも僕になつかなくてね」

「ひげ剃れば変わるかも」

「面倒くさいなあ。とりあえずそれっぽい服を通販で注文したから、明日の朝には届くはずなんだよね」

「子供服?」

「あーうん。あの子にモニタ見せて選ばせてさ。ていうかルー、メンテナンス終わったからってくつろぎ過ぎじゃない?」

「さっきまで死ぬか殺されるか生き残るかってやり取りやってたのよ。もう少しだらけさせてくれたっていいじゃない?」

「良くないよ。子供の教育に悪い。親の背中を見て育つっていうじゃないか」

「親じゃないし」

 ムッとした顔をドクターに向けるルー。しぶしぶ立ち上がった彼女はゆっくりとした歩みで女の子が隠れているドアまで向かう。

「さっきぶりね。縄が結んであったところはどう、痛くない?」

「だいじょうぶです」

「ああそう。それは良かった。そういえばお名前聞いてなかったわね。私の名前はルー。見ての通りサイボーグよ」

 ルーはいま灰色の布をまとっていない。白い陶器のような機械の体をむき出しにしている。金属の冷たさが、彼女に触れた女の子の目を丸くさせた。

「ほんとうに機械の体なんだ。ギタイっていうんだっけ」

「義体ね。生身の部分は脳しかないわ」

「サイボーグってそうなの?」

「脳といっても、脳はパッケージされてる。パッケージって分かる? お菓子の箱の箱みたいなもの。私の脳はパッケージされているから、対応さえしていれば義体を乗り換えることも出来る。こういう戦闘用義体だけじゃなく、一般生活用義体にも着替えられるわ」

 女の子は難しい顔をしてとりあえずうなずいていた。まだ子供には理解しきれない話だったのだとルーははっとした顔を見せ、話題を変えることにした。

「そんなことより。あなたのお名前は?」

「……マイっていうの。12歳」

「マイちゃんね。しばらくこの家で暮らすことになるけど、近い内に里親を見つけてそちらに引き渡すことになるわ。短い間だけどよろしく」

「えっと……ここでずっと暮らすんじゃ?」

「違うわ。ここはそうね、危険なのよ。あのテレビでもやってるでしょ? 賞金稼ぎは危険と隣り合わせの生活をしている。いくつもの拠点を構えて移動を続けることもあるって」

 それに、とドクターが引き継いで語りだす。ルーはマイが身をこわばらせているのを認めた。

「ここ最近は孤児院だとか幼稚園だとか、そういう子供に関連する事件が多くてね。少しずつだけど稼働しているその手の施設の数が減ってきているんだ。だから受け入れ先が見つからなかったんだよ」

「そうだったんですか」

「有志の一般家庭も探してみたんだけど、なかなか積極的な人が見つからなくてね。だから『うちなら良いですよ』ってところが見つかるまで、僕たちが君を保護することになる。これからよろしくね、マイ」

 ぎこちない笑顔でマイがお辞儀する。ヘラヘラ笑うドクターを横目にため息をついたルーは、テレビが遊園地のコマーシャルを流しているのを見た。

「ドクター」

「ん?」

「明日ここに行かない? 平日だから人もそんなにいないだろうし」

「レッドフォレスト遊園地ねえ……まあいいか」

「観覧車なんて面白そうじゃない?」

「ただ高いだけでしょ」

「夢のないこと言うなよ子供の前でよ。それにお金なら向こう何年も暮らせるほどにもらってんだからさ、打ち上げみたいな感じで行こうって言ってんの」

 少しうんざりした調子でルーが立ち上がる。それを見上げたドクターはしばらく唸って、やっと頷いた。

「わかった。でもルー」

「なに?」

「実は一般生活用義体にトラブルがあってね。チェックしてみたら搭載しているシステムドライバに不具合があったんだ」

「それで?」

「ドライバのアップデートを待つか、以前のバージョンにロールバックするか。どちらにしても1日か2日かかる。明日行くってなら、その戦闘用義体で出かけなきゃだけど」

「別に構わなくない? パワーセーブ機能だってついてるでしょ、これ」

「ガワの問題の話。フツーの人がいっぱいいるところで軍服着た人間とか行進しないでしょ。いまの君、正直言って一般人のカッコとはかけ離れてるよ」

「知ってる……上着でも着ていくよ」

「マジ?」

「うるさいなあ。外見気にしてないのはドクターもでしょうが」

「あのねえ、今回は君だけじゃないんだ、マイちゃんだっているんだから、それなりには気をつけるよ」

 ホントかよとルーはぼやく。ドクターがおしゃれをするなんて見たことがない。

「迷惑だったら私、ここにずっといます」

「そんな話してないじゃんか。行こうよ遊園地。そうと決まりゃ明日は早起きしなきゃだね、寝る準備でもするか。お客さん用の部屋はないから、いま布団とか用意するからね」

 マイはありがとうございますとお辞儀して部屋を出るドクターに続く。確かに夜の10時をまわっている。良い子はもう寝る時間かとルーは呟き、テレビのリモコンを持って別のチャンネルに切り替える。

 別のチャンネルもドキュメンタリーをやっていた。題材はストリートチルドレン。家のない、都市の路頭で暮らしている子供たち。家もなく、カネもなく、故に犯罪に走る──彼らの暮らしに密着するその番組を見てルーの気持ちは沈んでいった。

 取材を受けている少年の友人がROI領域にいるマフィアに誘われた、という話も出てきた。ROI領域内の悪党どもはこうした弱者を利用して勢力を増している。国がどれだけ努力しても救われない人はどうしても出るし、故に悪党どもの完全根絶は難しい。

 ため息をついたルーは、ドクターが出ていった方とは別のドアを開ける。

 薄暗いやや広めの部屋。そこにはなんの飾り気もなく、巨大なパソコンと3枚のモニタ、そして大きな黒い椅子が置かれている。

 ルーは迷わず椅子に向かって歩き出す。彼女にとってのベッドがそれなのだ。ある種の充電装置とドクターが説明してくれていたが、詳細な説明を受けてもよくわかっていない。燃料電池がどうとか、なんとかのハイブリッドがどうとか──

 使えるならそれでいいや。消費者の心理なんてそんなものなんだよね、とルーは小さく笑うと椅子に座り、戦闘用義体のシステムをスリープモードに移行させ、自身の脳を休ませていった。

 

 

 

 翌日。

 ルーはレッドフォレスト遊園地の駐車場のアスファルトを戦闘用義体で踏みしめていた。義体が生み出すパワーを日常生活レベルに落とすコマンドをAR投影したウィンドウから入力し、試しに地面を思い切り踏んでみる。ヒビのひとつもはいらない。

「力加減コマンドは効いてるみたいね」

「なにしてんの?」

「いや、なんでもない」

 灰色の七分袖とチノパンに身を包んだドクターに答えたルーはクルマの後部座席から赤いロングコートを取り出して羽織る。それからまわりをきょろきょろ見回しているマイを見て、少し考えてから手を差し伸べた。

「ほら。迷子になったら困るでしょ?」

「すみません」

「でも分かるわ。いい天気でこういうとこ来たらテンション上がるわよね」

「はい! 天気もいいし気温だって過ごしやすいし……そういえばサイボーグって気温は分かるんですか」

「え? まあ、そういうセンサは積んでるからね、わかるよ」

「じゃあ暑かったり寒かったりすると居心地が悪いとか、疲れちゃうとかは?」

「それはない。なんていうのかな、ストレスをストレスだと感じないんだ。普通の人間と同じ五感はあるし、それを感じやすくしたり鈍くしたりもできる。それとは別に痛覚抑制って仕組みがこの義体にあるんだよ」

「じゃあ撃たれたり斬られたりしても痛くない?」

「うん。攻撃されているのはわかるよ。でも痛くて動けないとかはない」

「サイボーグの体って便利なんですね」

 羨ましそうに見上げてくる赤のワンピースの女の子をルーは複雑な心境で受け止める。

 確かに義体と生身では性能が段違いだ。だが人類のすべてがサイボーグではない。技術が発達し広く伝わっているのにもかかわらず。

 駐車場を見回してみてもサイボーグはいない。一見しただけでは普通の人間と変わりない一般生活用義体を使うサイボーグは広く知られた存在だが、ルーがスキャンした限りでは駐車場にサイボーグはいない。

 

 駐車場に近いところにレッドフォレスト遊園地の入口と受付がある。古めかしい城をイメージしたテーマパークだが、目立たないように現代的なセンサが取り付けられていた。受付でチケットを買わなければ、入口を通ろうとすると警報が鳴る仕組みになっている。

 先を歩いていたドクターはルーに「並んでチケット買ってくるからマイちゃんをよろしく」と告げ、十数人ほどの行列を待っていた。その後ろ姿を眺めていたルーは、ドクターの番になってどうやら揉めているらしいことに気づいた。

「マイちゃん、一緒についてきてくれる?」

「はい」

「いい子ね。ねえドクター、なんかあったの?」

 ルーは直接話しかけるのではなく、ドクターがいつも耳につけている小型無線機に呼びつけた。彼女は無線機を持っていないが、戦闘用義体には装備されている。

 〈実はちょっとね〉

「どうしたの」

 〈サイボーグの入園を断りたいとか言ってくるんだよ〉

「は?」

 〈正しくは戦闘用サイボーグがお断りだってさ。ちょっと交渉してみる〉

「そういうことなら私も話す。マイちゃんも連れてくよ」

 マイの手をひいてルーはドクターのもとに歩いていく。

 なんでこんなことがと憤る反面、やっぱりこうなったかと落胆に沈むルー。

 この時代、サイボーグは特に珍しいものでもない。失った四肢の代用としての選択肢として義手義足に並ぶ程度には世間に広まっている。効率の良い力仕事に従事するものが腕だけサイバネ置換したり、サイボーグではないが業務に際して会社側が着脱式の強化外骨格──パワードスーツと呼ばれることが多い──を用意していることもある。

 だがほぼ全身が生身ではないルーのようなサイボーグは、その大半がまっとうな生き方をしていない。殆どが犯罪組織の実働部隊に属する、いわゆる戦闘員である。

 もちろん生身で生きられない事情を持つ人が全身サイボーグになることを選ぶ事例もある。ルーは過去に自分の目で見て、それはいまでも記憶に残っている。

「ですから、全身サイボーグの方は入園をお断りしているんです。他のお客様の御迷惑になりますから」

「うちのルーはそんなことないって。というか僕ら悪いやつじゃないよ。暴力団とかじゃないし、むしろ賞金稼ぎだし。昨日だってROI領域に出向いて仕事してきたんだよ。文字通り命がけでさ。その打ち上げで遊びに来たっていいじゃない」

「しかし、それは戦闘用サイボーグってことじゃないですか! だったらなおさら──」

 要するに。遊園地が入園を渋っているのは、全身サイボーグの殆どが戦闘用義体であることが理由なのだ。ルーは自分の義体がドクターの特別製であることを踏まえて昨日のことを思い出す。

 人を蹴り飛ばして気絶させるなど造作もない。生身の陸上選手の記録を大幅に塗り替えることが出来る身体能力。骨がひしゃげるほどの衝撃に耐えられる頑丈さ。確かに普通の人間とは違う。

 人種が違うとまで言えるかもしれない。いや、きっと遊園地側の人間はそういう教育を授け、授けられたのだ。あいつらの大半はマトモじゃないところの所属だから入園させるな、と。

 それは仕方のないことだとは思う。しかし。ルーはサイボーグになることを選ぶ前は人間だったのだ。体のどこも機械化していない、ただの人間だった。

「ねえ」

「ひっ」

 ドクターの隣に立ったルーは低い声を出す。来園客と受付の人員を隔てるガラスの板。それめがけてルーの白い機械の腕が伸びた。だん、と強い音がして受付の若い男が飛び上がる。

「力加減コマンドは入力済みよ。それがなかったらデコピンの要領でこんな板なんて粉々に出来るわ」

「は、ひゃい」

「だからなんか物を壊す心配はない。もしこの体が見えると迷惑って話ならコートだって着込んでいるわ。いい、私たち、チケットを買ってもいいわよね?」

 受付の若い男は完全に恐怖した様子で左右をみやる。視線の先には他の受付の人間がいたが、彼らも怯えきって「いい、いい」「チケット売っちゃって」と若い男に言葉を投げていた。

 

 

 

「いやー、チケット買えて良かったね」

「なにが良かったのよ。気分最悪……」

「でもマイちゃんを楽しませられている。君のことは、まあ、残念だけど。過去にここでサイボーグが暴れたのかもしれないね」

「どうせ教育する係とか、経営の人間がカスみたいな頭してるだけでしょ」

「そうやって悪く言うのは良くないと思うぞ」

「ハンパに善人ヅラしてんじゃないよ」

 隣でソフトクリームアイスに口をつけるドクターに鼻を鳴らすルー。ふたりはベンチに座り込んで、やや遠くで風船を受け取りに行こうとしているマイを見守っていた。

「でも全部の従業員が君を厄介者のように見ているわけではなかった」

「少なくとも犯罪者のサイボーグとしては映らなかったんでしょ」

「まあそう、そうだね。ゴーカートにメリーゴーラウンド、鏡の迷路だって君と一緒に遊んでた。従業員はひと目見てビックリしていても、あの受付の人たちほどには拒絶したいってようには見えなかった」

「それが当たり前だって……」

「僕にとっての常識は誰かの非常識なんだ。それは君にも、あの受付の人にも言える」

「ドクター」

「わかった。この話はいったんやめにしよう。マイちゃん! 次は観覧車にでもどうだい」

 呼びかけられたマイは嬉しそうに頷いてルーとドクターのもとへ駆け寄った。高いところからあたりの景色──周りは森と高速道路だらけ──を見下ろせば、なにか気分が変わるかもしれない。

 

 しばらく行列に並び、白色の観覧車に案内される三人。ルーの隣にマイが座り、その対面にドクターが座る。

「観覧車って初めて乗るんです」

「そうなの? 高いところは大丈夫?」

「たぶん……でも大丈夫!」

 少しだけ不安そうにマイはうつむくが、もう始まってしまったものは仕方がないのだ。

「あの、聞きたいことがあるんです」

「なに?」

「どうして賞金稼ぎになったのかって。だって、ルーさんもドクターさんも、私のヒーローだもの。いろんなことを知りたいなって」

「昔話をしてほしいってことか。んー……マイちゃんならいいか。つまんない話だけど、観覧車の時間までには終わるはず」

 僕は喋んないよ。ドクターはきっぱりと言い切った。残念そうにしょげるマイを見てもドクターの態度は変わらない。無理もないとルーは思う。

「私は……三年前に家族を亡くしてね。十五歳の時だった」

「そうだったんですか」

「あの時は家族旅行に出かけてた。いまみたいにね。クルマに乗って出かけてたら横から爆弾積んだクルマが飛んできたの。爆発に巻き込まれて私は全身に火傷があって、両親は即死。それで……私は火傷だけじゃなかった。体中がボロボロで、骨が折れてたり、骨治療が終わったとしてもまともに動かせない状態だった。サイボーグにでもならなきゃお先真っ暗よね」

 マイはなにも返せないでいた。そりゃそうだろう、昔話を聞いたらこんな話を聞かされるのだ。自分だって呆然として聞いているだろう──ルーは続けていく。

「治療を受けながら私はあのクルマが何者のものなのかを調べてもらってた。分かったのは、連中がROI領域内のマフィアの一員だってこと。なにも悪くない私たちが攻撃されたのは、新人の入団試験の一環だってことくらいだった」

「入団試験?」

「敵対組織の構成員を殺すのは当たり前に求められるけど、その組織の構成員に求められていたのはどこまで残虐に、残酷になれるかってことだったのよ。敵の組織に全く関係のない、なんの力もない人を殺せるかどうか。それをテストしていたの。その結果が……ってわけね」

「ひどい……」

「警察からその話を聞いて、私は思ったの。ROI領域にいる連中はどうしようもなく悪いやつなんだって。それで賞金稼ぎになろうとした。悪いやつらは数え切れないほどいる。どうせサイボーグになるなら戦闘用サイボーグになって、奴らの首をとってくれば私みたいな子供も増えないし借金も問題ないと思ってね。ドクターとはその頃に知り合ったの」

 マイはドクターに視線を向けた。「そうだったねえ」とこぼしたドクターに頷き返すとマイは興味深く頷くルーを見上げる。ルーは外の景色をちらっと見る。頂点を少し過ぎたあたりで、マイもクルマが点に見える景色に目を丸くしていた。

「ドクターはサイボーグ開発の第一人者って話だった。新素材や新しい仕組みで、従来の戦闘用サイボーグの出力を大幅に上回る戦闘用義体を作ろうとしていたの」

「コードネーム『アイビス』っていってね。いまのルーの義体のことなんだけどさ。当時の僕はいろいろあってフリーで動いていた。仕事がないから、サイボーグになってくれる人を探して賞金稼ぎでも始めようかと思ってね。それであちこちの病院を巡って重病人とか探して、やっとルーと出会えたんだよ」

「そういうこと。利害が一致した私たちはすぐに行動に移した。私は自分の生身が脳だけになって……ドクターに脳パッケージしてもらって、アイビスっていう戦闘用義体を身につけることになった」

「でも問題があった。国際法が設けた制限のせいで、十八歳未満の人が賞金稼ぎを仕事にするのは禁止していたんだ。ルーがサイボーグになったのは十六歳の時。だから仕事ができるようになるまで二年くらいかかってる。その間に僕は自分の研究をルーに施して、そんで……そのアイビスって義体は最初に比べてかなり強くなった。僕の知る限りだとアイビスに対等に渡り合える義体はないくらいに」

「それに訓練をする時間はたっぷりあった。脳に直接情報を送って訓練ができる環境もあったから、知識も実践も経験は積み放題だった。だから……私はとても強くなった。そうして初仕事に奴隷商人とその取引先の首を選んで、マイちゃん、あなたに出会ったの」

 言いきる頃には観覧車の時間が終わりそうだった。ドクターもマイも満足そうにしているのを見てルーは安堵する。この昔話はマイにとって満足いくものだったらしい。

「さて、昔話はおしまい。今日の晩御飯はどうしようか」

「じゃあ私、カレー作ってみます!」

「カレーかあ。好きだったなあ。ドクター、食事ができる義体ってなんかないの?」

 難しいこと言うねとドクターが苦笑いしているのを見てルーは思い切り笑った。なんだかんだでこの三人はうまくやれている。里親探しはドクターが進めているはずだが、思っていたより別れが惜しくなりそうだった。

 

 

 

 観覧車を降りたルーを待ち受けていたのは、遠くに聞こえる騒動だった。どうやら喧嘩が起きているらしく、逃げる来園客が言うには「ヤクザだ」「ヤバいやつがいる」らしい。

「ドクター」

「そうだな、君が行って騒ぎを収めてみてもいいかもしれない。ここのスタッフや経営陣たちに、サイボーグが悪人ばかりじゃないってことを知らしめてやろう」

「そうね。ここで見返してやるわ」

 なにかのトラブルを穏便に済ませたのが戦闘用サイボーグなら経営陣も見る目を変えるだろう。であれば今後ここに来る時は、スタッフたちの態度も少しは良くなるかもしれない。

 そんな期待を抱いていたルーは、鉄パイプで殴り合いをしていたガラの悪い男たちの争いを見た。生身の者もいれば腕だけサイバネ置換している者もいる。

「オラァ死ねやあ!」

「テメエがくたばれ!」

 ホットドックの屋台の前で繰り広げられる、鉄パイプのチームデスマッチ。そこにルーが飛び込む。

「やめなさい!」

「すっこんでろガキ!」

 横に振るわれる鉄パイプ。それをルーは跳躍して避け、同時に鉄パイプを踏みつける。

「うぎゃあああっー!」

 鉄パイプを勢いよく踏まれた男は吹っ飛んでしまう。そこでようやく殴り合いをしていた他の人間もルーがいることを認めた。

「だっテメエ!」

 無茶苦茶に鉄パイプが振るわれる。力加減コマンドを有効にしているルーだが、脳に繋がれている義眼は攻撃軌跡予測や危険評価を視界に投影している。邪魔になっていないのはドクターの設定したUI設計が優れているからだ。

 そのおかげでめちゃくちゃに振るわれた鉄パイプはかすることもない。怒声と共に突き出された鉄パイプをひらりとかわし顎を殴りつける。取り落とした鉄パイプを拾ったルーは一瞬だけ力加減コマンドを解除し、両手に持った鉄パイプをぎゃりりと捻り上げてみせた。

「うわっ!」

「こうなりたくなかったらやめなさい。警備の人も来るでしょ、おとなしくしないと……こうよ」

「……なんてな」

「は?」

「これはオレたちの勝ちだ。お前のツレは頂いた」

 ニヤリと笑う男にルーは目を開く。まさか、こいつらは、昨日戦ったグリンドの手下なのでは? 

「あんたたち、もしかしてグリンドの手下?」

「正解だ。急いだほ──」

 力加減コマンドを再入力して有効化、思い切り男の顔を殴りつけて気絶させたルーはコマンドを無力化して全速力で駆け出す。それと同時にドクターからの連絡が届いた。

〈ルー! 奴らマイちゃんをさらって逃げたんだ〉

「ドクターは無事?」

〈少し殴られたくらい。でも奴らに発信機を取り付けた! ROI領域に逃げられる前に追いかけるんだ! 〉

「分かった!」

 ルーは地図をAR表示させる。そこには赤い光点で発信機の場所が示されている。AR地図に触れて視界の端にスワイプさせたルーは遊園地の受付ではなく、観覧車がある方に駆け出した。

 発信機の場所は高速道路のある場所を人間離れしたスピードで動いている。間違いなくマイはクルマに乗せられているのだ。観覧車がある側から森に飛び降り、橋になっている高速道路の場所に合流できれば追いつけそうだった。

 遊園地の柵を飛び越え、崖から落ちるルー。泥まみれの地面にばしゃりと着地すると同時に駆け出し、ルーは無線越しに呼びかける。

「ドクター、いまから追跡を開始するわ!」

〈全速力の君でもクルマのスピードには敵わないぞ、どうするんだ! 〉

「考えがあるわ、心配しないで。いまどこにいる?」

〈駐車場だ。一応、僕のクルマからでもある程度のサポートは出来る。僕も追いかけるよ〉

 そんなやり取りを交わしている頃には高速道路の橋になっている部分が見えてきた。橋の柱を駆け上がり道路に飛び上がる。AR投影された地図の現在地と赤い光点の距離をリアルタイム表示させる。3キロメートル。どうにかなりそうだった。

「高速道路に入ったよドクター!」

〈僕もだ。てか君どこから入ったんだ!? 〉

「そこから5キロ離れてる高速道路の橋よ」

〈無茶苦茶やるね。それで君の考えって? 〉

「私より速いクルマに飛び乗る」

〈マジかよ! 分かった、乗っかるクルマをぶっ壊さないでよ〉

 力加減は出来るつもりよ──返しながらルーは自分を追い越した白い大型トラックに向けて跳躍する。

 ダン! とトラックの上に飛び乗ったルーは次のクルマを見定める。できるだけ速いクルマを探す。いた。黒いスポーツカーだ。助走をつけてトラックから飛び降りたルーは勢いのままスライディングする。白い義体で火花を散らしながら左腕に隠していたワイヤーを射出する。

 目当てのスポーツカーのトランク部にワイヤーを刺したルーはそれに引っ張られる形で高速道路を疾走する。運転手が後ろを振り向いて驚いた顔を見せるが、ルーは大きく手を振って大声を出した。

「私は賞金稼ぎのルー! サイボーグよ! いま高速道路を誘拐犯が走ってるの、協力してくれないかしら!」

 ワイヤーの巻き取りのおかげでスポーツカーの上にとりついたルーは、顎が外れそうになっているサングラスにモヒカンの運転手がかろうじて「いいぜ」と返したのを聞いた。

「ありがとう! 賞金の半分あげるわよ」

「マジかよマジかよ! おいネーちゃん、思い切りすっ飛ばすから気をつけな!」

 乗り気になった運転手が更にクルマを加速させる。AR表示させたターゲットとの彼我の距離もぐんぐん縮まっていく。

「その調子よ! 奴らに近づいたら私一人で行くわ。危険な目にあわせるわけにはいかないもの」

「ああ! わかったぜ」

 更にクルマが加速する。どんどん彼我の距離が縮まっていく。この調子なら簡単に追いつけそうだった。

「こちら賞金稼ぎ! いま誘拐犯を追ってるわ。道を譲って!」

 ルーは発声機関の拡声装置を使って高速道路を走るすべてのドライバーに呼びかける。非常事態が起きているのは理解してもらったようで、ほとんどのクルマが安全な道を譲る運転をしてくれていた。

「やった! ありがとう! ドクター、優秀なドライバーを見つけたわ」

〈よくやった! 僕も発信機の場所に近づいているよ〉

「了解。そうだ警察への通報は?」

〈もうしてる。ROI領域へ繋がる道の検問とかしてくれるみたい〉

「優秀ね。よし、あとそろそろでおっぱじまる。マイを取り戻したらドクターのクルマに行くわ。それと奴らを捕まえた賞金の半分をいま協力してくれてるドライバーに渡すから」

 問題ない。ドクターがそう返すのとターゲットとの距離が残り300メートルを切るのはほとんど同時だった。

「オッケーよ! 私が前に飛び出したら減速して距離を離して」

「危険だっていうんだよな。わかったぜ」

 運転手が大声で返すのを聞いたルーは助走をつけて前に飛ぶ。着地と同時に全速力で前へ前へと走り、ぐいぐい距離を縮めていく。

 200メートル、100メートル、50メートル。その頃には前方が騒ぎになっているのが見えた。あまりにも乱暴な運転をしているらしく、スキール音が粗暴な運転を物語っていた。

「ドクター! 前方30メートルに黒いクルマを見つけたわ。あそこから発信機の反応がある」

〈了解だ。マイちゃんを見つけたら僕らのクルマに連れてくるんだ〉

「分かってる! いくぞおおおっ!!」

 ルーは発信機の反応があるクルマの後ろにワイヤーを発射し、巻き取って近づく。ワイヤーを外さずにトランクを無理やり開けると、そこには怯えた表情のマイが無理やり押し込められていた。

「マイを見つけたわ! いまから減速してドクターと合流する」

〈よくやったよ、上出来だね〉

 しっかりとマイを抱きかかえたルーはスライディングの要領で黒いクルマとの距離を離していく。

「しっかり掴んでるから、暴れないで!」

「きゃああっ! わかったああっ!!」

 クルマの窓からは黒服の人間が顔を出し、銃を向けるが、発砲こそしていない。

 この調子で行けば無事にマイを取り戻せる。そう考えたルーは一瞬視界が暗くなったのを認めた。なにかが飛んで影になっている。

 見上げるとそこには人が飛んでいる。ジェットパックを背負った人間──いや違う。あれは昨日見たのとそっくりだ。

「グリンド!」

〈えっ!? 〉

「グリンドのスペアボディが空飛んでるの! さっき協力してくれたスポーツカーにマイを預けるわ!」

〈オッケー気をつけて! 〉

 スポーツカーがいるところまで後退したルーはそこで並走し、助手席を開けるとマイを乗せてドアを閉める。

「ドライバー、その子が安全なように運転してほしいの」

「この子が誘拐された子かい?」

「そう! このクルマにも発信機を取り付けているから、良いところで高速を降りて私の仲間と合りゅ──」

 最後まで言い切れなかった。グリンドのスペアボディが空から飛び蹴りをかましたのだ! 

 これまで体験したことのない勢いで高速道路を転がり、しかしなんとか立ち上がりつつ前を走る。グリンドはスペアボディを使ってまでマイを取り戻そうとしている。そうまでする理由は一体なんなのだ? とにかくスペアボディを破壊しなければマイが危ない! 

「──グリンドォ!」

 ルーは前に駆け出し、グリンドのスペアボディが高速道路を駆け抜けているのを見た。背負っているのはジェットパック。だがそれ抜きでもグリンドのスペックが昨日よりも高いのはすぐ分かる。

「来たな、白いハンター」

「あの子がなにをしたっていうの、しつこいのよクソ野郎!」

 追いついたルーは右のストレートを繰り出す。グリンドの顔面に入ったが、ダメージを与えた様子はない。

 グリンドの左ストレートをかがんでかわし、しかし強い衝撃で吹き飛ばされる。グリンドは小さな銃を隠し持っていたのだ。

「クソッ! 武器が要る!!」

〈ルー! いま追いついた。これを使って! 〉

 後ろ50メートル。ドクターの白いクルマの屋根からロボットアームが伸び、機械の手には鞘に収まった高周波ブレードが握られている。ルーが走りながら右手を上ると同時にロボットアームが剛速球を投げるように振るわれた。

「ありがとうドクター! これで戦える」

〈このくらいしか協力できないが……協力してくれたクルマについてってみる。頑張って! 〉

 ドクターの応援を背に、ルーは走るグリンドに斬りかかる。予想通りグリンドの両腕は刃に変形し、何度も繰り出される攻撃を確実に防いでいた。

「楽しいねえ。実に楽しい。高速道路で走りながら斬り結ぶなんてこれっきりだろ」

「黙れっ!」

 グリンドが再び銃撃、瞬間、ルーの動きが鈍った。そこを見逃すグリンドではない。彼の回し蹴りが深く決まり、吹き飛び、ルーは高速道路から森へ落下してしまう。

〈ルー! 〉

「大丈夫! まだやれる」

 着地したルーは追撃の踵落としをしてくるグリンドの攻撃を紙一重のところでひらりと避け、そのまま回転斬りをするが刃の腕で防がれる。

「俺があの子を狙う理由を聞きたいか?」

「ああぜひ聞きたいね。ロリコンだからってのはなしよ、くだらなさ過ぎて殺したくなる」

「孤児院の子供なんて将来ロクなことにならない。ロクな目にあわない。中にはきちんと努力して自分の境遇をよく出来る奴も出るだろう。だが全員がそうじゃない」

 腕の刃を振るいながら──昨日よりも素早い動きだ──グリンドは演説をするかのように語る。高周波ブレードで受けながらルーは声を張った。

「なにが言いたいわけッ!」

「かわいそうだとは思わんか! 水準以上の教育を受ける機会もなく、親の愛を知ることなく育つ子供たちが! そんな子供の将来などたかが知れていると言っているんだよ」

「お前が勝手に断言するなッ!」

「孤児院の子供はまだかわいい方だ。ストリートチルドレンを知っているか? 家もなく都市の路頭に住むことを強いられた子供たちだ。彼らがそうなっている原因は? 家庭や社会の問題だ。貧困や虐待、経済格差──俺がやろうとしているのは雇用創出に他ならん! 貧しい子供は教育を受けられず、生きるためになんでもする。栄養もとれず病にかかる! 薬物まみれになる子供もいる! 雇用創出で俺たちは哀れな子供に手を差し伸べる!」

 両腕の刃を交差斬りで叩きつけるグリンド。その表情は自信に満ち、絶対的正義を背負っているのだと言外に雄弁に語っている。刀を握る力がさらに強まるルーは、グリンドの腕を押しのけて何度も斬りかかった。

「デタラメ言うなッ! 雇用創出だと!? ふざけるな!」

「子供たちをサイボーグにする! 俺たちの組織の構成員にする! いつでも人手が足らんからな、いくらサイボーグにしても困ることはない」

「昨日みたいに使い捨ての捨て駒にするんだろうがッ!!」

 ルーの横一文字斬りは周の樹木をたやすく切断し、どおんと鈍い音を立てて倒れていく。そんなことはお構いなしにグリンドもルーも互いの武器と武器をぶつけあう。

「だが綺麗事を並べるだけではなにも始まらん!」

「それにマイを狙う理由になってない!」

「あの子は適正があった! 特殊なサイボーグにする適正がな」

「どうやって知った!」

「検査車を向かわせたのさ、あの孤児院に。フロント企業ってやつさ。手始めにあの女の子を子供サイボーグの第一号にするハズだった。子供のサイボーグがうまくいくと仲間に説得して、量産体制に入る予定だった。それをお前が邪魔した! この戦いは楽しいが、絶対にお前を殺して計画を始めるぞ! お前がこの計画の最大障害なんだからなぁ!!」

 グリンドの両腕攻撃は足を薙ぐように振るわれる。そこをジャンプして避けるルーはグリンドの頭を思い切り踏みつけてさらに高く跳ぶ。

「どこだぁ!」

「うおおおッ!!」

 周りの樹木を蹴って加速落下するルー。そうして繰り出された必殺の突きはグリンドの胴に突き立ち、赤黒い液があたり一帯を染めていく。ルーの赤いコートも、白い義体も。

「うおっほおおおおおおおうッ!!」

「死ねックソ野郎」

「この痛み……最高だ、最高の痛みだぁ。お礼に良いことを教えてやるよ。お前の協力者のことだ」

 落下の一突きで押し倒した形になるルーはじっくりと刀をねじり回す。

「ドクターがなに?」

「お前は奴のことを知らない」

「そうね。名前も歳もなにやってた人かも」

「おかしいとは思わないか? ROI領域でも問題なく通信が出来ていた。ROI領域は外部との通信が出来ないはずだ。ところがお前はそれが出来ている」

「ドクターの技術よ」

「どうしてそう思う?」

「そう言っていたから」

「事実そうだ。奴は──俺の傘下の組織で研究を続けていた。俺のスペアボディ、ROI通信装置。他にもいろいろあるが……その義体は知っているぞ。コードネームはアイビス」

 グリンドは義体のコードネームを知らないはずだ。だが知り得ているということは。180度刀をねじったところでルーはドクターに連絡を入れる。

「ドクター、こいつの言ってることは本当?」

〈……ああ〉

「元は悪人だった?」

〈そういうことになる。もともと僕の育ての親が……あれが親なのか親戚なのかすらはっきりしないが、物心ついたときには、僕は黒い雨を見て育っていた。教育を受けて奴らのためになる研究をさせられた。お前はそのために生まれた天才なんだって教えられて頑張ってきた〉

「……」

〈なにか出来上がるたびに褒められた。とても嬉しかったけど、でもある日見てしまった。僕が研究したものでなにが行われているのか。なんの罪もない人が狙われているとか。つまり、僕の研究は、ハナっから悪事のためにあったってことに〉

「それで?」

 刀を回して360度。恍惚の声をあげるグリンドに注意しながらルーは尋ねる。申し訳ない調子でドクターが息をつくのを、ルーは黙って聞いた。

〈僕は組織を抜けた。これまでの研究成果を持ち出したり壊したりして、必死に逃げた。ルー、君と出会ったのはその頃なんだ〉

「そういうこと……」

 ルーは立ち上がり、ゆっくりと刀を抜く。赤黒いものでべったりとした刀身をぼうっと眺めると、グリンドが愉快そうに笑う。

「ははは! そういうこった、どうだ? 失望しただろう。裏切り者だよそいつは! 俺たちと、お前の──」

「黙れ」

 無造作にルーは刀をグリンドの顔面に突き立てる。

「ドクターは私の仲間だ」

「──はは、そうかよ。なるほどな……お前、いい仲間を持った、な」

 グリンドの言葉はあとになるにつれて歪んでいき、言い切る頃にはグリンドはぴくりとも動かない。遠い頭上では高速道路でクルマが行き交う音ばかりが聞こえていた。

 

 

 

「それで……私はしばらく皆さんのところに?」

「ええ。警察に丸投げすることもできるけど、どっちがいい?」

「やっぱりルーさんとドクターさんのところが良いです。信用できるし」

 素直な笑顔でマイはルーを見上げる。ドクターはそれをバックミラーで見てシートベルトを締めてと言い、緩やかにクルマを発進させ警察署をあとにする。

 血まみれだったルーも義体の洗浄が終わり、コートもクリーニングに出している。いまの彼女は陶器のような白の義体が夕日に光っていた。

「ねえルー」

「ん?」

「ありがとう」

「ん……それはこっちのセリフ。ドクターがいなければいまの私はいないでしょ。いまはとても充実してるし幸せよ。それにドクターがあいつらを恐ろしいと感じているなら、私にとって信用できるってことでしょ?」

「……そうだね」

 申し訳なさを吐き出すような小さな返事だった。ルーは隣のマイに目をやる。疲れからかマイは寝息をたてていた。

「それにさ。僕は過去にやっていたことを恥じている。なにも知らなかったじゃすまないことなんだ」

「ええ」

「アイビスのデータは破棄したはずだけど、グリンドのスペアボディはたぶんアイビスを作ってた頃の技術蓄積が流用されている。これまで僕が作ったり調べてたものが世間に牙を剥くと思うと……ぞっとする」

「だからってわけじゃないけど、私がいるでしょ」

「ルー。すまない、ありがとう。これからもよろしくね」

 返事はしない。だがルーは精一杯の笑顔を見せる。この義体の表情表現性能が高いことに感謝しながら、ルーはバックミラー越しにドクターを見つめた。

 これからもよろしく。口だけ動かして語りかけ、それをバックミラーで見たドクターは深く頷いてステアリングをギュッと握りしめた。

 

 

 



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