これは、俺が体験した奇妙な話。
キリスト教に熱心じゃない俺からすれば、この話は俺が知り得ぬ世界の出来事だとしか思えない。本当に神が裁きを下したのかなんてことは分からないが、邪悪を断ってくれたのは明確な事実だ。
ドッペルゲンガーだとかペニシリンを発見しただとか、自分に向けられた銃弾が20年経って暴発して死んだとか、そんな目玉ひっくり返る話には及ばないとは思う。でもよき運命を辿れたのもまた一つの事実だ。
最後に言うが、出会いと別れってものは、案外あっけなさ過ぎるものだ。また話ができるだろうからと思い込んでる奴に限って、ふとした時が永遠の別れになることを理解していない。
*
「おいスピードワゴン!聞いてんのか!?」
その濁った声の介入によって、ロバート・E・O・スピードワゴンは自分の世界から呼び戻された。
19世紀末のイギリス、ロンドンの街。眠気を誘うような日差しの中、古臭いレストランにスピードワゴンと元ゴロツキの男はいた。
「!…………お、おぉ。もちろんだぜ」
「あの貴族の兄ちゃんの件は…俺も悲しいがよ。もう3年前の話だ。そろそろ気を取り直せって。な?」
「すまねぇ………それで、オメーのアメリカにいる友人が……歯石除去検査だったか?」
「遺跡発掘調査だ。友人の一人がえれー金持ちでよ、テキサスにある砂漠の土地を大量に買ったらしいんだ。そんで人手があと少し欲しいって言うんだが…俺は用事があって遠出できねぇから、オメーさんに頼んでるって話だぜ」
*
アメリカ テキサス
奇しくも運命か、端から端まで瓜二つの蒸気船に搭乗してスピードワゴンは海を渡り、約束通りの時間に港で例の金持ちとやらに出会った。
やはりその男も元はワルだったのか、ドブ以下の匂いがした。しかし更正はしているようで、物腰は柔らかく、富裕層としての貫禄があった。
名は「ロンサム・オールズ」。彼いわく、ちょっぴり違法な仕事から始め、そこからなんやかんやあって銃器メーカーを立ち上げたらしい。
なぜ銃器メーカーの社長が遺跡を発掘するんだ、と好奇心で訪ねてみたら、趣味だ、と答えられた。疑問は残ったが、貧民街などで育った人間は、幼少期を苦しみながら過ごしたせいか、大人になると大層な夢を持つ者が多々いる。
夢は叶うし、考古学にも貢献できる。なんら悪いことではない。
テキサスとはアメリカ最南部に位置し、メキシコと接する広大な州である。その名は、「友達」を意味するネイティブ・アメリカンの言葉に由来する。
テキサスの西部にある砂漠。といっても砂が山のように積まれ乾ききった灼熱の砂漠ではなく、カウボーイが馬にまたがって横断するような砂漠のこと。植物はそこら中に生えていて、砂ではなく岩が多い。加えて日中はかなり肌寒い。
「よォーーーしッ!!全員揃ったな。左からトーマス・パサデナ…マーク・ワトキン…ジェ……やめておこう。総員113名、ここら一帯の土地の権利はこの私が持っている。これでもかというくらい好きにやってくれて構わない」
ロンサムはブロンドの長髪を風に揺らし、大統領選挙の演説に劣らない勢いで言い始めた。
なかなかに容姿端麗だと、スピードワゴンは改めて感じた。しかし彼には興味の無い仕事。なので冷めた顔をしている。それに反して発掘隊の多くはじっと耳を傾けている。
「ただ一つ、もし……私は君たちを信頼している。だからこれは万が一の話になるが、何か偉大な発見をしておいて…それを報告しないヤツがいたら…………その時はその時だ」
曖昧な演説が終了したのち、全員がすぐに調査に取りかかった。どうやらロンサム自身も参加するようで、せっせとめぼしい地点を掘っている。
スピードワゴンはバイトとして参加し、給料のために働く。遺跡でも化石でも、歴史的なものを見つければ特別手当が出るシステムもあるので、頑張るほかない。
「けっこうキツめの力仕事だと思えば…大したことはねーな。しっかしこんなところに遺跡なんてあるのか?アステカ帝国だってもうちょい下にあったぞ。ま、歴史学者じゃねーから詳しい事はわかんねーがよ」
などと愚痴を呟きながら、周囲にいた見知らぬ発掘隊と協力しながら掘り進めていく。
主にスコップやツルハシを使い、時間を忘れるほどに地面にぶつかっていくだけなのだが、これが疲れる。誰も何かしらを発掘したと叫ばないから士気も上がらないし、機械的な運動ほど退屈なものはない。
「ったく……本当にあんのかよ………」
「そこのイギリスのあんちゃん!弱音吐いて諦めんじゃあねー!まだ仕事は始まったばかりだぜ!きっとこっから金銀財宝がアホみてーに出るんだよッ!!もっと気合入れとけよォーーッ!!!」
「お、おうよ……」
変にポジティブな人間もいたもんだ。
時間の感覚なんて感じなくなるほどに、掘って掘って動いて掘っての繰り返し。いつしかコツを覚えたスピードワゴンの動作は効率的になり、彼は無心で仕事をこなしていた。
腕時計をしきりに見ることもなくなり、汗の気持ち悪さも慣れてきた頃──
「はッ…!」
ふと気づく。空も周りも真っ暗になっていることに。
満天の星空が頭上に広がり、いつの間にか太陽は消えていた。目を凝らしてもマトモに歩くことすらままならない。
何を言っているかわからないと思うが、瞬きをしたら真夜中になっていた。先ほどまで真昼だった気がしたが、それほどまでに無我夢中になって取り組んでいたとは、自分でも驚きだ。
「な、なんだ…もう夜になっちまったのか?まだ昼飯も食ってねーってのに…………ん?」
違和感に間違いはないようで、スピードワゴンと同じ違和感を覚えた発掘隊はザワザワしていた。心なしか徐々に空間の黒が強まり暗くなっている。
「やっぱりおかしい……俺の時間感覚は正しいみたいだ。開始が9時半頃…今の時刻は…」
今まで味わったことのない暗闇の中、袖をまくって腕時計を見る。眼が触れそうなほどに顔を近づけ、なんとか見えた長針と短針の向いている数字は信じがたいものだった。
「『11時24分』……!?夜か…いや、そんなはずがッ…!そこまで疲労はねえし腹も減ってねえ!これは午前だッ!だが午前11時だと………!?そんなバカなッ!」
ポケットから取り出したマッチを点けて見渡すと、夜になる寸前の場所から一歩も移動していないことが発覚した。彼はなんの前兆も無い光の剥奪にやっと恐怖を感じ始めた。
太陽が雲に隠れたなら、こんなに暗くはならないだろう。暗闇よりも暗く、黒よりも黒い、この世界では呼吸はできるし重力もある。
何が起こったのか?正答は誰からも得られなかった。
そんな中、一際目立つ大きな灯りがともされた。
「うっとうしいぞッ!!!」
ロンサムだ。巨大なランプを持っている。
周りには光を求める人々が集う。
「いいかよく聞けッ!これは終焉だ!太陽無き今、我々に希望は無いぞッ!人間の理解など遠く及ばない『最後の審判』が始まるのだッ!!!」
彼は空らしき黒を見上げて確かにそう叫んだ。
狂ったのか、何を言っているんだ、そう言いたい気持ちを抑え、代わりに眉をひそめた者達の視線が集まる。闇の世界に響き渡る声には不思議と安堵させる力があった。
ロンサムは一番近くにいた小太りの男に歪んだ顔を向ける。
「君…今年で何歳になる?」
「えっ?わ、私ですか?………なぜ今それを?」
「いいから答えろ」
「今年で37歳になります。それが何か?」
発掘隊の一人はこんな事態になってもヘラヘラと微笑みながらロンサムに対し腰を低くする。それもそのはず、まだ自分が生きて帰れると思い込んでいるからだ。
「そうか…だが………37歳にはなれないな」
「へ?」
ツルハシを振り上げ、男の脳に深々と突き刺さることに時間はかからなかった。躊躇いのなさが力に変わって、顎からツルハシの先が見えている。
男に断末魔を上げる余生は与えられず、彼が遺したものといえば、ランプに照らされたキレイな血潮の間欠泉くらいだった。
誰もが唖然とした。暗すぎるとはいえども、暗闇は我を失うほどのハプニングだろうか。
「お前は「生贄」だ!私を生かすためのなッ!」
すでに息絶えた男に何度も何度もツルハシを振り下ろす。
スピードワゴンは口が閉じず、汗が噴き出してきた。
目を瞑っているのかと錯覚するほどに暗くなり、更に突然誕生した狂人に恐れおののいた人々は、わずかな光を追い求めて光源を持つ者に集まってきた。
さながら夜中の虫のようで、気味が悪いと思った。
「な、なんなんだよテメーらッ!ただ天気が珍しいことになってるってワケじゃあねえのかッ!?さっさとあっちいけ!」
「でもよォ~~、暗くて何も見えやしねェ~んだよォ。これじゃあ給料も数えらんねーしセックスもできやしね~ぜェ~」
「うるせぇ!俺に触るなッ!…あっ……!テメー俺の大事なマッチをッ!」
群がってきた男共は距離感が掴めなくなり、スピードワゴンに激突し、彼のポケットの中にあったマッチを落下させた。
拾おうとすると、マッチを落としたと耳にした群衆が我先にと飛び込んできた。醜く変貌した人間達は次々と地面に鼻を擦らせながらマッチを捜す。
押しのけられたスピードワゴンは、この短時間でこうも人は変わってしまうのかと絶望し、尋常ではない現状に恐れて後退した。
その時、目を離してはならないものと目が合った。
「!……そこのお前!無駄に前向きだったオメー!チンタラしてないで避けやがれェッ!」
「何?」
「後ろにヤツがいるぞオオオオオオ!!!」
若々しい男の背後で、ロンサムはツルハシを振り上げていた。新たに照らしたマッチの光に侵入してきた歪な形相には、かつての貫禄も面影もなかった。
「『血は
「やめろォォオオオーーーッ!!!」
めり込む。
「ぷげっ」
眼球が宙を舞い、多量の血がロンサムのきめ細やかな肌を彩った。ただそれだけの、特に面白味は感じない、非常に単純な殺戮劇であった。
スピードワゴンは恐怖のあまり尻もちをついた。
「『おぉお~ん』」
「チクショー!なんなんだよォー-!!」
奇怪な狂人に、感情をなくしたように群がる人々。マッチの火は消えかけ、希望も薄れゆく。ただ正気なのは彼一人だけとなった。
「クソッ!!!」
逃げようとする彼の手はその時、偶然にもツルハシを掴む。と同時にロンサムは攻撃の体制に入った。
「ウオオオオオオオ!「目には目を」だぜ!くらいやがれェェーーッ!」
迫る先端に対し、絡めるようにしてスピードワゴンはツルハシを片手で振った。止められればそれでいいという思いで、一心不乱に。
ピタッと、ツルハシの柄を鷲掴みする者がいる。
「何ィッ…!?」
「ハイ、喜んで!」
そいつは群がってきた男たちの中にいた、ポケットの中からマッチを落とした男だった。狂人から身を守るための行動が妨害されていた。
遂に、遂に狂人のオーラが伝染してしまったのか。いつしかロンサムの周辺には数十人の味方がいた。ついでに盗ったマッチを点している。
「ウオオアアアアアアアアアアア!!!!」
走った!群れをくぐり抜け、マッチの火が消えてしまう危険性などお構いなしにスピードワゴンは脚を動かした。
あの人のように逞しければ、大群相手にも勇気を持って立ち向かっていただろうと、必死こいて逃げている自分を悔いた。
風は吹かず、空気はひどく冷えていた。
「うおォォッ…!!」
スピードワゴンは発掘調査の際に自ら空けた穴に気づけなかった。不意に引力を強く受け、穴底に体の所々を強く打ち、立つのがやっとだった。
落下の時にマッチも落としてしまったようで、自分以外の何も視認できない。
「汝!わたしの生命となるかッ!!!」
ロンサムとその他数十人が穴の上から彼を見下ろす。ロンサムがツルハシを掲げると、不可解な雄叫びが穴の中に轟いた。
彼らは急斜面を豪快に走り始める。遠い昔の蛮族のように。
「こんなところで終わっちまうのかよーーッ!」
「我は手に入れるぞ!手に入れてやるッ!永遠の生命をォォォーーーッ!!!」
白目をむき、くしゃくしゃに怒り狂った顔はスピードワゴンの目を反射的に閉じさせた。
理由も不明なのに、生まれ故郷ですらないこんなところで死ぬのかと思うと、涙は出ず、走馬燈が脳裏をよぎった。もし先に逝ってしまった彼らと再び会えるのなら、少しは気楽かなと思った。
しかし真っ先に感じたのは激痛ではなく、圧倒的な熱波だった。
「グァァイァイアアーーッ!!!」
「…!?」
「GGGGGGGUUUUUOOOOOOOOOHHHHH!!!」
瞼を上げたスピードワゴンの前には、全身が炎に包まれ、熱気を帯び、神々しく光を放っている男たちの姿があった。
焦げ臭い匂いに混じって、鼻を劈くような匂いがした。この匂いと突然の炎上、スピードワゴンは燃える男の足下を見ると、その答えがわかった。
「あ、あれはッ……『石油』だッ!鼻水くれーだが…ほんのちょっぴり石油が地面から湧き出しているぞッ!そいつに落としたと思ってたマッチが引火しているんだッ!!」
天啓──それしか言い様がない。
「……カァッ…!ッ………ァイッ…!」
声にならない悲鳴もむなしく炎は次々と燃え広がり、全てを容赦なく焼き殺す。その火炎は太陽の如く閃々と輝き、燃え尽きると同時に彼らの死は太陽を呼び起こした。
人類の夜明け。事は終わったのだと。
「太陽が………戻ったぞ…!」
体を貫かれそうなほどの陽光が世界を照らし、天に昇る日はただ一人を見据えている。ロバート・E・O・スピードワゴンは真相を知ろうとしないことが正しい選択なのだと悟った。自然に刃向かわない。決して勝てはしないのだから。
「『永遠の生命』…か……この発掘調査……いや、まさかな。考えるだけ損だ。助かっただけ感謝しなきゃあなんねぇぜ」
晴れ空と顔を合わせ、彼は微笑んだ。
石油を採掘し始め、石油王になって自分の財団を設立するのはこの話からまた数年後になる。